新薬史観

地雷カプお断り

「日本沈没2020」はつまらない作品じゃない

初めに断っておくが、自分はただのオタクである。

今後、「日本沈没2020」に関して語るなかで、専門用語や制作への理解については、現実と乖離している可能性がある。

アニメ制作に関する書籍や、監督へのインタビュー記事を読んだり、制作関係者のトークイベントにも足を運んだりするなど、できる限りの情報集めをしている方ではあるものの、オタクはオタクの域を出ないので信頼性は高くない。

もしアニメ制作者に迷惑がかかるような間違いがあれば、コメントなどで訂正してほしい。

また、批評と批判の語義についてだが、批評は「善し悪しについて評価をする」、批判は「正誤・真偽について判断する」ことらしい。

よって作品の評価として、この記事では批評という言葉を使用する。どっちでもいいと思うけど念のため。

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Netflixで「日本沈没2020」が配信されている。

湯浅監督作品が好きな自分は、今作も非常に期待していたのだが、Twitterを開けば、「反日アニメ」だの「作画崩壊」(これに関しては違うだろうと確信していたが)だの「韓国人が作っているからだ」だの、イヤなツイートが流れてきて既に不安だった(民度的な意味で)。

案の定、度が過ぎた人は、監督に誹謗中傷のリプまで飛ばしており、その話題性に乗じて、語りたがりの人間は作品の視聴はおろか、Netflixに入ってすらいないのに、日本と中韓の問題について語り始めている始末である。けもフレ2の悲劇再来、これこそまさにインターネットである。

皮肉なものだが、このような「自らを攻撃されたと勝手に思い込み、過剰に攻撃的になる」民度それ自体が、「日本沈没2020」に登場する「外国人差別をするような(日本)人」の裏付けになり得るのではないか。

 

で、それはさておき。まず自分が言いたいのは、ネットで散見されるこの作品の悪口について、本当に「あなたの批評は的を射ていますか」ということだ。プラットフォームがNetflix、さらには原作が小松左京の大ベストセラーということで、「普段アニメに親しみがない人も見ることができた」、まずここに問題点がある。いや、視聴者層拡大の観点からすれば正しい選択なのだが、アニメにしろ何にしろ、理解のない人間に任せた無責任な批評ほど恐ろしいものはない。

 

それでは、まず「作画崩壊」について考えてみよう。

あなたはアニメを見ていて「うわっ!なんだこの絵!下手だな~!作画崩壊だろ」と思ったとする。

その思考に至るには、3つの可能性がある。

 

①アニメを「動画」ではなく「画像」として見ている。

作画崩壊ではなく、そういう「絵柄」である

③実際に作画崩壊している(目や鼻の位置がずれてる。パースがひどい、指が6本あるなど)

 

まず①の可能性から見ていこう。

①アニメを「アニメ」ではなく「画像」として見ている。

よくやり玉に挙がるのが、アニメのキャプチャ画像を貼り付けて、「作画崩壊してる!」と叫んでいるオタクである。この誤解は、大抵動きが激しいシーンの切り抜きで生まれやすい。

これについては根本的な認識に誤りがあるため、ネタならともかくマジで作画崩壊だと思うのなら、最近話題になった「サスケの首折れ画像」の解説動画を見て欲しい。

 

これを見ればわかるように、アニメは「動き」を大切にし、「動き」で鑑賞すべき作品である。

他にも、アニメーションにはオバケと言われる技法があるが、あれも画像で見ると関節は折れてるし、身体の面積も拡大され、輪郭なんてものは存在しない。それでも動画にして見ると、圧倒的な躍動感を生み出すところがアニメの面白いところで、これについては以下のブログでわかりやすく解説されているので、気になる方は読んでみて欲しい。スロウスタート2話の野中作画がやばいという話である。

 

royal2627.ldblog.jp

 

で、結論から言うと、①の場合は作画崩壊とは言わないし、言ってはいけない。それはアニメーターの仕事を無責任に貶すクソの所業である。

アニメーターを笑う前に自分の愚かさを笑うように。

 

作画崩壊ではなく、そういう「絵柄」である

これに関しては、「作画」と「絵柄(作風)」の違いを把握できていないことに問題がある。あまり見慣れていないことによる「なんかこの絵、おかしくない?」という感情を、うまく言語化できずに「作画崩壊」と言ってしまうのだ。

確かに、湯浅監督の作品は絵柄が独特だが、これに関しては慣れてくれという他ない。湯浅監督の(個人的に考える)絵の特徴は、アニメーターの憧れである「必要最低限の線なのに圧倒的な情報量を保ちながら、自在に動かせる驚異の表現力」につきると思うのだが、その線の雄弁さをうまく汲み取れない人は、なんじゃこりゃと思うわけである。ようするに先ほどチラリと述べた「オバケ」のようなものを常に描ける方法を知っている人(だと自分が勝手に思っているだけ)なのだが、それゆえ作画は不安定に見えてしまう。監督という立場でありながら、どのようにこの表現力を作品に落とし込めているのかは不明だが、とにかく湯浅作品はそういうものなのだ。

よって、この件に関しては、作画崩壊に見えるものが、「意図的なものかどうか」が鍵となる。それを判断するためには、第1話を見て、脊髄反射で「作画崩壊してる!」とツイッターに書き込むまえに、まず監督は誰かクレジットを確認し、その人の他の監督作品を、最後まで見なくてもよいから、適当に画像検索などしてみることが重要である。

「なんでそこまでしなきゃいけないの?」「知らんがな」と思うかもしれないが、「作画崩壊」という単語は非常にキャッチーで話題性がある。そのマイナスイメージによる被害を受けるのは、他でもないアニメ制作陣、またその顔である監督だ。実際に作画崩壊をしているならまだしも、無責任な言葉で軽々しく言うべき言葉ではない。私は怒っています……。

 

③実際に作画崩壊している(目や鼻の位置が大きくずれてる。パースがひどい、指が6本あるなど)

 ①②に当てはまらないものだけが、真の「作画崩壊」である。

f:id:negishiso:20200713051916p:plain

アニメ「夜明け前より瑠璃色な」第3話より

 

上に張っているキャベツのカットシーンは、まさに作画崩壊の代名詞だろう。ちなみに少し話はそれるが、4年前に、この作画崩壊の原因について語る人物が現れている。真偽はわからないが、興味深い話ではある。

togetter.com

 

とここまで書いてきて、では実際に「日本沈没2020」は作画崩壊していたのかと言われると、一部分にはありました(あるんかい)。

7話が結構崩れていたんだよね。でも、良く例として挙げられる2話3話あたりは、やや「う~ん」と唸る箇所はあったものの、鬼の首をとったように(それこそデビルマンcrybabyじゃないが)騒ぎ立てるようなものではない。2話3話で騒いでいるようなオタクは、7話を見ると血を吐いて死ぬんじゃなかろうか。

自分が言いたいのは、過渡期の3Dアニメーションみたく「こんなの見てられねえよ!」となるならまだしも、少し崩れたぐらいで「作画崩壊」というのはちょっとどうかと言う話である。確かに作画は崩れていた、でも、だからといってそれで自分が死ぬわけでもあるまいし、完璧を求めるお前は何様だと思う。お客様なのかな。

あと、②で湯浅監督の絵柄について触れてみたが、実際のところ、今作「日本沈没2020」では、その特徴が薄れていた。内容が内容のためだろう。湯浅作品の線はうますぎて、それ自体に極度なデフォルメ、要するに虚構性を含んでおり、見ているだけで笑顔になってしまうような代物(個人の感想です)なので、リアリティを追求する作品とは相性が悪い。「デビルマンcrybaby」では、その点ひとつの虚構としての世界があるので、湯浅監督の線でキャラが活き活きと動かしてもなんら違和感がないのだ。多分。専門家じゃないから分からんが。

そんな感じなので、「日本沈没2020」では、キャラの立ち絵とかにややそれっぽい感じが出ていた程度で、総合して「やや湯浅み」を感じるくらいに収まってる。だから、本来はそこまで作画崩壊とは感じないはずなのだが……謎である。7話まで見たのかな。

「絵がうまいって、そんなにか?」と言う人には、最近公開された劇場版アニメーションの「きみと、波にのれたら」や「夜明け告げるルーのうた」あたりを見ればいいのではなかろうか。できる限り一般視聴者層?に向けられた作品だし、色彩も綺麗だし、何より水の動きや水中にいる人の動きの描写がピカイチなのでオススメである。オタクなので「きみと、波にのれたら」の脚本があまり好きではないのだが、まあこれも合う人には合うだろう。比べるまでもないが、日本沈没2020よりかはずっとちゃんとしてる。

 

で、ここまで「作画崩壊」という単語について見てきた。

次は、「反日アニメ」とか「左翼」とかをいうべき対象について考えてみよう。

湯浅監督のツイートを見ると、フジツボのように、まあ大量にクソリプが張り付いている。

その罵詈雑言を投げつける相手は、本当に正しいのだろうか。

では、内容については後々触れるとして、「実際に『日本沈没2020』が反日アニメだった」と仮定する。

愛国心の強いあなたは、「日本沈没2020」を見てキレてしまうわけだ。こんなの反日アニメだ!絶対に、なんとしてでも文句を言わないと気が済まない。自分はそれだけの精神的被害を受けており、この作品は日本人をコケにしていると思う。その怒りを自分のなかでうまく落とし込む能力がないので、なんとしても暴言として吐き出す必要があるわけだ。そういうわけで、この作品の制作者に物申したいとする。「この料理をつくったやつは誰だ!?」というわけだ。海原雄山か?自分からすれば、そのような姿勢にこそ物申したいが、意見は意見であり、伝えるのも自由である。もちろん、人を傷つけない限りは。

で、まず批評をするとして、何について言いたいかを明確にすべきだ。ストーリー展開、作画崩壊、思想などなど、自分のなかでこの部分が気に食わないという気持ちに向き合うことが大切になる。「自分は見てないが、反日作品らしいので監督はクソ!」とかリプライを飛ばす人間が、まあ実際にはいるが論外だ。

で、内容が纏まったら、その部分を担当した人間に物申せば良い。

仮に、どうしてもあるキャラの反日言動が許せなかったとする。絶対になんとしてでも責任を追及したい。その場合、あなたは誰に物申せば良いか。候補は以下の通りである。

 

プロデューサー、シリーズディレクター、監督、脚本、絵コンテ、原作、制作進行、音楽、キャラデザ、作画監督、演出、色彩設定、仕上げ、Netflix(制作委員会方式なら制作委員会)、声優、動画、原画、背景、美術……などなど。

 

エンドクレジットを見れば分かるが、ここに挙げたものより、ずっと多くの役職が存在し、軽く百人を超える制作陣でアニメは作られている。

誰に文句を言うべきか分かるだろうか。

ここで脳死で「監督だ監督!」と思えるのはかなりクレーマーとしての素質に溢れており、最悪な人種として100点満点である。きっとアニメ監督=スーパーの店長くらいの認識なのだろうが、それは一部正しいとはいえ、あまり正確ではない。

実際のところ、監督はこれらを全て統括する最高責任者かというとそうではない。アニメが失敗すれば、なにかと監督だけが批判される慣習になっているが、テレビ番組にスポンサーがついているように、アニメ制作においては、監督よりも上の立場が存在する。今回の「日本沈没2020」では、監督の他にも同じくらいの立ち位置である(と推測される)シリーズディレクターが存在し、その上にはプロデューサー、制作費を提供しているNetflixがある。本来ならば原作者である小松左京もここに肩を並べるが、存命ではないためこの限りではない。

で、この監督よりも上の人たちは何をするかというと、監督への口出しである。確かに監督は、自分の思い描く作品を制作するため、スタッフに指示を出すことが出来る。しかしながら、それ以前にプロデューサーなどからも「そんな展開じゃオタクにウケないんじゃない?」「僕のお気に入りだからこのキャラの出番を増やして欲しい」「うちの推している声優の出番、少なくない?もっと台詞増やしてよ」などいろんな要望が入る。賛否あろうが、お金を出しているから当然の権利であり、これは仕方のないことなのだろう。

ここでの問題は、視聴者の監督に対する「アニメ制作における最高責任」のイメージにある。現実はそうではない。監督という役職は、自分の理想と、上から要望との間に妥協点を見つけるようなものだと自分は解釈している。まあ「監督とはそういうものであり、そのうえで全部の責任を引き受けるものだろう」と言われるとそこまでなのだが、個人的にはなんだかなあと思うわけである。

「プロデューサーがめちゃくちゃ口を出してくる」というのは、異なる2作品の監督トークイベントで共通して聴いた内容であり、それなりに信憑性は高いと思うのだが、もしかしたら、まったく制作には口を出さず、監督に一任するプロデューサーや制作委員会も存在するかもしれない。一時期Twitterでは、気に入らないテレビ番組があったらスポンサーに電話凸するのが効果的だという言説が流行ったし、事実それは大きな力にはなるだろうが、テレビ番組にしろアニメ作品にしろ、「駄作の責任は監督じゃなくてプロデューサー(資金提供会社)にある!」と判断するのはやや早計である。

なぜなら、アニメ制作は数百人単位で行われ、その制作過程はいち視聴者には全く見えないからだ。

自分の目で見てもいないのに、勝手な妄想で誰かを悪者にするなということである。

例えば、某アニメでは、既にできあがった脚本を絵コンテの人間がまるきり一から描き直したという話もあるし(そのときは流石にクレジットの名前が変更されたが)、台詞のタイミングが合わないから監督の裁量で取捨選択することもある。作画崩壊したからといって、原因は作画監督にはないかもしれず、脚本の提出が遅く、全体の進行が遅れたから、あるいは制作進行の手際が悪く、ブッチされて補充すべき動画マンの数を用意できなかったから、なんてこともありそうな話である。

 このように、アニメ制作とは非常に流動的で、役職名と実際にしている仕事が一致しているかというと、必ずしもそうではないと考えている(個人の推測)。

 これはアニメに限られたことではないが、いずれにせよ、数百人が関わって出来る制作物に、過失責任の所在を求めるのは難しい。「その人が監督だから」「脚本だから」という理由で批評するのはあまりに安直であり、その姿勢はどうかと思うわけだ。

繰り返すが、「批評するな」ということではない。

その人に責任があるのかも分からずに、名指しで批難をするなということだ。

実際問題、けもフレ2の問題に関しては、めちゃくちゃにオタクから叩かれた監督よりも、その方向性を指示したプロデューサーの方に問題があったとされている。これに関しては憶測もあるため完全に信用するのはどうかと思うが、こう言うこともあるから、「とりあえず監督にクソリプを送る」のはやめろと言うことだ。オタクも少しは成長した方がいいと思う。どうしても送りたいなら誰にもリプライせずにタグをつけるなりしてツイートしろ。多分関係者はエゴサして見ている。

 

最後に、現在、憶測による風評被害が相次いでいる。これが一番厄介である。

今回、制作を担当したサイエンスSARUの社長が韓国人であるというだけで、あたかも「日本沈没2020」という作品自体が反日思想に染まっているかのように感じる人間がいるそうだが、流石に論理的に飛躍しすぎではなかろうか。そもそも、現社長は、語学に堪能でありマネジメント能力もあるということで、湯浅監督と共に会社を立ち上げ、そこから湯浅監督が立ち去ったことで社長になったという経緯がある。詳細は下記の記事を参照のこと。

animeanime.jp

 

少なくとも自分は、この記事からは、監督と現社長が反日思想の面で共感してサイエンスSARUが設立されたとは思えないのだが、どこからそんな発想が出てくるのだろうか。これはまさに、「日本沈没2020」でも主題として扱われているテーマなのだが、韓国人という主語がでかすぎやしないか。現社長は韓国人である前に、チェ・ウニョンという名前があるのですが。いまやアニメは世界のものであり、アニメ制作関係者に外国人がいてもなんらおかしくはないです。どうしても思想の面で語りたいなら、現社長本人のツイートや書籍、インタビューなどからソースを引っ張ってくるのが先でしょう。まあここまで書いても、クソリプ飛ばすような人間はこんな長文読めないだろうけれど……。いや、マジでズルすぎるだろ。無敵か?公式が訴訟するしかない気がしてきた。

しかも、音楽が坂本龍一だって騒いでいる人間が多数いるけれど、坂本龍一さんが担当しているのはOPの作曲だけで、音楽は牛尾憲輔さんですからね……。名前間違えているまま拡散されているんで、失礼なんてもんじゃないです。マジで頼みますよ本当に……。

 

と、まあここまで「日本沈没2020」の感想を見ていると散見された「作画崩壊」「反日アニメ」「特定の個人dis」などの悪口に向き合ってきたわけだが、あくまで自分はそういう作品に不誠実な態度をやめろと言っているだけで、批評をするなという訳ではない。クソアニメはクソアニメ。批評は正しく行うべきであり、よって自分は以下に「日本沈没2020」の脚本への批評を記す。

これは特定個人へのdisではなく、単に作品への批評である。

 

日本沈没2020」について

そもそも本作は、小松左京の原作では、研究者側からの視点で描かれた物語を、家族や一般市民という視点から描こうとした作品である。で、その一般市民のなかでも多様性を出すべく、e-sportsの大会出場を目指す弟の剛、陸上でオリンピック出場を目指す姉の歩、建設現場で働く父(サバイバル知識が豊富←?)、セブ島生まれのフィリピン人の母という家族構成になっている。プラスで近所のお姉さんと引きこもりの弟も併せて、この震災を乗り越えていこうというストーリーである。

で、湯浅監督からすれば、今まで様々な映像化がされてきた原作を「研究者側から家族へ」視点変更をしたことに新しさがあったと。

よく本作との引き合いに「東京マグニチュード8.0」が出されるが、あちらも家族(というより兄弟)の視点から震災をテーマにしているから、共通点を感じる人が多いのだろう。で、オタクはみんな、東京マグニチュード8.0の方が面白いと。実際に東京マグニチュード8.0は面白かったし、言いたいことはわかるのだが、果たしてそう決めても良いものだろうか。

そもそも、「日本沈没2020」は震災をテーマにしているわけではない、まずはそこから入るべきではないか。

作品タイトルを音読してほしい。

この作品は地震ではなく、「沈没する日本と、揺らぐ国家としての概念」を「破壊と再生」を通して描いている作品である。

東京マグニチュード8.0」は間違いなく良作だが、そもそものテーマが違う以上、地震以外の観点で比較するのは間違っている。

とりあえず、実際に日本沈没2020がつまらないかどうかを見ていこう。

(普通にネタバレをしているので、未視聴の人は気をつけてほしい。最後にまとめを書いているので、そこまで飛ばしてもらえれば幸いだ)

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1話「オワリノハジマリ」

絵コンテ 和田直也

演出 和田直也 長友孝和

作画監督 和田直也

まあ、この1話は間違いなく失敗である。

まずその理由として、「日常生活」の描写が足りなかったことが挙げられる。大きな災害が起こり、それを生き抜く人々の姿を描くわけだから、震災前後で大きく変わった世界と、それにより変化する人間関係を書かなければインパクトがない。東京マグニチュード8.0では、たっぷり20分くらい日常生活を描き、最後の最後に大震災を起こした。それにより、2話以降の話に緊張感が走るし、インパクトも大きい。

しかしながら、本作では開始4分で地震が起こる。余震にすぎないとは言え、その3分後、つまり1話の7分目にはもう大震災が起こっている。たった4分で誰の何が書けるのか。実際に書けているのは、飛行機に乗った母親と陸上で代表に選ばれた歩の姿だけである。

震災後、歩は仲間の陸上部員を置きざりにするわけだが、今後の歩の性格やトラウマを描くにあたって非常に重要な描写のはずなのに、葛藤もなければただ逃げるだけ。もし自分が書くなら、まず大地震前に一緒にオリンピックに出ようと約束するライバル、あるいは親友を置く。二人でお揃いのミサンガをつけていればなお良い。それくらい強い絆で結ばれている二人が、震災によって無傷の歩とロッカーの下敷きになっている親友に別たれる。この状況を前にして歩をどう動かすかという点に注視して、もっと情感たっぷりに描くべきだ。いますぐにでも天井が崩れそうにしても良いし、親友は「歩だけでも逃げて」歩は「一緒にオリンピックに出るって言ったでしょ」とやりとりを交わすなどしてもよい。ここが演出の楽しいところであり、名作かどうかの分岐点にもなる。だが、この作品はそのおいしいところを全部省いている。逆によくこれでいけると思ったな。ここまでやってようやく最低限、歩という人間の温かさが出るところなのに。

3話では2話の最後に死んだお父さんを引きずるのは歩だけという風に始まるのだが、あの集団のなかで唯一感情をもった(?)歩が1話で友人を目の前にして逃げるというのは整合性がない。この時描かれたのは、友達を助けずに逃げた臆病者の姿。でも、葛藤をしていないからキャラ付けにもなっていない。

なんていうのかな、目の前の友達を見て、葛藤してから逃げるのとすぐ逃げるのとは全然違うと思う。葛藤を挟むことで自分も緊張感を持って見れるし、それで「薄情」というイメージもつく。でも、ただ逃げるだけではキャラ付けにすらならない。ただ次の展開に進むだけの流れである。

だから、一応1話の最後に後悔の涙を流す歩だが、見ているこちらからすれば「はあ……」という感じである。「私、薄情だよね……」というが、こちらからすればそう理解する時間もなかったわけで、「そういえば歩って薄情だな」となる。話の展開としてひどすぎる。

で、更に問題なのが家でやっていたイルミネーションを裏山(東京にある裏山って何?ドラえもんか?)に設置し、家族集合の合図にしたというところ。いや、ねえよ。なんでそうなる。電気はどうした。こんなことしたら何事かと思ってみんなが集まってくるはずだろう。そうじゃなくて、自宅跡地にいくと「裏山で待ってる」とメモ書きがあるとか、日常パートでお父さんから避難場所として裏山に行くように言われていたとか。

例えば、本編開始5分をこういう時間に使ってもいいわけである。緊急避難セットのようなものを確認している父親(サバイバル知識が豊富なんだから、こういう描写があってもなんら不自然ではないし、むしろ1話で予め描くことで、2話の活躍につながる)と、それを揶揄う歩。テンプレかもしれないが、「また缶詰の確認なんてしてんの?地震なんて起こるわけないじゃん」みたいな感じで家族みんなでお父さんを笑うが、「いつかきっと訳に立つんだ」と真面目に言うお父さんを置いておく。「いざと言うときには、裏山に避難すること」とお父さんが繰り返してもいい。災害を警戒するお父さんと、それが実際に役立つ瞬間(地震)を最後らへんに置くことで、視聴者としてもお父さんへの信頼感はグッと増すし、2話での死別への感情も高まる。

1話でやるべきことは大量にあるのに、それをせずに変なことに時間を使っている印象だった。確かに崩壊した街のシーンは重要だが、作画コストをかんがえても日常パートに尺を割くべきだ。

結局、1話の最後に、突然ヘリから死体が落ちてくる。落ちてきて終わり。2話にはつながらない。2話、いっさいヘリや死体の話ないからね。

は?って感じになりますよ、そりゃ。引きを作ればいいってもんじゃない。

 

唯一よかった点は、地震発生時の活断層?プレートの崩壊描写。すごくかっこよかった。アニメでもなかなか見ないシーンで、かなり好き。あと歩ちゃんがめちゃくちゃかわいいんだ……上田麗奈さんだし……好き。でも肝心の脚本のキャラ付けが雑だから怒っている。

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2話「トウキョーサヨウナラ」

絵コンテ 江崎好絵 湯浅政明

演出 川畑喬

作画監督 長田絵里

凧?に乗って震災の様子を報告するYoutuberという設定、マジで意味が分からないけれど、このKITEというキャラは最高にデビルマンcrybabyの飛鳥って感じで大好き。本当に意味が分からないけれど。なんで報道機関より先に沖縄沈没の様子を撮影できるのかわからんけど、好き。存在が好き。

内容は特にないが、歩が高速道路のおじいちゃんおばあちゃんに水をあげるシーンは好き。

お父さんを中心に回り始める世界が好き。正直、2話は個人的にいいなと思うエピソードや描写に溢れている。悪くはないのだ。

最後の不発弾による父親の爆死を除いては。

いや、ねーよ。マジでない。あり得ない。どういう発想したら「よし!自然著掘りしてる時にスコップが不発弾に当たって父親を殺して終わりにしよう!」という発想になるんだ。誰も突っ込まなかったのか。プロデューサーはどうしても不発弾を使いたかったのか。原因がまるで分からないが、本気で意味が分からないので逆にすごいと思う。なんか、代替案を考えようとおもったけれど、これが最低すぎて他なら何でも良いような気がしてきた。まだ途中のイノシシに衝突されて崖に突き落とされる方がマシ。いや、それもかなりひどいけれどさ……。

近年稀に見る最低脚本回だと思う。

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第3話「マイオリタキボウ」

絵コンテ 仲澤慎太郎 木村とうま 江崎好絵 湯浅政明

演出 長友孝和 蓮谷トヲル

総作画監督 和田直也

家族の中心になっていた父親の死を乗り越えて歩き続ける感動的なシーンで始まる。

いや、ねーよ。なんで全員普通に歩いているんだよ。お父さんの腕、爆発でもげてんだぞ。もっと全員葛藤をしろ。ここで家族のなかで、それぞれが新たにどういう立ち位置になるのかを示すことができる重要なシーンじゃないか。それを省くな。限界を迎えているのが歩だけみたいな空気をやめろ。

ここで大事なのは、お父さんからの言葉を何らかの手段で残しておくことだ。形見でもいいし、サバイバル能力に長けていたお父さんが、こういう時のために自分の荷物に手紙を残していたという感じでもいい。2話にそういうシーンを入れていてもよかった。夜、みんなが寝静まったときに、歩が起きているお父さんを見つける。なんか文字を書いている、何を書いていたんだろうくらいのシーンでいい、30秒も掛からない。でもこの30秒で、お父さんからの手紙は大きな要素になる。手紙をお父さんの鞄から取り出して、もしかしてあのときの……!という表情もできる。みんなの前でマリか歩が読んで、みんな傷心のまま、お父さんの手紙に従って西に進むとかするのもいいだろうし、あるいはお父さんの形見を見て、私が頑張らないとと歩が立ち上がってもいい。それらの描写、一切がないのがひどすぎて、逆にすごい。

かと思えば、まさかのレイプ未遂シーンに入る。湯浅監督はこういう攻撃的な、性的なシーンがはちゃめちゃにうまいので、自分は大好きなのだが、それに未遂に終わってるから特に見せ場というわけではない。ただ、こういう人間もいますよと提示して終わる。

で、この後は七海おねえさんが毒ガスで死んで、空から降りてきたyoutuberが「危険だぞ」と教えてくれて、歩だけ助かる。1分くらいでみんな気持ちを切り替えて、youtuberと合流し、スーパーに入ったらおじいさんが弓矢で襲撃してくる。剛が胸を貫かれ死にかけるが、胸にかけていた鞄にはゲーム機が入っており、剛は無事に助かる。おじいさんとは仲直り。

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人の死をなんだと思っているんだ。登場している全員、兵役でもしてたのか?それとも人の死に疎くなるような麻酔でも掛かっているのか。あまりに七海さんの扱いがひどい。お父さんは死ぬ意味があったと思う。その原因はもちろん不発弾にあってはならないが、父親という家族の支えを失う、他のキャラみんなにとっての重要な転換点になるから。まあ、全く脚本に活かせていないし、あの死に方ではせいぜい「自然著掘りでは不発弾には気をつけよう!」くらいのメッセージしか発せていないが。

でも、七海さんは違う。数少ないこのアニメの癒やし枠だし、うまくみんなの潤滑油になっていた。それが、毒ガスで死ぬことの必然性が一切ない。なぜKITEによって七海さんの死を止められなかったのか、なぜその路線に進まなかったのか、七海さんの死には必然性がない。一切ない。キャラの死をなんだと思っているんだ。

アニメ史上クソ脚本回。ガチでクソ。

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4話「ヒラカレタトビラ」

絵コンテ 中村謙一郎 木村とうま 江崎好絵 許平康 湯浅政明

演出 村田尚樹

総作画監督 和田直也

3話の襲撃してくるおじいさんだが、震災時の、田舎の老人のイメージを導入したのは面白いと思った。で、今後は外国人への偏見が強いおじいさんと行動をともにする。そして早速外国人が乗り込んでくる。シャンシティという街に向かうと、大量の人がいてめっちゃ優しくしてくれる。

「母さんのカレーみたいだ……」そう言いながら涙を流して出されたカレーを食べる、引きこもりの春生は、ついにいままで黙っていた「目の前で母親が死んだ」というトラウマと向き合っていたことを吐露する。ここ、かなり良いシーンで、春生の表情がすっごくリアルにデフォルメされているんですよね。ハルヒの学園祭ライブの絶叫みたいな、それをごくごく簡単な線で表現する湯浅作品の線(四畳半とか夜は短しとかで見がち)が見れて、本当に好きなシーンです。湯浅監督が絵コンテ担当されてるのかな。

でもね、このカレー、大麻カレーなんですよ。

……。

大麻って種なら麻の実として食用されているし、実際に調べてみると、大麻料理自体もインドとかで昔から存在しているんですよね。

でも、ここ日本じゃないですか。それに、「昔から大麻は食用とされて」とか「これは麻の実だから」とか、一切の説明がないんですよ。「この味、おいしいけどなに?」「大麻です」これで終わり。いや、日本人なら「は?」ってなりませんか。なんで「麻の実」じゃなくて「大麻」って言うんだ。ガチの大麻なのか?春生がお母さんのカレーに似ていると涙を流しながら食べているカレーが大麻カレーでしたって、イメージの相性的にそりゃ違うだろ。何を考えているんだよ。

で、おじいさんはモルヒネの薬物依存症であることが発覚、そしてシャンシティは宗教団体だったという締めくくり。う~~~~~ん。大麻の流れがな。でもまあ、2話や3話ほどはひどくなかった。比べるものではないんだが。

全体として、大麻モルヒネなど、海外要素が徐々に含まれてきた気がする。けれども宗教施設のイメージは四畳半みたいな日本的なイメージがあり、不思議な感覚である。もっとも、脚本がいちばん不思議なんだが。

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5話「カナシキゲンソウ」

絵コンテ 竹下良平 湯浅政明 江崎好絵 木村とうま  

演出 高木真司

総作画監督 長田絵里

宗教独特の体操が好き。

それはそれとして、震災という死者のイメージと、それを降霊させる宗教の親和性は高く、よくぞこれを思いついてくれたと思った。この設定は素直に良いと思う。

宗教施設になぜクラブやesportsなどの機材があるのかは心底謎だけれど、これらは剛や春生の解放の場として機能しているから良いとする。良くはないけど。

ここで、歩が「あまりに父の死を悲しんでいない」とマリに怒るわけだが、まあ当然マリも悲しいわけで、その悲しみをダニエルと共有するシーンは非常によかった。

でも、これまでに一度も母親が悲しんでいるシーンを見せていないから、そりゃそうなるわって思う。これがあるから、3話の冒頭、父親が死んでから少しでもみんなが悲しんでいるシーンを挿入したり、母親だけが夜空を見上げるなど、弱さを見せなくても良いから「悲しんでいる事実」のシーンは以前に何度か置くべきだとはおもった。そうじゃないと感情に立体感がでないし、父親の死から3話経ってようやく「私も悲しい」というのは、こちらとしても感情移入できない。

あと、ダンスしている歩や、襲われている歩のもとにかけつけた大麻をキメているKITEの演技(動き)が、あまりに感情や言動と一致してなくて、少し違和感があった。

感動的な母娘による散髪シーンは、実際感動できるのだが、先述したとおり、少し溜めが長かった印象がある。

最後のおじいさんの襲撃シーン、完全に洋画のB級ホラー的なアレでゲラゲラ笑ってしまった。わりと好き。

5話も。全体的に見ると、全員の感情の再整理、解放というテーマに沿って物語が動き、割と楽しめたと思う。

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6話「コノセカイノオワリ」

絵コンテ・演出 本間晃

作画監督 本間晃

冒頭の春生のランニングシーンの移り変わりからして、今までの話と違うことが分かる。食事シーンのモゴモゴも非常に活き活きしていて、すごくいい。本当に、こんなにおいしそうに食べる食事シーンはなかなか見ない。終始春生がいきいきしていて、本当に嬉しくなる(これを楽しむためには今までの話を全部見る必要がある)。

が、この先、中盤に至るまではやや冗長で、戦闘シーンもあまり迫力がない。動きが多少カクついているのと、やや台詞同士の間が空きすぎている気がする。

この回のもっとも良いところは国夫の孫の声を聴くシーンで、あまりの良さにひっくり返った。これ、今までの信頼からして、脚本担当の氏の仕事とが思えないのだけれど、誰が生み出したシーンなんだろうか。めちゃくちゃに良くて、これを見るためだけに5話から見て欲しいところはある。

あと、金を持ち出そうとして、その鞄からこぼれ落ちる金の色を鈍い茶色にしている演出は、正直かなりうまいと思った。あと弓矢を射るおじいちゃんの最後の仕事も最高に熱いし(これを楽しむためには4話の視聴が必要)、信者たちの思いも切実でいい。宗教施設でやりたいことをしっかりやってくれて、ちゃんとエモくまとめているのがうますぎるんだよな。ニュースに対する小野寺の瞬きによる無言の訴えも最高に熱いし、何より6話タイトル回収の映像美は圧倒的。これに関しては今までのアニメのなかでも屈指の映像だと思う。終わりの気持ちよさレベルで言うと、「牯嶺街少年殺人事件」「トレインスポッティング」に匹敵する。絶対に見た方が良いです。

この話に関しては、絵コンテ演出、作監に至るまで全部を本間晃さんがやっていて、今までの仕事を見る限り、初めての絵コンテ・演出作品だろうか。マジですごい。

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7話「ニッポンノヨアケ」

絵コンテ・演出 阿部英明

作画監督 阿部英明 新井貴宏

作画がやや崩れがち。全体的に間が長かったり、演技が微妙なところがあった。

火が身体に燃え移って海に飛び込むカットは非常にうまかった。

あまり内容がなく、特筆すべき点がないように思う。特別悪くもなく、良くもなかった。

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8話「ママサイテー」

絵コンテ 長友孝和 湯浅政明

演出 長友孝和

作画監督 モコ

目の表情や指、手の大きさに非常に特徴がある。なんというか、剛にディズニーみがある。モコさんの仕事だろう、すごくいい。

流石に突然のグロには笑ったが、それ以上に唐突なサメにゲラついてしまった。正気か?まあ不発弾よりかは現実的だが。

剛と話す歩の、姉弟の空気感。上田麗奈の演技がすごく光っていた。やっぱりめっちゃうまい。あと会話劇といい、海や伸びるライトの表現といい、独特な空気を演出できていてすごかった。彼氏彼女の事情の25話とかおジャ魔女どれみドッカ~ン!の細田守演出回並に、他の話から浮いている。いい意味で。

マリが海に飛び込むことを決意してからのシーンが本当に素晴らしく、歩と剛の名前の由来の語り、言葉だけの回想を交えながらも(実は日本沈没2020では映像による回想が一切ない。おもしろい)、一人のヒトとしての生命の燃焼を感じさせるような、一息の呼吸のような生と死の躍動が美しくて、かなり感動した。死んでからの表情の虚(うろ)もすごくいい。活き活きしたモコさんの作画が、それを一層印象づける。本当によかった。

ただ、タイトルの「ママサイテー」がいまいちつかみ取れなかった。その言葉選ぶかなあ。

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9話「ニッポンチンボツ」

絵コンテ 川畑喬 湯浅政明

演出 高木真司 蓮谷トヲル Kim Hee kang

作画監督 Kwon Yong sang Won Eun sook Kim Young sub

音楽が非常に印象的でいい。唐突に始まるラップ、湯浅監督は普段のツイートとか作品を見る限り、かなり音楽の力を信じていて、多分それが反映されていると思うんだけれど、ラップ自体楽しいし(ラップ知識ゼロだけど、ちゃんとクレジットにラップ監修入ってたし、ちゃんと考えられているんだろう)、演出もうまいしすごく好き。この音楽がみたかったんだよなあ。

KITEが初めてうろたえる様子を見せるのも良かった。誰かを犠牲にしてまで生きたくない、面白いものを求め、自分の力だけで生きていきたいという強い感情に触れることができた。しっかりキャラが立っているんだよな。

春生の走るシーンは、本当に演出・作画が素晴らしくて、走る前の静けさや最初の加速など、どれをとってもすばらしい。とにかく、きっかけが大麻カレー(マジで何?)だったとしても、春生のテーマである「開放」が結実する最高のシーンで、かつての自分を取り戻すこの走りに誰に文句が付けられようか。この走りの作画は本当に100点満点だった。海に飲まれるのはアレだが、フラグをちゃんと立てていたし、ここまで輝ける人生ならよかったのかもしれない。春生が「かっこよく」見えた、歩の気持ちがわかった瞬間だった。

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10話「ハジマリノアサ」

絵コンテ 許平康 江崎好絵 橋本拓明

演出 徳野雄士 長友孝和 江崎好絵 Kim Hee kang

作画監督 和田直也

正直、破茶滅茶に良かった。KITEの顔面作画も凄まじいし、あの作画を良く動かせたなという思いが強い。

問題はそこからの展開で、今まで「なんで回想をセリフだけでやるんだろう」と思っていた疑問を、しっかり下敷きにしてエモい演出をしてきて、マジで声を出して震えた。自分はニューシネマパラダイスが大好きなんだけれど、だってもう、これって完全にそうじゃん。すごく良かった。本当に。天才だと思った。8年後に至り、サラリとKITEがLGBTであったことを明かしながらも(その設定いる?いや、衝撃ではあるけれど中途半端な差し込みはなんというか、凧とスカートのカットはとても良かった)、剛は日本人であることを選び、足を切断した歩は、再起し幅跳び選手としてパラリンピックで活躍をする。自分はこういうのが結構好きで、飛び上がり太陽を背景に輝く歩が、まさにテーマである「再起する日本人」の象徴となる最高のカットだと思う。かっこいいよ、これ。

最後に国家の定義を改めて考え直し、9話のラップの内容を下敷きにし、やはり国家という枠組みは存在せず、身の回りの人々をそのまま拡張したのが国家なんだと、要するに人類みな兄弟だという結論に至る。タイトルは「ハジマリノアサ」。いいね。素晴らしい。

自分からしたら、作品全体の構成を考えると、非常にメッセージ性が強く、いい作品だと感じた。

この作品の、どこが日本disなのかがわからない。まあ、最後まで見ていないからだと思うけれど。

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では、最後に、改めてこの作品についてまとめる前に、湯浅監督のインタビューを覗いてみよう。

mantan-web.jp

 

実は、ここには非常に大事なことが書いてあって、自分が上の感想でも書いた「なんでここで無意味にキャラを殺すんだ」という疑問に答えを出してくれている。

 

「自分自身にそういう視点があるのかもしれません。起こったことを受け止められないまま物事が動くことってありますよね。誰かが死んだり、すごいことが起きても、咀嚼(そしゃく)する時間もなく、どんどん物事が進んでいく。何かが起きているけどよく分からないまま、その場その場を何とか生き抜いていこうとする人々を描こうとしました。実務として国を動かしている人ではなく、普通の人々の視点で。いろいろなタイプの人が出てきます。特殊な人も普通の人もいる。日本が大好きだったり、嫌いだったり、気にしていない人もいるし、海外の人もいる。何が起こるか分からないし、誰がいつ死ぬか分からない」(インタビュー記事より引用。湯浅監督の発言)

 

 他にもいろいろ語られているので、是非とも上記の記事は読んで欲しいのだが、要するに湯浅監督は「どこまでも現実を描こうとした」のだ。その結果が不発弾とか毒ガスとかサメかよと言われるとそれまでだが、それに関しては用意した舞台装置、道具が良くなかっただけで、実際にそういう演出を狙ってやっているんだから、作品は監督の意図通りのものに仕上がっていると言えるだろう。

それに続き、監督は本作の「日本沈没2020」の挑戦についてこのように語っている。

 

「シンプルにリアルっぽく描こうとしました。キャラクターもどこにでもいそうな家族ですし、ありのままに描くのが挑戦でした。淡々と出来事が起こっていく中で、キャラクターの反応もデフォルメせずにやっていれば、自分が考えるリアルになるのかな? とんでもないことも起きるけど、表現はそんなにエモーショナルじゃない。出来事が染みこまないまま進んでいく。そんなシーンを重ねると、アニメーションとしてリアリティーを感じるかもしれない。今まであまりやっていなかったので、伝えるのが難しいところでした」(インタビュー記事より引用。湯浅監督の発言)

 

まさに、自分が感じ取ったありのままである。自分は2話3話で「もっと感傷に浸れよ!!!」とぶち切れたが、実際に監督は淡々と物語を進めている。

「わざと」なのだ。リアリティを追求する手法として、淡々と物語を進め、キャラクターをデフォルメせずに描くことを「選んだ」のである。

これを考えると、頭ごなしに「日本沈没2020」はクソ!と否定するのはあまりにもったいないように思う。

乾燥した出来事を重ねてもエモくならないのは当然だが、その「あたりまえ」に挑んだのが湯浅監督なのだ。

きっとこれは、製作委員会方式では作れなかったアニメだろう。商業的に転ぶことは十分考えられる。それを考えた上で、Netflixが資金を出してくれるこの機会を活かして、誰もやろうとしなかったことをやった、それだけのことである。

この挑戦の結果を、最後まで見届けずに批評するのは、あまりにもったいない。

 

まとめ

結論から言えば、やはり淡々と出来事を重ねる手法は、視聴者を置いてけぼりにし、作品から気持ちが離れさせるものだった。

つまらないという感想が散見するのも仕方がない。

自分が最後まで見たのも、湯浅監督を信じ続けているからに他ならないわけで、湯浅監督を知らない人からすれば、特に脚本がひどい1〜3話で気持ちが離れてしまうのは仕方のないことだ。

やはり、作品中のキャラはあくまで「キャラ」であり、そこにはアニメとしての演技が求められてしまう。

確かに、現実では、湯浅監督が言うように、気持ちの整理がつかないうちに、次々と出来事が積み重なってしまうのだろう。

湯浅監督のやったことは、「キャラ」を極限までリアリティに近づけようとした、非常に新しい試みである。

しかしながら、問題は視聴している私たちの方で、私たちはリアルで人間である以上、その作品内の出来事を解釈し、感傷する時間が必要なのだ。

このキャラと人間の間の絶望的な違いが、この作品を「つまらない」と言わしめる一番の原因だろう。

それでも自分は、最後まで見た人間として、「『日本沈没2020』はつまらない作品じゃない」と言いたい。

感想にも書いてある通り、6話、8話、9話、10話は、すごく感情に訴えかけてくるものがある。

是非、途中で視聴を諦めた人にも、最後まで見てほしいと思う。

少なくとも、Twitterで笑われているような、「時間の無駄」「何も得られなかった」ということはないはずである。

この作品だって、ちゃんと湯浅政明の作品である。