新薬史観

地雷カプお断り

気持ちを言葉にしようという話

 いきなり善人ぶらせてもらうが、自分は外食時にスタッフに「ごちそうさま」や「美味しかったです」と言うように心がけている。いやそんなの当然だろうと思う人が大多数だと信じたいが、数年前に知り合いと一緒に昼飯を食べて下膳口に向かって挨拶したところ、「なんでわざわざそんなことするの?お前変わってんな(^^;)」と素で驚かれたのが割と心に残っており、自分の常識は他人にとっての常識ではないことを思い出す。彼の言い分は「別に言っても言わなくても変わらなくね」であり、確かに下膳口のスタッフに感謝の気持ちを言えば、次回来店時に会計で100円引きされるようなキャンペーンが実施されているわけでもないので、それを口にする意味はないだろうということである。金銭面での実利を考えると全くその通りであるが、別に言っても言わなくても良いなら言った方が良くないかというのが自分の考えなので、その場はお互い「変なことを考えるやつがいるもんだ」とそれきりになった。

 インターネットでも、たびたびそういうことが話題に上がる。微妙に話の筋はズレるが、自分はフォローしている人間のイラストや文章を見かけるとできる限りいろんな人に見てもらえるようにRTするような人間である。同人誌即売会で本を手に入れたら、身内・神絵師・気になった人問わず、できる限り感想を書くし、「よかった」程度で終わらないように感想の内容も丁寧に選ぶようにしている。

 で、全人類がこんなことをしていたら、当然、1ヶ月に1回は見かける「同人作家感想枯渇問題」など浮上しないだろうし、半年に1回くらいの「フォロワーが自分のイラストをRTしないのに神絵師のイラストはRTしていて辛いです」白禿お気持ち表明がされることもないのである。

 自分からしたら、RTボタンをクリックするだけの動作に抵抗もクソもないだろうと思うし、フォローしている人間のイラストくらいRTしてやったらいいのにと思うのだが、どうも人間によってRTボタンの重みは異なるらしく、自分のTLを汚したくないのだと熱弁する人もいれば、単にしない主義の人間もいる。同人作家の感想も「なんて書けばいいのかわからないので……」と諦める人間が多く、結果として上記の問題が定期的に打ち上げられるいつものインターネットが形成される。

 で、まあ案外みんな感想とか挨拶とか、他人に自分の気持ちを伝えることをしないようだが、自分は幸いにもこんなブログを(偶にではあるが)更新しているし、もう7年ちかく小説の二次創作を書いているので、文字を書く・自分の気持ちを文字にするということに抵抗感がなく、比較的長めの感想もすらすら書ける。イラストや漫画に比べ、その後の仕事のスキルにも繋がりにくく、人目につきにくい文章に長い年月を費やしてきたことを後悔する毎日だが、こういうところだけは文字を書いていてよかったなと思える。むしろここだけしか文字を書く利点がない。

 で、なんでこんな話をしているのかというと、先日「徒然日和」という漫画に出会い、そのあまりの出来にめちゃくちゃ感動したという話なのだが、なんとこの漫画、めちゃくちゃ良いところで完結しているのである。打ち切りではなく、作者自身がもう描けないと判断して筆を折られたそうなのだが、Twitterではその終わりを残念がるファンが非常に多い。

 で、どんな漫画なのかというと、内容は田舎に住む女の子4人が、のんびりと日々を過ごすというありきたりな百合日常ものなのだが、1コマ1コマへの一切妥協のない緻密な背景描写、丁寧すぎる人物描写、友達以上恋人未満で揺れ動くキャラ同士の感情描写が抜群で、これが本当にすごいとしか言いようがないのだ。

 自分がこの「徒然日和」に出会ったのはこの前の電子版のセールであり、Twitterで検索すると、既に連載が終了しておよそ1年が経過していたようだった。先ほど打ち切りではなく作者都合で、と書いたが、実際に作者のツイートを遡ると、原因はわからないが、とにかく3巻執筆時は特に連載が非常に難しい状態になっており、それでも描くことができたのは読者からの感想があってのことだと述べられていた。

 「面白い」とか「よかった」程度でも励みになっていたとのことで、ここまで感想を喜んでくれる人ならば、いくら連載が終了しているとはいえ、感想を書いたほうがいいんじゃないかと思った。先ほど述べたように、感想を書く人間はあまりに少ない。感情がめちゃくちゃに揺さぶられても、言語化できずに燻ってしまう人も多い。だが、この漫画はもっと評価されるべきである。多くの感想が言語化されて作者のもとに還元されるべきなのだ。それくらいの労力を、すでに作者は作品に注ぎ込んでいるのだから。

 しかし、どれだけの人間が、作者に言葉を届けているのだろう。

 自分が書くべきだと思い込んだ。

 こうなった時の自分は強く、いつもの「自分のほのうみが一番解釈として正しい!」「なんとかしてこの世に出さなければ!」モードに入り、寝食もそこそこに3日間、ずっとパソコンに向き合い続けた。そして、「徒然日和」全18話+おまけ2話の感想を1話ずつ書き上げ、最終的にそのファンレターという名の何かは2万6000字になった。

 我ながらすごいなという文字数だが、実際にすごいのは自分の体内からこれだけの文字数を取り出すことができた「徒然日和」であり、それを生み出した土室先生である。

 で、書き終えるまえの感情の昂ぶりは激しく、文字だけでは足りないような気がして、更にイラストまで描いてしまった。すでに2万字近く書いているのに、イラストの余白にも文字を書きこんでしまい、もう訳の分からないことになっている。

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描いたイラスト(漫画では描かれなかった冬をイメージしたイラストを描くことで、作者に暗に連載再開を求めるかなり意地の悪いイラストになった)

 

で、ここまでなってくると、さあどう作者に送ろうかと悩むことになったのだが、一迅社に問い合わせると「普通にプリントアウトして送ってください」とのことだった。が、文字数が半端ないし、ファンレターにしては分厚すぎてドン引きされるのではないかという不安が襲い、ならばもっと抵抗感がないような形にしようと思い、製本することにした。

 というわけで、A5サイズで32Pの、ふつうに厚めのコピー本ができあがった。

 同人誌即売会でもやるんですか?

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頒布目的以外にコピー本を作ったのは初めて

 

 さて、人生初めての漫画家へのファンレターを製本(ファンレターの製本ってなに?)し、昨日郵便局で郵送してきた。宛先が一迅社なので、まるで自分の原稿を持ち込みでもするかのような緊張感があったが、いざ送ってしまうとPixivの投稿ボタンを押した後のような虚無の心地になった。完全に無の境地である。

 で、もうこの日のやるべきことは終えたので、友人と近くの大衆居酒屋を探索することにした。結果見つけた「居酒屋みつはし」というところが本当に大当たりで、ビールはキンキンだし料理は最高だしで、値段も気にせずうまいうまいと友人たちと騒ぎまくったおかげか、お母さんがすごく気前が良く、絶対に一人当たり5000円近く行っていたのに「何度も美味しいって言ってくれてありがとうね、3000円でいいよ」と笑ってくれたのだ。そんなわけにはと慌てたのだが向こうも譲らず、結局はお言葉に甘えて、何度も頭を下げることになった。

 夜風涼しい帰り道でふと思い出したのは、頭でも書いた知り合いの一言である。挨拶なんていくら言葉にしても実利はないし、それを求めて口にする言葉でもないだろう。しかしながら、やはり気持ちを口にすることで気持ちは形になるし、相手に届くようになる。そうすると、(たまたまではあるが)今日みたいに目に見えるかたちで感謝されることもあるのだ。

 というわけで、自分はさらにお返しとしてレビューを書いてみた。今回が初の書き込みだし、自分が書かなくてもこのレビュー数と星の多さがこの店の素晴らしさを物語っているが、それはそれ、これはこれである。

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書き込んだレビュー。こんなものでいいのだろうか(ちゃんと偽名です)

 

 誰でも書けると馬鹿にされがちな言葉であるが、誰でも書けることをあぐらに誰も書かないのも言葉である。社会的には軽視されがちな言語化能力ではあるが、個人的には気に入っているし、もっといろんな人が自分の気持ちを言葉にしてほしいなと思う、そんな1日でした。