新薬史観

地雷カプお断り

視聴映画記録(2020.09/11~09/17)【砂の器、オアシス、ペパーミント・キャンディー、ターミナル】

今週は、以前と比べるとまだ見た方かな。最盛期は一日三本とか見ていたのだが、どうも時間がとれずに悔しい思いをしている。俺はまだ、この世にある面白い映画の1%も見ていないのに……。今まで映画を見てこなかった分を取り戻さなくてはならないのに、どうも映画に真剣になれないのは、恐らく最近始めたツイステのせいである。

嘘、まいにちゴロゴロしてるだけです。

という訳で今週の視聴記録。オススメリストから選びました。

あ、あと記事のタイトルで見た映画が分かるようにしました。ルル賢い。

 

9月11日 映画149「砂の器」(1974)

野村芳太郎監督作品。すごく面白かった。日本の映画独特の臭みがないし、映像も比較的くっきりしていて良い。話の展開も、ややトントン拍子やご都合主義なところはあったものの、最後のクライマックス、「宿命」に合わせて親子が放浪するシーンは圧巻で、あそこにこの映画のすべてが詰まっている。めちゃくちゃ時間を割いているが、この演出は大成功と言って間違いないと思う。なかでも、それまでの捜査で一貫していい人であることが語られていたものの、顔も出なかった三木が、神社の床下?で親子と邂逅するシーンは本当に素晴らしいと思う。あそこの出会いが、殺人事件を生み出したのであり、そこに和賀のはじまりが詰まっている。本当に好きだ。自らの名声のために父に会うことができない和賀と、会いたい父と、その父の想いが分かっているからこそ絶対に和賀を父のもとにつれてきたかった三木とで、面白い人間関係があるなと思った。で、結局タイトルの「砂の器」ってなんやという話だが、恐らく親子で放浪していた時に友達のいない和賀がひとりでつくった「砂の器」を示していて、みんなと同じような人生を送れなかった子供時代や、すぐに崩れ去る幻想・今の立場を示しているのかなと思った。そもそも、海の砂で作った器って、海水を入れてもすぐに下に水が流れていくので、全然溜まらないんですよね。それを考えると、なんというか悲しいような気もする。良いタイトルだと思う。傑作だなあ。

 

9月11日 映画150「オアシス」(2002)

イ・チャンドン監督作品。これはめっちゃくちゃに良かった。本当に。脳性麻痺で障碍を抱えるコンジュと、前科持ちで落ち着きのない(おそらくADHDかなんかだと思うが)ジョンドゥの恋の物語。ムン・ソリの演技が本当にずば抜けて良くって、この役を健常者がやることに意見があるかもしれんが、健常者が障碍者を真似することはできても、障碍者が健常者の真似をすることは難しいんですよ。障碍という「ない」がある以上、「ある」ものの演技は難しい。その不可逆な関係があるからこそ、普段の生活で、幸いにも未だに障碍を抱えていない自分たちは、障碍者の思考を読み取ることはできない。当然、障碍健常関係なく、他人の思考をこちらが読み取ることはできないのだが、少なくとも自分は健常者を「自分と同じ姿形をしている」という見た目だけで、相手も自分と同じことを考えているはずだ、という幻想を抱いている。でも、障碍者はやはり「見た目が違う」というものがあって、無意識のうちで障碍者が考えていることは、自分の理解の範疇を超えていると信じている節があった。差別的な発言かもしれないが、自分はこの映画を見て、「障碍者だってふつうのカップルのような幸せを望んでいる」という部分に非常に驚いてしまった。あと、自分がそんな偏見を持っていたことに、大きなショックを受けた。上記は「コンジュが願う世界」という妄想のかたちで表されているのだが、自分はこのシーンを見た瞬間に「うわあああ!!!」って思って泣いてしまった。もちろんこれが、障碍者の心理として正解というわけではないだろうが、こんな妄想を描いていることも考えられるわけで、その可能性の大きさになんだかもう無理になってしまった。

で、作品のタイトルにもなっている「オアシス」は、誰にも見つかることのない秘境、泉という認識なのだが、これは二人の恋にぴったりの言葉だなと思った。家族から見放されているもの同士に恋愛で、本当に誰からも理解されない。理解されないだけならいいのだけれど、社会がその二人を理解せずに一方的に断罪してしまう。この社会のエゴ、要らぬお節介は、「万引き家族」でも示されていたところで、まあ彼らはマジの犯罪をしていたのだが、法の外で幸せに暮らしている人間がいるのに、わざわざ他人が土足で入り込んできて、秘境を開拓してしまう。そこには他人への「これがお前達の幸せだろ」とか「法で決まっているんだから悪者に違いないだろ」という押しつけがあって、その点で「オアシス」とも共通しているのかなと。

最後、木の枝が怖いというコンジュのためだけに、ジョンドゥは脱走してまで木に登り木の枝を切るが、ああいう無邪気なところがすごく美しいなと思った。それから、これは深読みかもしれんが、二人の愛の象徴である「オアシス」、それが描かれたタペストリーに掛かっていた恐ろしい木の枝の影、という構図を考えると、木の枝というのは二人の愛を邪魔しようとしていた「社会、家族、法律」という外部そのもので、そこから「逃げ出した」ジョンドゥが木の枝を「切る」という行為によって、二人のオアシスを脅かすものは本当に何もなくなったんじゃないかなと。ラストでは、ジョンドゥがコンジュへの手紙を読み上げるシーンで終わるが、EDの軽快さ、昼下がりの明るさもあるし、ジョンドゥが釈放されてからの二人は、もっと過ごしやすく楽しい日々を送れるんじゃないのかなと。強姦で懲役10年ってこともないだろうし(前科があるからわからんけど)、きっといつか幸せが待っていると信じてやまない映画です。大傑作。

 

 

9月12日 映画151「ペパーミント・キャンディー」(1999)

同じくイ・チャンドン監督作品。オアシスが良かったので監督繋がりですね。

これもよかったなあ。「メメント」を思わせる(ほぼ同時期に公開されているようなので、どちらがパクっているとかはないらしい)逆再生ものだが、その戻り方がすごく切ない。一番最初の、どうしようもないキム・ヨンホの周りから浮いた感じの全て(逆上しやすいところ、歌を歌うところなど)が、過去でも印象的に描かれていて、なおかつ更に過去にへと原因が遡られていく。キム・ヨンホだけでなく、韓国という国自体の歴史にも遡るものになっていて、戦争がキム・ヨンホという一人の人間を狂わせたのだというのが大きな枠組みとしてあると思う。これに関しては「牯嶺街少年殺人事件」と同じだが、「牯嶺街少年殺人事件」があくまでひとつの現実の物語として台湾の歴史と少年たちを描いたのに対して、「ペパーミント・キャンディー」は構成を工夫してより映画らしく演出しているなあと。どちらのほうが、というわけではないのだが、一番最後に空を眺め、自然の雄大さに感動して涙を流すような優しい心のキム・ヨンホが、電車を聞きながら終わるという、始めと最初が電車の音で繋がる構成はすごくツボだった。やっぱり円環とかそういうイメージが嬉しいんだよなあ。良かったです。オアシスほどは響かなかったが、傑作。

 

9月13日 映画152「ターミナル」(2004)

スティーヴン・スピルバーグ監督作品。もう最高に良かったね……。コメディチックなんだが、描くところはしっかりエモく描けるし、ストーリーとしてもすごくわかりやすい。周りとの言語が通じない、自分の意志で出ることができないというのは、ジャンルわけするなら異世界モノ(最近流行の異世界ものとは全く違うけれど)と言えるのではないか。異世界に放り出された人間の行動として、まず言語を習得して、お金を稼ぐ手段を覚えて、最終的には行動で周りからの信頼を勝ち取っていくというのが興味深かった。自分はオタク遠征で空港泊とかよくする側の人間だったので、空港で寝泊まりできることも分かってはいるのだが、金を稼ぐところまで行き着くのはすごいなあと思った。でも実際、国際線なら24時間動いているわけだし(大抵の店は閉まるけれど)、仕事しようと思えばできるんだなと。面白かったなあ。で、この映画はこれだけじゃなくて、人情に溢れたビクターと、規律を重んじて融通が利かないディクソン、空港に留まり続ける(「待ち」続ける)ビクターと、叶わないはずの恋愛が成就するのを「待ち」続けるウォーレンの交流がすごく面白かった。結局、二人の共通項にあったのは「何かを待っている」というもので、最終的にビクターは「待つ」ことをやめて、ウォーレンは「待つ」ことを選んだから道を別つことになったと思うし、ビクターは正式な入国を「待つ」のをやめて、不法入国という形になっている。今まで待ち続けていたビクターが動くことで感動を起こすのは、「ショーシャンクの空に」で得た感動に近いが、ウォーレンと道を別ったところでは少し悲しくなってしまった。自分は何処か安定志向なところがあり、映画の「朝食はティファニーで」で描かれたような、次から次へと男や住まいを乗り換えてしまう、安定した暮らしが出来ずに毒になる夢ばかり追い続けてしまうような女性を救う展開がめちゃ好きだった。本作でもウォーレンがビクターに救われてくれたらいいのになと思うのだけれど、まあ、この本作の宣伝ポスターでも「人生は待つことだ」とあるように、ウォーレンのような待ち続ける生き方も当然あるし、見方を変えれば、あれほどまでに待ち続けたビクターも、最後には願いが叶うという全体の流れがある。本作では「待つ」だけに終わったウォーレンも、いつかはきっと待つのを辞める日が来るのだと、そういう風に解釈しました。そうじゃないとなあ、ウォーレンが可哀想なので……。

まあ、それはそれとして非常に面白かったです。傑作ですね。

 

9月16日 ドラマ153「サ道」(2019)

最近サウナにハマっていることもあり視聴。「サ道」ってのは「サウナ道」の略ですね。すごい面白かった。偶然さんとかイケメン蒸し男とかのキャラも良くて、特に偶然さんはマジでウザい中年親父で、まあ娘には嫌われてそうだし、会社でも無自覚なセクハラやってそうだな~と思っていたんですが、10話辺りで接待のために自分の好きなサウナに入れず、しかもサウナを相手の社長に否定されるっていう展開、あまりに辛すぎて泣いちゃった。泣いてないけど。偶然さんはウザいんだけれど、それなりに悲しい目に遭ってるし、他のサウナ店ではサウナコンサルタントとしての手腕も魅せているので、彼は彼なりに頑張っているし、最終的には、どこか憎めない、好きなキャラになりました。

あと、自分のなかで一番印象に残っているのが、家庭にも居場所がなく、職場でも部下に怒られて居場所がないおじさんの話。公園でおにぎり食ってても子供にボールぶつけられるし、サウナ友達もいないし、サウナ入ってても今日あった嫌なことを延々とリフレインしてしまうしで、もうなんだか将来の自分を見ているようで、本当に辛すぎて涙が出た。まあでも、最終的には友達が出来てよかった。あの回、オタクにはすごくぶっささると思うなあ……。その点、自分はまだ高級パスタで一緒に辛い思いをする友人がいるので恵まれているなあと。でも、就職したらみんなとは離ればなれになるし、自分は友人作りがめちゃくちゃ下手なので、これからうまくやっていけるだろうか……うわ……胃が痛くなってきた……。

それはそれとして、このドラマの大まかな流れがすごい良くて、主人公の泰三がずっと「蒸しZ(自分でつけたあだ名)知りませんか」と日本全国のサウナを行脚するという展開は面白かったです。「いや、お前が勝手につけた蒸しZってあだ名が、他人に通じる訳ないだろ」というツッコミは終始心の中でしていたけれど、これTwitterクソリプとかでもよくあるよな~(ツイートとは関係ない概念を勝手に持ちだしてきてキレる人とか、自分独自の理論が相手にも通じるものだと思い込んでいる人)と思いました。あと、最後の蒸しZの正体が明らかになるシーン、すごく面白かったですね。そういうことか!ってなった。それはそれとして、泰三が蒸しZの呪縛から解放されたシーンとしてタオルが風に飛ばされるってやつ、泰三はすごいスッキリした顔で見送っていたけれど、自分からしたら「いやいやいやそれ路上に落ちてゴミになるやつだから拾わんかい!!!!」とぶち切れてしまった。ドラマにキレるな。いや、でもこういう細かいところがすごく気になってしまうんだけれど、(デカい怪獣とデカいロボが戦う時に、街の人は逃げているのか等の問題)他の人は気にならないのかな。自分なら、店主にタオルをさりげなく返したり、店の何処かに置き忘れて「あっ!まあ本来は店のモノだしいっか」とかいう〆にするかなと思うんだけれどどうですか?確かに絵面は綺麗なんだけれどさあ……どうでもいいか。

まあ重箱の隅をつつくようなことはこれまでにして、全体としてはすごく面白かった。本当に。EDもよかったね~。そなちね。すごくいいEDだったけれど、ようつべ漁ったらイントロで難しい気持ちになった。いや、まあええんやが。

あと、このドラマで、自分の知らないサウナの情報を知れて良かったです。サウナに聖地とかあるなんて知らなかったもんな。お洒落なサウナとかもすごく気になる~。いつか旅行したときに行ってみたいなあと思いました。

 

今週は以上。明日はTENET観に行くぞ~。

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