最高の百合漫画と話されながらも、個人的にはずっと引っかかっていた作品。
3巻までフォロワーに譲ってもらって読んでから、多分2年くらい経った気がする。
ようやく読む気が起きて、結局8巻まで全部買って読み終えたのが今朝の話。
いやあ、最高でしたね!!!!!!()
熱い手のひら返しもそこそこに、なんで引っかかっていたのかという説明は必要だと思う。というのも、少なくとも3巻までは、自分のなかで百合漫画ではないなと思ったからだ。
「女が女と付き合ったらもう百合漫画だろ」という意見には自分は賛成できない。
これはすんごい偏見なのだが、やっぱり百合漫画は「性自認において女性同士の二人が、互いの女性性に惹かれて葛藤するもの」だという持論があるのだ。
というのも、自分は女装が好きな男でも性自認が男なら男だと思うし、「性自認が女の男の娘(ここでは女性にしか見えない男の意とする)」は女性だと思うし、「性自認が男の男の娘」は男だと思う。
それを発展させれば、「性自認が男の男の娘と一般男性の恋愛」はNLに見えてもBLだし、「性自認が男の男の娘と一般女性の恋愛」はGL(百合)に見えてNLだと思うんだが、まあややこしいので分かる人だけわかってくれたらいい。
要するに、その人の性自認と性的指向で、二人の関係性を決定すべきだと思っている。関係性のジャンル分けなんてナンセンスだという話もあるだろうが、それはまた別の話である。
ここで、やが君のテーマを考えてみる。
自分のなかでは、本作のテーマは、燈子と侑が自分(性自認やら性的指向やらその他諸々)を見つけることにあるのだと考えている。
「自分を見つける」とはなにか。
多くの人間は、性自認が生物学的な性別と一致し、性的指向はヘテロセクシャルとなる。だから恋愛に関しての「自分」を見つける必要がないし、最初から「恋愛対象」がご用意されている、というのが一般的な考えだろう。
ここで百合漫画を見てみる。大抵の百合漫画は、性自認ではなく性的指向に重きを置く。あくまで性自認は確定している上で、作品内では、片割れの性的指向がホモセクシャルだったり、あるいはバイセクシャルであることに気付くことから始まったり終わったりするが、いずれにせよその過程に物語が生まれる。
ただ、やが君はそうではない。
というのも、燈子の存在は、性的自認とか性的指向とかそんなレベルではなく、「自分」という存在に対して懐疑的だからだ。燈子はその点で、関係性においては透明人間のようだ。この透明な燈子が、はじめて「自分」という実体を見つけ、「好き」という気持ちを侑と一緒に探っていくというのが本作の大きなテーマであり、一番の骨格でもある。
大事なのは、関係性は2人以上の人間がいてはじめて生まれるもの、という大前提である。
ここで、7・8巻以前の登場人物の性質を簡単に書くと、
燈子 性自認・性的指向含め、「自分」に関することが全くわからない。
ということになる。
燈子の性自認については女だろうという意見もあるだろうが、自分は、燈子の姉がもしも兄だったら、燈子の性自認は男になり得るのではないかという考えがあるために、不明としている。
上記3名の人間関係が主軸となっている本作だが、では燈子と誰かを結びつけて、それをラベリングすることは可能か、というのが自分の疑念だった。
そして、自分の答えは「出来ない」だし、8巻を読み終えた今でも、その考えは変わっていない。
本作ではこのあたりの議論もしっかりされているが、要するに、「好きとはなにか」という問題には、「自分は何者か」という問題が必ずついて回るのだ。
それを作中劇という方法で、現実と劇の内容をしっかり絡めた作者の手腕は見事だと思うし、その劇が与える人間関係への影響も、めちゃくちゃに練られていてすごかった。
劇自体の脚本も素晴らしいし、自分が分からない燈子を記憶喪失だと例え、様々な自分との対面を通して自己を発見するという誘導の仕方も最高だった。
自分が演出で最も震えたのは、8巻第40話の生徒会室のシーンである。夜の生徒会室の窓硝子には、かつての二人が映っていて、現実の二人と同居している。燈子はそこでカーテンを閉め、付き合い始めたばかりの歪な自分たちを追いやるのだ。その関係性の更新の暗喩方法がマジで見事で、流石にため息が出てしまった。
というように、「やがて君になる」は、「自分は何者か」という問題に対して、ひとつの解法を与えてくれる。登場人物も活き活きしているし、佐伯沙弥香のスピンオフが出る理由も頷ける。だってすごい良いキャラだもんな。
で、こういう漫画だからこそ、自分はやっぱり「百合漫画」というラベリングには違和感を覚える。確かに最後は百合というべき結末を迎えたが、それまでの二人の関係性は「燈子と侑」であり、交際してからも、作中ではしっかりと「恋人というより『燈子と侑』」だと本人たちが述べているのだ。これは、自分が何者か分からなかった燈子だからこそ出せた結論であり、それを簡単に「百合」と言い切っていいのかどうか、自分のなかでは戸惑いがある。
まあ、8巻時点の関係性は百合かもしらんが。
いろいろ書いたが、殆どがこの漫画を「百合漫画」だと持て囃すオタクへの疑問になってしまった。
が、この漫画がやっていることは非常に面白いし、絵もうまいし、なにより演出が素晴らしい。百合云々を抜きにして、恋愛漫画として傑作だと思う。
気になっている人は、是非とも読んで欲しい。
まあ既に読んでるか……人気作だもんな。