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虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第3話感想

いちオタク(無生産側)の視点から言わせてもらうと、3話に関しては自分が思っていたものとは少し違った。

まずこれまでの話で語られ、前提にあるものが

①自分の「好き」がかすみと折り合わないというせつ菜の自覚(2話からの流れ)

②スクールアイドルとファンにとって、ラブライブ!は最高のステージという固定観念(μ'sからAqoursへ繋がった、スクールアイドルという世界での熾烈な競争が生んだ概念)

ラブライブ!に出るためには、方向性を揃えなければならないという大前提

④外部によって行われる、スクールアイドルとラブライブ!の関係性の破壊(虹ヶ咲のテーマ)

⑤愛と璃奈をスクールアイドルに引き込むためのライブをしなくてはならない(せつ菜のライブで回収するのが一番綺麗)

というもので、これらを全部整理したものが脚本になる、はず。

 

で、個人的には、せつ菜の掘り下げはめちゃくちゃ大事だと思っている。言うまでも無いが、せつ菜のテーマである「好きを好きと伝える勇気、好きを叫ぶ気持ちよさ」は、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の思想の最も大きな支えになっている。彼女の歌があったから、侑はときめいて、歩夢も一歩を踏み出す勇気をもらったのだから。

それとは別に、せつ菜としっかり対立していたかすみの存在もある。

つまり、構図としては

 

外部                内部   

【歩夢・侑】→(トキメキをもらう)→ 【せつ菜】→(対立)←【かすみ】

                    ↑(戻ってきて!) 

            果林(親友)-【エマ・しずく・彼方】

ここらへんに愛璃奈

 

ということになっていて、どう見てもせつ菜が物語の中心になっている。

①から展開されるのは、普段は生徒会長として大好きなオタクを隠しているせつ菜にとって、別の人間として成り代わってまでもやりたかった「スクールアイドル」への大好きの思いの強さであり、その思いが他人の好きを否定していた、という気付きにより、自身が信じていたものがひっくり返される絶望感である。

 

簡単にせつ菜の葛藤の内訳を書くと、

・自分が本当にやりたいこと(スクールアイドル)をやりたい(本当の我が儘、大好きを貫きたい)

        ⇅

・自分の大好きは他人の好きを否定する

・自分さえいなくなれば同好会はかすみの「かわいい」のもとでラブライブ!に出場できる

 

ということになる。

で、このせつ菜の感情を救うために、何よりも大事なことは、少なくとも自分には、「自分の大好きは他人の好きを否定する」を「否定」することだと考えている。

そして、その言葉を言うべきは、実際にせつ菜と対立し、内部の人間だったかすみしかいない

これについては、2話でかすみが出した答えであり、そのワンダーランドに同好会は向かうべきという流れができているはずである。そして、実際にかすみはその言葉を同好会のメンバーの前で言っている。

が、せつ菜には言っていない。それが自分の中で疑問になっている。

結果として、3話では、侑がせつ菜に語りかけることになっており、侑がせつ菜に語ったのは

・同好会に戻ってきて欲しい

・せつ菜が幸せならそれでいい

・(ファンから見て)ラブライブ!には出なくて良い

であり、一番上の方で書いた脚本がすべきことの②から④をすべて満たしている。つまり、外部の人間だった侑がすべきこと(自分が好きなことを貫くことの応援、ラブライブ!に出ないという選択肢の提示、ラブライブ!シリーズのなかでのニジガクの方向性の再提示)はきちんとやっているし、実際にこのシーンは感動的ではある。

 

これを踏まえて、せつ菜の葛藤への侑の言葉の影響を考えると、

・自分が本当にやりたいこと(スクールアイドル)をやりたい(本当の我が儘、大好きを貫きたい)←せつ菜が幸せならそれでいい(応援)

        ⇅

・自分の大好きは他人の好きを否定する

・自分さえいなくなれば同好会はかすみの「かわいい」のもとでラブライブ!に出場できるラブライブ!には出なくてもいい、だから戻ってきて欲しい

 

であり、「自分の大好きは他人の好きを否定する」にはやはり侑は触れていない。なおかつ、かすみもせつ菜に直接は言っていないため、せつ菜のなかでこの件はきちんと整理できているのかが非常に気になるのだ。

自分は、大好きに誰よりも真剣なせつ菜だからこそ、この要素は絶対に押さえておくべきだと思っていただけに、せつ菜のライブも難しい顔で見ることになってしまった。

 

ただ、ライブ「DIVE!」自体は非常によかった。

第1話で、力任せに好きを叫び尽くした(最高の幕引きにするつもりだった)「CHASE!」では、炎がせつ菜の心の叫びのように燃え上がっていたのとは対象的に、この3話の「DIVE!」は、炎に対する水の描写が目立つ。

タイトル通りせつ菜が海を潜ると、海水面とは別に、深海の方にも鏡のような水面が存在している。自分の本当の声に耳を塞ぎ、鍵をかけて、などという歌詞からも、深海の深くに映る自分が「本当の自分」であることは明らかである。要するに、海自体がせつ菜の深層心理を表現しており、ここでの水は、本当の自分を抑圧する外部環境や心理ということになる。

で、今までのライブステージのように、炎はせつ菜の大好きの発露である。

これを踏まえた上で最後まで見る。最初から最後まで、水が炎を消すことも、炎が水を乾かしつくすこともない。ずっと真逆の概念が同居し続けていることになる。

また、今回のライブで髪に入っているメッシュが青、かつ衣装は真っ赤というように、彼女自身も赤と青を同時に身に纏っている存在になっている。

ただ、本当の自分とひとつになってからは、ステージ上に水しぶきが上がるようになり、水(自分を抑圧していたもの)がどんどん上に上がっていく、という光景を見ることが出来、最終的にせつ菜が行き着く先は、海(自分を押さえつけるあらゆるもの)から離れた空(完全に自由に好きを叫べる世界)という形になっている。

また、高い空のなかでこそ分裂した自分とひとつの身体になる、という描写が、まさに今後のせつ菜の方向を示していて、「好き」を中心に、抑圧や肯定や種類の違いで分裂せざるを得なかった自分が、唯一ありのままひとつになれる、そこを目指すべきだという方向付けもされている。

 

ただ、このタイトルが「DIVE!」であることからも、せつ菜の「好き」への一歩はまだまだこれからであるし、ようやく本当の意味で、自分の「好き」が叫べるようになったという背景も存在している。ここがせつ菜の「始まりの歌」だという説得力に溢れていて素晴らしい。

 

それだけに、本当にせつ菜が好きを叫ぶために必要であるはずの「自分の大好きは他人の好きを否定しない」という担保が欲しかったなあと思いました。

 

だから、自分は(何様だという話だが)、かすみのあの台詞を同好会のなかではなく、せつ菜に向けて言えば良いと思っていて、なおかつ2話から話にあがっていたワンダーランド、ニジガクのみんなが輝ける「場所」について話をすればよかったと思っている。

屋上で侑がせつ菜を説得している途中で、

せつ菜「私が同好会にいたら、みんなのためにならないんです!」

という台詞があるが、そこから侑のラブライブ!への否定に入るのではなく、

その悲痛なせつ菜の言葉に、堪らずかすみが半泣きで飛び出してきて、

「そんなこと言わないでください、せつ菜先輩のやりたいことはかすみんのやりたいこととは違いますけど……でも、私はせつ菜先輩と一緒にスクールアイドルがやりたいんです、そのためにも、みんなの好きが叶う場所をつくりたいんです!」

と話を進め、今まで影で隠れていたみんなも「そうだそうだ」と続けばいいし、そこから歩夢も入れて「せつ菜ちゃんの好きが、私たちにこの場所をくれたんだよ」と語りかけるもよし、とにかく足元(同好会はせつ菜を受け入れる準備が整っていること)を固めたうえで、

侑「だから、せつ菜ちゃんの好きを貫いてもいいんだよ」とつなげて良い。そこから、

せつ菜「でも、それじゃあラブライブ!に出ることは……」

侑「そんなにラブライブ!って大事なのかな……?」

と穏やかにつなげる事で、ニジガクが持つ「ラブライブ!に出ないという選択を選ぶこと」を示した上で、せつ菜の葛藤を昇華できると思うんだけれど。

ただ、こちらの方では、「ラブライブ!に出なくてはならないという固定観念の破壊」という意味でのインパクトは弱い。本編は、侑が叫ぶことで視聴者もハッとなるから、もしこの話の一番のテーマが「ラブライブ!シリーズと別方向に進むことを明示すること」にあるのなら、本編の脚本は間違いなかったと思う。

 

せつ菜の「自分の大好きは他人の好きを否定しない」という考えの整理だけが気にかかった3話でした。他は最高(やや作画不安定だったけど)、マジで感謝です。