新薬史観

地雷カプお断り

偏見なくそう委員会設立宣言

「地雷カプ~」のブログを読んだ方、あるいは自分の古くからのフォロワーは知っていると思うが、自分はかなり偏見(や嫌いなものに向ける感情)が強い。

偏見というのは非常に気持ちが良いもので、大抵は小さな事例を全体に当てはめることで、大雑把なカテゴライズを行う。そして、偏見というからには、当然否定的な意味合いが強くなる。

中国人は食べるのが汚いとか、お金持ちは性格が悪いとか。

そういうデカい主語で非難することが、割と気持ちいいから困る。

 

自分はコミュ障なので、基本的に他人に自分からリプライを送ることはないし、監視垢(鍵垢)以外からのフォローもしないようにしている。ゆえに、自分が嫌いなものを見ても、自分からリプを送ることなく、黙ってブロック・鍵垢での空リプをする癖がついている。

例:クソ解釈二次創作を見て「作者はセンター国語3割とれてなさそう」という空リプ

 VtuberをRTして「これにハマっている人FGOもやってそう」という空リプ

 地雷カプが目に入ると「作者は義務教育終えてなさそう」という空リプ

 コンサル系のツイートを見て「自己啓発本しか読んだことなさそう」という空リプ

 

などなど、挙げればキリがないが、自分の監視垢のツイートはクソみたいな偏見にまみれている。これがネタで言えていれば良いのだが、言語とは不思議なもので、言い続けているうちに本当にそうではないかと思えてくる。

さらに自分は精神がしんどい時期がままあるので、sinやcosでいうところの(y<0)の領域にメンタルが来ている時間帯に上記のツイートをしてしまうと、カチリとスイッチが入ってしまい、以降無限に偏見と増悪にまみれたツイートを大量生産する稼働体制に入ってしまう。これは非常にヤバい稼働体制で、原料を自らのメンタルとし、偏見と増悪による僅かな快感を得ることだけを報酬に脳を動かし続けてしまう。これにより精神の正弦波の負の部分は無限に拡大し続ける。イメージとしては、負の領域に入ったカーブを転がり続ける火の車によって、本来ならば正と負の踊り場となる谷底がさらに下がっていく。際限なく火の車は坂を転がり続け、奈落の底に落ちきって、ようやくツイートの指が止まる。その頃には僅かだが機能していた報酬系も完全に停止しており、残されたのはこれからこの谷底を登らねばならないメンタルの絶望感、そして偏見と憎悪を繰り返し送信した指と脳への嫌悪感、光る液晶画面と指の震えである。

またやってしまった……と思いながら泣く泣く布団に入るが、起床すれば鳥頭ゆえ、大抵元に戻っている。が、しかしフォロワーが昨夜のクソツイに反応して通知が来ていれば、「ああ、昨晩はそういえば……」と負の感情が蘇り、その日一日をクソメンタルで過ごすことになる。

きちんとメンタル管理ができている、性格がいい、脳と手の神経が直通ではない人は「何を滑稽なことをしているのか」と疑問に思われるかもしれないが、何分精神が高校生くらいから一切更新されていないため(もう20代も半ばに入ったというのに、気持ちは未だに18歳なのだ。恐らくこれは自分が40代、50代になってもそうなのだろう。本当に恐ろしい)、このようなことになっている。

で、一人でのたうち回っているなら良いのだが、残念なことにその鍵垢にも僅かながらのフォロワーがいて、恐らく8割は自分をミュートしているだろうが、残りの2割は自分のツイートを見ているのだ。

三者にあれほどの負のツイートを見せている事実!

本当に恐ろしい……!

「分かっているならフォロワー0の鍵垢で嫌悪を吐き出せ」という指摘があるかもしれないが、実際にやってみた経験として、

フォロワー0のアカウントは一切意味が無い(個人の感想です)と断言できる。

俗に言う壁打ちだが、これほど無意味なものは無いと思った。まったくツイートしている感覚がないのである。当然、鍵垢でフォロワー0となると、もはやそれはiphoneのメモ帳アプリの書き込みと何ら変わりない。まったく「吐き出せている」感覚がないのだ。デトックス効果ゼロである。

恐らく、フォロワーが1人でもいないと(botではダメなのだ、生きている人間に見られているという事実がなければ)、デトックス効果は産まれないのだろう。

とはいえ、自分は嫌悪の量が膨大である。恐らくプリキュアシリーズ26話以降の敵幹部並の負のエネルギーを持っている。これを1~3人で処理するのは非常に難しい。決して悪意のダメージは人数で等分されるわけではないのだが、フォロワーが1~3人あたりのアカウントでこれらの行為をやった場合、恐らく受け手側に「自分に向けて発言されている」という感情が芽生える、はずである。めちゃくちゃ鈍感でない限り。

この「自分が見なければ」という意志は非常に危険で、「鬱病の人間を助けようと親身になって接していた人間まで鬱病になってしまった」という話があるように、負のメンタルとの付き合い方には、非常に慎重になる必要がある。

という訳で、ここ数年はフォロワー100人(実質フォロワー20人)くらいの鍵垢で負のツイートを垂れ流していた。これだけの人数が居れば、「あなたとわたし」という責任感が生まれることもなく、気に入らなければリムってくれ、ブロってくれ、ミュートしてくれの空気が醸造されているし、実際に定期的にそうするように呼びかけている。

 

……というのが現状なのだが、果たしていつまでこの歪な関係を保つのかという疑問が産まれた。20歳も半ば、一昔前の社会では、正常既婚男性が家庭を守りながら日々仕事に励む年齢である。そのような価値観に迎合する気はないものの、精神面で「いつまでその場で足踏みをするのか」という反省が必要ではないかと思い始めた。

成長しなくてはならないのかもしれない……。

もしこのまま成長し、鍵垢であることをやめてしまったら、40歳にもなって、バズツイートに噛みつくことしか能のないおっさんになるのではないか。ただのニュース記事に政権批判を書き込んでしまうような、ダルビッシュ有に上から目線のアドバイスを送るような、アイドルにセクハラリプを送りながらも前澤社長の100万円ツイートをRTするような人間になるのではないか!?(こういうところが偏見なんだよな)

 

それだけは絶対に嫌である。

 

という訳で、手始めに自分が嫌いなもの、よく憎悪を吐き出してしまうものについての憎悪、偏見を取り払うべく、その世界をことをちゃんと知るべきだと考えたのである。

自分が嫌いなものへの理解を深めることで、偏見を取り払うことが出来るかもしれないし、何故嫌いなのかという自分の精神を理解することにも繋がるのだ。

ルル賢い。あまりに賢すぎる。

恐らくここらが、精神年齢18歳から30歳にステップアップする難所なのだ。

嫌いなものを偏見で叩かないこと。

よって、ここに私は、偏見なくそう委員会を設立することを宣言する。

 

第1回は、憎くて堪らないVtuberについて特集予定です。

てか今日中に書きます。お楽しみに。

 

ちなみに、地雷カプへの憎悪は論理的に、かつ緻密なキャラ解釈によって導き出された正当な異議申し立てであって「偏見」ではないので取り扱いません。ご了承ください。