新薬史観

地雷カプお断り

No.156 映画感想 「ピアノ・レッスン」(1993)

ジェーン・カンピオン監督作品。女性初のカンヌドールを受賞したらしい。

夫を雷で無くしたショックで声を失った女性エイダが、一人娘のフロラとピアノと一緒に金持ちのスチュアートという男のもとに嫁ぐ話。スチュアートはまずピアノを軽視し、海辺に捨ててしまうが、声が出ないことを受け入れて「ペットみたいなものだ」と思い、エイダからの愛情を獲得しようと奮闘する。一方で、スチュアートの友人のベインズは、学もなく地位もないが、海辺のピアノを楽しそうにひくエイダに心引かれて自分の土地を海辺のピアノと交換し、エイダの気を引こうとする話。

想像以上にドロドロしていて、エイダとベインズの不倫現場を娘にも夫にも見られてしまうというガバガバなところはどうかと思うが(でもあの二人ならそういうところに配慮できないだろうな)、エイダのピアノと一度恋した相手への熱意はめちゃくちゃにすごいところが、夫の喪失で声を失う、というところに現れているので良いと思う。

また、エイダがベインズに惹かれる過程が、まさに劇で演じられていた青髯の物語をそのままなぞっている。解放されても尚、青髯(ベインズ)を求めてしまうというのが、見ていてしんどいようで純粋さも感じる。周りの原生林の雄々しさやベインズのボロ屋、マイケル・ナイマンの音楽、すべてが官能に向かっている気がするくらいに、途中のシーンがエロすぎてびっくりした。野蛮なエロではなく、「官能」という言葉がしっくりくるエロさ。

終わりがけは、まさかの斧が取り出され結構キツい描写になるが、それでもスチュアートは最終ラインの分別は弁えていたし(命を奪わないという意味で)、ベインズとの関係、というよりエイダの気持ちを理解したのが、彼を否定しきれないところだ。

結局、この物語はスチュアートがエイダが一番大切にしていたピアノを捨て、「家族は犠牲に堪えるものだ」と叱りつけたところがよくないのであって、学は無くとも、その部分をうまく理解していたベインズの法に軍配があがるのはわかる。

で、最後までエイダの大切なピアノを守り続けたベインズという存在が、逆にエイダにとっては「ピアノ」になっており、エイダ自身が海からピアノを投げようとする展開がいい。でも、この作品をさらに素晴らしいものにしているのはピアノを捨てたエイダがピアノとともに死にかけるという部分で、あの美しさがめちゃくちゃに良い。結局助かりましたっていうオチよりも、あの海のなかで、エイダの靴(下着?)とピアノが一緒に沈んでいるという「画」が最高で、あれが存在するためだけにこれまでの物語があるんだろうなと思った。美しい映画だった。傑作です。