新薬史観

地雷カプお断り

No.157 映画感想 「魔女見習いをさがして」(2020)

おジャ魔女どれみリアタイ勢(とはいえ記憶にあるのは数話だけれど)、かつ配信サイトで全話見返した勢としては、おジャ魔女どれみの物語は強く印象に残っている。今でこそ魔法少女は搾取されたり戦闘で命を失ったりするような危険な職種になってしまったが、どれみ達はあくまで「現実」のなかに住んでいて、「敵」という明確な悪がいない作品世界のなかで、小さな魔法を使っては小さな幸せを呼び起こす物語は、幼少期の男子にも、成人男性となった自分にも深く心に響くものがあった。

そんな自分は、去年あたりのおジャ魔女20周年記念のイベントにも参加していて、佐藤順一監督と関弘美P、キャストのみなさんとのトークも直に聞くことができた。その時には、「佐藤順一監督の作業が遅れ気味で、期日にまでに公開できるか怪しい」と冗談半ば本気半ばで語られていたのだが、結局コロナやら制作の遅れやらで本当に公開が延期し、ようやくできあがったのが本作である。

カレイドスターARIAたまゆらと言った、女性キャラクターを通して作品世界そのものに強く実在性を与える(と個人的に感じている)佐藤順一監督作品、しかもおジャ魔女どれみシリーズの新作(と言って良いのかな?)ということで、かなり期待して観に行った自分だが、アニメ本編のようにボロ泣きするということはなく、「なるほどねえ」となってしまった。

以下、本作のネタバレをめちゃくちゃ含むので注意。

肯定的・否定的な意見もあると思うので、自分の意見を大切にしてもらうためにも、まずは映画館で視聴してから読んでください。

 

 

 

 

 

 

……と、少し誤解をまねく言い方になったが、個人的にこの映画は素晴らしい出来だとは思う。

まず、本作は非常に丁寧に作られており、様々なかたちで観客に配慮されている。

例えばトークイベントでも関さんが仰っていたように、「おジャ魔女は意外にも男の視聴者層が多い」とか「ファンの年齢層も幅広い」だとか、かつての(そして今の)ファンに向けた要素が本作には詰め込まれている。

本作の主要キャラ自体、ソラ、ミレ、レイカの3人のどれみの視聴年代、視聴媒体も異なっており、どのような形で知ったファンも感情移入ができるような設定になっている(もちろん全話見ていることは前提だが)。

また、中盤では男のおジャ魔女ファンも登場し、「やっぱり男はおんぷちゃんが好きなんですか?」というあるあるネタも突っ込んでくるなど、かなり楽しい。(自分ははづきちゃんが好きです)

で、正直、この映画の良いところを挙げると切りが無くて、豪華すぎるアニメーター陣や、現代風なんだけれど、しっかりとしたどれみリアクション(馬越さんの画とも言うが)、街の風景の美しさや、かなり「現代」を意識した観光などなど、インタビュー記事でもその拘りが見て取れる。脚本も感動できるものだし、「魔法とは、本来自分たちが持っている力のことだ」というメッセージも、現代を生きる「生きづらい若者」にとっては素晴らしく心強いものだと思う。なにより、声優ではないというのに、めちゃくちゃに演技がうまい三人(森川 葵、松井玲奈百田夏菜子)にはびっくりした。すごすぎるよ本当に。

cgworld.jp

 

なので、もしも何も引っかかるところがないのであれば、この映画は傑作になるし、傑作だと思う人の方が多いと思うのだが、自分のように少し引っかかる人間からすると、少し顔をしかめてしまう。

その原因というのが言語化しにくいのだが、個人的に引っかかった点を羅列すると、

①映像のテンポが悪い箇所がいくつかある(佐藤順一の映像を期待して行くと「ん?」となるところがある。コンテを担当している人が違うので当然なのだが)

 詳細に書くと、佐藤順一監督はいくらでも「退屈」になりえる日常シーンをそのキャラの特別な日常にする力があると思っているのだが、今回は少し「退屈」だと思ってしまった。ただ、これは担当された方の「力量不足(ただのオタクが上から何を語っているんだと言う話だが)」ではないと思っていて、あくまで「どれみのファン(自分たちの代表者)」として選ばれた三人の現実感があまりに強く、うまく感情移入できなかったのかもなとも思っている。要するに、作品に入り込んで見ればいいのか、遠くから眺めてみればいいのか、その遠近感が鑑賞中にうまく掴めなかったという部分がある。

これは、「どれみのファンを主人公にする」という非常に難しいテーマに取り組んだ結果でもあると思うし、そのなかで描かれる映像としては、恐らくベストのものが見せられているだとわかるだけに、自分でも感情の取り扱いが難しい。

 

②リアルでどれみを通じて繋がった部分はいいのだが、その相手と旅行先で喧嘩するのはあまりに気まずすぎた(自分からしたら、ネットのオタクとオフ会してたら喧嘩になったようなもので、あまりにしんどい。想像するだけで胃が痛い)。また、途中で出てくる男も、初対面であの距離感を出してきながら、ネットで炎上経験ありというのがキツかった。現実に確実にいるタイプだとわかるからこそ、リアルで想像できる「キツさ」がある。このあたりの「リアル」さも、作品との距離感が掴めない一因だと思う。

とはいえ、このあたりも原作の「どれみとはづきの喧嘩」から力をもらえる展開には必須だし、自分も「ああ、そうだよな。大人になったら人間関係の修復は難しいけれど、大切ならすぐに謝った方が良いよな」という気付きも得られた。ここはかなり大きな部分だと思うので、「喧嘩」自体に抵抗感はない。しかしながら、キャラの出会い方が出会い方なので、せめて喧嘩する場所だけでも、もう少し選べなかったのかなと思ってしまう。で、自分でもしばらく考えたのだが、のちにレイカがミレの家に行くというアクションを考えるなら、やっぱり喧嘩をするにしても旅行中しかないし、あの場所だよなと。やっぱりベストのものが出されているんですよね……。

 

③やたらと色恋沙汰が多い。コレに関しては恋愛事に疎いキモオタである自分が悪いと思うのだが、「あの人イケメンじゃない?」「付き合っちゃいなよ」などなど、顔面偏差値が言われてたり、周りがやたらとお節介を焼いていたり(これに関しては、ソラも本当に想いを寄せていた描写があるため否定しきれないのだが)、ソラがすぐに恋に落ちる展開もあまり良くは思えなかった。

というのも、ミレとレイカの男性関係が片付いてから急に男が近寄ってきたので、「女と言えば男と付き合ってなんぼでしょ」というかのように、どのキャラにも男との関係がノルマかのような描写がされているように感じてしまった(実際に現実について回る生きづらさなんて5割が仕事で5割が恋愛だと思うのだが、如何せん見ているアニメが美少女ものばかりなので、そういうのに耐性がないのかもしれない)。結局付き合わなかったからいいじゃん、というわけではなく、ノルマかのように用意されていた、という点がしんどかったという話。

 

以上①~③のせいかは分からないのだが、自分は作品の感情と物語のスピードについていくこと(あるいは入り込むこと)が難しく、感動できるところで感動しきれなかった部分がある。これに関してはめちゃくちゃ悔しい。作品としては、届くべき人間の届くべき箇所に届けば、絶対に響いて、その場で泣いてしまう力を持っているのが分かるし、テーマに沿ってベストな作品が作られているからだ。

ただ、自分には合わなかったのだと思う。

駄作は間違いなく駄作だと叩けるのだが、本作はそうでないと断言できるので難しい。こういう経験をあまりしたことがないので、まず「悔しい」という気持ちしか生まれないのだが、刺さる人には何としてでも届くべき映画なので、かつてどれみを観た人には絶対に観て欲しい作品だと思う。

自分は微妙な気持ちにはなったが、後悔はしていない。

制作陣のみなさま、お疲れ様でした。素晴らしい作品でした。