新薬史観

地雷カプお断り

No.158 映画感想 「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」(2020)

まず始めに、自分は原作未履修であり、アニメしか観ていない。なので、単純にアニメの続きを観ようというつもりで観たのだが……。

脚本、映像、演出、どれをとっても最高クオリティのものが出されていると思う。

めちゃくちゃ感動した。巷では「鬼滅のブームは異常!」と言われているが、自分からすれば、これだけの作品を観て騒がないほうが「異常」である。

なんだこれは。本当に。

アニメを観たのがかなり前なので、久しぶりに観て「炭治郎いちいち状況説明うるせえなあ、猪頭くん鼻息荒すぎ、金髪はもっと本編ではなよなよしてただろ。煉獄さんは目がガン開きしていて素直に怖い。あと弁当をうまがりすぎだろ」などとつまらないことを考えていたが、列車の車掌がふらふらと炭治郎たちの車両に入ってきてからはもう空気が変わって(開始5分くらいだな)、そこから終わりまで完全に鬼滅キッズになってしまった。

あまりに面白すぎる。

いちいち剣技の演出が半端ないし、バトルの映像の力強さは流石のufotableといったところ。でも、やっぱり抜群にうまいのがキャラを魅力的に見せる演出と脚本の巧さで、殆どが原作に依拠しているだろうとはいえ、映像にしたときの違和感のなさ、頭のなかに入ってくる話の流れと感動の解像度が素晴らしい。

恐らく、炭治郎のくどくない状況説明がよくて、視聴者は今何が起こっていて、彼らが何をすべきかが分かりやすいし、台詞のテンポの良さも良いからだと思う。ギャグから真剣な空気への切り替えもよく、観客の感情の乗せ方も非常にうまい!と感じる。

うまい!うまい!うまい!

そして何より、煉獄杏寿郎という一人の人間の生き様をあそこまで魅力的にかけるのが素晴らしい。漫画ではありがちな展開だし、やっていることもテンプレのはずなのに、上弦とのバトルの描写、とくに虫の息で立っている時の声の演技や画の動き方が抜群によくて、あそこのシーンがどちゃくそに良い。あれだけの瀕死からの奥義がまたずるすぎて、相手の腹で刀を切り返す力強さと炎の映像に訳分からんくらい泣いてしまった。いや、煉獄さんが誰一人死なせない宣言してからずっと泣いていたけど。

あと、吾峠呼世晴先生が、キャラの行動に常に理由があると説明していたけれど、まさにこれだと思う。キャラをよりよく見せるためだけに煉獄さんだけを動かしているわけではなくて、あの場で瀕死の炭治郎が立ち上がるところもそうだし(心が優しすぎる炭治郎が、煉獄さんが死にかけているのに動かない訳がない)、それから鬼が消えた森に向かって泣き叫ぶシーンは、流石に花江夏樹の演技力の高さに観客全員ボロ泣きしていた。

ずるいんだよな。泣くでしょあんなの。すすり泣き聞こえたわ。

最後の最後、煉獄さんが母の影を見て笑顔になるシーンは、煉獄杏寿郎の「子供」としての最高のシーンだし、あの母からの言葉のためだけに、彼は柱として強くなり続けたのかと思うと気が狂う。

あと、ツイッターでも流れてきたけど、煉獄さんは死ぬことが夢だったというのは明らかに間違っている。

まず、父の教えで強くなり続け、けれども父という「強さ」の指針を失い、強さの基準の迷子になり弟の存在によって無理矢理大人にならざるを得なかった杏寿郎が、母の教えである「弱きものを助ける(=強さ)」を十分に果たした結果、杏寿郎が一番欲しかった「両親から認めてもらうこと(杏寿郎の場合、認めてもらうための手段として『強さ』が一番近くにあっただけの話)」を手にすることができた、という話である。

実際には、杏寿郎にはもはや両親はおらず(父もいないに等しい)、現実的には、杏寿郎の夢は「誰かに自分の『強さ』を認めてもらうこと」だったと言ってもいい。

そういう意味では、炭治郎の森のなかへの叫びこそが、杏寿郎の最も欲しかったものであり、それを与えてくれたからこそ、杏寿郎の笑みがあるのだろう。

煉獄杏寿郎の夢は、「誰かに自分の強さを認めてもらう」ことであり、「誰かのために戦って死ぬ」ことではない、というのは何度でも言っておきたい。

煉獄杏寿郎は「炎柱」なんだぞ。そこらの特攻隊と同じ扱いにすな。

あ~気が狂う。

というわけで、これを書いている今も興奮冷めやらぬ気持ちなのですが、近いうちにまた煉獄さんに逢いに行こうと思います。

目をガン開きにして、弁当をうまい!うまい!と叫びながら食っている彼の姿が愛おしい。

はぁ……煉獄杏寿郎。

俺は恋したのだろうか……煉獄杏寿郎に……?