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虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第9話感想

 

相変わらず今更ですが、9話、果林回の感想。

もう、めちゃ好きな話です。すっごく楽しめた。

脚本もわかりやすかったし、曲も良かった。ほんとに満点のお話でした。

 

 

同好会の方向生について

冒頭から語られていたのが、読モではない果林のファン、せつ菜の二面性について。果林が新しい自分が世間から認められてきたのに対し(これも二面性の獲得と言えるかも)、せつ菜は自分の二面性を受け入れつつある。せつ菜の心情は、しずく回でしずくが行き着いた結論と同じだと認識していて、やはり「選ばない自由」を獲得しているのかなと。選ばない自由ってのは、多分1話か2話の感想記事で言ったような、言ってないような語句なのだが、念のために補足すると、あくまで自分のなかで虹ヶ咲に向けて抱いている印象のひとつだ。

この情報化社会、多様性の社会で、人間は様々な自分を知る機会が増えると思うし、実際いろんなコミュニティに所属している人が多いと思う。その最もたる例がSNSで、アカウントのひとつを作るだけで、様々な自分を演じることができる反面、他人の生活や能力が可視化されることもあり、絶対化よりも相対化の動きが(無意識にでも)心身に働き、常に自分の居場所が問われている――というのが個人的な(かつテンプレート的な)社会と個々の見方だと思うのだが、自分はそれを踏まえて、虹ヶ咲はその社会で個人として戦う話なのだと考えている。

やっぱりこの作品で一番面白いのが、ソロのスクールアイドルという「コミュニティに属しながらも、個を演出しなければならない」という舞台設定で、愛さんが「他の部活とは違う」と気付いたところだ。で、自分の「個」を演出するためには、「自分」がどういう存在なのかに気付かねばならず、かすみのように「かわいい」が自分の個であることに気がついているならいいのだが、まだそれが分かっていない人間は、ずっとそれを探り続けることになる。

そして探り続けた結果、どんどんいろんな自分が見つかることもあるわけで、では一体、本当の自分はどこにあるのか――その時に役立つのが「選ばない自由」の概念だ。

虹ヶ咲という学校が掲げる「自由」には、部活動(自分の方向生)は何を選んでもいいし、何も選ばなくてもいいという選択肢が内包されている。その根底にあるのは、「あなたが自分で選択した責任」のみがあるのであって、むしろそれは、親や社会から強制されるものより、「言い逃れが出来ない」という点で重さがある。

その重さを担っているという点では、何かを選ぶのも、選ばないのも同じ重さであり、「何も選ばない、決定できない、これというものに絞れない=逃げ」という概念を打ち壊すものだと考えている。

で、これを一番に理解しているのが果林さんで、璃奈ちゃん回でも、ライブ直前に「逃げた」璃奈ちゃんの行動を、ひとつの自由(責任)として認めているのは果林さんだけだった。また、9話でも顕著なように、Bパートからの「同好会として何が成し遂げられるか(の一例として、ソロとして出るべき人間は誰か)」という問題に、運や譲り合いではなく、自分たちの「責任」で決めるべきという鶴の一声をあげたのも果林さんだ。

この重さへの理解力こそが、果林先輩をストイックにさせるものであり、なおかつ、この個々が担う責任の重さは、同好会の「ソロ(同好会のみんなはライバル)」という側面をめちゃくちゃに押し上げている。同好会のソロという概念を、果林さんが全て担っていると考えても間違いは無いだろう。

話としては、ステージを前にし、自らの責任の重さを理解したときに、果林さんはビビることになったのだが、そこを支えるのが、譲り合いをしようとした残り8人の「仲間」だったという流れになる。

一度は完全にリセットされた同好会の関係において、それぞれが支え合うかたちで自分を見つめ直し、個々が獲得されると同時に絆も深まるわけだが、改めて、果林さんの責任の重さへの理解力が、同好会のみんなに分け与えられる。こうしてようやく「仲間でライバル」の関係が生まれるわけで、これが虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会なんですよね。

 

いや、本当に綺麗ですよね。

なんといっても、このあたりのテンポの良さと、勝利確定BGMが入る時の気持ちよさがヤバすぎる。ライブ前の姫乃ちゃんの表情といい、イントロに入るまでの前口上、リズムに合わせて顔にあたる光の加減がすごく好き。

すっごく練られた映像だと思う。

VIVID WORLD

歌詞が良すぎる……。

今までの果林さんは、「常にみんなの視線を集める、個が強いクールで熱い女」という感じだったのが、一転して「読モとしての側面が強い魅惑的ボディとクラブミュージック(かな?)のvividさと結びつけながらも、これから虹ヶ咲が歩む個々としての選択の重さを、肯定的に歌いあげているみんなの曲」になっている。説明が下手くそだが、こうとしか表現できん。音楽に造詣がないので。

歌詞だけで2回は泣いた。

 

侑の立ち位置について

メンバーに誰よりも近い位置に居ながら、観客よりもずっと遠い場所に移動した侑。「メンバーと観客の熱狂」のどちらも目にした侑は、最後に目を輝かせるが、あの目が見ているのは間違いなく、果林や観客ではなく、スクールアイドルそのもののトキメキである。

10話を既に見ているので結果は知っているのだが、スクールアイドルフェスティバルを企画したいという侑の布石として非常に綺麗だと思う。

 

 

以上。推しや歌の良さなどを甘味するといろいろ変わるだろうが、話としての説得力をもった映像として一番完成度が高いなと思ったのが、この10話だった。本当によかったです。姫乃ちゃんもまさかの立ち位置だったし、そういう意外性もよかった。この世界に誰も悪者はいないんや。