なんとかここまで追いついた。本日11話放送日ですね。
問題の合宿回10話です。
例のところでゲラゲラ笑った10話です。
歩夢ちゃん、報われてくれ。今回の記事は文量少なめ。感想はいくらでも出てくるが、記事としては特に書くこともないので。
侑とせつ菜の関係について
侑がピアノで弾いているのは、せつ菜の「CHASE!」である。
これは、侑がスクールアイドルへの出会いを与えてくれたせつ菜との思い出の曲でもあり、3話で描かれたように、菜々と侑が始めてしっかりと語るキッカケとなった曲でもある。さらに、夜の音楽室、反復される状況。それでいて反転している立場関係(3話では侑がせつ菜を諭し、10話ではせつ菜が侑の力になろうとしている)などなど、正直、百合文脈があまりに強すぎて言葉に困る。
会話の中身としても、せつ菜の「大好き」を認めて上げることで、今後の人生にすら影響を与えた侑の言葉を想起したり、それを取り上げて、今度は侑の「大好き」を応援したいとせつ菜が言葉を交わしたりする様は、あまりに良すぎて正直困る。
こんなの、百合オタクが大好きなやつですからね。いくらあっても困りませんから。
さらに、侑が最後に提案するスクールアイドルフェスティバル。ここで侑が口にする「大好き」という言葉に、せつ菜は誰よりもはやく、誰よりも深く共感する。
侑とせつ菜は、まったく同じ熱量(侑の言っていることのすごさを理解できるという意味で)、まったく同じ方向性(スクールアイドルそのものが好きだという意味)の「大好き」で繋がっているのである。
いや、まあ。
おめでとうございます……。
侑が見たいもの、歩夢が見たいもの
何故このようなことになってしまったのか。
どうして、侑の「大好き」を誰よりも近くにいたはずの歩夢が理解できないことになってしまったのか。
歩夢が一番知りたいだろうが、俺たちだって知りたい。
侑が見たいものは、9話のラストあたりから固まってきていて、ぼんやりとしたかたちで表現すると、「スクールアイドルが大好きなみんな」が「一緒にいるからこそ生まれる」景色を見たいのである。
一方、歩夢が見たいものというのは特になくて、歩夢はただ侑に、自分の隣で、自分の夢(かわいいものが好きだと、素直に言える自分になりたい)を叶えるサポートをして欲しいのだ。
例のプールのシーンでは、侑と歩夢の約束のすりあわせが行われる。今まで何度も伏線(?)として歩夢が口にした「え?(それ、約束と違うよね?)」が、決定的な言葉として、侑の口から語られることになるのだ。
どこまで共通了解されているか、改めて確認しよう。
①同好会に入ると決めた日、侑は歩夢と一緒に、スクールアイドルの夢を見る。歩夢の勇気がキッカケで、自分はいま同好会にいる。
以上。
二人の合意はここで終わりである。
②いつのまにか、侑はスクールアイドルが好きなみんなに囲まれている
③侑は、自分にできることをやってみたいと思っている
これらについて、歩夢は一切了解していない。恐ろしいことに、歩夢はマジで、「侑がみんなに囲まれている」という理解に至っていないのだ。もしかしたら歩夢は、これまで、「どうして侑ちゃんは、関係ないみんなの分までサポートしているんだろう。でも、侑ちゃんは優しいからなあ」とすら思っていたのかもしれない。いや、多分思っていた。
誤解のないように書くが、歩夢はきっと、同好会のみんなのことも、人並みに好きだとは思う。ただ、自分の気持ちは別として、ただただ、侑がサポートをしてくれるのは、自分だけだと思っていたのだ。
歩夢は、侑が既に大好きを見つけたことにも気がついていない。歩夢は、侑がピアノを弾いていることも知らないし、せつ菜が言ったように、ステージの上からの景色(第1話)しかしらない。自分が侑に何をあげられるか、そればかりを考えていて、侑がみんなのことをどのように感じているか、どのように思っているか、そこへの配慮が一切抜けているのだ。
歩夢の頭のなかでは、侑は第1話の時から何一つ変わっていないのである。昔からの幼馴染みで、自分と同じ「何もできない、予備校に通っていたかもしれない普通の女の子」なのだ。
だからこそ、侑が「自分にできることをやりたい」と口にしたとき、歩夢は困惑している。歩夢は、侑と同じように、自分には何もできないと思い込んでいたから。
「私たちは自分ひとりでは何もできないけれど、侑ちゃんと二人なら、きっと何かができるはず。私が勇気を出すから、その光景を侑ちゃんは見ていて」
これこそが、侑が第1話で侑と交わした願いであり、約束なのだ。
ここに、第1話の最後に、歩夢が侑に対してステージという優位な立場にたった根拠がある。歩夢のなかでは、今もなお、侑の手を引っ張ったのは自分であるという微かな誇りがあるはずである。
打ち上がる花火について
歩夢の思いをよそに、侑が「自分に出来ることをしたい」と口にした瞬間、まるでそれを祝うかのように花火が打ち上がる。そして、みんなが歓声をあげ、いつしか侑の後ろに並んで、同じ花火を見ているのだ。
ここが非常に残酷で切ない。
歩夢にとっては、花火もなにもない普通の夜空でも、一緒に侑と見ているという安心感さえあれば特別の景色だったはずなのだ。それなのに、大きな夢という花火が打ち上がることで、普通の夜空は消え、夏祭りの夜空に描き換えられる。 歩夢が好きだった「普通の夜空」は、もうこの場所にはないのだ。
歩夢の大好き(夜空)をかき消したのは、皮肉にも、侑の大好き(花火)だったのである。
すみません、ゲロ吐いていいですか?
いま、歩夢になっています。
助けてください。
お願いします、誰か助けて……。
侑ちゃん……(すすり泣き)。