新薬史観

地雷カプお断り

文章の方向性の違いにより人格が解散

してしまう,という話である.

同じ日に似たような内容を書くことに抵抗があったが,最近ブログを更新するまとまった時間がとれないので,今のうちに書きたいものを書けるだけ書いておく.

 

文章には方向性があるということを知ったのは,大学を学部生として卒業した頃である.

学部卒なら誰しも経験済みだと思うが,大学を卒業する際には,卒業論文の提出が必須となる.その文章は「科学的」であることを求められ,如何に無駄なく,論理的に,完結に,読者に情報を伝えることが出来るかというあたりが価値基準になってくる.

自分は中学生くらいの時から文章を書き始めたのだが,中学から現在に至るまで,自分が書いてきたものは殆どが二次創作である.二次創作はどういう文章が求められるかと言うと,大まかに言って「感情的」であれば喜ばれる.

二次創作に科学的な文章であることを要請すると,

「穂乃果は海未に「来週の土曜に遊ぼうよ」と言った.これは来週の土曜に予定されていた,穂乃果の店番の予定がなくなったためである.これまでの資料によると,海未は穂乃果の言うことに逆らえないことが明らかになっており[1],海未は穂乃果の誘いに同意すると考えられた.しかし,海未は穂乃果の誘いを断った.この二次創作では,海未が穂乃果の誘いを断った理由について記述する.」

こんな感じになってしまう(なるのか?).

実際に書いてみると分かると思うが,科学的な文章を書くのはめちゃくちゃ頭を使う.前述の通り,科学的な文章は無駄を嫌い,論理の一貫性を好む.それを満たすためには,それなりに思考力が必要とされる.

しかしながら,感情的な文章ならば,多少の無駄は許されるし,むしろ好まれる傾向さえあるだろう.なんと言っても,感情的な文章が描くのは,人間の感情そのものである.やることなすこと無駄ばかりで,思考に一貫性が見られない人間と,感情的な文章の相性はピカイチなのだ.

 

結局何がいいたいかと言うと,自分は二次創作という感情的な文章を十年近く書いているものだから,脳死で文章を書くと,文章が勝手に感情を覚えてしまうのだ.論理的な文章は,思考をせねば書けない.少なくとも自分の場合は.

 

で,さっきの日記にも書いたが,現在の自分は,非常にストレスの溜まる日々を送っている.さらに情報を追記すると,今月末の百合文芸の締め切りに悩みつつ,ダメ元で百合小説を書き進めてもいる(多分10万字近くになる).

あとゼルダのブレスオブザワイルドがめっちゃ楽しい(最近ゼルダが女装した).

スター☆トゥインクルプリキュアもすごく面白かった(もう49話ぜんぶ見ちゃった).

もう弁解の余地なく完全に自業自得だが,あまりに論文の執筆作業に割く時間が足りないのである.

するとどうなるか? 当然,自分は論文の要旨の初稿を脳死で書くことになる.思考のリソースは百合文芸にすべて割かれていて,論文なんて尻を拭くペーパーでしかない.無地が一番映えるのだ.

初稿を見せた先輩からは「ひどすぎる」という解答が得られた.

「まったく科学的な文章ではない」「なんというかエモい.感情しか伝わってこない」

感情が伝われば二次創作の文章としては合格点だが,科学者としては落第点である.

先生は自分の初稿を見て,長く考え込んだあとメールをくれた.

「これから,ひとつずつ良くしていきましょう」

 

というわけで,現在も論文の要旨を,絶賛手直し中である.やはり科学的な文章を書くプロはすごいもので,先生の手にかかれば,自分の「エモい」文章も,どんどん科学的にかきかえられていく.それは自分のなかの個性や感情が殺されていくようでほんの少し寂しいが,科学的な文章としての完成度は間違いなく上がっているのだ.先生の話を聞いていると,自分の思考が科学的に組み替えられていく心地さえする.

ひとつだけまずいのは,百合文芸の原稿である.

 

科学脳が鍛えられるのは良い.良いのだが,その脳のまま百合文芸の原稿を目の当たりにすると,「無駄」しかない文章に手が動かなくなるのである.

しかし,手を動かすしかない.脳を停止させ,感情の赴くままに文章を綴る.

夜になり,添削された論文を見直し,また脳を科学的に切り返る.

それが終われば,また百合文芸のために脳の電源を落とす.たまにゼルダをやる.

また夜になると――.

こんなことを繰り返していると,文章の方向性の違いにより,人格が解散しそうな気がする.果たして自分は,最後まで無理にならず論文を書き終えることが出来るのか.また,百合文芸に完成作を投稿することができるのか?(割とかなり厳しいが……)

もし仮に投稿できたとしても,投稿作品は「科学」の香りを帯びていそうで恐ろしい.いずれにせよ,自分がしなければならないのは,ただパソコンに向かい,黙々と文字を打ち込むことだけである.