新薬史観

地雷カプお断り

「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」をクリアした

最高のゲーム体験をありがとうございます、といろんな人に言いたい。ゲーム制作者はもちろん、このゲームを勧めてくれた友人にも大いなる感謝を。

まず、これまでにこのゲームを買わなかった理由を説明する(させてくれ)。

発売当時から「このタイトルがすごい!」と言われていたのは覚えているし、数々の受賞歴も把握していた。自分はミーハーなので「そんなにすごいならやってみようかな」とは思ったのだが、当時はスイッチが品薄だった(気がする)ので購入の選択肢から外れていたような気がする。多分。

かといって、「いつでもスイッチが購入可能ですよ」という状況を用意されたとしても、おそらく自分はこのゲームを手にしてはいなかっただろう。そもそも、ゼルダのためだけにスイッチを買うかといわれると、素直にノーだった。

なぜなら過去に唯一やったことのある「時のオカリナ」の雰囲気がめちゃくちゃ怖かったからだ。マジで怖かった。

プレイしたのは中学生か高校生か、確か3DSでリメイクされたものをやったのだが、ガノンによって滅ぼされた町(未来と過去を行き来するので、滅んだ町と明るく活気づいた町を交互に見るのがメンタルに来た)や、ゾンビみたいな町民?(まだ意識がありそうな人間を雑に扱っているように見えてかなり嫌だった)が恐ろしくてたびたびプレイを中断していた記憶がある。キャラの造形もいちいち奇妙で、妖精のメイクも濃くて怖い。とにかく「怖い」という印象にあふれたゲームだった。

いや、ゼルダは別にホラーゲームではないし、個人的にはバイオハザードとかSIRENとかサイレントヒルとかは全然大丈夫な部類なのだが(ビビりなのでめちゃくちゃ鈍足プレイにはなる)、なんというかそういう怖さではない。禁忌じみた狂気に触れる怖さというか……言霊とか樹海とか、人が森や大自然に抱く伝承的な恐怖をゲームにしたようなつくりだったのだ。だから嫌だっただと思う。多分。

なので、すごいすごいと言われていた「ブレスオブザワイルド」も、その系譜だろうと勝手に思っていた。怖いんだろうなあと。で、そんな怖い思いをするために、ソフト代金の7000円とスイッチの30000円を払えるかというとそうではないわけです。結構な出費になるわけですから。

でも、それを踏まえて今だから言えることを言いたい。

このゲームに40000円の価値はありますよ。

 

そろそろ内容について触れたいと思うのだが、なんというか、この感動をうまく言葉にできる気がしない。このゲームをプレイした人が十中八九言うだろう「野生(世界そのもの)が息づいていた」というゲームタイトルそのまんまの感想が、しかしながらぴったりと自分の感動を言い当てているのだ。具体的にどういうところがと聞いてくる人間には「説明するのは面倒くさいのでお前もやれ」と言いたい。が、そんなこと言っていると言語の役割をぶん投げることになるので、自分なりに格闘する必要があるだろう。

 

自分のなかで一番良かったのが、この世界における「雨」の役割だと思う。これについては、ああ、まさにこれだよなと思える感想を見つけたので共有したい。

 

「雨が嫌」な世界が好き!
目的地に行くため、気になる場所へ行くために天気予報なんか気にせず夢中に冒険している。
そんなときにポツリポツリと雨が降ってくる。
このゲームの雨はあまりメリットが無い。壁も登れず火も消える。雷が鳴れば金属の装備は着れない。
だから雨が降ると「降ってきた」とか「あぁ雨か……」と思うようになる。
でもその「あぁ雨か……」の感覚が現実の雨に対するそれと似ていると気が付いた時、ハイラルがより近く感じられた。本当に世界がもう一つあるような感覚がした。

公式サイト「冒険者の声」より(スミスさん 33歳 男性)の感想を引用

https://www.nintendo.co.jp/zelda/voice/08.html

 

このゲームをプレイしていると、本当に「雨が嫌」になる。

現実世界の雨と言えば、傘を差さなければならない、濡れる、鬱陶しい等々マイナスなイメージしかないのだが、同時に雨に濡れた身体的な感覚を想起することはないだろうか。べっちょりして「うえっ」となる感じ。そのレベルの質感の「嫌」を、この世界では体験することができる。ゲームの世界なのに、「雨って嫌だよな」と感情をもって思えるようになるのだ。理由についてはスミスさんが書いてくれているとおりである。壁を登りたいのに、雨だから登れない。火が消えたから時間をつぶせない。じゃあどうするかといえば、ゲームを放置し、ハイラルの雨の音を聞きながら現実世界で読書をするのだ。まさに晴耕雨読である。

他の魅力は、言うまでもなくマップの広さとアクション性にあるだろう。どこまでも広く、どこまでも行ける。普段が徒歩なだけあって、パラセールを使って遠くに滑空するのは非常に気持ちがいいし、同じ理由で馬に乗るのも気持ちいい。常に視界が開けていることもあり、開放感がすごいのだ。さらにすごいなと思ったのが、序盤から「すべての力を使える」点にあるだろう。すべてというのは、普通ストーリーを進めて手に入れるような圧倒的な力や、先に述べたパラセールという移動器具のことである。それらをチュートリアルで身に着けることになる。だから、最初から万能感に包まれて世界を見つめることができる(それは子供のころに自転車に乗って、初めて見た世界の景色と似ている)。そしてマップの広さと、自分がこの世界の隅々にまでアクセスできる事実に感動するのだ。それを支えているのが、極端に少ないメインミッションでもあるだろう。このゲームで要請されることは以下の3つだけである。

ガノン討伐」「四体の神獣を解放せよ」「記憶を取り戻せ」

たったこれだけの、かつアバウトすぎる要請を前にしたプレイヤーは何をするか。

寄り道である。

あの村に行けと言われる。一生懸命に敵を倒し、先を急ぐ……いや待てよ。あれはなんだ。道中で雰囲気がよさそうな森を見つける。油断しているイノシシを狩る。あ、あそこの石が怪しいなと思いコログを見つける。崖に出くわせばとりあえず登ってみる。敵がいるから迂回する。塔が見えるからあそこまで歩いていく――。

そのすべてのアクションに、自分の完全なる意思がある。何度も言うがゲームから指図されないのだ。ストーリー上、一刻も早くゼルダを助けなくてはいけない。でもそれはそれ、これはこれである。思う存分に寄り道を楽しんで、そういえば何をしなきゃいけないんだっけと困惑することもある。でも、大抵の寄り道は全部が自分の糧になって、確かに自分を強くしているのだ。それがハートの器として可視化されるのもうれしい。寄り道が本筋であるゲームは、ハチャメチャに楽しいのだ。

だから、今日その寄り道が、ついに物語の終わりと結びついていることを自覚したとき、途方もないため息が出た。長い長いモラトリアムを終えたようで、自分の選択でこの自由を失うのかと思うと、かなり苦しいものがある。

けれど、そこまで進めるともう自分は「自分」ではないことを知る。「我こそは厄災ガノンに蝕まれたこの世界を救える、たった一人の勇者なのだ」という自覚が芽生える。笑い話ではなく本当に。それが、ゼルダとの記憶を取り戻すたびに、英傑との記憶をたどるごとに自分の記憶として刻まれていくのだ。特筆すべきは英傑ミファー……と言いたいが、やはりここは王女ゼルダと英傑リーバルだろう。

彼ら二人がリンクに何を思い、何を託しているのか。どうしてリンクは100年という時を経て、ハイラルの地に目覚めたのか。そこには綺麗な英雄譚などではなくごくありふれた人間関係が、けれども勇者の物語が敷かれているのだ。

ハイラルで世界を歩く時間に比べて、メインストーリーに触れる時間はごく短い。しかしその短さこそが、100年に渡る勇者たちの物語が果てしない密度を持っていたことを示すのである。

 

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド。

100年前に死んだ4人の英傑と、「今」に残されたリンクが野生の息吹に触れる物語です。

興味がある人はぜひプレイしてみてください。

 

www.nintendo.co.jp