新薬史観

地雷カプお断り

祖父、亡くなる。

 

いつか亡くなるとは思っていたが、まさか本当に呼吸が止まるとは思っていなかった。ガリガリの両胸に付けられていた電極を頼りにする心電図はアニメのようにピーとは言わず、ずっと平坦なままだった。医者も滞りなく作業を進める。先ほどからずっと脈がとれないと言う。懐中電灯で眼球を照らしては、瞳孔散大・対光反射の消失を確認していた。2018年10月号のNewton「死とは何か」特集で読んだことがある「死の三兆候」の確認が目の前で行われていて、奇妙な心地がした。理論の実践とまでは言わないが、本当にこうやって人は人の死を確認しているんだという新鮮な気付きがあった。瞳孔の確認は、反射を司る脳幹機能の確認だ。まだ脳幹が生きていれば植物人間に分類されるはずであり、けれどもそれがないので、祖父は死者となる。

 

深夜に呼び出され、目の前で死亡判定が行われて、病院から帰ってきた。今はこうしてノートパソコンと向き合っている。両親は今頃葬儀屋と相談しているだろうが、自分は孫という近いのに近くない関係であるために、この場を切り盛りできるわけでもなく、時間と感情を持て余している。たまの親戚の集まりに、隅っこで三角座りをしているようだ。なかなか寝付けないので文章を書いている。

実は自分が生まれてから、二親等の関係にあたる人間は誰一人として死んでいなかった。これはなかなかすごいことで、気持ちとしてはすべての歯が生えそろっている小学生の心持ちに近かった。それが今日欠けて、ようやく歯は抜けるものだという認識が植え付けられたような気がする。死んだ祖父の黄色い手を握る祖母の手もまた骨張っていて、自分の健康な手と見比べると、どちらも同じ死者の手だった。けれども祖母はまだ生きていて、髪の毛は真っ白で杖が無くては歩けないほど弱り切っているとはいえ、その手は温かい。

死んだばかりの祖父の手は、徐々にぬるくなり、本当に冷たくなっていた。

 

祖父との思い出はそこまで多くない。けれども今でも鮮明に思い出せる2つのシーンがあって、きっと最近の光景も死の薫りに纏められて、そのなかのひとつに加わるのだと思う。

一つ目は船釣りの記憶だ。祖父は釣りが好きで、自分の船を持っているほどだった。もっともその船は維持費が大変で、自分が高校生になる頃には生活費に変わってしまったのだけれど。とはいえ小学生の時に船に乗せてもらい、イシダイを釣りに行った記憶はずっと喜びの記憶としてインプットされていて、途中で祖父の気分が悪くなり、海の上で嘔吐していたところまでセットで覚えている。

二つ目は自分が大学に合格したことを伝えにいった時のことで、その大学は第一志望ではなかったのだけれど、合格通知を見せると祖父は無言で涙を流していた。恐らく喜んでくれていたのだと思うのだけれど、それが自分が見た最初で最後の祖父の涙だった。

最期の三つ目に加わるのがベッドに横たわった祖父の姿で、死亡判定を受ける祖父の姿だ。数年前から何度も死ぬぞと言われて、そのたびに回復してきた。自分は死にかけの無言の祖父しか知らないのだけれど、両親曰く「まだ死ねない」が口癖で、コーヒーが好きで、ベッドのうえで飲んでいる時間が至高なのだと笑っていたという。

 

そういえば、家で飼っているポメラニアンにも逢いたいとこぼしていた。そのためには回復しないといけないねと兄弟で話しかけると、無言で頷いていた。

ここ最近まで、祖父はまだまだ生きたかったはずなのだ。ただ、これまでずっと掴んでいた死への恐怖や生への執着、恐らくはその両方を、つい最近になってパッと手放してしまったように思う。祖父は一週間前に「もう回復できない」とぼんやり諦め始め、急激に血圧が下がり、今日の零時に亡くなった。あっという間だったと医者は話す。

 

正直なところ、ここまで書いてさえもあまり悲しみの感情が沸いてこない。まだ他人の死が実感できていないだけかもしれないが、しっかり認識してさえも、自分は祖父の死に涙を流せない気がする。

弁明するわけではないが、自分から見た祖父は本当に無口で、何か話しかけても頷くか否定の無視をすることが多かった。だから祖父が自分の合格通知で泣いた時は心底驚いたし、自分の知らないところで雄弁だった、生に執着する祖父もまったく想像がつかないままだ。祖父の人間としての厚みを正確に知ることができないまま、自分は祖父と別れてしまった。ここで後悔できるような人間なら素晴らしいのだけれど、どうにも自分にはそういう感情は希薄で、代わりに「これは将来の自分の姿だ」という死への恐怖が勝っていた。動かない祖父の死骸に祖母を重ね、父を重ね、母を重ね、自分を重ねて悲しくなった。「今度は自分の番だ」という恐怖に押しつぶされそうになっている。祖父はなぜ「まだ死ねない」という意志を手放してしまったのだろうか。生を諦めてなお、死は怖くなかったのだろうか?

その答えを聞きたいのに、もう既に祖父は死んでいて、きっと生きていても尚、自分には何も言葉を返してくれないのだろう。そう考えると祖父はまだ死んでいるとは言えないんじゃないだろうか等とつまらない詭弁を並べながら、火葬までの時間は刻々と迫っている。