新薬史観

地雷カプお断り

ここ数ヶ月の視聴コンテンツ感想まとめ

全然作品の感想は更新してなくて、もう一生「居酒屋記録」以外は更新しなくてもいいかなと思ったのですが、この前「映画の感想楽しみに読んでいます」みたいなマシュマロをもらったので更新しようと思います。ほとんど漏れはないと思う。多分。

 

 

星5(ガチで大事にしたい作品)

志水 淳児『映画 トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!』(2021)

本当に良かったのでいろんな人に観て欲しいです。

negishiso.hatenablog.com

濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』(2021)

これも本当に良かったのでいろんな人に観て欲しいです。11月9日現在の、2021年ベスト1映画は間違いなくこれです。脚本構成映像演技、あらゆるものが抜群に良くて頭がおかしくなった。マジで気が狂う。このためだけに『月刊シナリオ11月号』に掲載されている脚本を取り寄せました。舐めるように読んでいます。

原作は村上春樹『女のいない男たち』という短編集で、このうち数編がしっかり下敷きになっているのだけれど、村上春樹の香りを残しながら全く嫌味のない洗練された脚本になっているのがとても面白い。これはあまり適切な例えではないと思うのだけれど、ある匂い物質が希釈濃度によって違う香りになるのと似ているように思う。つまり、村上春樹の所謂「やれやれ感」が、濱口竜介監督によって希釈され、この映画の題材である「セルフケア」に相応しい寂寥感になっているのだ。自分はそう思う。

この映画は「正しいタイミングで正しく傷つくこと」を視聴者に推奨する。セルフケアとはつまり、かつての傷口を見過ごさないことであり、見過ごしてしまったものに目を向けることでもある。これらは非常に難しいことだ。なぜなら、男女平等社会になりつつある昨今、男を守っていたものや女を虐げていたものが明らかになり、徐々に人々の属性から性別が剥がされつつあるなかで、日常生活における「傷」を性別のせいにできなくなるからである。「傷」を性別のせいにするということは、社会構造の二項対立に自らの身を置くことであり、味方と敵を生み出すことである。そのコミュニティによって「傷」はしばしば指摘され、慰められる(あるいは「無かったことにされる」)ことで、ケア自体は成立していたのがこれまでの社会だった。ところが性別の二項対立に身を投げることが愚かしい行為であると分かった人間は、自分の立場を決定できないまま、孤独に生きることになる。それゆえに他者に傷を指摘されることが難しくなり、セルフケアのタイミングを失うというのが、この映画の背景だと自分は勝手に思っている。本作は演劇も重要なテーマを占めているが、主人公のひとりである家福は「役に呑み込まれるから」と言って、自分から舞台に立つことを避ける。これは二項対立とは言わなくとも、自分の立場を固定化することへの忌避感の表れだと考えている。

と、ここまで書いてもこの映画の1/100も語り尽くせていないのが恐ろしいところで、自分自身ももっとかみ砕くためにも何度か観返そうと考えている、底の知れない恐ろしい映画です。3時間あるけれど、まったくその長さを感じさせないとてつもない作品。超オススメ。

 

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン』(2003)

ここだけの話、ジョジョシリーズはほとんど星5の面白さなんですけれど、ここまで全シリーズ作品が面白いの本当に意味が分からない。何故?何故このような漫画が描けるの?

6部で一番好きなスタンドは「ヘビーウェザー」で、名前のかっこよさだと「C-MOON」が良かった。一番好きなキャラはエンポリオ少年です。ラストが良すぎたので。

頭脳戦としての面白さはそれなりにあったのだけれど、ジョンガリAの「マンハッタントランスファー」あたりの二重構造や、ミューミューの「JAIL HOUSE ROCK」、ウンガロの「ボヘミアン・ラプソディー」やヴェルサスの「アンダーグラウンド」など、異世界と現実を揺さぶるスタンドが多いのが気になった。このあたりは現実と妄想、肉体と精神という二極化された世界のなかで、精神だけを加速させる「メイドインヘブン」もそうだが、とにかく片方を揺さぶったり境界を揺さぶることで物語って結構面白くなるんだなという気付きを得た。まあ、ここまで多様な手で展開を作ることなんて一般人には不可能なのですが……。

これ以上のネタバレはしたくないので、これまでのシリーズの好きランキングを発表して感想に替えさせて頂きます。

4部>3部>5部>6部>1部(ここまで星5)>>2部(これは星4)

ちなみにいま7部を読んでいるのですけれど、序盤はあんまりだったのが、スタンドが出てきたあたりから徐々に面白くなってきました。ジョジョだけに。

 

赤染晶子乙女の密告』(2010)

これものすごく良かったです。知り合いから譲ってもらった本で、アンネの日記を題材にここまで面白い話が書けるのかとびっくりした。

そもそも乙女の定義が良い。

噂とは乙女にとって祈りのようなものなのだ。噂が真実に裏付けられているかどうかは問題ではない。ただ、信じられているかどうかが問題なのだ。信じることによってのみ、乙女は乙女でいられる。

これは本当にそうだというか、自分の考える百合にも繋がる要素がある。つまり乙女という存在は、現実の人間が抱く考えとは別な考えで生きる者なのである。それは男尊女卑の社会で女学校という「弱者」だけで構成される「強者」のいない国で育まれる独特の文化であり、まちカドまぞくの「まちカド」、宮沢賢治の「恋愛」に類似するものがあると思う。

真実は乙女にとって禁断の果実。乙女の美しいメタファーは真実をイミテーションに変えてしまう。乙女の語るイミテーションは本物に負けないくらいきらきらと輝く。

乙女の国では、真実は意味をなさない。噂こそが連帯感を生み、一方で噂はスケープゴートを必要として、スケープゴートになったものは乙女でなくなり、「他者」となる。

主人公のみか子は、この原理に基づき、(敬愛する人を信じたいがあまり)真実を知ってしまったがゆえに他者から密告され、乙女から弾かれてしまう。

この「現実」の作用が、アンネ・フランクの「ユダヤ人捜し」のかつての状況と重なる。つまりユダヤ人であるという真実を、誰かによって密告された点において。あるいは、生存するためには、ユダヤ人であるという「真実」を隠さねばならないという原理において、アンネは乙女にならざるを得なかったのである。

ここでタイトル「乙女の密告」であるが、密告とは真実を知らなければできないことであるのに、乙女は真実を知ってはいけない生きものであるという矛盾が表現されたものであることが分かる。格好良すぎる。

ドイツ語を忘れ、忘れた言語が貴代という人を乗っ取ってしまった。形も記憶もないものに乗っ取られている。日本語が自分を侵食し、母国が自分を摩滅させる場所になっている。

このあたりの転倒した言語感も素晴らしい。本来であれば母国である日本が、貴代の身体の一部であったドイツ語を思い出させないようにするので、アイデンティティが揺らぐことになるのだ。本来日本人ではない人間が「私は日本人です」と日本語以外で語っても説得力がないように、外見が一般的なその国の容貌から離れている場合は、その国の言語で語らなければならない。そこにしか国と人が接続される部分がないからだ。

そして、所属する国がどうこうという話は他者によって決められるものだから自分だけでコントロールできるものではないものの(国とは個人で成立するものではない、乙女の噂も、個人で生まれるものではない)、自分の「名前」だけは他の誰からも奪われない資産なのである……と書きたいが、書けないのが難しいところだ。

なぜなら実際にユダヤ人は名前を剥奪され、「ユダヤ人」という名の「他者」に均一に認識されるようになったし、アウシュビッツでは名前の代わりに「番号」が与えられたからである。これらは当時の団結した市民の「密告」によって果たされる。まるでみか子の住む乙女の国のように。

名前とは「他者」を自分と同質のものであると理解するための第一歩であり、ここを損ねると「他者」になる。二次創作で名前を間違えている作品を読んでもしっくり来ないと同じなことだと思うし、現実で名前を名乗らない人間に入り込みにくいのも同義だと思う。それを逆手にとってユダヤ人から名前を奪い取った施策は恐ろしい。また市民という括りでユダヤ人からの非難を圧力の分散のように逃れようとした市民の汚さも浮き彫りになる。密告をするためには、真実を伝えるためには「乙女」にならなければならない。アンケート用紙に記入するときは、基本的に匿名希望であることを私たちは望んでしまう。自分の名前を書かなければならない場合、私たちは本当の意見を歪ませて美辞麗句をならべがちだ。

このように、「真実」と「名前」にはトレードオフの関係があり、実際には達成されにくい問題であること、人間とは時と場合によって簡単に名前を失う存在であることを明らかにした本書と、そのタイトルはあまりに秀逸だと思う。そしてまた、アンネ・フランクとはその困難に立ち向かい、奪われたユダヤ人の一人ひとりの名前を取り戻そうと模索し、自分の名前を決して忘れなかった点において見習うべき人間なのだ。

というように、内容だけでも満点な作品なのだが、そのうえに話の展開が熱すぎて、まるで小説版『セッション』を読んでいるかのような感覚に浸ることになった。ラスト数ページのスピーチコンテストにおける圧倒的な熱量は異常だし、みか子の語る言葉、物語の締めくくりなど、最高のエンタメ作品として成立しているのだ。正直読まない手はないと思う。譲ってくれた某さん、ありがとうございました!

最後に文章表現として好きだったものを共有します。

何気なく開けた冷蔵庫の中が京都の家の中では一番明るいのだ。

 

星4.5(めっちゃ面白い作品)

押井守うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984

見栄を張るために観たことにしていた作品のひとつなのですが、先日の押井守作品オールナイト上映で、映画館で観ることができて良かったです。

内容としてはおったまげたというか、とある文化祭からここまでえげつないストーリーに持って行けるんだと感動しました。映像の構図も奇抜なのに美しく受容できるものが多く、如何に当時の押井守のセンスが異次元だったかを知ることができて良かったです。今更だけれど、まどマギの叛逆とかあそこらへんの下敷きにもなっているんですね。マジで知りませんでした。お恥ずかしい。最後の流れが明らかに蛇足だったのでそこだけが個人的に惜しい作品でした。押井作品だけに。

 

濱口竜介『ハッピーアワー』(2015)

これも非常に良かった作品。「不倫」ってなんでするの?というのが根底にあって、その上に4人の女の友情が寝転がっている作品。この友情はとても不安定で、当たり前だけれど4人にはそれぞれ異なる人生があるから、重なったり離れたりを繰り返す。重なるのも離れるのもそれぞれの「家庭」が原因で、家庭内の不和が4人の友情という「外」に持ち出されることで混沌とした状態になる。「なんで不倫なんてするんだろう」と不思議がる女性と、それを自ら実践する女性。不倫をする原因は、つまるところ「結婚したら自分が女であることを忘れさせられるから」だ。女にとって、自分が「女」であることを忘れることは非常に苦しいものである。なぜなら「女」であるというだけで家庭も社会も重みを与えてくる癖に、その重みを逃がす場が、同様に重みで歪んだ女性同士で話す時間しかないからである。この時間こそが重い家庭から逃れることができる唯一の「幸福な時間」であり、重みがあるからこそ、結婚してもなお自分が「女」であることを実感することができるのである。この幸福な時間を守りたいからこそ、参加する女性は参加するに相応しい人間であるために「嘘をつく」。この「嘘」は自分をわざと重くするためのものであることが殆どなのだが、この重みが他の人間にばれた場合は、嘘が露呈するために友人関係が崩れる――という非常に複雑な人間関係を描いている。

この映画のベストシーンは、駅のホームにいた女性が、電車のドア付近に立っていた知り合いの男性の手を思わず掴んでしまい、男性と一緒に次の駅に揺られていく様を友人がぽかんと眺めるところだろう。一番驚いているのが、男性の手を掴んだ女性だというのが面白い。自分は人間関係エアプオタクだが、恐らくそういうものなのだと思う。人生の分岐はあるとき突然に訪れるのだ。

ドライブマイカーを星5としたときにやや物足りなさを感じたので星4.5とした。

 

ディヴィッド・リンチ『エレファントマン』(1980)

純粋に感動する作品。ディヴィット・リンチと言えばイレイザーヘッドやロストハイウェイ、マルホランドドライブなど一見受け入れ難い作品構造を持つイメージが強かったのですが、この作品は実際に19世紀のイギリスに存在した、「エレファント・マン」と呼ばれた青年ジョゼフ・メリックの半生を描いたもので、作品構造も時系列に沿った展開をする感動作。実際にいたら恐ろしい容貌というのは確かにあって、そのような人が生きるためのサーカスという受け皿があるのだけれど、見せ物として売られているからといって全人生がサーカス団長に握られていいわけがないし、権利が発生しないわけがない……というのが今の人の倫理観だと思うけれど、倫理観は人が作るものなので、「気持ち悪いし知性もなさそうだからお前に人権なし!」と当時の人々が認めることも全くおかしくない。この映画では人々の倫理観がどのように変わるか、何がきっかけでエレファントマンが世間に認められるようになるのかが丁寧に描かれており良かったです。やはり「人である」と他者に認めさせるためには「自分の言語」を話すことが非常に肝要とされそうだし、今後のAIにも応用できそうな理論だと思いました。おすすめです。

 

深作健太『エクスクロス 魔境伝説』(2007)

あまりに面白すぎて気が狂いそうになった。個人的にあまり信用できないB級ホラー映画を勧めてくる知り合い(グリーンインフェルノとかMr.タスクとか武器人間とか)にオススメされた作品で、今作もそんなもんかなと若干身構えて視聴したのだが、上にあげた作品とは大きく違い、圧倒的な傑作だと自分は感じた。作品構造としても2人の主人公の視点が返し縫いのように繰り返されているし、それによるミステリもそこそこしっかりしている。何より特筆すべきはぶっ飛んだ設定で、いちいち各キャラの設定が面白い。まず、車で轢かれそうになったゴスロリ女が手をピースにして「チョキチョキチョキ……本当の地獄がどんなものか……しってるぅ? チョキチョキチョキ……」と呟きながら何処かに去って行く冒頭を持つ映画が面白くない訳がない。そもそも本作の舞台である「あしかり村」で起こる惨殺事件に、このゴスロリ女は一切関与していないのに、しれっと物語に組み込まれるところは最高で、スマブラ淫夢)の蔑称で知られるゲイポルノビデオ『ストーカー 異常性愛』(第1章)の展開にゲラゲラ笑える人間には絶対にオススメの映画だと思う。脈絡の無さ、ギャップという異化効果がここまで綺麗に結実している作品はないのではないか。一番の見所は間違いなく「ここ!」というのがあるのだけれど、それは是非視聴時の楽しみにとっておいて欲しい。絶対に笑う。

 

宮崎吾朗『アーヤと魔女』(2020)

これ、本当に傑作だと思います。哀しいことに宮崎吾朗といえばつまらん映画をつくる人、というイメージが付いているっぽいが、全然そんなことはない。寧ろこんなに面白い映画が作れる人なんだと自分は心底感動した。物語自体は完全に途中でおわっているのだけれど、それは原作が作者の死によって終わっているからで仕方がないところがあるし、自分は絶対に続編を作ってくれるものだと信じている。この面白さで続編を作って欲しい。頼むよ~。子供が親によって支配される環境から脱却する様を観たい人には是非お勧めしたい作品だし、母親役と父親役のキャラのパワーバランスが良く、父親がそれなりにアップデートされた価値観を持っているので、子の権利の搾取を問題意識に持っている人でもギリギリ不快に思わない絶妙なラインを攻めて成功しているように思える作品。宮崎駿もこの作品は認めたそうなので、まずは一度観て欲しいです。

 

春本雄二郎『由宇子の天秤』(2020)

なかなかに良い映画でした。考え得る限り正しい選択をしているはずなのに、いつのまにか袋小路になっている絶望感が最高で、ラストの長回しの時間配分は一級品。由宇子が人の嘘を破ろうとする際にカメラを構えて映像を撮ろうとするのが面白くて、これは「映像=フィクション」というオタクが持ち出しがちな構図から、ドキュメンタリー番組のDである人間の手にかかれば「映像=記録、証拠、真実」という意図も込められることを意味している。実際はそう単純ではないのだけれど、由宇子がそう信じているのだから観客もそう感じるし、ここは新鮮で面白かった。人間は誰しも嘘をつく存在なので、真実がどのようであれ、人間にかかれば簡単に歪ませることが出来る。ただそれを前提に話が進み、新たな人間関係が築かれていくことで、人は大小なりとも罪悪感を抱くことになる。その後のことを考えると、バレる可能性がある嘘なら付かない方が身のためだし、一端騙そうと決めたのならバラさずに墓場まで持って行くべきなのだが、そこは良心の呵責の問題になるわけで、恐らく人の良い人間には前者も後者も不可能なのだ。宙ぶらりんの気持ちのまま、考えられるかぎり最悪なタイミングで「実は……」と真実を語ることになる。タイトルにもある「天秤」とは言い得て妙で、不安定にぐらつく天秤は、些細なことがキッカケで(それは衝動的であることが多い)簡単に高低が入れ替わる。傑作だと思いました。

 

内藤泰弘トライガン・マキシマム』(2007)

これね~流石に面白かったですね。絶対に人を殺したくないガンマンという勝ち設定があるのもそうなのだけれど、特筆すべきは洗練された台詞の良さだと思います。

以下お気に入りの台詞を羅列。

交渉に出向いた保安官も鉛玉で体重を2割増やして戻ってきた

運命の犬は血と硝酸の臭いをかぎつけるのが得意らしい

ぬるりとした血の感触を憶えている
最初は打撃やった
次の瞬間ゴツい壁が顔面にぶち当たり それが床だと理解するのに数秒かかった
強烈な力が叩きつけられたと思ったら
体が自由に動かず手は力なくイモ虫の様に絨毯をかく
やがてわき上がる 熱の様な痛みの奔流
ごっつい喪失感に体が一気に冷たくなっていく

秋山瑞人?って思っちゃった。死を察した描写があまりに良すぎたので。1文目と2文目のシームレスかつショッキングな映像!そこから連続する表現のうまさよ

祈りながら頭に二発、心臓に二発

乙女心の分からないウスラなんて死んだ方がいいと心底思います
私は/そのひ/一日じゅう/泣きました

これとか「その日一日中」を「そのひ/一日じゅう」に開いているところで顎が外れそうになった。前の文の「死んだほうがいいと心底思います」のキツい言葉&丁寧語のコンボから、「そのひ/一日じゅう」で一気に幼さを表現している。この取り繕った少女の痛々しい感情をこんなに生々しく表現できるのかと感動した。マジで。

色々期待しすぎだよ…
何の土産も持たずにこの世に生まれたクセしてよ……

これは本当にそう。こんなにかっこいい人生への諦念の表現ってあるんだ。

もしもそうなったら僕は急いで逃げよう
そしてまたほとぼりがさめたら 静かに寄りそうよ

これね。人間に好意のある人外として100点満点の台詞だと思う。人間は愚かなのに、それに対しては「急いで逃げ」てくれるんですよ。こんなに優しい表現あるかよ。

暴力は受けた側からしかその本質を語れない
これは全てを公平に戻す戦いなのだよ

あいつは一度も言い訳をせえへんかった

全く損な子だねえ
理想が高いくせに融通が効かなくて傷つきやすいんだから
一人だといろいろ手に余ってきたじゃないか

これガチ泣きした人100億人いると思うんですけれど、書いている今も泣きそうなんですけれど、本当に良すぎるんですけれど……。

両手いっぱい抱えて何ひとつ手放せへん
駄々っ子のヘタレが…!!

不思議な男に会った
懐にづかづかと入ってきたかと思えば深い所で意見が真逆に対立した
そういうのに俺は慣れていたが
だが彼の中ではどうだったのだろう

あの時知ってしまったのだ
更に深い所でこの男が自分とひどく近しい事を
「大切なもの」
「それを守ろうとする時の意固地さ」
だから思ったのだ
全てやりとげた明日をこの男と共に分かちあいたいと
……そうだろう?ウルフウッド

これの何が良いかって、最初はウルフウッドのヴァッシュに向けた言葉かと思うんですよ。けれどもページを読み進めて、最後の最後にヴァッシュの言葉だったことを知る。これに仰天した。これまでヴァッシュが他人に向けた精神というのはあまり描かれていなくて、基本的にレムとナイブズにしか向けられていなかったのが、ここにして(恐らく)初めてウルフウッドに向けられた感情が描写される。その後の展開を考えるとボロ泣きするしかないという美しすぎる台詞。

無知のまま ただ…
引き鉄を引く傲慢さを…
俺は断じて許さない

結局ラストはこの台詞で、物語のテーマのひとつでもある「他者との生活において暴力をどのように避けるか」という解答が描かれている。このあたりは後に語る『暴力の哲学』とも重なる部分でもあり、地雷カプのオタクとの付き合い方にも反映されていると思う。要するに異種間の共存には「対話」が必要だということで、頭から恐怖に苛まれて引き金を引くのは楽であり「傲慢」でもあるというお話。

で、ここまで感動していて何故星5じゃないのかと言うと、結局圧倒的に悪い人間側がプラントに謝罪して終わりになったところで、その後の代替策が一切描かれていなかったところに物足りなさを感じた。このままではまた人間がプラントを搾取してしまう。実際に人間は常に他の生命を犠牲にして生きているので、そこから目を逸らすつもりはないのだけれど、実際に家畜や植物から反乱をされたとして「謝罪」しかすることがないのかと考えるとそうではないはずだし、彼らが物を言うなら耳を傾け、それこそ「対話」をすることが必要なはずである(ドナー制のように慈悲深い豚からのみ死後に豚肉としてたべさせてもらうとか)。少なくとも自分はそう思う。

 

榎本俊二『えの素』(2003)

マジで天才。「○○屋」の開発、多様なテンプレートの構成、突き抜けた下品さ。もはや何も言うこと無い。絵が上手いし展開も凄まじいしスピード感は異常だし、葛原さんは可愛すぎる。最高のギャグ漫画。

ただ、これを星5とするにはあまりに下品すぎるので星4.5にしました。

 

和山やま『夢中さ、きみに。』(2019)

シリアスな漫画かと思っていたのだが、かなり面白めの落ち着いたギャグ漫画短編集だった。誰かが誰かに「夢中」になる様子が様々な角度で書かれていて、そのどれもがなんでもない学校生活の延長線上にあるのが素晴らしい。作者は在学中に書いたのか、と感じるような学校の日々を想起できる。同作者による『女の園の星』も良かったです。未完なので感想を書くのは保留。

 

星4(友人に積極的に勧めたい作品)

リドリー・スコット『最後の決闘裁判』(2021)

リドリースコットといえば『エイリアン』や『ブレードランナー 』、『テルマ&ルイーズ』などで有名だが、その最新作ということで視聴……

するつもりはなかったのだが、押井守トークショーで「どうしても劇場で観て欲しい作品」として挙げていたので観に行った。

結論からすれば観に行って良かった。本作品は3部構成で、パク・チャヌク『お嬢さん』のように視点の切り替えによって物語の根底を覆すような大胆な構成がなされている。この時点で面白いのだが、お嬢さんが客観的事実を描いてミステリを描いていたのに対し、本作が描いたのは主観的事実による各々の人間にとっての「真実」だった。特に作中のレイプシーンの表現は顕著で、主観は如何様にも歪ませることができる好例として取り上げることができる。この物語は声をあげることが出来なかった女性を中心に物語が構成されているのだが、当時は「声をあげる女性」という概念がなく、女性は男性の所有物できかなかった。女性がレイプされたことは、女性ではなくその妻を犯された男性の被害ということになり、被害女性の「所有者」である男性と、その犯人との戦いになる。この時点で女性が観るのはキツい話なのだが、さらに面倒なことに、議論で決着が付かなければ命を賭けた決闘を行う事になる。もちろん男がだ。そのため女性は名誉ある男性のどちらかを殺すかもしれない「加害者」として描かれてしまう。お前が泣き寝入りしていればこんなことにならなかったのに、と姑にも嫌味を言われるのだ。女性は被害者から加害者へと華麗に転身することになり、しかも自分の貞操の話であるのに、肝心の裁判は男同士の決闘に落ち着く。これは「神は正しい方に味方する」との信念によるものだが、女性はどうすることも出来ず、裁判の「傍観者」として戦いの流れを見守ることしかできない。つまり、内部から外部へ押し出されるかたちとなり、レイプされた女性はこの世界のどこからも居なくなってしまうのだ。

序盤は退屈だしちょっと寝てしまったが、2部からはちゃんと面白くなるし、テーマもしっかりしていた。女性が観ても明らかにおかしいものを見せられて不快になるだけだと思うので、生来的に加害者の側に立っている男性が観るべき映画ということだろう。とはいえ、テーマさえ理解していれば深刻に考えるまでもなく(正直、これもある種のSFである。男性は適切に自分の立場を見直す必要があるが、それ以上に反省したところで得るものがない)、ラストの決闘シーンの美しさと同居する間抜けさを複雑な感情で眺めればいいと思う。面白い映画でした。

 

濱口竜介寝ても覚めても』(2018)

『ハッピーアワー』同様、人間の欲望を丁寧に描いた良作。麦という「理想」に人はどのように振り回され、それによって他の人間もどのように振り回されるのか。物語は最悪な形で展開するが、それが作品の強度になっていて良い。作品のレビューでは現実での不倫問題もあり、それが作品の評価として跳ね返っているせいでかなり低評価なのだが、面白い作品だと思う。もちろん、作品中の不倫は万人が受容できるものではないだろうが、個人的には「昔からずっと憧れていた職業からのオファーが突然来た」と換言すれば理解できるので、きっと恋愛もそのようなやりとりがなされるものなのだろう。自分は良い意味でも悪い意味でも、特定の個人をそこまで束縛したいと思ったことがないために、仮に恋人が出来たとして、その人が不倫をしても(そりゃ哀しいけれど)そうなんだで済ませてしまいそうな気がする。一方で、それは良くないと言うのが濱口竜介村上春樹の共通見解で、人はその時々でしっかり傷つきセルフケアをしたほうが良いっぽいので悩んでいる。これが後天的な精神・自己肯定感の歪みによるものなら直したいし、先天的なものであればそのままでいいかなと考えている。自分語りになってしまったが、自分ならどうするかということを考えるのに良い映画だと思う。理想は掴むものか、観るものか、という問題も含めて。

 

英勉『東京リベンジャーズ』(2021)

観たい映画と映画の間にちょうど合ったので暇つぶしに観た映画だったが、素直に面白かった。無力な人を一方的に虐める暴力ものは好まないのだけれど、「女子供は殴らねえ、身内だけで殴りまくるぜ」という共通認識でなされる暴力は、新たな倫理のかたちだし、両者の合意によってなされる暴力なので良かった。「俺たちは一般社会には馴染めねぇからよ」と土手で黄昏れるのも青春していて良い。ただこの登場人物たちに欠けているのは、暴力は振るう、振るわれるの二者だけで完結するものではなく、それを観ている周囲の人々にも影響を与えるという視点だ。他人が叱責されているのを聞くと不快に感じるように、(スクリーン越しではなく)自分にも危害が及ぶかもしれない身近な暴力シーンは観ている人を不安にさせ、恐怖に陥れる。つまり暴力団は学校にカチこみに来てはいけないし、五月蠅いバイクで近所を走り回ってはいけない。中高生なのでそこらへんは分からなくてもいいのだけれど、この令和にわざわざ暴力ものを扱うんだから、いい加減テンプレの「俺たちは一般人に迷惑掛けねえ」の基準をもう少しアップデートしてほしいなとは思った。でもそこまで他者のことを考えられる人間がワルをしていたら映像的に面白いことになるので、やっぱり無しかも。

とはいえ、ループ×暴力はかなりレアリティが高い気がするし、最近流行のループ作品に乗れているという点では、しっかりアップデートされている気もする。

キャラの話をすると、マイキーとドラケンの関係が良かったです。謎のインテリ眼鏡君がマイキーに熱い感情をぶつけていてキモくて面白かったので、続きが気になる。

 

吉野竜平『君は永遠にそいつらより若い』(2021)

これかなり性癖に限りなく近いところに刺さったというか、傷跡を「嘘」の軟膏で塗るようなシチュをずっとしたいと思っていたのを、綺麗な映像でされたので発狂しそうになった。とはいえ、この映画は「塗ろうとして辞めた」ところでとまっているから厳密にはネタ被りではないのだけれど、それにしても嘘を出すタイミングは完璧だし、女女の関係だしで素晴らしかった。

とはいえ、物語の構成で気になるところがいくつかあって、最後の方に無駄があるのと、主人公のホリガイを初めとして、人が語りすぎているのが気になった。何度も作中で本人が言う「私、言葉にするのが下手なんですよ。とっちらかったことしか言えないんです(意訳)」というのが一応予防線にはなっているのだけれど、映画で「語りすぎる」ことは致命的だと思っている人間なので、原作の小説ではよいのだけれど、映像にすると自分好みではないものになってしまう。それが非常に残念だった。

とはいえ、話の展開やキャラ設定、人間との距離感は非常に好みなのでよかった。ホリガイさんが「語りすぎる」主人公として良いポジションを握っていて、好みの問題はさておき新鮮で面白かった。

 

ディヴィッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』(2001)

語るのが難しい映画だし、語るのめんどくさいしモチベがない。でも面白いので観てください。

 

得能正太郎NEW GAME!』(2021)

作者がゲーム制作会社に勤務していたこともあり、作中のキャラがしっかりゲームを作っているのが良い。最近読んだ『ハルソラ行進曲』もしっかり工業高校に通って物作りをしていたが、やはりキャラの実在性と作品世界の実在性は不可分なのだろう(もちろん、キャラの説明や設定を丁寧に記述すれば立体感は生まれるが、実在性と立体感は違うものだと感じている)。

今回はようやく漫画を買いそろえて全巻読んだわけだが、アニメ2期までしか観ていなかった自分のなかの「NEW GAME!」が、読み進めていくうちにゆっくりと時計の針が動いていくような心地があり良かった。なかでもラスト13巻に青葉が提出した『FS4』のキービジュアルは圧倒的な説得力があり、思わず呑み込まれてしまった。そして『ドキ文プラス』の圧倒的な商品パッケージも思い出した。そっくりだと思う。これ本当にいいイラストですよね。

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話は『NEW GAME!』に戻るが、作中では結局ガチな百合はコウりんくらいで、ほかはのんびり百合しているくらいなので、百合オタクに積極的に勧める作品ではない。とはいえ、作者がアイカツ!が好きなのも影響しているのだろうけれど、作品の構成が非常にアイカツ!染みていて、佐藤順一作品の『ARIA』『カレイドスター』などでも見られる「同期との絆」「バトン渡し」が好きな人間には是非ともオススメしたい作品。憧れの人との関係、ライバルとの関係、ファンとの関係など、その描写は非常に丁寧なのできっと満足できると思う。傑作でした。

個人的には、青葉ちゃんとひふみ先輩がくっついてくれたら星5でした!(は?)

 

藤野可織ピエタとトランジ<完全版>』(2020)

アンチミステリ・百合SF小説。この本は異性愛規範、性器結合主義に対抗する。実際にピエタとトランジは性行為をしないが一生涯離れ難いパートナーとして表現される。本作はピエタとトランジの出会いから死に至るまでの一生を描いたものだ。死は本作にありふれている。トランジの体質が死を呼び込むものだからだ。何を言っているのか分からないと思うが、コナンや金田一少年のような性質を敢えて逆手に取り、探偵役とは事件を呼び込むものであると宣言する。それゆえに人々はバタバタ死に、トランジは苦労する。しかしピエタはどれだけトランジとくっついていても死なないのだ。あらゆる人が不思議に思う。研究もされる。しかしその物理学的理由や生理学的理由は分からず、ただ死なない。そういうことが許される世界だ。

この物語はミステリ小説のこれまでとその後を書いているような作品であり、肝心の謎解きはほどほどに、基本的にはそれに取り組むピエタとトランジの描写がされる。ミステリを本筋とすると、本作はサイドストーリー集のような扱いとなる。それがこの物語の面白いところなのだ。二人の時間を余すことなく表現しているのに本筋を描かない、つまりミステリと言う固定観念から人々の思考をずらし続ける落ち着きのなさがあり、それがピエタとトランジの関係性、つまりパートナーなのに同性、しかも性行為無しという一見奇妙な関係に対応している。そのマイノリティを肯定するために、構造とキャラ造形と文体が噛み合って説得力を持たせている。ここが素晴らしいのだ。

青春がずっと続けばいいのに、というのは多くの物語で描かれて常に否定されるが、この作品はその常識を否定する。青春時代、友達と性行為をしなくてもサイコーな日々が過ごせていたように、ピエタとトランジはサイコーな青春を老いてもずっと過ごし続ける。

最後に、この物語の核心を集約した文章を引用して終わろうと思う。

私は私以外の誰の意見にも、誰のどんな悲しみや苦しみにも傷つけられることはなかった。あるいはそれは、私には人間らしい心がないということを意味するのかもしれなかった。でも私は自分の選択に満足していたし、満足している自分にも深く満足していた。

この物語は中心を描かないということに触れたが、同時に熱を持ち溶け合うような関係性も描かれない。性器結合は異なる二性、あるいは二者の融合を意味する。そこに優劣を見出すわけではないが、性器結合を求めるのは他人に傷つけられ、傷つくことができる人々ではないか、というのが自分の考えで、特にピエタはその条件を持ち合わせていなかった点で、自然とトランジとの生活を選ぶことになった。その生活はトランジがいれば満たされるが、トランジがいない自分のような人間が突き進むと孤独に終着する恐ろしさがある。最近は、その孤独とどのように折り合いをつけていくのかが専らの関心事だ。

 

村上春樹『女のいない男たち』(2014)

村上春樹作品の中でもかなり上位に位置する作品となった。好きです。相変わらず比喩がバチバチに効いているのもいいし、「女のいない男たち」というテーマに沿って書かれた物語は、どれも自分のための物語のような気がして助かる。独身男性にオススメの短編集です。

やはり『ドライブ・マイ・カー』の原作だけあり、その核となる部分(本当に他人の心を覗くことなんて不可能で、それを盲点と言うなら誰しも同じような盲点を持っている。それを解決するには自分の心を努力で覗き込むしかない、傷つくべき時に傷つくべきだった等)がしっかりと描かれているのは良かった。ただ、これらの作品をひとつにまとめて昇華させた濱口竜介はやはりすごくて、実際にこの短編集だけを読んでも、『ドライブ・マイ・カー』を観た時の感動は得られなかった。当然と言えば当然だけれど。

また、ここに収録されている『独立器官』は後述の「女性学」という概念と接続されるし、表題作の『女のいない男たち』は青春マゾとして語ることもできる。語るモチベがないので自分は語らないが、語りたい人はどうぞ。

以下、好きな比喩・文章

音楽が、ある決まった和音に到達しないことには、正しい結末を迎えられないのと同じように

二種類の酒呑みがいる。ひとつは自分に何かをつけ加えるために酒を飲まなくてはならない人々であり、もうひとつは自分から何かを取り去るために酒を飲まなくてはならない人々だ。

侵食によってなくし続けたものを大波に根こそぎ持っていかれるみたいに

行き場のない魂が天井の隅に張り付いてこちらをじっと見つめてくるかのように
夢というのは必要に応じて貸し借りできるものなんだよ

女は現実のなかに組み込まれていながら、それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間を提供してくれる

彼女の目は奥行きを欠き、瞳だけが妙に膨らんでいた。後戻りの余地を持たない、決意に満ちた煌めきがそこにあった。

 

金井美恵子『タマや』(1987)

鉤括弧で台詞を括らないことで溶け合うような関係性が描かれているのが良い。ここに個はほとんどないようなもので、ルームシェアをしているかのようなドタバタとだらしない時間があり、幸せだと思う。

文章が本当に良いので、好きな表現を適当にリストアップしました。本作の文章の特色として、なかなか区切られず一文が長い、と言うものがあるので切り取るのは野暮なのですが、全部手打ちで引用するのも面倒くさい。あくまで魅力が半減していることを前提に、それでもピンと来た方は手に取ってほしいです。

シソーノーローを病んでる口のなかみたいにネバネバしている欲望

高橋和己とラストタンゴインパリと中上健次を混ぜ合わせたようなシナリオ

ネエネエ、あたし死ぬんじゃないかしら、と鳴く猫

勃起したまま衰弱している桃色の欲望ともいうべき、垢じみて疲れた男

灰色の白っちゃけた水分を含んでいる空気のように重く

ペニス・グルーミング

 

スズキナオ『関西酒場のろのろ日記』(2020)

大阪に引っ越してきたばかりの筆者が、居酒屋を通して大阪を知っていくというのがテーマのエッセイで、非常によかった。なかでも三人集まって普段ひとりでは入る勇気が出ない店に入ってこの街のことを知ろうという企画がとても良くて、サイコーでした。これやりたい。また、人生をゆったり過ごそうとする意識が本当に好みで、この本を読んでいると早くこれになりたいという意思が先行して大変なことになる。この前もこの本を片手に居酒屋で飲んでしまったので、ちょっとソースで本が汚れてしまった。そしてその汚れを眺めながら、紙媒体であればこの時この場での時間を汚れとして記録することもできるんだと気が付き感動してしまった。これから積極的に居酒屋に本を持ち込み、汚していきたいと思う。

で、本を読んでいくうちに自分もこういうことがしたかったなあ(語弊があるかもしれないが、酒を飲んで文章を書く生活、という大雑把な意)と思いながらも、安売りされがちなライター職は生活費が不安定になるし、コミュ力も低い自分にはなかなか自発的な行動は難しそうなので、雇用されている状態からは抜け出せなさそうな気がするな〜としょんぼりしていた。仕事は早く辞めたいけれど、何も考えない時間というのが個人的にはすごく重要で、学生時代は本や映画を楽しんでいる時も、勉強や研究をしなければならないという意識がバックグラウンドで働いており、満足のいく暮らしができなかった。その点労働を始めると、労働時間外は一切会社のことを考えなくても良いことになるので、そこは創作をしたり創作物を触れるにあたって、非常に健康な心身の形成に役立つ。労働は一日の貴重な時間(1日の1/3!)を奪うことを除けば、実は結構良いものなのだ。というわけで、ライターをする懸念点として明確な労働時間が定められていない、というのは自分としては学生生活の二の舞になりそうだなと思うところもあり、乗り切れない部分がある。いつのまにか隙自語になって愕然としているが、書いてしまったことは仕方がない。要するに、スズキナオ氏はすごいということです。関西の居酒屋を知りたい方は是非どうぞ。自分はここに書かれていた居酒屋を巡る旅に出ようと思います。

 

靴下ぬぎ子『ソワレ学級』(2017)

なんかのランキングで紹介されていた漫画で、特に何も考えずに手に取ったところ、まさかの百合漫画でひっくり返ってしまった。進学校についていけなかった男ヤナギが、定時制の高校に身を移し、二人の少女「るり」と「べに」に出会うという話。視点と展開ともに、どことなく松浦理英子『最愛の子ども』に似ているな〜と思った。俺だけかもしれん。

 

18Light Game『螢幕判官 Behind The Screen』(2018)

台湾のインディーズゲーム。これかなりオススメです。父親を殺害した少年が、なぜ殺害に至ったのかを追いかけていくゲーム。と説明だけを読むと『クー嶺街少年殺人事件』を想起するが、そこまで内容は似ていない。

このゲームは、シナリオよりもゲームの可能性を楽しむものだ。

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例えば冒頭にこんなニュース番組の映像が流れたり
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パズルゲームになったり
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日本のゲームでは見られない独特なイラストを楽しめたり
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謎の蜘蛛女に追いかけられたり

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バトルが始まったり(リズムゲー)
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1vs1で殴り合いをしたりする(これもリズムゲー)。

ゲームとしてあっちこっちに行くので正直纏まりがないが、プレイ時間は数時間とサクッと楽しめるので、ストレスに感じにくいと思う。独特なゲーム体験をしたい人にお勧めです。難点は日本語訳がめちゃくちゃなところだけ……なんとかならんものか。

 

星3.5(観た人と話してみたい作品)

松本壮史『サマーフィルムにのって』(2020)

タイムスリップ恋愛SFと言えば「時かけ」の名前が挙がるが、それを意識しつつもちょっと変わった映画を作ってみよう、という空気で作られたような作品。未来の人間との恋愛の定めとして必然的に別れがあるが、それを少女たちが進める映画制作と絡めることで、楽しく観ることができる作品になっている。この作品では、最近のTiktokの栄華を意識してか、未来には秒単位の映画ばかりが制作されるようになるという説明がなされる。なぜなら「みな自分の人生に忙しく、他人の人生には興味が無いから」という理由なのだが、なかなかに自分に刺さってしまった。自分も他人の人生に全く興味が持てないので。とはいえ、そんな簡単に人間は2時間近く映画の世界に浸る快感を手放せるものかと思うところもあり、いずれにせよ説明に唸ってしまう。タイムスリップものと切り離せない禁則事項を犯した末には世界が消滅するのか、というような問題は、「う~ん、わかんないけど今地球は消滅していないからセーフ!」という雑な判断がされ、それは心地良かった。また、映画作品をメタ的に再構成する試みが作品内で行われるのがとても羨ましくて、自分もその時その場に居合わせていれば、と寂しい気持ちになってしまった。

あとCody・Leeの音楽も良かったです。

で、一応しっかりとした異性愛作品なのだが、個人的には明確な誤読によって百合として認識することもできなくはない(ビート板→ハダシ)ので、この作品を視聴した人と語ってみたい。もし観た人がいれば教えてください。ちなみにこの映画の評価は誤読した百合作品としての評価で、異性愛オンリーなら星3くらいです。

【追記・謝罪】最初この記事を投稿したときに、上の「異性愛」作品の表記を「NL」作品にしていました。無意識に書いていたのですが、NLって実は「Normal Love」の略称なのでマジで使わないほうが良いです。指摘してくださった知り合いに感謝です……。失礼いたしました。

 

サラ・スミス、J・P・バイン『ロン 僕のポンコツロボット』(2021)

かなり良かったが、嫌に思うところも多くあり、評価が難しい。

note.com

知り合いに教えてもらったこの文章を改めて読み返すと、言っていることは理解できるのだが、

ロンが「友だち」候補として連れてくるのは、バス停にいた老人やレザージャケットを着た陰謀論者など、バーニーとは何の共通点もない人ばかりでした(この点も非常に重要です)。偶然のもたらす遭遇がなければ、人生は退屈になるばかりでしょう。

ここら辺は別に映画制作者は重要視していないと思う。なぜなら彼らはその後まったく出てこないしロンの友達にもならない。バス停にいた老人にいたっては強制的に連れてこられただけで、その後の関係も描かれない。本当に偶然性によって友達の可能性を開くのであれば、彼らとも仲良くなり友達になるはずだ。そうしなかったところを見ると、単にロンの暴走をギャグとして描いていたに過ぎないと思う。

また、bボットを持っているからといって皆が不幸になる、SNSへの依存は拡散のリスクを考えると危険だと考えるのは短絡的である。人間の知性を信じるのであれば、bボットという好きなこと同士で繋がれる便利さを享受して使いこなすスキルを身につけることが重要になるのであり、これに怯えることは「火は熱いし危険なので使わないようにしよう!」と主張するのと似ている。もちろん、SNSへの依存、それによって揺らぎやすくなったアイデンティティについては考えるべきだが、本当にSNSが無ければ心配なく、安心して暮らすことができるだろうか。

まず拡散の反例としてあげるのは、SNSの効力が弱い田舎でコロナウイルスに掛かった人間の例であり、彼らは世間にその存在が公表されない一方で、安全に暮らせるかと言うとそうではない。田舎では世間話がSNSの如く狭いコミュニティで拡散されるわけで、事実退去を余儀なくされた報道をいくつか見た。このコロナ感染の例は不祥事や悪事などに置き換えても良くて、そのコミュニティから弾かれるようなことをした場合は(恐ろしいことにコロナ感染もここに入るのだが)、SNSの有無にかかわらず、人を居づらくさせる。SNSの有無にかかわらず、コミュニティは「拡散性」を帯びるのである。

また、別の例として、SNSで注目されるために過激な行為に走る子供も本作では描かれているが、あのノリはコンビニバイトがアイスの棚に入ったり、ソースの先を鼻に突っ込んだりする行為と何も違いないだろう。結局はそのコミュニティ内でウケを狙いたいがために人は過激な行為に走るものだから(撮影者が誰もいないのに一人で馬鹿をやっていたら狂人である。そういう人間は好きだけれど)、SNSの有無にかかわらず、人は愚かしい行動をする生きものなのだ。これが無関係な人間にも拡散されるからSNSは危険なのだという話は、上の話でそれなりに棄却できるし、またSNSによってそれまで知られなかった良いものが世間に広まることのメリットを考えると、自ずと検討の余地が生まれる。

大量情報社会の昨今、拡散の規模を拡大させなければ、その人が持つ交友関係や仕事、才能を広げるチャンスは狭くなるわけで、そういう意味でもネットワークの規模を広げる、繋がることの効率化を促すことに自分は全く危機感を覚えない。肝心なのはSNSをうまく扱うための教育をしっかり子供に施すことで、批判されるべきはSNSではなくSNSの扱いを子供にきちんと教えない親の姿勢ではないだろうか。そういう意味では、この映画は親は無力なものとして描かれ、基本的にSNSを扱う子供だけで物語を進めていく点で納得がいかないものだった。

で、ようやく本作の内容に入るわけだけれど、まず批判点として、バーニーに友達ができないのは主に狂った親のせいなのだが、子供は自分に問題があるのだと責めて、友達がいない現状を納得しようとするシーンが散見される。他にも、親がやるべきことを子供が尻拭いするのは見ていて面白くなかった。最後にロンの価値観(SNSを拒絶し、ランダム性を重視する)をすべてのロボットにインストールさせるシーンには恐怖を覚えたし、それでハッピーエンドとするのはやや軽率なのではとは思う。これは要するにSNSによる効率化への批判であり、友達作りロボットの役割を放棄しており哀しい(ロボット自体が友達になっている。別にいいんだけれど)。ランダム性も良いことなのだが、それは効率化を前提として意味を為すものであり、本当にこの結論でいいのか、というのは今も悩んでいるところだ。

ただ良いところも勿論あって、相性が合わない人間を端から切り捨ててしまう効率重視のやり方から、かつてあった絆やキッカケをもとに手繰り寄せていく感じは悪くない。結局中道が一番という話である。これは友人関係を(趣味に依拠するかたちで、仲良くなれるという保証付きの)必然性に求めなくても、かつて同じ地域に住んでいたという偶然性のなかに見いだすというものであり、可能性を狭めない姿勢は良かったと思う。まあ当たり前のことなんだけれど。SNSも地理的接近もどっちもやればええんですよ。

また、クラウドシステムを理解していないバーニーが、データ室に行ってロンの名を叫ぶシーンがあまりに良すぎて、そのシーンだけで他のマイナス要素を打ち消す勢いだった。
結論としては、主張には乗りきれないし親に腹を立てるが、見ていてまあまあ面白い映画ではある。他の人の感想を聞いてみたい。

 

ドゥニ・ヴィルヌーヴ『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021)

これも押井守トークショーで「見た方がいいよ」と教えてくれたもので、その次の日にIMAXで観に行った。確かに映像はすごくいいし音楽もいいし没入体験としてすごくいいものを提供してくれているのはわかる。わかるんだけれど、盛り上がりが断続的で、ストーリー全体を貫く道筋が見えにくいために、作品全体で面白さを感じにくいのが難点だと思った。好きなシーンとしては、殺人を始めて行うときに決定的に主人公の精神が変わった瞬間だ。あのシーンが一番良い。砂虫みたいなやつの描写も大好きで、モンハンに出てきてくれたら嬉しいと思う。

全体として微妙だったけれど、映像作品の没入感は流石に素晴らしい。どこを重視するかの問題な気がする。

 

土井裕泰『花束みたいな恋をした』(2021)

本当に面白かった。サブカル好きなオタクは絶対に見た方がいい。

具体的に、以下の単語に心当たりがある人は要チェックだ!
押井守天竺鼠穂村弘石井真司、堀江智之、柴崎友香小山田浩子、今村奈津子、小川洋子佐藤亜紀、粋な夜電波――。

うえにしっくりこなくても、「おれ映画とか良く見るよw 『ショーシャンクの空に』とかw」と語る人間を「浅い」認定する人間は絶対に見た方が良いし、映画の半券を本の栞にする人も見た方がいいし、人と出会って本を交換するタイプの人間も見た方が良い。あ~辛くなってきちゃった(照)

comip.jp

何よりもこの漫画を読んで、池ちゃんに一瞬でも「あ……」と思った人間は絶対に見た方がいい。本当に面白いので。

まあネタはさておき、素直に面白い作品です。腹が立つけどゲラゲラ笑う頻度の方が高い。一番面白いのは上の漫画にもあるけれど、押井守が実写で出てくるところだろう。あんなの笑わずに済む人間がいるのか?

笑わずにすごいなと思ったシーンもいくつかあって、音楽はそのシーンを保存するものでもあるんだ!という気付きを与えてくれたところと、「私、山根さんの絵好きですって言われた」で台詞量の統一を図るところはとても良かった。そういう台詞語りのリズム、テンポの良さが随所に感じられて、映像作品として心地良い。社会人による「社会はお風呂と同じで、入れば気持ちいいと思うもの」という台詞はそうだなあと頷いてしまうし、そういう寂しさを与えてくれる点でも良かった。

それにしても、本作とは関係ないけれど池ちゃんに対する邦キチの言葉が酷すぎる。

「noteに『はな恋』の感想記事書いててさ 読んでみてくれない?8000文字なんだけど…」

「長っ!!」

「お前が読めよ!好きなんだろ?」

「長くてつまらない文は嫌いでありまする~」

このブログ記事の文字数、25000字近くあるんですけれど、邦キチに見せてこんなこと言われたら本当に泣いちゃうかもしれない……(もっと酷いこと言われそう)。

 

工藤玲音『水中で口笛』(2021)

表紙が気になって手に取って見た歌集。最近体内に短歌を入れていなかったので積極的に摂取していきたい。そういう意味ではとてもいいものでした。

お気に入りの歌集が結構あるのだけれど、あまり引用するのもアレなので10首だけ引用させてください(本当はもっと少なくするべきなんだろうけど、どうしても絞りきれなかった)。

水中では懺悔も口笛もあぶく やまめのようにきみはふりむく


おもいでにいくつかの欄干がありすべての川が海へとつづく


θって錠剤に似ていませんかきっと睡眠導入用の


雪の上に雪がまた降る 東北といふ一枚のおほきな葉書


平泳ぎで七夕飾り掻き分けて老婆になってもわたしだろうな


タンクローリーにシチューを詰め込んできみの家まで国道でゆく


ヘモグロビンごっこと称し一粒の軽自動車で渋滞にいる


杏露酒と発声すれば美しい鳥呼ぶみたい おいでシンルチュ


しかたなきことの多さよいろはすは押した分だけへこんでしまう


ピザーラが特に好きでもないのだがチラシを捨てる後ろめたさよ

う~ん。かなり良い。もっと自分の好きな短歌を集めていきたい。言葉は面白い。

 

酒井隆史『暴力の哲学』(2004)

やや纏まりのない文章だったが、暴力の機能を知るのにかなり役だって良かった。大事なのは暴力の拒絶は暴力を呼び込むシステムになっているところで、暴力への対抗は反暴力という、いつでも暴力になり得る力の平面の肯定によって為されるということを頭に入れておけばこの本の理解になるっぽい。最近の民主制についても触れられていて、ヘンリーディビットソローは、「正当性」は必ずしも偶然や多数決によって保証されないと考えたところから、「市民による直接行動をしない限りは政府は空虚なものとなる。政府なき国家が一番良い」という趣旨の記載もあり、確かにという感じ。政治はよくわからないけれどそんな気はする。最近はちょっと政治に関心が出てきたので、たまにぼんやり考えるのだけれど、それにしても自分達の世代は、あまりにも政治に無関心に育てられたな~とは思う。これは学校教育の賜物っぽいし、もう少し真剣に政治について議論する授業を設けてもいいんじゃないかとは思う。政治について無関心でいられるのは自分達が平和でのんびり暮らせている間だけで、その時代はもうとっくに終わっているんじゃないかな~とは思う。いつのまにか政治の話になっていたけれど、それだけ政治と暴力は密接に結びついているということです。多分。

 

柴田勝家アメリカン・ブッダ』(2020)

民俗学×SF」をテーマにした小説短編集。ペンネームはふざけているが、作品は非常に真面目で優れている。いい作家さんだと思います。

星雲賞を受賞したという収録作『雲南省スー族におけるVR技術の使用例』は、VRが現実に癒着している物語で、かなり興味深く読めた。自分も「幼少期からVR付けている人間って世界がどう見えるのだろう」と考えたことがあったのだけれど、この作品が見事に作品として昇華しており、現実とVRの接続点に女性を置く発想は非常に民族学的にありえそうで良い。

『検疫官』は、物語をウイルスとし、あらゆる物語を取り締まるというもの。宗教で争うことはなく、経歴を語れば物語が発生するのでそれもなく平等。政治家などは個々人の能力に応じてのものなので差異はない。想像は見えない敵を作るが、国民は想像を人に言うことの愚かさを知っているので争いが起きない――という設定で、なかなかに面白い。起きていることは平和なのに、その世界では大恐慌に近しい状態になっていくのが滑稽で面白い。もちろん、素直に笑えないところもあるのだけれど。

メインはやはり表題作の『アメリカン・ブッダ』で、これが一番面白かった。
インド哲学ブラフマン(真理を意味する)を信仰する唯一のインディアンである。舞台はMアメリカ。実は多くの人はアメリカを滅ぼした大洪水から逃れ、精神的・形而上的アメリカ(Mアメリカ)に移動したので、地域は空っぽになっていた。その大洪水の生き残りがインディアンであり、壊滅したアメリカを再建したという――というお話。すごく面白くて、やはり身体の消失と加速する精神世界というと、グレッグ・イーガン順列都市』を思い浮かべるが、身体が消滅しても苦悩が消えない点を仏陀の悟りと接続している点で大きく異なる。自分が滅しても、世界には法が残るという結論はその通りで、とはいえラストあたりはよく分からなかったので深く理解をしなかった。別にそれで良いと思う。

 

Sal Jiang『彩香ちゃんは弘子先輩に恋してる』(2021)

素直にいい感じの社会人百合漫画。ノンケのフリをしているバリキャリの弘子先輩と、その先輩に憧れる彩香ちゃんの噛み合わなさがもどかしくて良い。

 

藤沢数希『ぼくは愛を証明しようと思う。』(2015)

最近知り合いが「女性学」というものにハマっているので、女性学のバイブルらしいこの本を後学のために読んでみた。結論から言うと確かにそういう面が女性にはあるかもしれないが、それは女性全体に当てはまるものではないでしょうというありきたりなもので、そこまで深入りしたい分野ではなかった。いかに女性は強そうな男に惹かれるか、その「強さ」をどのように演出するかがあの手この手で書かれており、面白いのはそれらのテクニックが小説形式で書かれているところだ。もっと言うとなろう小説っぽくもあり、あまり本を読まない人たちにも配慮しているような雰囲気があった。恋愛市場において自分の価値を高めたい男性は読んだらいいのかもしれない。自分は男性としての価値を高めたところで特にやりたいことはないので、あまり参考にならなかったです。お酒を飲める友人が増えるのならいいけれど……。

とはいえ、最近は自分の視野の狭さを懸念していて、興味が無いことにも足を踏み入れたほうがいいかもな~とは思っているので(他の男性がここまで躍起になって女遊びをしたがり、恋愛が共通の話題になったり、田舎では婚姻が人間として信頼される条件にすらなっていることを考えると、実は恋愛ってめちゃくちゃオモシロコンテンツなのでは、と疑っている)、恋愛にももう少し興味を持ってもいいかもしれない、という気持ちにさせてくれた点では有意義でした。

 

星3(悪くはないが評価を定めにくい作品)

村瀬修功閃光のハサウェイ』(2021)

ガンダムは無印しか観ていないので、正直いろいろすっ飛ばしての無茶な視聴なのだが、無茶ゆえにそこまで面白さを感じなかった。確かに映像美は半端なく、ギギ・アンダルシアという女性の美しさを、まるでなめ回しているかのように感じさせる力があり、いたく感動した。自分のようなオタクがよく見る萌えアニメでは感じられないリアリティだ。上田麗奈さんの演技が良かったのもある。

とはいえ肝心の話が盛り上がらなければつまらなくなってしまう。何かが起きているのは分かるし、何を目指しているのかも徐々に明らかになるので、初心者にもわかりやすいつくりにはなっている。しかし肝心のバトルシーンの盛り上がりがかなり浅く、面白みに欠けるものだった。最後に流れる[Alexandros] 『閃光』は流石の格好よさだが、例のMADのように誰も踊らないので物足りなかった。

www.youtube.com

 

濱口竜介『THE DEPTHS』(2010)

正直よく飲み込めなかった(ちょっと寝たのも主な原因だろう)。妖艶な男娼を中心に話は展開され、男娼が人々の欲求を埋める人外じみた描かれ方をしているのが気になった。というのも、濱口竜介は人間を描く映像作家だと思っていたからだ。もちろん人外のような存在(『寝ても覚めても』の麦がそうかも)を通して人間の欲求を浮かび上がらせるという手法は効果的だとは思うが、それにしては人間の動きは小さいというか、息を呑ませるような感動がなく、悪い意味で日本映画の空転を観ているようで、自分の思っている濱口竜介作品との乖離が生じた。カメラを通して被写体の本質を見抜こうとする人間は、絶対的に被写体よりも上位に立たなければならないものだと思うのだが、本作ではそれが達成されずに男娼がカメラの端から逃げ出すことで、結局男娼の非実在感のみが増すことになる。焦点を当てるべきは周囲の人間なのに、視界の端に映っている程度の描写しかされていなさそうなのが気になった。

なおこれは本編中に寝た人間の書いている感想なので、信頼性は限りなく低いです。

 

リサ・ジョイ『レミ二センス』(2021)

まずまずの作品。
EDがすごくよく、記憶を触れることができるものにしたシステムもかなりいい。シナリオも悪くはないのだけれど、少し小さく収まり過ぎているところと、語りすぎていてあまり格好良くないのであまり自分好みでは無かった。

 

星2.5(なんとも言えない作品)

横山博人『卍』(1983)

良くもなく悪くもなく。評価が高いのが同名タイトルである増村保造の1964年版なので、そっちを観るべきだったかなとは思った。

 

大松孝弘・浜田浩之『「欲しい」の本質』(2017)

インサイトというアンケート調査では得られない消費者心理を掴もう、という内容で、そうですねとなった。絶対にこんなにページ数はいらないと思う。

 

館田ダン『大正浪漫喫茶譚 ラクヱンオトメS』(2015)

タイムスリップしたら面白いな~と思っていたらしたのでびっくりした。中身としては普通というか、百合要素は薄めだけれど大正時代の「エス」の文化を持つ人たちに「百合」を教えようとする構造は面白かった。

 

星2(あまり人から触れられたくない作品)

アルチュール・アラリ『ONODA一万夜を越えて』(2021)

朝日新聞が噛んでいる時点で政治的な思想を感じた。また、外国の人間がメガホンを取っていることで、「客観的な戦争」を描こうとしているっぽいのが透けて見えるのが嫌。作品としては、よくこんなつまらない作品を3時間も流す気になれたなという感じで、マジで途中で帰りたくなった。そのうえ、最後の小野田さんの描写も宙ぶらりんで、結局彼が何を思ったのかが十分に表現されていないように感じた。wikiで出てくる情報以外の新規性がない。が、小塚との生々しい生活感を描けていたのは良かったように思う。

 

星1.5(いろんな意味で厳しい作品)

鴻巣覚『がんくつ荘の不夜城さん』(2019)

作者が明らかに自己投影されているキャラクターで進行するのは置いといて、フェチがキツすぎた。3巻あるが、永遠に自己弁護を読んでいる感覚。震える。

 

名和宗則きんいろモザイク Thank You!!』(2021)

なぜ映画化したのかが謎でしかない。これなら漫画のままそっとしておいて欲しかった。雑なタイトル回収や、穂乃香の成長を無視した構成(修学旅行をしてイギリス旅行をやらない!)という展開には疑問しかない。尺の問題でイギリス旅行を諦めざるを得ないのであれば最初から映像化しないほうが良かったのではないか。原作からの切り取り方があまりに中途半端だと感じた。4コマをそのまま映像化しているからテンポも悪く、話は断片的だ。ようやく終わったかと思いきゃ、最後は威風堂々で死体蹴りをかましてくるので開いた口が塞がらなかった。映像にした良さがほとんどなかったし、これならボイスドラマで良いと思う。EDの原先生による書き下ろしイラストは可愛くて良かったです。

 

以上