新薬史観

地雷カプお断り

藤本タツキ『さよなら絵梨』読んだ!

 

話題作に言及したら負けみたいなところがあるけれど、ブログってそう身構えて書いたり読んだりするものでもないよなって思ったり。

『さよなら絵梨』読みました。以下テンプレの採点票。

 

藤本タツキ『さよなら絵梨』(2022)読み切り200p

shonenjumpplus.com

【総合評価】 9点(総合12点:全体10点+百合2点)

【作品の立ち位置】

ガチで大事にしたい作品(9<x)

積極的推し作品(8<x≦9)

オススメの手札に入る作品(7<x≦8)

まずまずな作品(6<x≦7)

自分からは話をしない作品(x≦6)

 


【世界構築】2点 (2点)

四コマ、というよりフィルムやスマホの画面を意識した横長の四角で展開される物語は、「スマホで映画(あるいはこの作品そのもの)を撮影している」という状況にも一致しており、それが斬新かつ効果的にも感じられる点で好みです。タツキ先生の勢いのある線の引き方も好き。

 

【可読性】1点 (1点)

画一的なコマがスムーズなテンポを生み出しているように思います。たまにある1ページまるごとの大コマもインパクトがあって好き。


【構成】2点 (2点)

現実とフィクションをごちゃまぜにする入れ子構造は自分が好きなタイプです。良いカットだけを切り取って作品を作っていたという感動は『ニュー・シネマ・パラダイス』でやっていたアレに近いものがあり、ショッキングなものでもある。


【台詞】2点 (2点)

そのまま書くとひどい台詞でも、基本的にギャグにも堪えうる絵柄でカバーできているのですごいと思う。

 

【主題】1点 (2点)

ここまで褒めておいて何だけれど、実は主題としてはそこまで響いていない。(作中人物が)「映画を撮る」というアクションと(タツキ先生が)「漫画を描く」ことの編集可能性の相似点や、映画を初めとするフィクションが持つ「想像力」の精神への効果などは正直もう『ファイア・パンチ』や『ルックバック』で幾多の人間がツイートをしてはてブを付けて一生懸命文章をこねこねこねこねしているだろうし、そのうちの一人に自分も入っているので手に負えない()。それはもう終わったことであり、自分のなかで過ぎ去ったことである。そのうえ、本作のメインはやはり「爆発オチ」だと自分は捉えている。そこまでのストーリーやエモ描写も、すべては爆発というカタルシスのための舞台装置である。本命は爆発だ。何が爆発されるかよりも、どこで爆発するか、それが重要なのだ。では何故オチに爆発するかと言うと、「タツキ先生が最高だと思うから」で説明が付くタイプのものであり、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。それで良いのだと思う。タツキ先生は爆発オチが好き。僕は好きじゃない。それでおしまい。

 

【キャラ】1点 (1点) 

なんだかんだ言って、出てくる人はみんな魅力的だと思う。とはいえ、そろそろ映画以外に面白さを見いだすキャラを出してもいいんじゃないか。タツキ先生にとって映画がかけがえのない媒体なのは理解できるが、小説を読むキャラ、音楽をやるキャラがいても良さそうなものだ。もちろん、創作物への範囲を広げたからと言って作品が必ず良くなるわけではないのだけれど、これじゃあまるで映画のプロパガンダ(?)のようではありませんか。

 

加点要素

【百合】0点 (2点)

該当描写無し。


【総括】

タツキ先生が好きなものが読者も好きとは限らない」というのは当たり前のことだが、案外そうでもないのかもしれない、という風に最近は考えている。別にオタクを批判しているわけではないのだけれど、「タツキ先生が好きなものが好きなオタク」というものが存在する限り、もしかしたらこのような爆発オチの漫画をタツキ先生が描き続けるのではないかと思うと割とキレそうになる。自分はエモや文脈が大好きなオタクなので、今回の爆発オチは全然好きではなかった。爆発することの何が面白いのか分からない。淫夢MADで野獣先輩がイクイク言ってンアーと絶叫して爆発するなら笑えるが、それが何故面白いのかと言えば、「野獣先輩はイクイク言ってンアーと絶叫して爆発する」というお約束があるからである。分かりきった結末に人は笑う。もちろん、意外性でも人は笑うことができる。ただそれは見せ方に依るだろう。何の文脈も無しに『君に届け』の黒沼爽子が爆発して、何人の読者が笑えるだろうか。これがルフィになるとちょっと面白いが*1、それも作品におけるリアリティラインのレベルによるところが大きい。少なくとも『さよなら絵梨』は(自分にとっては)爆発オチで「おもしれ~w」となるような作品では無かったし、きっとこれからもそうなのだと思う。ただただ困惑。それでタツキ先生が嬉しいなら別に良いのだけれど、これからの作品全部がこれなら自分は悲しい。本当にみんなもこれで満足しているわけ?

最後に本作の解釈について、自分はずっと現実の話だと思っている。最後に出てきた歳をとった優太は、きっとひげを剃って綺麗に身なりを整えた優太のパパなのだろう(顔が似ているので)。途中で青年時代の優太が映らずにパパになった優太だけが映るのも、それが優太に撮れる未来の映像の限界だからだ。そういうわけで、ひげを剃った優太パパと絵梨を並べることで、まるで絵梨だけ歳をとっていないように演出しているのではないか。絵梨は吸血鬼じゃない。最後のシーンはまだ元気な頃の絵梨と優太のパパの映像だ。時系列が入れ替えられている。絵梨は普通に死んだのだ。それを綺麗に編集して、まるで本当に絵梨が吸血鬼であるかのように読者を驚かしている。多くの人は吸血鬼であることが真実だと捉え、それがつまらないから爆発オチを持ってきたのだと解釈しているがそうではないと思う。爆発オチはブラフだ。けれどもそれが爆発である必要性はどこにもなかった。だから自分はこのオチが苦手だ。それと同時に、自分の解釈を貫き通すのであれば、やっぱりこの作品の構造は見事だし、作品として素晴らしいと思ってしまう。絵梨が吸血鬼なのだと思った人の分だけ、その人の頭の中で絵梨は生き続けるので。

*1:面白くないかもしれない