新薬史観

地雷カプお断り

これまでの映画視聴履歴/未視聴リスト【2021/01/24更新】

個人的に今まで見てきたものは管理していたのですが、別に公開してもしなくても変わらないし、寧ろなんらかの話題作りになった方がいいし、これを見て有識者がさらに面白い映画を教えてくれることがあったら最高なので、公開します。逐次更新。

オススメがありましたら、この記事のコメント欄か、マシュマロmarshmallow-qa.com/jluayiz4j7fh249にいただければ幸いです。

※基本的にU-nextで観ることができるものを優先して視聴しているので、配信されていないものは、オススメして頂いてもなかなか観れないことがあります。許してください。

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【未視聴リスト】

アニメ はがれん(オリジナルストーリーの方)

Unnamed Memory

https://ncode.syosetu.com/n1488bj/

ソキの旅日記

https://kakuyomu.jp/works/1177354054880382083

 

仮面ライダーアマゾンズ

ヒューゴの不思議な発明

キュア 禁断の隔離病棟

アドアストラ

カルト

青春デンデケデケデケ

クールランニング

蝋人形の館

アンブレイカブル

スカイクロラ

ウォッチメン

エクスクロス

僕らのミライへ逆回転

ファニーゲーム

未来は今

ハスラー1、2

世界大戦争物語

ファーストマン

ランボー1 first blood(2以降は暇があれば)

グロリア(リメイクじゃない方)

大脱走

戦場にかかる橋

アウトレイジシリーズ

ミッションインポッシブルシリーズ 

メッセージ

スパイダーマンスパイダーバース

「沈黙−サイレント−」(スコセッシ監督作)

海の上のピアニスト

お嬢さん

幕が上がる

舞妓はレディ

悪魔の手鞠歌

オペラ座の怪人

スタア誕生

12人の怒れる男

仕立て屋の恋

インベージョン

五反田団「生きているものはいないのか」

ままごと「わが星」

松浦理英子ナチュラル・ウーマン」

SPIRIT(2006)

告発のとき(2007)

名探偵の掟」「名探偵の呪縛」

バードマン、あるいは

はなしかわって

摩天楼を夢見て

ワンダーランド駅で

スピード(1のみ、2は見なくていい)

泣く男

中山可穂の小説

山内マリコここは退屈迎えに来て」(大森靖子的なリアルな少女描写)

村田沙耶香「ハコブネ」(同性愛でさえない愛の在り方をテーマ)

めぐりあう時間たち

雪舟えま「恋シタイヨウ系」

川上未映子「すべて真夜中の恋人たち」

 

 

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履修済みリスト

(オススメをいただいたなかで、ブログ開設前に見てたやつだけ記載。これしか見たことがない、というわけではないです)

実写デビルマン

告白

時計仕掛けのオレンジ

2001年宇宙の旅

ローマの休日

パプリカ

東京ゴットファーザー

千年女優

パーフェクトブルー

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

血界戦線

のんのんびより
あたらしいうつくしいことば 

金を払うから素手で殴らせてくれないか?

リメンバーミー

ラ・ラ・ランド

グッドウィルハンティング

 

2020.0412

武器人間

万引き家族

 

2020.04/17~04/23

市民ケーン

タクシードライバー

俺たちに明日はない

アメリカンビューティー

インターステラー

シェフ 三ツ星フードトラック始めました

最強のふたり

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/04/24/060632

 

2020.04/24~04/30

キャロル

グレイヴ・エンカウンターズ

はじまりのうた

ミリオンダラー・ベイビー

英国王のスピーチ

5つ数えれば君の夢

溺れるナイフ

永い言い訳

叫びとささやき

牯嶺街少年殺人事件

地獄の黙示録

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/05/01/091815

 

2020.05/01~05/07

愛のむきだし

アメリ

カリスマ

自殺サークル

シャーロックホームズ

アメイジングスパイダーマン

怒り

バットマン ビギンズ

ダークナイト

ダークナイト ライジン

コラテラル

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/05/08/124132

 

2020.05/08~05/14

ニュー・シネマパラダイス

バットマン

メメント

フォレスト・ガンプ

鑑定士と顔のない依頼人

ユージュアル・サスペクツ

良いビジネス

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

ゼロ・グラビティ

キャビン

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/05/08/163915

 

2020.05/15~05/21

天使にラブソングを

若女将は小学生!

博士の異常な愛

チャイナタウン

テルマ&ルイーズ

ロリータ

Mr.タスク

インセプション

プレステージ

フェイスオフ

アンドリューNDR114

ブレードランナー

サマータイムマシン・ブルース

友達の家

恋する極道

オトコノクニ

曲がれ!スプーン

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/05/21/233602

 

2020.05/22~05/28

ハウリング

ロック

出てこようとしてるトロンプルイユ

ノスタルジア

パルプ・フィクション

御法度

ブレードランナー2049

エイリアン/ディレクターズカット

グリーン・インフェルノ

ミスト

ショーシャンクの空に

カサブランカ

遊星からの物体X

プラダを着た悪魔

ファイト・クラブ

シックス・センス

ソーシャルネットワーク

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/05/30/101557

 

2020.05/29~06/04

羅生門

椿三十郎

レオン

ヒッチコックトリュフォー

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/06/05/174850

 

2020.06/05~06/18

ブラックミラー シリーズ

今夜、ロマンス劇場で

草原の実験

第三の男

ロゴパグ

奇跡の丘

裸のランチ

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/06/20/105942

 

2020.06/19~06/25

BACK TO THE FUTURE2

救命艇

誘惑のアフロディーテ

プロジェクトA

プロジェクトA子シリーズ

失われた週末

バッファロー'66

アタック・オブ・ザ・キラー・トマト

白痴

トレインスポッティング

トップガン

百円の恋

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/06/26/095716

 

2020.06/26~07/02

雪の轍

下妻物語

ローズマリーの赤ちゃん

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/07/04/080659



2020.07/03~07/09

レディ・プレイヤー1

ロゼッタ

オデッセイ

ティファニーで朝食を

狼たちの処刑台

デス・プルーフ in グラインドハウス

プラネットテラー in グラインドハウス

トゥルーライズ

グッバイ、レーニン!

日本沈没2020

キノの旅 -the Beautiful World

トゥモローワールド

花とアリス殺人事件

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/07/16/193337?_ga=2.187412456.15611517.1596105237-481205787.1589239390

 

2020.07/10~07/23

イレイザーヘッド

ベルリン・天使の詩

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/07/24/144145?_ga=2.187412456.15611517.1596105237-481205787.1589239390

 

2020.07/24~07/30

モンティ・パイソン/人生狂騒曲

凪のあすから

ガタカ

トゥルーマンショー

シモーヌ

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/07/31/052026?_ga=2.75414098.1518965290.1596576298-481205787.1589239390



2020.07/31~08/06

バリー・リンドン

新聞記者

許されざる者

犬神家の一族

恋人

めぐり逢い

円盤皇女ワるきゅーレ

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/08/06/184706?_ga=2.75414098.1518965290.1596576298-481205787.1589239390



2020.08/07~08/13

ヴェノム

再生産総集編 劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド

CUBE

CURE

回路

ボヘミアン・ラプソディ

グレイテスト・ショーマン

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/08/15/184746?_ga=2.268030283.457148853.1597480001-481205787.1589239390



2020.08/14~08/27

雨に唄えば

オールザットジャズ

8 ½

来る

金色のガッシュベル!!(ファウード編は原作も)

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/08/30/191527?_ga=2.173513575.59780527.1599220737-481205787.1589239390

 

2020.08/28~09/10

マグノリア

マッドマックス 怒りのデス・ロード

マッドマックス

マッドマックス2

マッドマックス/サンダードーム

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/09/11/054408?_ga=2.173513575.59780527.1599220737-481205787.1589239390

 

2020.09/11~09/17

砂の器

Oasis

ペパーミント・キャンディー

 

2020.09.22

TENET

 

2020.09.22~2021.01.24

ダーティ・ダンシング

ピアノ・レッスン

魔女見習いを探して

鬼滅の刃 無限列車

 

マイ・フェア・レディ

ノッキン・オン・ヘブンズドア

ミッドサマー

グランド・ブタペスト・ホテル

ザ・ロイヤル・テネンバウムズ

ファンタスティックMr.Fox

ムーンライズ・キングダム

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2021/01/23/130701


 

2021.01.24

ダンサー・イン・ザ・ダーク

https://negishiso.hatenablog.com/entry/2021/01/24/110603

 

 

以上。

 

おすすめ作品とはこちらに投げてくれると管理しやすくて助かります

marshmallow-qa.com

【ネタバレ注意】劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト 考察

この記事は劇場版スタァライトのネタバレ含みます。お気をつけください。

 (サムネイルネタバレ回避用のロロロを何個か置いておきます)

ロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ

 

ここまで置けば大丈夫でしょう。

というわけで劇場版スタァライトを2回見ました。1回目のあとすぐに2回目に入ったので休みがなく「しんど」と思ったのですが、やっぱりノータイムで見ると記憶が定着していいですね(もちろんそれだけでは足りないのでたまにメモをしたりしましたが)。

自分のなかでこの映画の全体像というか、ギミックにかけてもいろいろ考えることができたので共有します。一個人の感想(考察)なので鵜呑みにしないようにしてください。他人の言葉じゃなく、自分の言葉で語ったほうが良いですからね。

まあ、これは星見純那の言葉ですけれど……。

 

 

◎「ワイルドスクリーンバロック」って何?

これは映画内でも触れられているので簡単に。

そもそも「ワイドスクリーンバロック」という用語があります。これは太陽系レベルを規模にしめちゃくちゃ奇想天外なSF作品、という意味です。このワイドをもじって「ワイルド」とすることで、「野生」の意味を付与しています。

じゃあ「野生」ってなんだ?となるところですが、これも映画で言及されていて「どんな舞台に立っても、すぐに飢えと乾きによって次の舞台に移り、互いに役を求めて争う舞台少女」のことです。野生動物の「醜さ」「貪欲さ」をイメージしてのものだと思います。

本作では、そのような野生の動物として扱われていたのが、ばなな・華恋・ひかりと言った運命の舞台の担い手以外みんなです。一度もトップスタァになれていない、だから飢えているわけですね。

この作品は、そのような「飢えた舞台少女によるめちゃくちゃ奇想天外なSF作品」という意味で「ワイルドスクリーンバロック」と題しているのでしょう。それに違わぬ映像になっているように思います。

 

◎「トマト」って何?

他の人の感想のなかでも、「禁断の果実」について触れている方が多い印象でした。昔は毒があって食べられなかった、とかいう話もあるようですがそこらへんは個人的にはどうでもいいかなと。だって禁断の果実で調べて見てほしいんですけれど、禁断の果実の候補はかなりあるんですよ。それこそ有名なリンゴであったり、ブドウ、イチジクとかもそう。個人的には「禁断の果実だから」という理由だけでは選ばれないと考えています。リンゴに勝る理由がない。

なので、まずは「何故トマトなのか」と考えた方が良いんじゃないかと思います。

・なぜトマトなのか?

これは僕の想像ですが「赤いから(果汁が血を思わせる)」だけでは理由として不足なんじゃないかなと。というのも、監督のイラストが「緑」を強調しているからです。

 補色関係で目が痛くなる赤と緑、正直デザインとしてはかなり悪手な部類に入ると思うんですが、それでも緑が置かれている理由を考えた方がいいかなと思います。偶然にも作中に出てくるトマトは、すべてへたがついていて赤と緑に分類されていますし。

言うまでもありませんが、この組み合わせで思いつくのはクリスマスカラーでしょう。クリスマスにおいて、赤は「キリストの血」を、緑は柊の葉の「キリストの茨の冠や受難」を示したり、もみの木の「永遠の生命」を示したりするようです。緑の意味を前者だとしたとき、スタァライトにおける「血」や「受難」の意味するところがかなり鮮明になるのではないでしょうか。

さらに、トマトが持つ「瑞々しさ」にも注目した方が良さそうです。リンゴやイチゴを潰した時、果たして血のイメージである果汁が飛び散るでしょうか。その液体は、舞台少女の「乾き」を満たせる水分を含んでいるでしょうか。

このあたりを考えると、トマトが「禁断の果実」として選ばれた理由が自然とわかるんじゃないかなと思います。

 

次に、「禁断の果実」がスタァライトにおいてどのように機能していたのかを見ていきましょう。「禁断の果実」とざっくり言っただけでは、この作品におけるトマトの役割を十分に理解できたと言えないように思います。

というわけで、トマトがどのような場面で使われていたのかを、下に箇条書きしました。もちろん見逃しているところはあると思いますが、大まかにはこの辺りでしょう。

トマトが使われていた場面(思い出せる限り)

・映画の初めのカット、砂漠の上のトマト→潰れる

・九九組(華恋・ひかり除く)が死んだ自分たちを見てレヴューを決意する時→齧る

・ひかりが華恋の危機に訪れた駅の広告(砂漠のうえのトマト→潰れ:ロンドン時代のひかりの定期公演のロゴのように、カリギュラスブライトに刺されて潰れている、溶けている)

・キリンがジュゼッペ・アルチンボルドの『夏』(ここも注目すべきで、少女たちにとっての人生の過渡期、人生の青春はいうまでもなく「夏」であり、そこへの目配せもあるかも)を思わせる「野菜で出来たキリンのようなもの」になった時に、ひかりの目の前に落ちている

・華恋とひかりが出会う時に、ひかりの背後にトマト(星罪の塔の星?の部分に置かれている)→華恋が死ぬと同時に潰れる

 

ざっとこんなものでしょうか。例に挙げた通り、トマトの用途としては「食う」か「潰れる」か、というのをまず意識した方が良いです。

そして作中でも言われていることですが、

トマト=贖罪=食材=野菜(食材)でできたキリン(のようなもの)=観客の総体

という連想もした方がいいんじゃないかと思います。キリンが観客(の総体、決して私たち個人ではない)というのは何度も言われているので指摘するまでもありませんが、今回も「間に合わない」「見逃したのか」など観客と舞台における関係性を思わせる言葉を吐いているところからも連想は可能かなと。

ではうえの二つの太字から考察を進めるのですが、まず「潰れる」トマトから。

 

・潰れるトマト

この潰れるトマトは、基本的に華恋とひかりが相対する時に出現します。これらは誰にも食べられないために(食べる人がいないために)潰れる、つまり「食材」ではなく「贖罪」のトマトと言えるでしょう。これは前作の総集編「ロンド・ロンド・ロンド(以下ロロロ)」の流れを受け継いでいます。(自分の考察記事は下)

negishiso.hatenablog.com

 

つまり、願いが叶う運命の舞台の主の流れとして、ばなな(アニメ10話まで)→ひかり(アニメ最終話まで)→(ロロロ)→華恋(本作)と来ているなかで、このひかりから華恋に運命の舞台が受け継がれる際の概念のとしての「贖罪」なのだと自分は解釈していいます。で、ここでしっかり把握するべきはそれぞれの舞台における願いと贖罪でしょう。下に列挙します。

【ばなな】

願い「永遠に繰り返す舞台」

贖罪「全員のキラめきの喪失(キリンのオーディションのデフォ贖罪。戯曲スタァライトをモチーフにしているアニメ作品「レヴュー・スタァライト」だからこうなる)」

→しかしながら、全員のキラめきが喪失してもまた99期の初めに戻るので、実質的に誰もキラめきを喪失せずに贖罪はないような扱いになる。

(アニメ10話ラストにて、ひかりが運命の舞台に立つ)

【ひかり】

願い「誰からも(と言いながらほぼ華恋目的だが)キラめきを奪いたくない」

贖罪「飢えに乾く砂漠(星罪の塔)への幽閉(スタァライトモチーフ)」

→しかし、ここに華恋が飛び入り参加。ひかりの肩掛けを落とすことで、運命の舞台に立つのは華恋に。

 

というわけで次は華恋の「願い」と「贖罪」が描かれるべきなのですが、本作を見れば分かるように、華恋は運命の舞台に立つこと(ひかりと再会すること)だけが願いであり、舞台に上がるモチベでした。なので華恋にとってはアニメ12話でゴールを迎えたも同然で、これ以上の願いはないために贖罪も発生しないのです。

つまり、誰かに食べられるべき運命の舞台(めちゃうまいが食べることで贖罪を生み出す「禁断の果実」であるトマト)は誰にも食べられることなく、自壊するほかなかった。

おいしさと罪が両立しているトマトって、完全に「運命の舞台」そのものですよね。

これが人に食べられないトマトの意味するところです。潰れるトマトは、運命の舞台に誰も立たなかったことを示します。そして、華恋が舞台に上がらないということは、舞台少女としての愛情華恋が死を迎えることを意味します。舞台に上らない舞台少女はただの少女なので。

 

・食うトマト

次に食べるトマトについて考えましょう。まず九九組(華恋・ひかり除く)が死んだ自分たちを見てレヴューを決意し、トマトを食うシーンが思い浮かぶと思うのですが、前提から考えると「みんなが運命の舞台を食ってる!」ということになるかと思います。しかし運命の舞台に立てるのは一人であり、その願いを叶える力を持つのは華恋のみです。よって、華恋とそれ以外の人が食うトマトには、食材とは違った意味「も」あるんじゃないかと考えています。

それが食材=キリン=観客の総体の方程式です(ぼくはここにめちゃくちゃ感動しました)。トマトはあくまで「食材」のひとつとして扱われるということですね。禁断の果実ではなく、野生の舞台少女の飢えと乾きを満たせる、汁と果肉を持った食材としてのトマトです。舞台少女は、この飢えと乾きを満たすものを求めて舞台に立ちます。では、舞台少女にとっての飢えと渇きとはなんだ?ということになりますね。

これは言うまでも無く「トップスタァへの渇望」なのですが、もう一歩踏みこむと、「そもそも観客がいないと、舞台を見てくれる人がいないと舞台は成立しないよね」という素朴な気付きを得ます。逆に言えば、観客がいなければ舞台は成り立たないし、舞台少女はトップスタァを目指さなくてもいいわけです。要するに、トマトを食材として見た時、舞台少女に栄養を与える食材としてのトマトと、舞台少女が舞台に立つための必要条件である観客としての食材のトマトが重なっているのです。そういう意味において、観客=トマト(正確には食材)と言えます。

なので、皆さんは映画を見て何故かトマトを半値につけていますが、あれは自分たちが観客でありながら、舞台少女を辛い目に遭わせる食材でもあるのだという自覚表明になるんじゃないかと思っています。観客とは、舞台少女の生き様につけ込み、野生としての闘争を煽る存在である。舞台少女はそれ(観客から見られること)を理解しながら、闘争への決意を抱く。この流れがあるんじゃないかなと。その側面を踏まえたうえで、「観客側が」トマトを半値に付ける行為は、自分からするとかなり罪深いなと思うのですが、そう感じるのは僕だけかも知れません。

以上、トマトの考察でした。

 

◎皆殺しのレヴューって何?

前提から考えると、電車=敷かれたレールを走る=確定した「次がある」未来ですよね。よって少女が電車に乗ることは、自らの可能性を最小限に押しとどめることだと考えていいと思います。当然ながら、新宿駅に立っているだけならどんな行き先の電車にも乗れますけれど、総武線に乗ったら山手線や京王線には乗れませんからね。

でも、舞台少女たちは電車に乗らなければならない。これは時間が流れるからに他なりませんが、それでも乗れない人間が二人居ました。ばななと華恋です(あと自分から降りたひかり)。

彼女たちが電車に乗れない理由は、

【ばなな】

①何でも持っていて、何にでもなれるが故にひとつを選べないから。

②自分が唯一持ち合わせていない、純那のトップスタァへの執着心への憧憬、その感情の源泉を何としてでも手に入れたいから(純那と別れること、純那が舞台から逃げることは、自分のループの源泉となった眩しさを見失うことと同義)。

【華恋】

ひかりと運命の舞台に立ったことで、目標を失ったから。

というように色々ありますが、要するにこの二人だけがはなから電車に乗る気がなかったと言えます。よって電車のなかでも、ばななと華恋だけが仲良く話しているんですよね。

しかし他のキャラは何の疑問もなく、自分の未来に進もうとしている。これを見咎めるのがばななです。そして、自分はこの皆殺しのレヴューを、未来に「絶対に」立ちはだかる壁のようなものだと考えています。レヴューである以上、ばななが何らかの役を演じているのは確実で、それは特別映像にて言及されていた「余裕をもって歌うように」というもえぴへの指示、「なんだか強いお酒を飲んだみたい」というばななの台詞からも、「彼女たちよりずっと余裕のある成人した存在」であることは明確です。つまり、「(成人した)彼女たちが今後の進路で出会うだろう圧倒的才能を持った人間」を演じているんじゃないかなと。生半可な気持ちでは今後ずっと挫折を味わうだろうけれど、君たちは本当にこの道でいいのかという想いを込めてのレヴューだと捉えています。

ちなみに、このレヴューはオーディションではないというのは何度もばななから言われることですが、個人的にレヴューとオーディションの区別は以下のものだと考えています。

 

レヴュー:少女たちの魂のぶつかり合い。本音の語り合い(修学旅行の夜のぶっちゃけた恋愛話みたいなアレ)。キリン(観客)がいて初めて舞台が成立するが、これは「作品化」されることで、現実にいるオタクたちが「観て」、彼女たちに「レヴューを期待する」から「レヴューできる」という意味合いが強いんじゃないかと思う。観客が観ていない、つまり作品内で割愛されたひかりが退学してからの期間に、彼女たちがレヴュー出来なかったのはそのためだと思う。どちらかと言えば、観客より舞台少女に主導権が握られている。(そのために、本作では肩掛けを切ってもレヴューが終わらないなど、観客の想定外の動きをすることが多い。これは観客と舞台とのルールではなく、彼女たち自身のルールで向き合っているから。メタフィクションの視点)

 

オーディション:観客によって明確な奪い合いを求められたもの。観客からの要請が強いという意味で、虐げられる側の原始的な闘争。

 

つまり何が言いたいかというと、ばななの「これはオーディションじゃない」というのは、「引かれたレールの上(オーディション)を行くんじゃない」という忠告であり、なおかつ「観客が見ている限り、どのような場所でもレヴューの場になり得る(私たちはもう舞台の上)」というメッセージもあるんじゃないかと思います。決して彼女たちを悪くしようと思っているわけではないことは、噴き出る血が舞台装置であったり、その血が「甘い」ことからも明らかかと。その役割をなぜばななが担ったのかというのは分かりにくいですが、舞台に立つだけでなく制作する側の視点を持つ彼女だけが、みんなの将来への違和感に気づけたのかなと思っています。わからんけど。みんなを舞台の上で最大限に輝かせるのが、舞台制作の使命なので。

 

◎それぞれカプ(かれひか除く)の関係性

これは各自、自カプの考察を深めるべきだと思うのでよろしくお願いします。かれひかのオタクが他カプに口出すもんじゃないですよね。(じゃあ記載をするな)

 

◎華恋とひかりの関係性について

これについて本当に語りたかった。

かれひかの関係性が最初から明らかになった点がとても良かったですね。

ごきげんよう」と特別な挨拶をするひかりと、返せない華恋。快活に遊ぶひかりと、引っ込み思案な華恋。ここで既に二人の違いが描かれています。つまり、特別な存在であることを「演じよう」としているひかりと、演じなくても特別である華恋が出会ってしまったのです。

カスタネットを叩くシーンは象徴的で、正反対であり、人とも溶け込めなかった華恋の「独特のリズム」を、特別でありたかったひかりが奪います。そういう野生の本能に基づいた「奪い合い」がかれひかの根本にあることを、続くお弁当の奪い合いが補足しています。華恋がようやくキラミラを通してできた友達も、ひかりは自分の趣味の世界に誘うことで、華恋の人間関係の全てを奪うところも注目したいところ。つまり、かれひかの出会いは「奪い合い(正確にはひかりから華恋への強奪行為)」から始まったにも関わらず、華恋は奪い合うレヴューを忌避しているところに歪さがあるのです。華恋の頭に最初から「奪い合い」の概念はありません。野生的ではない華恋は、ひかりからの強奪を「奪われた」とは考えておらず、自分もひかりのものを奪うことで、結果的には「互いに差し出した」のだと考えているのです。この見かけ上の「交換」こそが運命だと華恋は信じているのでしょう。

一方で、ひかりは小さいのに舞台が好きだという特異性に酔いながらも、みんなと違う華恋に出会った頃から憧れ・敵対心を持っており、ずっと華恋の特別を自分のものにしたいと考えていたのです。自分が華恋よりも優位に立ちたいというひかりの感情は、漫画スタァライトオーバーチュアでも描かれていたはずです。ひかりは華恋と二人きりの同じ舞台で勝負をしたくて、だから華恋を自分の舞台に引き摺り込んだのでしょう(手紙では華恋ちゃんと書いていますが、その手紙を渡した瞬間にひかりは華恋を呼び捨てにする。これは華恋をライバルだとみなした合図だと考えて良いはず)。けれども、ひかりにとって舞台は自分を着飾るためのファッションでしかなかったわけで、本気ではなかったはずです。しかし、華恋はそれを真に受けます。対抗するかたちでひかりも舞台に立ち、互いに舞台に上がった二人は、互いに舞台以外の関係全てを燃やし尽くすことで舞台少女として生きることになるのです。

アニメでも、この奪い合いの順序が貫かれています。アニメ10話の終わりにひかりに肩掛け(キラめき)を奪われてから、最終話で華恋はひかりのキラめきを奪います。二人は奪い合うしかないのです。しかし、この奪い合いが見事に隠蔽されていたのが二人の髪飾りで、野生から遠く離れた約束のもとで、お互いの運命の舞台へのチケットとして渡し合うことで、仮初めにも「奪い合い」を「交換」だと(互いに)信じることができる。この人間の醜さを美しさで覆い隠す盲信こそが華恋の強みであり、アニメ最終話でのスタァライトのリライトの源泉でもあり、ゆえにその隠蔽の露見は、華恋がもっとも恐れている部分でもあるのです。ひかりは華恋の普通の人生をすべて奪いましたが、華恋はひかりの普通の人生をすべて奪えているのか、という疑心に苛まれます。そうでなくては、二人の約束は交換ではなく強奪になる。人間の醜い部分に触れることになる。華恋が自分ルールを作ってまでひかりのことを知りたくなかったのは、ひかりとの約束が反故にされているのではないかという恐れは勿論、自分自身の醜さとも向き合わなければならないからでもあると思うのです。

よって華恋が運命の舞台を手にし、次の願いを抱く時に想像したものには、何一つ野生でないものはあり得ないのです。華恋が「交換」を願う時には、ひかりから奪われないといけない。しかしひかりは敢えて華恋を突き放し、むしろ華恋から「奪われる」ように誘い込む。ここはめっちゃ簡単に言うと、「昔からずっと私から誘ってばっかりなんだけどさ、たまには華恋ちゃんから誘ってよ」ということになります。自分からも奪わないとダメなんです。観客の目がある以上、舞台少女はトマトを食べて初めて自らの飢えと渇きに気付きます。ふたりにおいては、自分たちの行っていたことが「交換」ではなく「強奪」だったと自覚せよ、ということになるのです。しかし、華恋はひかりがあまりに大切で、ひかりから何かを奪うことなんて絶対にできませんでした。自分の醜さを受け入れることができなかったと言っても良いでしょう。結果として華恋は野生になれず、舞台を降りるしかなかったのです。

なので、その解決策としてひかりが考えたのが、華恋とひかりの奪い合いをリセットする試みです。「ひかりが奪い、華恋が奪い返す」。この前提を覆すために、まっさらな舞台少女としての華恋を再生産するために、ひかりはスタァライトのフライヤーを折った手紙を燃やし、それによって生まれたすべての思い出(強奪ではなく、交換だと信じていた幻想)も燃やし尽くす。かつて二人が普通の人生を燃やしたように退路を断たせることで(強制的に電車に乗せることで)、華恋は初めて「奪い合う野生の舞台少女」として生まれることになったのです。

華恋の最後の「私もひかりに負けたくない」は、かつてひかりが華恋をそう呼んだように、ひかりを運命の相手ではなくライバルとして認識した瞬間に他なりません。ここでようやく、運命という幻想で無理矢理ひとつになっていた二人が分離し、華恋はひかりを一個人として、「強奪」の対象として見ることができるようになったわけです。ひかりとのキラめきの共有から、奪い合いへ。自分が持つ醜さから、目を逸らさずに直視することで、華恋はようやくひかりに向き合うことが出来たのでしょう。

わかりますか? ここからが二人のスタートなんです。ここからようやく、本当のかれひかの関係が築かれていくんです。

あまりに良すぎるだろ……。

 

◎舞台少女の卒業とメタフィクション

最後に触れるのがこの箇所です。かれひかが最後に相対し、こちらに向かって語りかけるシーン。観客の存在を初めて認知し、華恋が自分も舞台少女であること(醜い存在であること、舞台の上、あるいは「飢え」に立っていること)に気付きますが、あれはこちらの観客の存在を認知し、自らがひとつの「役」であることを理解した瞬間だと言ってもいいでしょう。ようするに、「自分では舞台に上っている」という認識がなくとも(あるいは上るべき舞台がない状態でも)華恋は舞台に上らされるのです。観客がいるとはそういうことに他なりません。

今回の作品では、多くの舞台少女がこの構造に(観られることで舞台少女となる。少なくとも映像化されている本作の1:59:59のなかのどのシーンでも彼女たちは舞台に上っている)気付きました。そして、誰もがそれを逆手に取るように、規定の路線から逸れるような行動を取っているように思います。既に少しだけ触れましたが、これまで表現されなかった血が出る(ように見える)レヴュー、肩掛けが落ちても終わらないレヴュー、新たな変身バンク、完成されない舞台脚本。

いずれもこれまでのスタァライトからズレることで、徐々に別の作品になりつつある、というように言ってもいいんじゃないかと思います。この作品は星翔の九九組の卒業公演であり、未来に新たな劇団に属するまでの間隙に存在するものだという認識です。作品を俯瞰し、少しずつ作品の殻を破っていくことで新たな舞台少女になる。

九九組はみな、最後に肩掛けを外しましたが、それはアニメ「レヴュースタァライト」という舞台から降りることを意味します。彼女たちはこの作品から離れ、別の舞台に上ることになるのです。

ただ、華恋とひかりはまた少しだけ様子が違っていて、これまで付けていた髪飾り(運命の舞台へのチケット)を頭から鞄に付け直しています。これは九九組の肩掛けとはまた違った意味合いで、恐らく身体から離れた場所に(しかし自分の所有物の範囲に)置くことで、かれひかは適当なお互いの距離を見つけたと言っていいんじゃないでしょうか。自分たちが完全に同一個体のように信じていた華恋(そして幼少期のひかり)から、互いに一個体であることを認め、ライバルとして(あるいは何らかの感情の対象として)向き合うようになったかれひかの成長が描かれているように思います。

 

 

◎まとめ

かれひかは神だし、劇場版スタァライトはめっちゃ神。

何度でも観に行こう。自分の住む県ではやっていないけれど。

以上。何か矛盾とか考察として粗いところがあれば言ってください。時間があれば、よりよい考察を考えるかもしれない。

 

最近読んだ本の感想書くます

無事に金曜日の労働も終えたので自分と向き合う時間が来た。まこと素晴らしいことである。今回は最近読んだ本の感想を地道に書いていく。暇なので。

 

アゴタ・クリストフ悪童日記

読書やってる人間からすると今更かよ感あるが、今更読んだ。面白かった。ひとつひとつの断片(日記)から双子の性格が明かされていく。どこまでも論理的で感情を排した彼らが、暴力もひとつの手段、あるいは現象として取り扱い、死や危険と結びついている事実を論理だけで理解しているからこそ生まれる行動の数々が魅力的だった。今が苦しいなら死ねばいいというのはその通りだし、自分たちが生き残るためなら「愚かな」誰かを殺してもよいけれど、不当に誰かの心を傷つけるのはダメなのだ。このあたりの歪んだ倫理観を「歪んでいる」と思う大人にはハッとする物語なのだろうが、自分にはまあそれはそうとしか思えなかったのでそういう新鮮さはなかった。周りの大人や弱者である子供と歪んだ倫理観で対等にやり合い、それが実際に通じている(あるいは打ち負かす)のがこの作品の魅力だと思う。あと人称による設定もかなり良くて、それが物語の結末を一層面白いものに仕上げている。面白い海外文学。続編も図書館にあったら読みます。

 

②法月倫太郎『ノックス・マシン』

表題作の面白さはいまいちであり、そこまで面白くはない。『引き立て役倶楽部の陰謀』もミステリに熱心な読者でなければ良さは全く伝わらないと思うのでパス。

傑作は『バベルの牢獄』だろう。間違いない。この発想はもはや異次元のものであり、SFとミステリの類い希なる融合を示している。ここまで作中のギミックと物語が合致していて、また読後の恍惚感をドクドクと脳内に吐き出すドラッグを自分は知らない。法月倫太郎の名を世にとどろかせ、文学の歴史に残さんとする大傑作。是非読んで欲しい。最後の作品は面白くなさそうなので読まなかった。

 

米澤穂信さよなら妖精

ユーゴスラヴィアから来た少女にまつわる日常の謎を元に話は進むが、正直言ってミステリとしていまいちというか、これは自分がミステリをよく読んでいないだけだと思うが、「しょうもねえな」と思うネタばかりで面白くはなかった。が、ジュブナイル政治小説として読むと楽しめた。日本人が政治に無関心でいられるのは日本が平和だからであり、そうでない人々は政治と生活が密接している。それがある人の生き様にもなり、使命にもなる。ここらへんの熱意の差を自分の青春の空白を埋める何かと勘違いした主人公の悲しい物語である。このお話に若いうちに触れることができた学生はそれなりに幸福な人生が歩めると思うのでオススメです。政治に無関心な非モテの大人が読むと、甘い青春と政治への真摯な姿勢のダブルパンチを食らって惨めな気持ちになるのでオススメしません。僕は青春パートにちょいちょい苛つきましたが(自分はもうこういうのが無理なのかもしれない)面白かったです。

 

④ジャン二・ロダーリ『猫とともに去りぬ』

自分の人生でベスト級に好きな作品。ロダーリのギャグセンスと自分の相性がめちゃくちゃに良く、ことあるごとに「は?」と声に出して笑わずにはいられなかった。かなり短い物語が詰め込まれてるので非常に読みやすいとは思うが、ひとつひとつの物語が珠のように美しく面白いので、舐めるように読んで欲しい。ギャグセンスが壊滅的に合わない人にとってはクソつまらん本になり得るが、そうでないことを願いたい。なんか知らんけど人間は猫になったり魚になるし、ピアノを武器にするガンマンはいるし、バイクと結婚しようとする男も出てくる。支離滅裂な物語に間違いないが、そのどれもにツッコミは殆どなく、様々な生き方が肯定されてめでたしめでたしになる。まさに童話のプリパラ。

 

泡坂妻夫『しあわせの書: 迷探偵ヨギガンジーの心霊術』

法月倫太郎『バベルの牢獄』と並べられていたので拝見。なるほどなかなかに面白い本だった。ネタバレはこの本の未来の読者にとって良くないので詳細は省くが、自分としてはミステリも面白かったし謎の使い方も本であることの意味も追求している、非常に素晴らしい作品だと思った。表紙のデザインが安っぽく「騙されたかな?」と思うがそのあたりも含めて傑作。

 

倉阪鬼一郎『内宇宙への旅』

こちらもネタバレができない、バベルとしあわせの書の系譜の作品。何が面白いんだと思っていたが、なるほど気がついてからその労力に度肝を抜かれる。ただ、しあわせの書よりしっかり手は込んでいるものの、その努力が作品内の構造やモチーフとそこまで結びついていないのが残念。ものすごい本ではあるのだけれど、自分としてはいまいち推しきれない作品だった。

 

以上

社会人になったので寄付始めました

夏になるとそこらの店で冷やし中華が始まるように、社会人になると寄付を始める人間が増えるものだと思っている。知らんけど。

 

自分は偽善者なので、ホームシアターを構築して素晴らしい映画を観ていたり、図書館で借りた素晴らしい書籍を読んで満たされている時、ふと自分の恵まれた環境を客観視して、頭の隅にいる貧困家庭を思っては申し訳なく思う時がある。まあこの癖は常に発動する訳でもないし、申し訳ねえな、ごめんなと思うくらいで別にこれといったことは何もしないのだが、居心地が悪いので何かしらアクションを取るべきだなとは常々思っていた。そうじゃないと良い映画や良い本も味わえなくなる。

かと言って全く活動的ではない自分は、というより他人に自分の時間を使うのがめちゃくちゃ嫌な自分は、貧困とか虐待とかで悩んでいる子供に、できるだけ楽に、かつコスパよく支援できないものかと悩むことになる。大事なのはコスパである。

支援のコスパってなんだよと聞かれる人もいるかもしれないが、端的に言えば「中抜き」が支援のコスパを左右する。◎通とかパ◎ナとかでもそうだが、変なのが間に入るせいで送受信する関係がどこか歪になってしまうことは想像に難くないだろう。意思・報酬伝達が適切に行われないという点で、関係者は相手に不信感を抱くようになり、どちらも心にわだかまりを覚えてしまうので(中抜き以外は)誰も幸せにならない。

こういうのが「コスパが悪い支援」だということになる。

最近だと無料食堂で大量注文するフリーライダーが話題になっていたが、こういう「中抜き」が発生する支援というのは、支援側は支援している気になっているのだけれど、それ以上に心的・身体的負担が重くのしかかるうえに、必要な人たちに支援が行かないという点で歪だ。

さて、この件に言及した元支援団体代表の方がいるのだが、彼はこの方式(無料開放)は全くよろしくないと結論づけている。(いずれの方々もあまり表に出たがっていないので明言は避けます)

というのも、彼はかつて貧困家庭のために無料の食糧倉庫を解放していたのだが、いつしか無料だということを聞きつけたフリーライダーが大量発生したせいで 、支援すべき人と支援しなくても良い人を「選別する」必要が生じ、その責任の重みに堪えきれず鬱になってしまったのだ。彼は無料食堂とまったく同じ轍を既に歩んでいたのである。

実は自分は食料倉庫を開放していた彼の活動に賛同して、たった一度だけ米 5kgを送ったことがあるのだが、ちょうど自分が支援した時あたりからフリーライダーが大量発生したらしく、結局その米が貧困家庭に行き渡ったのか、よくわからんけど無料だからもらっていくかというテンションの爺婆に取られたのかはわからない。

で、前者なら良いのだけれど、後者に取られた場合、自分は非常にコスパの悪い支援をしたことになる。自分は金を出しただけだからダメージは少ないのだが、実際に注文した食品を仕分け、その食品がよくわからん人々に取られていく光景を目の当たりにした彼の心的疲労はとてつもないものだろう。もしかしたら、自分は金を出して善意のある人を傷つけ、善悪の基準が曖昧な人を喜ばせていたのかもしれない。考えるだけでぞっとするが、これが「無料」食堂の構造である。

これは「よろしくない貧困層への支援」の典型例だと言えるので、無料食堂に寄付をしたいという人には再度考え直して欲しい。一度お店が有名になってしまった以上、フリーライダーは絶対に何度も沸いてくる。倫理観のない日本人の割合を、めちゃくちゃ甘く見積もって全体の0.1%としたところで、いったい何人いると思っているんだ。想像以上にやばいやつは多いよ。

 

で、ここで「じゃあどこにも支援できねえなあ」と考えるのは違っていて、やっぱこういうのは特定層に特化した団体に寄付するのが一番だと思う。結局そこにいくんかいという感じだが、少なくとも「自分の時間は大切だから絶対に誰にも譲りたくないが、金をやるくらいならまあいいかな」と舐めたことを考えている自分のような人間にとっては、寄付がいちばんコスパがいいのだ。時間を払わず、金を払うだけで支援することになるので。

そんでもって、無料食堂の件を踏まえて、寄付先にもコスパの良さを求めるなら、確実に支援先に届く支援団体に寄付した方がいいです。なので、まずは自分がどういう層を支援したいのかを明確にして、そこに特化した団体を探す必要がある。

自分の場合は、貧困家庭の子供とか虐待される赤ちゃんがマジで可哀想だなと思うので、そういう団体に寄付することにした。だって可哀想じゃないですか?貧困家庭の子供とか虐待される赤ちゃん。普通にめちゃくちゃ可哀想だと思う。

というわけで、

①フローレンス 

赤ちゃんと母親の関係に焦点を当てている団体。子供の育児環境と母親のメンタルは非常に強い結びつきがあると思うので、良い路線を攻めていると思います。

月額1500円の寄付。

florence.or.jp

 

②カタリバ 

主に貧困家庭の子供への支援を行う団体。やや自分の思想とズレている気もするが、別に貧困に限らず困った子供のためになるなら何でもいいやと思うので、ここでも良いかなと。

月額2000円の寄付。

www.katariba.or.jp

 

というように、上の団体に計3500円/月の寄付を行うことにした。別にそんな大きな金額じゃなくて、競馬で2回くらいスった程度の金額だと思う。まあ年額にしたら47000円とそれなりの金額になるので(寄付は年収の1%くらいが良いらしく、明らかに自分はオーバーしている。そんなに高収入ではありません)、こうして観ると少なくはないかも。

ただ、翌年からは税金の控除も受けられるはずなので、実質支払う金額はそこまで大きくならない。それでも支払った分のお金は支援団体にいくので、結構コスパがいいんですよね、やっぱり寄付は(節税として)最高だと思うので、みんなも今のウチにやっておいた方が良いです。ウマ娘に続いて、今度は「寄付娘」がくるかもしれないから――。

 

最近触れた作品の感想(ポケスナとかピンチョンの49とかレイ・ハラカミとか)

あまりに更新していなくて申し訳がないので(別に義務感を覚える必要はないんだけど)、なんか雑に書きます。感想とかを……。

 

◎ゲーム

①NewポケモンスナップNintendo Switch

マジで面白い。最高です。

操作性:画質がかなり良くなったため、画面を回転させると酔いやすい。発売当初のドラクエ8とか最近ではOculusでも言われてたことですね。まあこれは慣れ。ただボールがあてづらいのがかなり辛くて、目的の位置にあてる行為をかなり要求されるゲームではあるので、ゲーム下手くそ君にはちょっとイラポイントがたまるかもしれん。まあそれを上回る面白さはありますけどね。

ゲームシステム:写真の講評については、オーキド博士のあの声が好きだったので残念だったのですが、☆1~4の評価、金銀銅プラチナ評価を設けたことで写真の取り方に一気に奥行きが生まれてやりこみ要素がアップしましたね。良いと思います。ただ一度に1枚の写真しか提出できない点でややイラポイントが溜まる。☆の数ごとに1枚なら良いのだけれど、これでは最低どのポケモンとも4回は向き合わねばならないので、ちょっとねえ。めんどい!クエストとかいうやつも増えたしな……やることいっぱいありますよ。自分は全部をやってはいませんが。

それはそれとして、個人的によかったのが「ふわリンゴ」の扱い。前作同様ポケモンにリンゴを投げることができるのだが、今回は「ふわリンゴ」としてポケモンに当たっても痛くないよという説明を加えることで(前作もあったっけ?)ポケモンに感情移入しやすいオタクにもきちんと配慮できている。こういう細かな気配りはいいですよね。

グラフィック:神。ポケモンの実在性がすごい。ただこれ64でも十分に感じられていたので、当時の64のグラでも世界観を構築することは出来ていたんだよなと思うと、案外画質って世界観の精密な構築に必要とされないのかもと思ったり。

 

総括:かなり良かった。かなり前から欲していたゲームだったが、期待以上の面白さで大満足です。とはいえ上記の理由によりやや時間が取られ、下手くそな為にややイラゲージも溜まるので纏まった時間がないと取り組みにくいゲームだと思います。リンゴやオーブを投げるのが巧い人には楽しさしかないと思う。自分の腕に自信のある方は是非。

 

 

②神田アリスも推理する(Nintendo Switch

el-dia.net

これね~~~~幼馴染百合が好きな人には本当にお勧めできません。

上から目線かつFF外から失礼して評価させていただくと、

(満点は☆5)

推理ゲーとしてのロジック ☆2

百合ゲーとしての文章表現 ☆4

全体的なシナリオ ☆3

キャラの可愛さ ☆5

人道性 ☆2

くらいの作品ですね。まず悪いところから書くと、愛の定義が雑すぎる。これにつきます。

まずみなさんに見て頂きたいのはこの発売記念壁紙なのですが(上に貼っている作品ページに飛べばDLできます)、これ何しているかって言うと、主人公のアリスちゃんが幼馴染の女の子の脱ぎ捨てたジャージを見つけて腕を通しているシーンなんですね。

f:id:negishiso:20210505133223p:plain

この辺りの表現がかなり良くて、幼馴染百合のオタクとしては最高に盛り上がっていたのですが、まあそこからなんやかんやでアリスちゃんは「その人のことを考えて下腹部が(性的に)熱くなることが真の愛なのでは?」という悟りを開くんですよね。つまり性的な後ろめたさを感じる相手こそが真の恋愛対象って話になるんですが、でもそれってアリスちゃんがこうして幼馴染のジャージを着て喜んでいた時も感じていた感情じゃん、それに似た興奮は幼馴染にも覚えていたじゃんって感じですんなりと納得できないんですよね。

まあその後についてはネタバレが過ぎるのでアレですけど、幼馴染百合が好きな人もそうでない人も、アリスちゃんの愛の気付きの論理の矛盾に眉を顰めることになるんじゃないかなと思います。勘違いしてほしくないのが、別に自分は幼馴染百合じゃないからキレているわけではなく(そりゃ勿論幼馴染百合なら最高ですけど)、思わせぶりな幼馴染百合展開を進めておいて、雑な論理で急に方向転換するのは辞めろっていう話ですね。だって途中まで普通にアリスちゃん、幼馴染を恋愛対象としてして見ていましたからね(少なくともそのように見えてしまう)。なんだかなあ。

 良いところは、作者の文章力が高いところ、声優が良いところ、キャラがめちゃかわいいところです。秋をテーマにした作品ということもあるのですが、それに関連した言葉選びが巧いのと、女の子の性的な恋愛感情の描写がかなりうまい、少なくとも男である自分にも感情移入をさせている、という点でかなりの技術はあるのだと思います。なので自分はこのゲームを頭ごなしに否定はできないです。

幼馴染百合が好きじゃない百合オタクには、最高のゲームになるかもしれん。自己責任で。

 

 

◎小説

トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』

かのトマス・ピンチョンに初めて触れてみました。どんな文章を書くんだろうと思っていたのですが、想像していたよりずっと繊細で、それでいて緻密に計算し尽くされた文章の設計士という印象を受けました。正直中身が詰まりすぎていて、まともな感想は書けそうにないのですが、(本当の)情報から隔絶された人間が、時折顔を見せる思わせぶりな「啓示」に導かれ、陰謀論という秘められた道を通り抜ける展開はめちゃくちゃ面白いですし、ところどころの文章表現が良すぎて笑ってしまうこともありました。宗教的な啓示を受けるシーンとか絶品で、ドストエフスキー『白痴』の死刑執行時の視点の描写に似た、自分の五感に文字が入り込む驚きがありました(ぼくは素晴らしい文章表現の引き出しをこれしか持っていません)。一番印象に残っているのは、ホテルでスプレー缶が飛び回ったり、メッガーとバンドの演奏を聴いたりするあの辺りかなあ。あそこらへんは研ぎ澄まされた(先鋭的な?)映画にしか生み出せない光景を見事に生み出しているというか、映画でこのカットが撮れたらもう大傑作確定だろ、みたいなシーンを文字で何度も描いてくれるところに魅力を感じました。

とまあ、ここまで書いたようなかたちで表面を触るだけでなく、もっと暗喩やらなんやらと考えるべき作品ではあると思うのですが、そこまでの熱意はないかな。もう十分に満足。さらに読みを豊かにしても良いのだが(それは巻末の解説で果たされているし)、この初見の読後感でも十分にピンチョンの世界の豊かさを味わえている気がするので、ゴリゴリのピンチョン有識者は気が向いたら教えてください。

 

カレン・ジョイ・ファウラージェイン・オースティンの読書会

設定は面白いのだけど、如何せんストーリーテリングが下手なのか、長編で書く内容ではないんじゃないかな~ということで半分くらい読んで挫折しました。こんなことは割と初めて(大抵の小説はつまらないと思っても最後まで読む)なのですが、映画化されていて小説よりそっちの方が人気らしいし、それで十分面白いらしいので映画を見ようと思います。感想は別記事にて後ほど(まだ観てないんです)。

 

◎音楽

音楽に対して興味がなく(というより文章や映像で手一杯)、どうしたものかなと思っていたのですが、無知なのもどうよ、まあ積極的に聞いていくしかないよねということで数をこなしていくことにしました。優しいことに、Spotify君は最近聞きがちな口ロロに似ているアーティストをオススメしてくれたので、そこから適当に選んでいきました。なんか言いたいやつだけ感想書きます。

 

Cornelius『Point』(2001)

『Smoke』かなり好き。低音と繰り返しが気持ちいいですね。こういう広義のややミニマル音楽(察して)みたいなやつ好き。終わりの海岸の音声を入れているのが秀逸で、Smokeと海がうまく繋がらないので混乱して、え、BBQとかの燃え残り?って感じになる。

Drop』も良い。このメロディ好き。

『I Hate Hate』良いですね。メタルのようでメタルじゃないギリギリの領域を攻めている気がする。こういうのを新解釈というのだろうか。違うか。

Drop Kings of Convenience mix』このミックスかなり好きだわ。聞いていてかなり気持ちいい。裏の小刻みな旋律が好き。

 

ゆらゆら帝国『空洞です』(2007)

『できない』3分ごろから間の抜けたハープのような弦楽器の音が加わってからは音楽が気持ちよくなった。そこからは好き。

『やさしい動物』かなり気持ち悪いな。声があまり好きじゃないのもあるんだけれど、音楽が非常に独特でめちゃくちゃ気持ちが悪いことになっている。歌詞も気持ち悪いのだけれど、その気持ち悪さとタイトルの『やさしい動物』の組み合わせはすごいと感じた。自分はできれば二度と聞きたくないです。

『なんとなく夢を』やっぱ自分は反復が好きかも

『学校へ行ってきます』情報が非常に混線している。歌詞と音選びに一体感を感じられずに訳の分からんことになっている。端的に言って耳障りで、せっかく良い歌詞なのに非常に勿体ない。俺だけなのかな。ひとつの曲として聞いた時の良さがわからん。

『ひとりぼっちの人工衛星』このアルバムのなかでは二番目に好き。人工衛星というイメージと曲調、歌声がマッチしていて最高に気持ちいい。歌詞はよくわからんが、メロディとの親和性が高いので好物です。

『空洞です』いいですね~。一番これが好きだ。音楽が良すぎる。空洞のものを叩く音が仕組まれているのが楽しいし、全部の音の組み合わせがめちゃ自分好み。こういう曲を大量に作って欲しいのだけれど、『やさしい動物』とか『学校へ行ってきます』とかの方が割合としては多いのだろうか。声の癖が強いような、あえて気持ち悪く歌っているような、結構際どいところを攻めているように思うので、そこと曲との親和性をどう考えているのかが気になりますね。

 

くるり『TEAM ROCK』(2001)

ワンダーフォーゲル』楽しい曲ですね。

『永遠』かなり良い曲。音楽が好きです。失礼かもだけど、歌詞は意味ではなく音として聴くと良い感じですね。

『ばらの花』なんとなくRADっぽいなあと思う。RADの方が後だろうけど。新海誠のアニメーションで使われてもおかしくないなあと思う。音が良い。

 

Rei Harakami『[lust]』(2005)

『joy』いいですね。落ち着くし楽しい。

『lust』これも好き。浮遊感、水のなかの反響を思わせる音の微かなブレ?が心地よいと思う。

『grief & loss』3分前後から入ってくる音楽、その後の音楽がかなり好み。

『owari no kisetsu』本当に天才だ!良すぎるだろう、これは流石に。

『come here go there』5分以降の気持ちよさは異常。なんだか泣きそうになってしまう。やばいな~。

 個人的な収穫は、Rei Harakamiという天才の存在を知れたことと、ゆらゆら帝国とかいうヤバい奴らを敵として意識したことですね。

 

以上。

アッバス・キアロスタミ『ジグザグ道三部作』観た!

アッバス・キアロスタミ『ジグザグ道三部作』を観た感想。

 

①『友だちのうちはどこ?』(1987)

映像としての完成度が高すぎる。なんだこれは。イランの日常をそのまま切り取って、「日常」を「映画」に昇華している。あるいは日常と映画の紐帯を見いだし、それを映像のかたちで表現しているような作品。本当に感動した。子供は常に虐げられる存在で、大人からの指示は絶対である。おそらく「学校」というものが出来て時が経っていないのだろう。家庭の大人は子供に教育を施す重要性を理解しておらず、家庭内の年長者は暴力で子供を支配し、家の手伝いをすることが何よりも重要であると思っている(宿題の優先度は家庭によって曖昧ではないか)。一方で学校の教師は、宿題が絶対で子供は何としても教育を受けねばならないと考えている。この旧時代と新しい時代、親と教師という、子供が抗えずに従う他ない状況のなかで、主人公のアハマッドが宿題をやらずに家から抜け出す時の逡巡と決意が最高で、本当によい映像だと思う。道中では大人にいいように扱われ、人に頼りながらも結果としてそのノートを届けることができなかった彼の悲しみは非常に心を打つし、その時に見せる家族の優しさもびっくりするくらいに良い。母親の優しさ、家庭の包容力を見せてから学校でのシーンの流れはあまりに完成されていて、様式美なのだけれどこの作品は「日常」であるから、「虚構」を越えた力があるように感じられて恐ろしい。自分は泣きました。大傑作です。

 

②『そして人生は続く』(1992)

映画のメタフィクションとはなんだと思ったが、まさかこういうことをするとは。前作『友だちのうちはどこ?』を実際の映像作品として扱いながら、それを撮影した監督(現実ではキアロスタミだが、この作品ではファルハッド・ケラドマンが演じる)が、現実に起こった1990年のイラン地震の被災地を訪れるという形式になっている。つまり、この映像は前作よりも一段階高い次元に、間違いなく現実に基づいたドキュメンタリーになっているわけだが、監督がキアロスタミではなく偽の監督を使用している点で「嘘」をついているし、それぞれの住民は時々「自分の本当の家はこれではない、映画だからこの家を使わせてもらっている」などの発言を行う(本作は映像として現実作品を誠実に映しているわけではない)。ここに本作がセミ・フィクションに分類される所以がある。

さて、内容の感想に移るが、自分はこの作品の監督(ファルハッド・ケラドマン)の立ち位置に非常に興味がある。監督は「絶対に車から降りない」「被災者を労らない」のである。もちろん歩く時もあるが非常に稀で、それは自らの生存や息子のため(息子に水をもらうなど)に降りることが殆どで、常に利便性や自己の欲望に走っている印象がある。インタビューでもそうだが、非常にセンシティブな話題に遠慮無く突っ込みながら、身内が死んだという被災者の言葉に弔いの言葉、同情の言葉を一切かけない。情がないというよりかは、あくまでイラン地震の状況を明らかにする「上位存在」として機能しているような気がしてならない。しかもそれは不完全で、自分に不利益がないなら被災者を助ける(車に子供を乗せる)が、これ以上重くては坂を上れない、という状況では車に乗せて欲しがっている人を乗せようとしない。この監督自体が偽のキアロスタミとして映像のなかで映っているのと同じように、この監督は偽の神として(息子も被災者に神の言葉を教えているし、神を擁護している点で結構それっぽい)機能している。そして、ラストのジグザグ道のシーンでは、偽の神である監督に助けられなかった男が、困っている監督を助けるとその神の車に乗せてもらえる映像で幕を閉じる。ここに、被災により善良な人々が大量に死んだことによる「神への不信」を、なんとかしようとしたキアロスタミの苦心が感じられる。監督の息子も口にしていたが、「神の裏切りは魂をよくする契機に過ぎず、それでもめげずに神を信仰するものこそ救われる」というメッセージがあるのではないか。少なくとも自分はそのように観た。

作品の完成度としては、かなり特異な立ち位置であるうえに、映像としての良さは正直あまり無い。が、これらは三部作として扱うべき代物だと思うので、一部と三部を繋ぐ役割を担っている、それだけで評価をせねばならないと思う。

 

③『オリーブの林をぬけて』(1994)

これが本当に良かった。面白いことに、一部作、二部作をいずれも虚構の作品として扱い、三部作のなかでもっとも高次な立場であるにも関わらず、これまでで尤も映画らしいと感じた(日常生活を感じなかった)。実は構造としては、2017年の話題作『カメラを止めるな!』と非常に似ている。二部作のあのシーンでは実は……という裏話を三部作が担っているのだ。この作品の良いところはその一点と、決して振り向かないヒロインにあるように思う。逆に言うとそれ以外はあまり良さがないのだが、かと言って悪いところが見当たらないし、ヒロインが決して振り向かないという断絶は、物語を駆動させているし人間関係の要にもなっている。非常に面白い。ラストの長回しはその過剰とも言える余韻のなかで、二人が決して交わらないことを知る。楽しい映画だと思います。

 

映像として好きな順番としては①、③、②かな。でもメッセージの力強さは②が圧倒的なのでなんとでも言えると思う。キアロスタミの作品もっと観たいです。観ます。

 

パトリシア・ハイスミス「回転する世界の静止点」読んだ!

最高の文章を読めて笑顔になっています、今。タイトルからしていいもんね、これ。

というわけでパトリシア・ハイスミスの短編集です。彼女は『見知らぬ乗客』と『太陽がいっぱい』で有名っぽいのですが(自分はいずれも知りませんでした)、そこからではなく千葉集の『回転する動物の静止点』の元ネタとして知ったかたちです。

 

以下、本当は全部に感想を書くべきなんだけれど、個人的に気になったものだけ書いちゃいますね。

『素晴らしい朝』

新しい街に引っ越してきて、すべての風景が輝いて見えていたのに、なんか途中から普通に自分が疎まれていることに気がつき、どんどん風景がくすんでいく様が描写されており、かなり良かったです。面白い。

 

『魔法の窓』

『素晴らしい朝』でもそうだったんだけど、自分の能力を過信しているというか、純粋な希望を持った人間の期待をへし折るのが巧い、パトリシア・スミス。切ない。

 

『ミス・ジャストと緑の体操服を着た少女たち』

これ本当に好き。文章が巧くて、子供と教師の描写に笑える。始まりから終わりにかけての14Pでミス・ジャストを中心としたひとつの世界の創造と破壊が綺麗に描かれていて、こっちも自分の能力の過信をポキリと折ってくるタイプの物語なんだけれど、この作品は子供の無邪気さでその切なさが中和されていて、どちらかと言えば明るい夜明けのような心地になれる作品。好きなんだよな。

 

『ドアの鍵が開いていて、いつもあなたを歓迎してくれる場所』

これも本当に好きで、ADHD気味な女性、ミルドレッドが姉のイーディスを自分の家に招くために奮闘する物語なんだけれど、希望を抱いては上手くいかずに悲しくなるこれまでと同じテイストの話です。なんだか読んでいるこちらまで悲しくなってくるんだけれど、笑えるような不思議な精神状態になる。これまでの話が合うならこの話も合うし、合わないなら合わないだろうなあ……。

 

『広場にて』

これ傑作ですよ。物乞いするほど貧乏だったけど顔と愛嬌だけは良かった男の子が、地元のコミュニティから抜け出し、自分たちと全く違う人種と絡むようになってどんどん「上流階級」に塗り替えられていく。その子が最終的にたどり着くところ、ラストシーンの表現がこれまた良くて、思わず唸ってしまった。

 

『虚ろな神殿』

これも本当に好き。入り方が天才で、狂気と対峙する人間の息遣いや手汗を文章に滲ませることってできるんだと本当に感心した。何も持っていない少女に妄想を吹き込み続けた結果どうなったか、その始末を自分がせねばならないという設定なんだけれど、この時点で異様に面白い。本当に設定と描写が天才。

 

『カードの館』

これも面白い!ストーリーテリングが上手すぎるんだよな。贋作に価値を見いだす男と、贋作として生きてきた女の出会いも綺麗に描かれているし、本当に小説がうまい。

 

『自動車』

こんなひどい話があるかよ、と思うのだけれど、不幸の畳みかけの描写が面白すぎて大好きな作品。ラストのスピード感がすごい。

 

『回転する世界の静止点』

タイトルでもう勝ち。公園に子供を遊ばせている母親同士の邂逅が、彼女たちの視点から紡がれるのだけれど、その視点変更がかなりシームレスで回転するようにクルクル回るのが印象的。親としての義務、近所づきあい、社会などの回転する概念のなかで、女として愛される喜びだけが静止し続けている。これは退廃的な誘いで先には破滅しかないのだけれど、親子ともに公園に惹かれてしまう。この蟻地獄のような「中心の静止点」の表現が面白いんですよ。

 

『静かな夜』

老婆百合、とでも言えば目を引くだろうが、実際にかなり面白いことが静かな夜に行われている。ハティに嫌がらせをされ、殺意に繋がるほどの強い感情を向けてもなお、相手を傷つけることができないアリスのどうしようもなさ、内向性は完全にオタクが大好きな百合です。

 

『ルイーザを呼ぶベル』

割と酷い話が多かったこの短編集だが、最後の読後感は幸せで良い。自分の目論み通りにはならない人を中心に描きながらも、最後にこの作品を持ってきて他人の優しさを美しく描く本作が好きです。

 

以上、殆どの感想を書いてしまったけれど、それくらいこの短編集は自分にとって当たりが多いものだった。作品の質の割には、あまり知名度がない印象なので、いろんな人に読んで欲しいやつですねこれ。

 

桜井晴也『人類の最後の夜』読んだ!

久しぶりの感想。知り合いに教えてもらったので読んでみた。作者さんがブログで無料公開されているので、気になった方は是非読んでみてください。

首吊り芸人は首を吊らない。

 

あえて文章をややこしくしており、自他の境界を曖昧にし、言葉を誰かの所有物にしないようにしている印象を受けた。そのうえ、境界に触れる単語の数々を平仮名でひらくことによって、分断や刺激を極力弱めようとしているように思う。

恐らくだが、この文体はもろに岡田利規の影響を受けているのではないか。作者さん好きらしいし。戯曲『三月の5日間』も同じような回りくどい言い回しによって、戦争とか人間関係における言語の責任をなすりつけ合っている(そこから離れている)印象があるので、この作品でも同じことが行われているのかな。

作品内容としては、沢山の人間を殺した男と、その男の恋人の女の話だが、上記の通り序盤は(中盤からかなりすっきりする)ややこしい文体で非常に文意が読み取りにくい。流れとしては、「大量殺人した俺をお前は軽蔑しないだろう」と男は言い、女は「わからない」と言うのだが、それをなんとか知りたい(はっきりさせたい)両者による問答が始まる。男が「俺はお前を愛している」と言うと女は「それはわかる」と返すが、今度は男が「いや分かっていない。お前は俺を軽蔑している」というやりとりがかたちを変えて何度も行われる。

以下引用。

あなたがそれをわたしにわからせようとしていないんだよ、ねえ、こうやってあなたの顔を見つめていると、あなたの顔の部分部分からあなたの欲望が糸をひいてたれさがっているように思えてしかたがないんだ、あなたはその欲望の糸にからめとられてもがきながらあなたの愛をただしいものにしようとしているみたいだ、ねえ、わたしを愛することがあなたにとって究極的にただしくなければあなたはわたしを愛することはできないのかな、わたしはただあなたの愛のただしさを証明するためにだけ愛されているのかな、そんな愛しかたなんて、わたしにとってはもう暴力でしかないんだよ、あなたがわたしを愛しているそのかたち以外にもたくさんの愛のありかたがあるはずなのに、あなたはただあなたのなかにあるたったひとつの愛のありかたを正当化するためだけにわたしのなかにあるたくさんの愛のありかたを踏みにじって、そして傷つけている、ねえ、わたしはあなたの愛のただしさを証明するために存在する奴隷じゃない、いまのあなたは、まるで、わたしに知恵を持たせないために生きているみたいだ、わたしが知恵を持つとあなたというにんげんの一部がそこなわれて、その欠けた部分を暴力で埋めあわせなくてはいけない、あなたはそう思っているようにわたしには見えてしまう、あなたがそう思っているとしたらそれはとてもひどいことで、そんなふうになってしまったわたしたちのおたがいの思いかたもまたとてもひどいものだよ。

結局「一方的に他人を愛し、束縛すること」のひどさを告発している文章だが、この辺りは前の男の「おまえは~はずだ」という決めつけによる不快感によるものだろう。ただ男がこうするのにも理由があって、男曰く他人から愛されることで薄皮を剥がされる、それが人間であるのだという。男にはそれが堪えきれず、自分の薄皮は自分の好きな人にだけ剥がされたいとので、世界の人類をすべて殺害したという話に繋がる。すべては男の考える愛についての不信感の話で、以降の記述でも、愛することがひどく残酷、利己的なもので、どろどろしていて、「隣にいるから」という理由があってようやく「他人」に施しを与えようという気持ちになる程度には愛は軽薄なものだと男は思っている。そんなだから男は「女が男を愛している」という軽薄な事柄に不快感を覚えてしまうという話だ。

そんでここから視点が変わり、ある村の女の子と女の子の話になる。ここからはいい百合なので是非読んで欲しい。

登場人物に作中の男のような立場の人間として、女の子の父親が出てきて、生まれる代わりに愛する妻を殺した自分の娘に本気で罪を償ってもらおうと考えている。ただ、それはそれとして男自身も妻を愛したように憎い娘を愛そうとしており、それは娘も「産んでくれたけど顔を見たこともない母親を愛せない苦しみ」を抱いている点で父親と同じである。父と違うのは、娘には自分を愛してくれる幼馴染みの女友達がいることだ。

ここでは「愛せない人をどのように愛するか」というテーマが「愛する/愛せない=罪」という観点のもと繰り広げられる。

女友達は、愛すべき人を愛せなくても、誰かを愛したという気持ちを拠り所にして生きるべきと諭すのだが、その言葉に救われた娘は女友達にもらった分の愛をどのように返そうか考えるなかで、ある村人の金貨を盗み、結果として多くの人を殺すキッカケを作ってしまう。以下はその後の娘の女友達の台詞。

わたしを殺しなさい、と彼女の友達は言った、あなたはわたしのために罪を犯した、だから、あなたの泥棒の罪はわたしがすべてをうけおう、それをきっかけにして村のひとたちのすべてがたがいを殺しあってしまった罪もわたしがすべてうけおう、あなたは、これからわたしを殺した罪だけをうけおえばいい、でも、それはけっしておおきな罪じゃない、だって、あなたはわたしににくしみなんて抱いていないんだから、だから、それはあなたひとりでせおっていけるはずだ、彼女はその鍬を手にとってたちあがった、彼女の友達は彼女のまえにひざまずき、その足につよく唇をおしあてた、愛しているよ、と彼女の友達は言って、泣いた、彼女はその鍬を彼女の友達の頭に思いきりふりおろした、大地に、この地上で最後の血が流れた。

ここで女と女友達の回想は終わるのだが、このシーンで語られていることは罪のなすりつけあいなんじゃないかなと思う。女友達は否定するが、「愛すべき人を愛せないこと」は罪であるという考えが父親と娘を支配しており、この観念は上で述べた男の女への愛の不信感の基にもなっている。で、父親は「愛すべき人を愛せない」ために自殺したのだが、女の子二人は「愛せないこと」を罪とせずに、「愛せない人(娘)に自分を愛するように近づいてしまった」女友達の方に罪をもたらそうとする。

以下は回想を終えた男の引用。

罪の前提には愛を必要とするんだよ、愛されているから罪を感じるんだ。
 彼女は沈黙をした。
 もうすぐ俺は世界で最後のにんげんを殺しおえる、でも俺はおまえと生きつづけるよ、俺はおまえを殺さない、だからおまえも俺が世界のすべてのにんげんを殺した罪によって俺を殺さないでくれ、罪は俺たちがほんとうに愛しあったあとにやってくるんだ、俺たちはこれからも世界のすべてのにんげんを殺した罪を抱えたまま生きていくんだよ、そして俺たちも俺たちの巡礼をはじめるんだ、俺ひとりでじゃない、ふたりでいっしょにいくんだ、俺たちはこれから人類が死にたえた道をふたりでどこまでも歩いていくんだよ。
 あなたは、あのひとに感化されたんだね。

 ここで、先に述べた「愛する/愛せない=罪」というテーマが明かされる。この公式よりも罪の前提に愛があるという表現の方が正しく、逆に考えると、罪を感じることでようやく愛を感じることができるという図式が生まれる。これこそ男(と女)が望んでいたことであり、「愛を感じたいがために罪を犯し、その罪が成立するまでは、愛を感じるまでは罪を罪として終わらせないで欲しい」という意見がようやく認識できるようになる。ここまで来るのが本当に長かった。

彼は彼女のそのしぐさをせつじつな目で見つめていた。彼女の頬に月の光がふれ、青白く染めていた。泣いているようだった。
 おまえの横顔は世界を爆撃しているようだよ、と彼は言った。
 すこしふとったかな、と彼女が訊いた。
 なにが。
 指が。
 指は、ふとらないだろう。

ここは単に自分が好きなところで、横顔が世界の爆撃をするという表現の良さもさることながら、これは女自体も世界の人類を殺害した可能性を示す。また、これまでずっと自分の感情を頼りに事実を作る男と、事実を基に感情を作る女の対立があったのに対し、女からコップの水のなかの指を見て「(錯覚で)ふとったかな」と発言し、男がそれを否定するところに立場の逆転がある。要するに、この後でも告白されるが、冒頭で男が女に感じていた不信感を女も感じており、その逆転が非常に巧く表現されているように思える。

 数千年後、彼は世界のまんなかの道を歩きつづけていた。夜を失った世界はおだやかな陽の光を彼にあたえつづけていた。彼はやわらかなパンを右手に、おおきな花束を左手に抱えていた。ふりむくとそこには彼女がいた。彼女はいつでも彼のうしろにいた。彼は道にくずれおちた。歩きつかれ、足はもう動かなかった。彼女は彼にそっと近より、そのかたわらにしゃがみこんだ。世界にはだれもいなかった。花は枯れ、パンは石に変わっていた。彼は大地を見つめていた。彼はその大地に接吻したいという誘惑にかられていた。そこに接吻をすれば、彼にとってのすべてが完全になるような気がした。でも彼は接吻をしなかった。大地から目をそらし、よわよわしい視線で彼女の顔を見つめた。彼女はふところからちいさなパンをとりだし、彼にわたした。彼はそのパンを手にとり、数千年ぶりの涙を流した。彼女のなかに、すべての人類がやすらかにねむっていた。

ラストシーンだが、ここらへんは上記の男の「愛を感じたいがために罪を犯し、その罪が成立するまでは、愛を感じるまでは罪を罪として終わらせないで欲しい」という思想を基にした美しい描写になっている。ここで行われている「大地への接吻」は、物語(男の回想)のなかで村の住人を殺した娘が行っていた贖罪の証であり、これをすることは罪を罪であると認めること=二人の間に愛が成立したと確定させることである。それをせずに、冒頭で男が例としてあげたように、また物語で女友達が女にしたように、隣にいる女が男のためにパンをあげるという行為に「愛」が表現されている。

かなり巧い作品だと思った。

 で、作者のこの愛についての考えはブログのタイトルや作者紹介にも反映されているような気がする。

ある売れない芸人が、支配人に言った。
「絶対に観客に受ける芸を思いつきました」
支配人は言った。
「ほう。それはどんなものだい?」
「舞台の上で首を吊るんです」
支配人はしばらく考えたあと、こう言った。
「だけどきみ、その次の日はどんな芸をするんだい?」

 

 『首吊り芸人は首を吊らない。』作者紹介 

ここで言われているのって、何かを得るために楽をするな(死ぬな、というより罪を背負うなという方面が近いかな)ということであり、まんまこの作品に当てはまると思う。見えないものを見ようとするための手段として非常に地道な作業を好むというか、まあそう考えると作中の娘は簡単に接吻をしたという点でその愛の真偽性が疑われることになるので複雑だけど、それはそれとして作品としての完成度はかなり高くてよかったと思う。最初の回りくどさをもう少し軽減させてもいいのかな(すっきりさせても開いた文章でこの岡田利規っぽい空気感はそこまで損なわれない)とは思ったけれど、この辺りの感想はお節介だろう。とてもいいものを読めた。有難うございました。同作者の「世界泥棒」を読んでみたいですね。