新薬史観

地雷カプお断り

「神」という言葉の音声的ニッチと、自カプの絶対性について

昨日、ぼんやりと自カプについて考えていて、やはり自カプが唯一正しいと思い至る。何百回目の天啓であり、「Eureka!(発見した!)」に近い論理的整合性も満たしている。オタクは常に話を誇張するものだが、自カプに関しては特にひどく、ある日突然、ひとつの世界の創造主になったりもするのだ。

自カプしか存在しない、素晴らしき新世界である。

自カプ自カプと何度も書いたが、当然、自カプのキャラが絡まない他カプの正しさもそれはそれで担保されている。簡単に言えば○○■■と▽▽◇◇は成立するだろうし、○○■■と▽▽○○は成立しないのだ。構成要員が被るといけない。それはニッチ(生態的地位)のようなもので、「ひとつ分の陽だまりにふたつはちょっと入れない」のである。(ハーレム、総受けなど特殊な事情は除外するとする)

で、つらつらとオタクの御託を並べてきたが、これは神についても当てはまるのではないかとふと思い至った。

「神(かみ)」という音声についてである。

神というからには絶対的な存在であるのは、誰もが認めるところであろう。どの国にも存在しているだろう神話、世界の創世記、その背後にいてこの世の理(ことわり)こそが神である。宗教の云々はともかくとして、無宗教が多い(自分もそうだが)日本でも、そのイメージだけは伝わっているはずだ。

何が言いたいのかと言うと、「神」はすべての根源である、という前提と、神への畏敬の念から考えると、「カミ」という音声は、本来ならば絶対的なものとなるはずである、そういう話である。

この文章の意味が伝わるだろうか。

自分でもこのイメージがあやふやなので、もう少しかみ砕いて説明すると、「永久欠番」という言葉が助けになる。

永久欠番とは、野球など背番号を用いる競技で、多大な功績を残した人物が使用した番号を、その人物の功績を称えるために、あえて今後も使わない、という考え方である。

ホームラン王で5000億回チームを優勝に導いた315番のねぎしそという選手がいたとすれば、みんな尊敬の眼差しでねぎしそを見つめるだろうし、「いやいや!ねぎしそさんと同じ番号なんて!」と恐れ多くて315という数字をつけたがらないだろう。

それが、なぜ「カミ」という音声で起こらないのかという話である。

カミこそがこの世の起源であり、信仰対象となり得るなら、今後出てくる言葉のすべてが、「カミ」という音を持つことはあり得ないのではないか。

だってすごいじゃん、神。永久欠番なんてものではないでしょう。

造語だが、「永久欠語」になってしかるべき存在である。

もっと言うなら、普段使わない言語体系で「神」を書き示しても良いレベルでは……なんてことを考えていると、そういえば事実、旧約聖書新約聖書に出てくる唯一神ヤハウェの綴りは「YHWH」の神聖四文字であり、これだけでは読めないようになっている。ヤハウェというのは、「YHWH」を無理矢理音にして読んでいるだけであり、どの音で読むのが正しいのかは、未だ分かっていない。だって、母音と子音が揃ってないから。「みだりに神の名を呼ぶな」ということで、寧ろそのままでもいいんじゃないかと放置されている。要するに、「無音」(神の名を口にしない)という新たな言語体系で、神という絶対的な存在を示しているのだ。面白いじゃあないか。

しかしながら、日本はどうだろう。「カミ」という音を持つ語はかなりあるではないか。実際に携帯やパソコンで「kami」と打ち込んでみると……。

神、紙、髪、噛み、上、加味……。

あの「神」に、これだけの音が被っているのである!

 

ゆ、許せねえ…………!!!!!!!!!

 

これは自カプに対する挑戦であるとも言えよう。

なんでそうなると戸惑う方も、落ち着いて次の行に進んで欲しい。

まず大前提として、神という絶対的な存在がいるから、自カプも絶対だと言えるのだ。

なぜか? もし仮に「神」が存在していなかったら、この世に「絶対」という概念が、果たして導入されただろうか。

いや、寧ろ逆だろう。何が正しく何が公平か分からないこの世界において、「絶対に正しい」ものは必ず必要になってくる。それを保証してくれるものが世界の創造主である「神」なのだ。

他にも、何らかの言明に対し「神に誓って」などという言い回しもある。これも宗教を挟むものの、「絶対」という概念と結びついてくるだろう。

要するに、神とは「絶対性」の担保なのである(個人の感想です)。

そういうわけで、神様には自カプの「絶対性」の保証のためにも頑張ってもらいたい、ということになる。自分は自カプの絶対性を信仰しているようなものなので、同時に「神」という言葉も信仰することになる。

みなさんもそうですよ!?

神こそが自カプであり、加味も噛みも上も髪も紙も全部地雷カプである。

俺の「神」に音を被せるな!

 

と、ここまでキレたが、実際にどうして「カミ」という音がここまで意義を持ってしまったのか、というのは気になる。他の人がどうかはしらんが、自分はめちゃくちゃ気になった。

これについて地雷カプへの恨みをグチグチと並べる鍵アカで呟いたところ、フォロワーから「いや、そもそも神と紙・髪のアクセントが違うから、音的には別物でしょ」と指摘された。

なんでも、神は「か↑み→」で、髪・紙は「か→み→」らしいのだ。

自分からすれば、神も紙も髪も全部「か↑み→」だったので、音の区別はないと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。

更に話を聞くと、神と紙・髪の音の区別があるフォロワーは、関東圏、中国四国あたりに住んでいた。一方、自分は関西出身である。

……えっ、方言なの!?

あるいは、俺の言語体系だけが神を否定しているのか。それは適わんということで、フォロワーにアンケートを実施してみた。その結果がコレである。

  

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神と髪/紙の音について

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神と上について

なるほど。

結果としては、「神」と「紙/髪」の音の区別がない人間が1割、「神」と「上」の区別のない人間が2割ほど存在するようである。この無神論者め!

とはいえ、方言の可能性が高いようなので、一概にこれとは言えないかもしれない。どちらも大多数は音の区別が出来ている ようだし、日本人としては(このアンケートの回答者が日本人であるという根拠は何処にもないが)神とそれ以外の「かみ」という音の区別はついていると言っていいだろう。

そうなると、自分の「神に音を被せるな!」という怒りは全くの見当違いだということになる。

みんなは音を被せてなくて、自分(関西圏)だけが音を被せていたんだね……。

そっか……。

いろいろ悲しいところはあるが、日本国でも「神」の音が保たれていたようで、何よりである。個人的に気になるのが、1割でも「神」と音を被せている自分のような存在であり、そのような人間は「神」という語に神聖さを感じないのか!?と自分を棚に上げて憤っているのだが、例え方言でもこのような現象が起きているのは、日本(関西圏?)の信仰心の無さがそうさせるのだろうか。

他の国の宗教による「神」の音声と、その独立性、絶対性についても調べてみると面白いかもしれない。

 

※ちなみに

「神」は「上(かみ)」から来ている、と考える人が多そうだが、実はそうではなく、アイヌ語の神を示す「カムイ」から来ている、という説の方が有力らしい(wiki調べ)。

へーそうなのか、と思いつつ、アイヌから「神」という言語が来ているのなら、日本にヒトが渡来してきたルートは、樺太経由の北海道ルートというのが最もありそうだと考えてみたりする。既に何百人も考えていることだろうが、言語のルーツで自分自身の由来を探るのは面白い。

以上おまけだが、「神」の詳しい語源・音声については、みんな大好きウィキペディアに多くが書かれているので、興味のある人は読んでみるといいかもしれない。

ja.wikipedia.org

 

まあ何はともあれ、今日も神が絶対的でよかった。

推しカプちゃんは、今日も世界で唯一正しい存在である。