新薬史観

地雷カプお断り

地雷カプへの向き合い方

marshmallow-qa.com

 

マシュマロをいただきましたが、返答が長文になるのでブログに書きます。

今回いただいたやつは以下の通りです。

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定期的に話題を蒸し返して申し訳ないのですが、どうしても地雷カプを許容できません…
冷静に判断すると、そんな酷い内容でもない・普通に可愛かったりするイラストでも、地雷カプというだけで拒絶反応が出てしまいます…
なにより、地雷カプ界隈のノリが合わない連中(キャラの性格をカプのために歪めたり虐めたりグロい目に遭わせて喜んでる連中)のことが頭をチラついてしまい…
そいつらに与することになってしまうと考えると、どうしてもRTなどはできません…
そういった連中のことなど忘れて、普通に地雷カプとも向き合えるようになりたいのですが(愚痴ツイートでフォロワーも失いました)
どのような心構えを持てば、憎しみや嫉妬に支配されず、地雷カプともっとまともに向き合えるようになるでしょうか…?(長文すみません)

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なんか地雷カプお悩み相談室みたいになってますけど、まず自分はただの地雷カプにキレているだけのいちオタクというのをご理解ください。もちろん藁にもすがる思いというのは理解しますし、頼れるものは何でも頼っていいと思うので自分としてはどうぞという感じです。が、「私を信頼しすぎないように」というのは何度も言っておきますね。念のため(なので自分のアドバイス?が誤っていると感じた人はお気軽にマシュマロやこの記事にコメントを頂ければと思います)。

 

さて、まずひとつずつ自分の感情と向き合っていくのが良いかと思います。

どうしても地雷カプを許容できません…

結論から言うと、(個人的には)許容しなくていいと思います。地雷カプ(に限らず、自分の嫌いなもの)を許容しなければならない、という法律もルールもありませんので。ただ、自分のなかである事物の「存在を許せないと思う」のと、「存在を許せないから攻撃する」のは全く違います。

ここで、これからの地雷カプとの接し方の方向性を決めるために、改めて自分が一番どこに不快感を覚えるのかを整理するのが良いかと思います。

例えばマシュマロ主さんは、地雷カプ界隈の人々のことを

地雷カプ界隈のノリが合わない連中(キャラの性格をカプのために歪めたり虐めたりグロい目に遭わせて喜んでる連中)

という言い方をしています。また、

そういった連中のことなど忘れて(中略)

憎しみや嫉妬に支配されず

などと書かれておりますので、地雷カプの「連中」を「忘れたいほどに憎んでいる」のかと思います。

気になったのは

普通に地雷カプとも向き合えるようになりたい(中略)

嫉妬に支配されず

 の箇所でして、主さんのなかで「地雷カプ」と「地雷カプのオタク」は別のカテゴリなのかなと思いました。つまり、「地雷カプのオタク」は許せないけれど、「地雷カプ」が存在する事実自体は解釈の多様性として認めたいということなのでしょうか。

また、「嫉妬」というキーワードから察するに、主さんが属しているコンテンツでは「地雷カプの作品のほうがコンテンツ内で広く読まれている、楽しんでいる人が多い、評価されやすい」などの現象が起きているのかなと考えました(間違っていたらすみません)。

 

これまでの類推をまとめると、以下のような状況になるかと思います。

①地雷カプは自分の解釈(あるいは原作通りの設定)と全く異なる。キャラの性格を歪めている。

②コンテンツでは、地雷カプで盛り上がる人が非常に多い(自カプに比べて人気である)。

③一方で、マシュマロ主さんは、最近その地雷カプ自体を「カプ解釈の多様性」として認めようと心がけている(例えば、普通にかわいいだけのイラストを見る程度には許容できないものかと考えている)。

④しかしながら、どうしても地雷カプというだけで厳しい。見るのも嫌で、思わず愚痴が出る。そのせいでフォロワーも減ってしまい、人間関係に疲れてしまった。

 

マシュマロの内容(から予想したものを)を整理すると上のようになります。

で、おそらく主さんはこの①から④にかけての心労がいっぺんに来ている状況ではないかと思います。そしてこれらはすべて、別の感情から来ていると思いますので、分解する必要があるのかなと考えました。一緒に整理していきましょう。

 

①自カプと全く解釈の違う地雷カプへの向き合い方

まず①ですが、これは自分も非常に覚えがあります(全く違ったらすみません)。まず「他のオタクから(大勢の人々から)自カプが理解されない不快感」「他のオタクがどのように思考して地雷カプを成立させているのか一切わからないことに対する恐怖(未知への恐怖)」「キャラの性格を歪ませることに対する怒り」などでしょうか。

この辺りの感情を整理する方法については、自分も最近勉強中ではあるのですが、まずは「反例」を探すことが重要なのかなと考えています。

と言いますのも、おそらく主さんは今「地雷カプのオタクは全員キャラの性格を歪ませる訳の分からない連中」というようなイメージを持っているのではないでしょうか。少なくとも僕は、地雷カプのオタク(のほとんど)をそう思っています。

しかしながら、この前たまたま「地雷カプのオタクでありながら、自分と解釈が大きく違わない人」とお話する機会があり、冷静に「地雷カプが成立する思考回路」について伺いました(ここでは自カプをAB、地雷カプをACとさせてもらいます)。

その人は文章の解釈の多様性を大事にする方で、「キャラAの設定とキャラCの設定から、こんな関係性が想像できるのではないか」というスタンスを持っており、最低限原作の設定を踏まえたうえで、「解釈の仕方によっては、ACの関係性はさらに面白く、豊かな関係性になりえるのではないか」と考えていました(例として、星と星をつないで様々な星座をつくる感じだと仰っていました)。

で、この思考回路は自分がこれまでに地雷カプの成立根拠として聞いたことがないものでした。ツイッターで地雷カプの成立過程をサーチしていると「AとCの顔が良すぎる♡」「ACのカップリング曲があるから好き♡」「ここ!AとCが一緒に写っているからAC♡」と聞くに堪えない根拠ばかりで辟易したのを記憶しています。そんな主観的かつ稚拙な論理で、原作から見て明らかな自カプの関係性を無視するのを今すぐやめろとリプを送りそうになりましたが、それをやるとガチでヤバいやつなので堪える毎日でした(そもそも地雷カプでサーチをするなという話ですが、臭いものの匂いを嗅ぎたくなる理論でやっちゃうんですよね。これをやるときはメンタルがヤバい時だと聞くので、普段はやらないほうがいいと思います)。

で、話を戻しますが、自分が対話した人からは、少なくとも「ABの関係性を無視しよう」という不誠実な態度(この言葉は非常によくないと思うのですが、あくまで自カプのオタクが地雷カプのオタクに対して抱きがちな上下関係を含んでいると考えてください。自カプのオタクは自カプが成立すると思い込んでいる傲慢さを理解する必要がありますが、それは後述)は見られませんでした。また、この人の考え方は「キャラの解釈を豊かにする」という面で魅力的であり、思考回路も理解できるものでした。よってこの地雷カプの方は、自分にとっての「地雷カプではない地雷カプを推している」ことがわかったのです。

これがこの人、あるいは自分に特有なコミュニケーションなのかはわかりません。「それでも原作のほかのAの設定を無視しているんじゃないの?」と口をはさみたくなる気持ちもあることにはあるのですが、「自カプの正当性」を振りかざして「キャラ解釈の多様性」を阻害することはナンセンスです。これは②につながる部分ではあるのですが、いくら自カプが原作の設定に忠実で最高のカプだとしても(自分はいまでもそう信じていますし、自カプを好きになったことに誇りを持っています)、自カプが絶対的に成立することを立証することは不可能なのかなと考えています(だからこそ「正解」に一番近い、という表現に置き換えてはいたのですが、そもそも「正解」という言葉自体、文脈やその人が属するコミュニティに揺らぎを持つ創作物には適用不可能ではないか、という当たり前の事実にやられつつある段階です)。

で、話がややこしくなりましたが、結局自分の言いたいことは「推しカップリングで他人を括るのはよくない」という当たり前の事実です。推しカップリングは、性別・年齢・国籍と同じように、他人をラベリングするにはあまりに便利で大きすぎます。

実際、自カプでも訳の分からない解釈をする人に怒りが沸くこともありますし、地雷カプでも上記のようにちゃんと自分の思考回路を説明してくれる人には怒りを感じません。そんな当たり前の事実になかなか気づけなかったのは、単に自分と腹を割って会話してくれる地雷カプ(に勝手にカテゴライズしていた)の人が周りにいなかったからでしょう。当たり前ですよね。趣味が合う(と思いこんでいる、ここでは大きく「自カプのオタク」とカテゴライズした人と言い換え可)人としか仲良くしないツールがSNSなので。かなり自分は幸運だったのかなと思います。

で、マシュマロ主さんにはその機会が今後あるかどうかわかりませんので、先にその機会に巡り合った自分からの知見として、この意見を共有させていただきます。とは言え、この種の意見は本やネットの記事で読むだけでは頭では理解できても納得できないタイプのものだと思うので、おそらく自分が実際に触れあわないとダメだと思います。が、それがいつになるか皆目見当もつかないと思いますので、それまでは拙文で申し訳ないのですが、二次情報で少しでも理解していただければ幸いです。

もう一度まとめますと、「推しカップリングで他人を括るのはよくない」という話でした。おそらく、地雷カプのオタクにも、主さんが理解できる思考回路で話せるオタクはいると思います。そう考えるだけで、きっと「地雷カプのオタク」という大まかな括りに対する怒りは和らぐはずです。

 

②地雷カプで盛り上がる人が多すぎる

これは本当にめちゃくちゃ思います。多分他の記事でも何度も書いているんですけれど、自分のコンテンツでも、自カプより地雷カプの方が同人人気がすごいです。全員脳みそ詰まってんのかよって感じですけれど、①で書いたように、「地雷カプのオタク」という括りはよろしくないので、その意識を変える必要があります。にしても、いくらんでも多すぎる。解釈の多様性とは聞こえがいいが、その多様性を認めるあまり「正しい解釈である自カプが正当に評価されないのはおかしい」、そんな感じの気持ちではないでしょうか?少なくとも自分はそんな感じの感情を持っています。

それに加えて可能性として挙げられるのは、主さんも書かれていた「嫉妬」という単語と結びつけて「自カプより地雷カプのほうが人気であることに対する嫉妬」あたりがあるかもしれないなと。

ちなみにこれは前者の感情と大きく違います。なぜなら、

[1]自カプが正当に評価されないのはおかしい

→自カプが絶対に正しいという認識の問題

[2]地雷カプの方が人気なのは許せない

→私ももっと評価されたいという願望

と分解できるように思うからです。

②に関しては、この2つの気持ちが混ざっているのではないでしょうか。ただ[2]は自分の想像なので無視していただいても結構です。

で、これらの感情への対処を考えていきましょう。

[1]自カプが絶対に正しいという認識の問題

これは根深いですね。自分は今でも自カプが絶対に正しいと思っていますが、①でも述べたように、原作の解釈は非常に様々ですし、その多様性をあやふやな「正しさ」で殴ることはあってはならないと考えています。で、勘違いしてもらいたくないのですが、ここで言っているのは「(独りよがりな)正しさで多様性を殴るな」ということであり、「多様性の前に屈しろ」と言っているわけではありません。「多様性と関するな」と言いたいわけです。要するに、「自カプは絶対に正しい!」と論理的に説明するよりも、「自カプは絶対に正しいと思います!」と感情的に主張する方が、精神的にいいのかなと。

自分の最近の記事を読んでもらうとわかると思うのですが、ここ最近は自カプの正当性をいかに「論理的(これはつまり、全人類に当てはまる共通了解という意味です)」に説明できるかに苦心していました。で、質的な文章を量的に解釈したりして、まあ当たり前のことながら「それは違うだろ」といろんな人からボコボコにされたのですが、冷静になれば当たり前ですし、そこは受け入れるべきだなと判断しました。

つまり、少なくとも現時点では、創作物において「(明示されていない)自カプが絶対に正しい」と論理的に説明するのは不可能です(まだ諦めたわけではありませんが……)。

ですが「自カプが絶対に正しいと思います!」という言い分は、多様性の前に胡坐をかいている人たちには絶対に通ります。多様性を謳っているのにその一意見を認めないなんて姿勢が許されるわけがありません。なので、これに関しては、殴らない屈さないを心がけさえすれば、後は今まで通りで大丈夫だと思います。気持ちとしては、いつか来るかもしれない地雷カプ解釈(例外あり)との正当性バトルに向けて、ひたすら鍛錬を行う感覚に近いでしょうか。きっとその日は来ないでしょうし、目的のない鍛錬は無意味とすら言えるでしょう。ですが考えてみてください。

無意味なものって、良くないですか?

無意味なものにひたすら打ち込む、その姿勢にこそ「強さ」が生まれると思うのです。きっと地雷カプのオタク(例外あり)は、自カプを「正しい」と思っていないからこそ(読みの多様性を大切にしているからこそ)、そもそも戦意はなく、遅かれ早かれ戦場から居なくなります。そして、無意味なものにしがみ続けた自カプのみが残るのです。

そう、戦わずして勝つのです。人はそれを不戦勝と言います。もちろん審判なんていません。観客も対戦相手も審判もとうの昔に飽きて帰ってしまって、自分に判定を下すのはあなたしかいないのです。

どうしても「自カプが正しい!」と言いたい僕のような人間は、周りに誰もいなくなる日まで永遠に無意味な自カプの正当性を叫び続けましょう。誰も殴らず、誰にも屈さずに。そうしているうちに、もしかしたらたまたま通りかかった一人くらいからは「まだそんなしょうもないことやってんのか!? もういいよお前が正しいよ」と肩をたたいてくれる人が現れるかもしれません。

結論としては、

自カプが絶対に正しいという認識を武器だと思い研ぎ続けるのが良い。ただし、その剣先は他人を脅すためのものではなく、あくまで自宅で観賞するためのものである。

あたりに落ち着くと思います。

 

[2]私ももっと評価されたいという願望

これについても難問ですが、主さんから求められていない可能性があるので手短に。もし地雷カプのオタクへの不満が、「自分の作品・技量が正当に評価されていない」という感情から生まれているのであれば、もうそのまま[1]の考えにシフトすることをお勧めします。

自分で鑑賞するための武器に、他人の評価を気にしますか? 

※ここからちょっと自分語りになるので嫌な方は次まで飛ばしてください。

自分はかれこれいろんなカプで二次創作の小説を書いていますけれど、今のご時世だと推しカプ小説で10ブクマもらえたらいい方です。閲覧数も100いくか行かないかくらいですね。でも他のコンテンツ行くと普通に100ブクマもらえたりするし、自分よりブクマ数が低い方でも、自分よりずっと魅力的な文章を書く人なんてうじゃうじゃいます。(もう語りつくされた話題だとは思いますが)ポジティブな他人からの評価(大量のブクマとか)だけをモチベーションにして、ネガティブな評価(他人と比べて閲覧数が少ない!)とかは全部無視していいと思います。自分は「自分だけは自作の価値をわかっている、自カプだけが正しい(と思います!)」とブツブツ言いながら創作続けてます。

※自分語り終わり

 

③地雷カプを「カプ解釈の多様性」として認めるべきか

これについてはすでに①と②で語った通りです。無理に地雷カプと向きあう必要はありません。「多様性と関するな」を標語にしましょう。

かわいい地雷カプのイラストでも同じです。地雷カプ自体に多様性がある、という話は①でしましたが、その多様性(解釈)を自分から理解をしようとしても、きっと今までかけ続けてきた色眼鏡を外すのに苦労をするのではないかなと思います。新しい見方を手に入れるためには、その人がかけている眼鏡を貸してもらうのが一番です(それを①の対話で手に入れようと言う話です。その機会がいつになるかはわかりませんが)。でも、その手助け無しに相手の見方を理解するのは非常に困難なのではないかと思うわけですね。おそらくそこで頑張り続けた結果このマシュマロがあると思うのですが、自分の力(ものの見方)だけで理解するのが難しいのであれば、しばらくは無理をせずに距離を置くのが一番だと思います。

とはいえ、よっぽど魅力的な人がいて、でもその人は地雷カプのオタクで……というロミジュリに匹敵する悲劇ならもう少しアプローチを考えた方がいいですね。もし自分がその状況に陥ったら、武器を使わないことを約束したうえで対話をし、理解(打倒でも屈服でもない)するように心がけますが……それでもやはり、完全に相手を理解する必要はないと思います。僕レベルにこじらせている人間がいるのかわからないのですが、自分は一時期、地雷カプを推しているというだけでその人の人間性や理性を疑うレベルの理性に陥ったことがあります(僕だけじゃないと信じたい)。そんで①でも書いたように、あくまで推しカップリングはひとつの属性でしかなくて、大きな「地雷カプのオタク」というラベルで括ったひとりひとりが、みんな生きている一人の人間であることに目を向けるべきだと思うんです(めちゃ当たり前のことですが)。とにかく、その人の推しカップリングが全てではないので……(僕にとっては推しカップリングはあまりにデカすぎる存在なのですが、ほかの人にとってそうとは限らないんですよね。これもめちゃ当たり前ではあるんですが、その当たり前に気付かないことってあるんですよ本当に……)。

 

④愚痴のせいでフォロワーが減り、人間関係に疲れる

減りますよね。自分も「地雷カプはクソ。推している奴の気が知れん」と言いまくっていたらめちゃくちゃFFが減りました。当然だと思います。端から見ていたら愚痴ってただただ不快なんですよね。その悪口が自分に向けられていなかったとしても、他人の悪口は見ていて全くいい気がしません。それに言った方もなんとなく気分が落ち込むし、本当に何もいいことがない。

でも言っちゃうんですよね、愚痴……本当によくわかる。

根本的な解決をするなら「愚痴を言うな」ということになります。言われるまでもないことですよね。でも、頭では理解していても愚痴を言ってしまうということは、ふとした時に地雷カプについての情報が頭をよぎるからだと思うんです。なので、地雷カプの情報を一切遮断することをお勧めします。僕はそのために地雷カプでサーチし、好意的な反応をしている人間を全員手動でブロックしました(身内がいたら見なかったフリをしました)。その数は3000を優に超えています。でもこの手法は完全ではなくて、日を変えると思い出したように地雷カプのオタクが沸いてくるということです。僕はこれを数十回はやりましたが、いまだにサーチをすると誰かしらは引っ掛かります。思い出したように「(地雷カプ)ほんとすきなんだよね……♡」という呟きがわんさか出てきます。ツールを使えば、特定のユーザー(地雷カプ界の神絵師とか)のフォロワーを全ブロックすることができるらしいので、それをやりたかったらやってもいいんですが、「キリがない」の一点のみでお勧めしません。でも、日常生活に支障が出ないくらいには「地雷カプが視界に入ってくる」という事実からは逃れることができます。

さて、上はともかくとして、何の前触れもなく地雷カプへの怒りが沸き上がるときがあります。ここまでくると病気かもしれませんが、自カプが幸せそうに遊んでいるときにふと「でも地雷カプはこの幸せを踏みにじろうとしているんだよな……」と思ったらもう終わりで、そこから愚痴が無限に流れ出します。本気の怒りです。

こうなるとブロックしても無意味ですし、愚痴を吐くなと言われるのも無理なものです。言いたくて言いたくて仕方がない。このケースの対処方法は2つしかないと思います。

怒りのもとを断絶する

怒りを思い切り吐き出す」の2つです。

「怒りのもとを断絶する」というのは、そもそもその状態に持って行かないようにする対処法です。個人的には、①~③を心がけるようにすればなんとかなるんじゃないかなとは思っています。少なくとも自分の場合は、特に①を心がけることで、上記のような激しい怒りに満ちることは稀になりました。なので「愚痴を言うな」の前に「『地雷カプのオタク』というラベルを剥がせ」「地雷カプ、あるいは多様性に関わるな」という壁を打ち立ててみるのをお勧めします。

で、それでもだめだ、絶対に愚痴を吐いてしまうということになりましたら、もうゲロみたいなもんで吐き出すしかないのかなと思っています。でも、愚痴は他人を不快にさせるものですから、なるべく他人に迷惑をかけない愚痴の吐き場所を作らねばなりません。

当然、鍵アカウントを作成するということになります(地雷カプが好きな人は当然いて、その人が推しカプをサーチして悪口が目に入ってしまうのはかわいそうだからです。ここに「地雷カプのオタクを(独りよがりの正解で)殴るな」という原理が活きています)。とはいえ、ここで気を付けるべきは「FF0の壁打ちアカウントを作ってもあんまり効果がないんじゃないかな」ということです。少なくとも自分はFF0のアカウントで愚痴を垂れ流しても、「誰にもこの怒りを聞いてもらえていないんだな」という不満からすっきりしませんでした(あまりにも身勝手すぎる……)。

というわけで自分は、わざわざ本アカを鍵垢にして(前にもどっかで書いた気がしますけれど)

・僕はカプ解釈が絡むと頭がおかしくなる人です

・今後もずっと地雷カプはクソという話をします

・不快な発言をして他人を不快にさせるつもりはないので、キツイ人は無理なくブロ解かミュートしてください

・それでも許してくれる人のみ、僕の愚痴を聞いてください。キツくなったら自己防衛としてミュートをお願いします

という宣言を行い、かなりFFを絞ったうえで「地雷カプ許さんアカウント」を作成しました(それでもフォロワーは100はいました。もとは700くらいいたのでめちゃ絞ったほうですが、フォロワーが数人レベルだとあまりにクローズドな環境すぎて、一人に回る毒が多すぎるかなと判断しています)。これはかなり一方的な約束事で、中にはこういう態度を非常に不快に思う人もいるでしょう。「大人(だいたい大学生くらいからはこの主語にあてはめられる気がします)なら自分の怒りの気持ちくらい、相手に頼らず自分で管理をしろ」という批判は至極もっともですが、ここでは自分は「精神的に自分は子供なんだ」と素直に認めることにしました。注意すべきは、この子供は幼児退行や停滞を意味するわけではなく、成長するというニュアンスで使うべき言葉だということです。

つまり、愚痴をどうしても垂れ流してしまう人は、自分の怒りを吐き出す場を「他者を犠牲にしている」という自覚を忘れずに保ちながら、①~③が実現できるように積極的に自分から働きかける必要があるのだと考えています。で、そんな子供じみた真似をしたくないという方は、ぜひとも愚痴が出る前に(あるいはFF0の壁打ちアカウントで吐き出しながら)①~③に取り組んでいただければいいんじゃないかなと思います。

 

⑤まとめ

今回の記事は、改めて自分のなかの地雷カプと向き合ういい機会になったように思います。で、繰り返しになりますが、あくまでこれは自分の地雷カプとの戦闘記録のようなものですので、ほかの人にまで広く当てはまるかは甚だ疑問ですし保証もできません。ただ、自分はこの手順を踏むことで、地雷カプを地雷カプ(例外あり、ラベリングなし)として理解することができるようにはなった(気がする)ので、ほかの方が地雷カプと和解するための参考にはなるかもしれません。

ただ、忘れないでほしいのが、絶対にみなさんには解釈の多様性に負けないでほしいということです。

ここで敢えて、前記事である「地雷カプと和解せよ」の最後の文章を引っ張ってきたいと思います。 

繰り返すが、「正解はないから二次創作はぜんぶ平等に妄想で誤り」というのは「逃げ」である。戦ったことがないから、そんな無責任なことが言えるのだ。

おまえのカプは妄想でも誤りでもない。

あくまで自カプに自信を持つこと。存在しない「真実」を追い求めること。

地雷カプを攻撃するのではなく、存在を受容するのでもなく、対話すること。

自ら手にした銃を、剣を恐れるな。相手も同じ覚悟でこの場に立っている。

多様性なんてクソ食らえである。カップリングはヨグ・ソトースのように、「一にして全、全にして一なる」ものである。

おまえの推しカプ「しか」正しくないのだ。

 

地雷カプと和解せよ。

 

negishiso.hatenablog.com

 

昔の自分(今見返すと、276日前の文章でした)と今の自分は、少しだけ意識が変容しています。かつての自分は武器を握り、絶対的な「正しさ」を振りかざして戦うことで「対話」しようとしたのに対し、今の自分は武器をあくまで自己満足の鑑賞物としていて、「対話」の際には武器を下ろそうとしているところに大きな違いがあるような気がします。

それでも、やっぱり根っこは変わっていなくて、推しカプに対する自信がまったく揺らいでいないところだけは誇りに思いたいです(それは停滞を意味しているのでは、という議論が起こりそうですが)。

まあ、今すぐにとは言いません。

ゆっくり武器を磨きながら、ぼちぼち地雷カプと向き合っていけばいいと思います。