同人女の感情(私のジャンルに「神」がいます)
— 真田つづる (@sanada_jp) 2021年8月28日
シーズン2 第1話
「斜陽ジャンルに舞い降りた神 前編」1/4 pic.twitter.com/SdYO7OjlGu
やったね。
この辺りに文章と文章の狭間、いわゆる隙があるので自分語りをさせていただきます。
自分は同人イベントが好きで、同人活動が好きで、同人活動に命をかけてあわあわする人間が好きです。なので同人女の感情は非常に自分のクリティカルな部分を突いていて、一時期は地雷カプに発狂して顔を真っ赤にしていたオタクとして、非常に共感できる部分が多い作品です。とはいえ作中人物は毎度創作物の力を信じ、なんやかんやで光の道を進み続けるので、息を吐くように無感情かつ1秒で解釈違いをブロックしている自分のような人間とは別種の人間が描かれていることになります。それでも共感できるのは、同人活動における良い部分も悪い部分もしっかり理解している人が描いているからなのでしょうね。
あと同人女というタイトル通り、女の子ばかりが出てくるのも百合豚的に(?)いいのかもしれない。「同人男の感情」というシリーズ作品があったとして、このように好きになれているのかは微妙なところです。もっとも、周囲の同人男に解釈でぎゃーぎゃー言っている人は限りなく少なく、みんな思い思いに自分の好きを伝えて頑張っているところを見ると、現在の「同人女」をやるような土壌はないとも言えます。まあこれは同人女に他者の好きへの理解がないという話ではないですし(むしろ解釈への拘りが強いという風に換言できます)、どちらがいい悪いという話でもないです。
しかしながらこれは本当に独り言なんですが、どうして人間よりもその人が生み出した「創作物」の方が魅力的なんでしょうか? これは同人活動をしていて本当に思うのですが、自分が好きな作品を描かれる人(仮に神とします)が別ジャンルに移動すると、例え別ジャンルであってもその神の作品を拝めるにもかかわらず、自分は強く怒りを覚えます。なぜならそれは自分が好きだったジャンルの神の作品の死を示しており、例えそれが一時的な離反だとしても裏切られたように思うのです。自分が好きになった作品を生み出したのは他ならない神その人なのに、その神が「自分の好きな作品を殺した!」ということで怒りを覚えるようになる。正気とは思えない感情の動きですが、自分と同じように考えてしまう人間は少なくないのではと邪推します。
とはいえ、自分のこの辺りの感情は過去のものになりつつあります。恐らく自分が自カプの小説が書けなくなってきたことが一番の理由だと思うのですが、「同人活動よりも普段の生活の方が大事だよな」と思考がスライドしつつあるのも大きいように思います。この感情はこれまで自分が批判してきた神への矛先が自分に向いたことによる防衛反応の一種だとは思うのですが、もしそうならダサすぎますね。
さて、やや同人活動への熱が冷めつつある今、かつての自分がひどく眩しく見えてきます。大学受験を無視して自カプを書き続けてきた自分、自カプの創作を優先させて大学のレポートを白紙で出していた自分、バイトで貯めたお金で自カプの合同誌を出していた自分、わざわざ札幌から東京まで飛行機に乗って同人イベントに足を運んでいた自分、解釈違いのオタクにクソキレ散らかしてブロック件数が3000を越えた自分……誠にいろんな思い出がありますが、どれも良い思い出ですし(本当か?)、やはりあのような熱量をもって、これからも同人活動に狂っていたいなというのが正直なところです。
同人女の感情を読んでいると、自分が初めて推しカプ小説を書こうと恐る恐るパソコンに文字を打ち込み始めた、高校生の夏のことを思い出します。
あの日は本当に暑かった。