新薬史観

地雷カプお断り

大内りえ子「返事をする; 繰り返す 繰り返した; 消す; 特に好き 特に好きじゃなくなった。 / Reply;Repeat Repeated;Delete;Favorite Favorited.」観た!

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返事をする; 繰り返す 繰り返した; 消す; 特に好き 特に好きじゃなくなった。 / Reply;Repeat Repeated;Delete;Favorite Favorited.

 

知り合いにお勧めされたので観た動画。

映像としては

①一人・左・落ちている何か・高架下・モノクロ

②一人(右)・救急車(左)・波打つガードレール・すすきの・赤とモノクロ

③踊る少女群・フルカラー

④命と性の二択をナイフで男性に迫られる少女(自覚無し)・右・カラー

⑤情報社会に飲まれた人間・狭い部屋・真ん中・モノクロ

①(UFOのような浮遊音)→(逆再生の音声)

⑥笑顔で胸を出す巨乳金髪少女(半分影つき)右から左・フルカラー

⑦青の背景、白のウサギ・耳の付き方がおかしい・左

暗転

⑧ガラス音・工事現場・猫の尻尾・口・ビル・住宅(氾濫)フルカラー

暗転

⑤ここからずっとクリック音(お目当てのポルノ探し・苛立ち)・緑赤の画面・かなりのズーム

暗転 ここまでクリック

⑥移動無し・巨乳の崩壊

①幽霊、あるいは過去の人間の通過

⑨下着姿の性的に消費される女性・ピンク・青・緑・黄色・赤・キノコ・ハミング

⑩こちらを見つめる童顔の少女・深夜の交差点・フルカラー

10からのカウントダウン

タイトル・ざわめき

というような流れになっている。

 

作者コメント

"氾濫"に巻き込まれる、僕の私の生活に焦点を当てたアニメーション作品。

「日常の暴力性」を主なテーマに、メディア(延いてはその日常)の中の女性の 性の扱われ方に着目し、この作品を作った。
雑誌、テレビ、インターネット、他様々な媒体で女性の体は切り売りされている。 人々はそれを見ることに慣れ、疑問を抱かなくなってしまっている。
それでいいのか?という疑問提示と、自分の意識が侵食されて無理やり 作り変えられていく気持ち悪さ・情報が現実世界を先行していってしまう現代の歪な在りようについて表現した。

 

このようなところから判断すると、作者は女性の裸(に近いもの)が公共の場で映し出されたり、社会によって商品として消費されていることに批判的であると考えるのが妥当である。それでいて映像の構成を観ると、赤字で示した部分はそのような主張が汲めると思う。その他の映像は主に人と情報(⑤⑧)、および日常(①)や女性本来の自分らしさ(③)を表現しているように思うが、⑦はなかなか意味をくみ取れない。④では男性が青として表現されており、モノクロの多用と救急車の赤白を考えると白は公共性を示しているようにも見えるため、そう考えると⑦は男性(背景の青)によって形作られている社会(ウサギ・耳の付き方がおかしい=知らぬうちに異常化している)というように読みとることができるような気がするが、難癖に近い気もする。ただ、このウサギのデフォルメは非常に重要だと思っていて、この⑦におけるウサギは本来の動物のウサギとかけ離れた姿であるにも関わらず、自分は長い耳からウサギだと感じたし、他の多くの人もそう感じると思う。

このような歪なデフォルメが多用されており、本来ならば認識できないものが認識できている、という点においては、この女性性に消費の気軽さも同様のように感じられる。また、女性のデフォルメということで言えば④⑥⑩がまさにその辺りをやっていて、お目々クリクリのかわいいアニメ美少女は本来の女性とはかけ離れたものであるのに、あるいはそうであるからこそ男性によって消費されやすくなっているという考えは否めない。作者はこれについてラストの⑥で「生理も排便もない綺麗で処女で従順な巨乳の女の子」から巨乳を排除し、グロテスクな内面を明らかにし、商品としてのデフォルメ・アニメ女性から現実の血肉をもった女性への気付きを促している。そして女性の実在にも関わらずこれまでもこれからも女性をデフォルメして消費していく男性と、それに抗えない社会がそのままの形を維持することこそが、「日常の暴力性」なのだと理解した。

 

この勝手に抽出したメッセージを受けて、いますぐ社会は変わらねばならないと拳を上げるほどには影響を受けていないが、自分は性欲が比較的ないことも助けて、作者の主張におおむね同意できる側の人間である。ただ多くの男性というのは本当に性を中心に世界を回しているような気がするので、いますぐの変革は難しいように思う。

特にVtuberなんかを観ていてもセクハラコメントというのはけっこうな割合であるし、切り抜き動画もエロ・性系統の動画の再生回数が高まる傾向にある。動画を見ればVの人々が「君ら本当に好きだね」というかたちでセクハラ(性的消費)をなあなあにしているが(マリン船長なんかは特に「私に欲情する人間はいない」と豪語して割り切っているが、そんなことはないでしょう)、果たしてこのような姿勢が視聴者のセクハラを戒める効果があるかというと無いように思う。こうして考えると、キモいオタクにはもっとはっきり「キモい死ね」と言ってもいいようにも思うのだが、女性性を売り物にしている側面を否定出来ないアイドルであるからこそ強く言うこともできず、やっぱり難しい。どう考えても(先に)変わるべきは男性側で、そもそも今の社会や男性の性欲の強さがおかしいような気がするが、人間は理性を持ちながらも動物でもあるために完全に糾弾することができないし、これが本来の私たちだと言われると何も言えない。

社会、なかなかに難しい。