新薬史観

地雷カプお断り

小説版「韓国・フェミニズム・日本」読んだ!

最近フェミニズムに関心があるのと、SFとしての傑作デュナ「追憶虫」があるとのことで読んだ。

感想として、韓国勢の小説は総じて素晴らしかったが、反面日本勢はちょっとこれどうなのと思わないでもなかった。

以下、個別に感想。

チョ・ナムジュ「離婚の妖精」

2010年代のレズビアン映画にありそうなプロット。少し違うのは、両者に女子の子供がいることだろうか。女同士の共同体を形成する方が(女性)みんなにとって良いという話であり、それ以上でもそれ以下でもない。文章としてはそこまで惹かれなかったのだが、これに関しては訳者「すんみ」さんの技量がちょっとアレなのかも。苛立った時に発する「まったく」の省略形「ったく!」を「ったぐ!」と表現していたのが気になり、なかなか本文に没頭できなかった。明らかな誤字だと思う。校閲は何をしているんだ?

 

松田青子「桑原さんの赤色」

これは好きですね。「女性募集」という張り紙から求められる人材、そしてそれをあくまで生物学的な「女性」としか認識できない主人公の構図、社会が「女性」に求められるものとは何かをやや直接的ではあるが表現できていたのが良かった。

 

デュナ「追憶虫」

これは確かに良作なSFですね。設定を説明しすぎず、うまく作品世界に溶け込ませているのが良い。特に好きなのがこの一文だ。

私、恋に落ちた、とユンジュンは思った。そして、この感情は私のものではない。

こんなにうまくこの作品世界を説明できる文章ってあるのかなあ。めちゃくちゃお気に入りの文章。それでいて、この作品のなにが良いって、「追憶虫」はもはや現実の「本能」や「直観」と何が違うんだろうという話に持って行けるところだと思う。「誰かが特定の女性を好きになった気持ち」が、女性である自分にもたらされたために「女性が女性を好きになる」ことが「仕方ない」とされる。この論理構造は、追憶虫が存在しない(とされている)現実においてもそのまま適用できると考えられるのではないか。素直に読んで、誰かを好きになる気持ちが伝播していく世界の特異性とその平和な美しさ、それでいてその「幸福な気持ち」を否定せずに甘受しようとする主人公の姿勢が非常に好ましかった。この作品集のなかでもかなり卓越している作品ではないかな。

 

西加奈子「韓国人の女の子」

言いたいことは分かるのだが、フェミニズムと在日差別を直接結びつけ、誰にでも優しい立場をとれる存在として「韓国人の女の子」を提案するのが気に食わない。繰り返しになるが、言いたいことは分かるし、ことフェミニズムと在日差別に関して「差別側」から話したいのならその通りだと思う。しかしながら、なんというか、あまりに直接的すぎるというか、それを作品タイトルにしないで欲しいというか……安直だというような気がする。これでは、差別されている人間にしか問題意識が持てず、他に属している人たちの協力を自ら手放しているようなものである。もちろん、これを書いている自分は日本人男性という圧倒的抑制者の立場だから、こういう趣旨の発言は良くない受け止められ方をするだろう。そこが難しいところである。

一方で、差別されているという自覚を持っている、傷を負った人間同士の恋愛感情の描き方は良かった。終わりが「韓国人の女の子」の死ということになるし、どうしても巨大すぎるマジョリティに屈服せざるを得ない人々は痛ましく、問題提起としては力強くあると思う。その強さは好きだが、作品としては好きになれないという、なんとも評価しにくい立ち位置の作品になった。

 

ハン・ガン「京都、ファザード」

これは好きというか、最近読んだ松浦理英子の「ナチュラルウーマン」「最愛の子供」と同じタイプの問題意識(正直すぎて嘘をつけない、一方で自分から自分の秘密を口に出せないタイプの人間の葛藤)を扱っているなと思った。松浦理英子が好きな人は好きになれると思う。自分は好きです。

 

深緑野分「ゲンちゃんのこと」

あまりに小説が下手くそでびっくりした。文章は下手ではないが、not for meを越えた存在にあると思う。この作品が好きな人と作者さんには申し訳ないです。

 

イ・ラン「あなたの能力を見せてください」

これ面白いですね。内容としてはフェミニズムに関するエッセイという感じなのだけれど、所謂「名誉男性」だった女性の立場からの文章で興味深い。

 

小山田浩子「卵男」

正直、よくわからなかった。韓国の卵は茶色い。しかし「私」は白い(日本の)卵を運ぶ男性を韓国で観た気がする、という話。ここで「私」が観た幻想として、日本=男性が結びついており、(少なくともこのテーマにおいては)弱者として扱われている韓国のなかでこれらが立ち上がっている。ここから何を読み取れば良いのだろう。韓国のなかでさえ、日本人男性の恐ろしさを幻視するということだろうか。実際、この幻想の卵男は、「私」がぶつかってもなかなかバランスを崩さないということから、差別意識の崩壊の難しさを訴えかけているように読み取ることは可能だろう。ただ、それにしても話がうまくないというか、う~ん、さっきの「韓国人の女の子」にしてもそうだけれど、短編だとここらの構成は難しいのかな。少なくとも「韓国人の女の子」よりは話はうまいのだが、こちらの方は作品全体から「差別意識への反抗」ではなく「韓国人の親しみやすさ」が描かれていた点でテーマが揃っておらず美しくないと思った。読みが良くないのかもしれないが、そこまで好きではない作品。

 

パク・ミンギュ「デウス・エクス・マキナ

個人的には「これがピンチョンです」と言われても信じてしまいそうな荒唐無稽なシナリオだった。よくわからないが面白い。自分は思考停止して読んでいたが、これが「韓国・フェミニズム・日本」のテーマで書かれているのだから、何らかの問題提起を孕んでいるのだろう……多分。ここでは「おじ」のような「神」がニュージーランドを食ったり精液をぶちまけたりして世界を破滅させるのだが、それくらい男性は女性の世界を破壊しているクソだということだろうか。そうなのかもしれないが、この読みでいいのかはまったく分からない。

 

高山羽根子「名前を忘れた人のこと」

日本人作家のなかでも、こうして並ぶと高山羽根子の文章の巧さが際立つ。旅行慣れした文体、異国情緒漂う文体、いろいろな言い方が出来るが、文章からにじみ出る「日本とは別のところ」からうみだされているような文章は綺麗で好きだ。「首里の馬」や「オブジェクタム」「居た場所」など、このあたりの作品はすべて同じ文章で書かれており、どれも綺麗で良いと思う。この文章それ自体が、国同士の問題を扱うのに長けている気がする。反面、どうしてもイーブンになるばかりで問題提起の力は損なわれてしまうのだが、そう思うと「首里の馬」はそこのバランスが一番よくとれていた作品だったのかもしれない。

 

パク・ソルメ「水泳する人」

これは結構好きだなあ。文書がうまくて、やや気怠げな感じで「」という感じ。これに関しては性癖で判断しています。台詞をカッコで括らずダッシュで表現するあたり、この作品の内容通りの解放感に満ちた気怠げな、現代らしい小説という感じがして好き。

 

星野智幸「モミチョアヨ」

韓国に歩み寄ったエッセイのようなもの。星野という人物が主人公であることからもメタではあるのだが、恐らくこのエッセイにはそこまでの意図はないはず……あるのかな?

個人的には、内容としてかなり好きなものでした。韓国の人たち(あるいはホームレスの方々)をここまで活き活きと書ける力が良いと思う。本作のまとめとしても、実に気持ちが良い作品だ。

 

以上。デュナ「追憶虫」は評判に違わぬいい作品でした。デュナの他の作品も読んでみようと思う。