新薬史観

地雷カプお断り

逢坂冬馬『 同志少女よ、敵を撃て』読んだ!

逢坂冬馬『 同志少女よ、敵を撃て』(2021)

同志少女よ、敵を撃て | 逢坂 冬馬 | 日本の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

【総合評価】8.5点(総合12点:全体10点+百合2点)

【作品の立ち位置】

ガチで大事にしたい作品(9<x)

積極的推し作品(8<x≦9)

オススメの手札に入る作品(7<x≦8)

まずまずな作品(6<x≦7)

自分からは話をしない作品(x≦6)


【世界構築】2点 (2点)

充実した参考文献から、当時のロシアの戦争の様子を思い浮かべることができて良かった。バタバタと人が死ぬ作品を読んだことがないこともあり、「人が脈絡もなく死ぬ」という『日本沈没2020』のような演出方法をとった作品にはやけにリアリティを感じてしまう(日本沈没2020には乗り切れてはいないが)。お気楽なものだと我ながら思う。

 

【可読性】1点 (1点)

かなり分厚いが、飽きずに読むことができて良い。


【構成】2点 (2点)

難癖をつけるところもなく、丁寧に練られたシナリオであるように思う。盛り上がるべきところで盛り上がり、締めるべきところで締めている。お上手。


【台詞】1.5点 (2点)

面白い台詞はいくつかあった。

私の知る、誰かが……自分が何を経験したのか、自分は、なぜ戦ったのか、自分は、一体何を見て何を聞き、何を思い、何をしたのか……それを、ソ連人民の鼓舞のためではなく、自らの弁護のためでもなく、ただ伝えるためだけに話すことができれば……私の戦争は終わります

手際の良さを見ながら、セラフィマは写真の撮影と狙撃の親和性について考えていた。

戦争の本質が達人同士のチェスのように進行するのはほんの一部でね。あとは概ね、ひどいミスをした方が、よりひどいミスをした方に勝つものなのさ

その肉塊から湯気がもうもうと上がる。その姿は、昇りゆく彼らの魂と形容するにはあまりにも凄惨であり、人間が物質へと還元されてゆく過程そのものであった。

ドイツに次ぐ敵と呼ばれるシラミ

猫の集まりのように無言で過ごし

誰か愛する人でも見つけろ。それか趣味を持て。生きがいだ。私としては、それを勧める。

なかでも、一番惹かれたのは下のものだ。

「砲兵少尉ってすごいね、カチューシャロケットとか、一五二ミリ榴弾砲を指揮してるの?」

セラフィマが幼なじみのミハイルと出会った時のシーン。これまで戦士の口調だったのに、幼なじみと再会して言葉遣いが昔のものになっている。しかしその内容は戦争についてであり、拭いきれない人間の変容が描かれておりツボだった。

 

【主題】1点 (2点)

自分は未読だが、「女性から観た戦争」というのはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』で描かれていると聞いている。ではこの作品の何が新しいのかと言うと、自分には説明がし辛い。まあ未読なので当たり前だが。

一方で、これは読書会を経て納得したことでもあるが、この作品は女性のみに場を提供しており、男性を閉め出している点において、これまでの男性からみた戦争小説とやっていることは同じではないかと思ってしまった。もっとも、結果的に後発となってしまった女性視点の小説に「両性からの視点を描け」と求めることは、男性の特権的立場からの要望にも思えて気が引ける。もっとも、今回の著作がテーマとして「特定の性からのみ戦争を語ることの愚かさ」を批判しているのであれば、その試みは失敗していると言えるだろう。

そういうわけで、戦争と人間の愚かさには興味のある自分ではあるが、そこまで乗り切れる話ではなかった。戦争には善悪の境界線は存在しないのだ!ということに驚きを覚えるには、やや歳を取り過ぎた。

 

【キャラ】0.5点 (1点) 

台詞はそれなりに魅力的だったのだが、キャラに特別魅力を感じるかと言われると微妙だった。特にもっとも感情を移入すべき主人公のセラフィマは、兵士に成り果てたということもあるが、唐突にフェミニズムに目覚め、女性の権利を主張したりする。脈絡もなくだ。そういうところが作品への没頭をやや阻害している気もする。

 

加点要素

【百合】0.5点 (2点)

百合だと叫ばれる本作だが、個人的には好きな百合ではない。例えば、百合に限らず同性愛は必然的に同質的なものである。今回はセラフィマとイリーナがパートナーとして同棲する(そして恐らく性交渉も行っている)にまで至ったが、彼女たちは共に指を負傷し狙撃ができなくなった狙撃兵で、生き甲斐として愛する者を見つける他なかったという点において鏡を見ているように(もちろん性別も含め)同質的な存在である。それが「え!?実はイリーナさんって私のことを想って色々してくれたのね!」という気付きによって、安易に恋愛的な視線に切り替わるのはちょっと解釈違いだった。これまでの積み重ねを考えると、恋愛への切り替えのトリガーとして弱いように感じるからだ(同質性が強固であるということは、本来ならば恋愛感情に切り替わりにくいことを意味するので)。本作は帯にも「シスターフッド小説」と銘打っているが、作者の余計な描写でシスターフッドが(二次創作的な)百合になってしまっており残念に感じた。


【総括】

実は先日、こっそりとオンライン読書会グループを結成した。読書を通して他人と友人になることを目的にした読書会である*1。記念すべき第1回の読書会には8人が集まり、課題図書に本作が選ばれた。そのなかで、自分は作品の構成や緻密な事前調査のうえで成り立つ世界観を評価して本作を10点中9点としたのだが、殆どの人は6点をつけていて笑ってしまった。悪くはないが良くもないというのがおおよその意見だった。確かに自分はこの作品を小説のお手本としては評価しているものの、このような作品が書きたいかと言われると否である。もっとキャラに魅力が欲しいし、展開としてもぶっ飛んだ作品の方が好きだからだ。とはいえ、その意見は自分の好みによるものであり、いくら自分たちが騒いだところでこの作品の価値が損なわれるわけではない。もちろん、自分は変わらずこの作品を推すつもりである。

それにしても、こうして他人の率直な感想に触れる度に、自分の評価軸は甘すぎるのかなと思ったりする。何を読んでも基本的には楽める人間なので損をしているわけではないのだけれど、こうやってチマチマ他人の作品を偉そうに格付けしておきながら、その評価が甘いのであればちょっと恥ずかしいなと思った。

*1:公募制、これ以上人数が増えると管理が難しいので現在は参加を締め切っている