マーティン・スコセッシ『沈黙-サイレンス-』(2016)
【総合評価】9.5点(総合12点:全体10点+百合2点)
【作品の立ち位置】
ガチで大事にしたい作品(9<x)
積極的推し作品(8<x≦9)
オススメの手札に入る作品(7<x≦8)
まずまずな作品(6<x≦7)
自分からは話をしない作品(x≦6)
【世界構築】2点 (2点)
キリシタンが弾圧される時代のキリスト教の司祭を描くという、非常に面白い設定。なおかつ、原作を丁寧に再現することで、原作小説にあったディテールの描写が映像にも活かされているように思う。
例えば以下の原作の描写だが
その穴までの血潮が、まるで一刷毛、線を描いたように地面に長く続いていた。
これ、絶対に映画で映えるだろうなと思っていたらやっぱり最高の映像になっていて笑顔になってしまった。
他にも、原作では力が入っていなかったが、
・階段を下るシーン
・井上と話すときにで囚人小屋でみなが歌うシーン
・ロドリゴが小屋の中でキチジローに迫るシーンの、柱の移り変わり
・井上が畳の上で茶を啜るシーン
などは、どれも大変映像として決まっており、良かった。
【可読性】1点 (1点)
飽きずに観ることができる。
【構成】1.5点 (2点)
原作のプロットには沿っているものの、尺の問題で、小説での貯めに貯めたロドリゴの鬱屈した神の沈黙への感情がやや軽くなっている。ここは仕方ないとは思うが、全体としては面白い。
【台詞】2点 (2点)
「さあ」フェレイラはやさしく司祭の肩に手をかけて言った。「今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為をするのだ」
自分が大好きなこの台詞があったので良かった。
【主題】2点 (2点)
本作のテーマは「神の沈黙」であり、原作からはブレていない。ただ、原作で描かれていた人間描写がやはり希薄になっているように感じてしまう。それは仕方がないことなので、特に文句を言うつもりは無い。欲を言えばキチジローの卑しさをもっと前面に押し出し、こんなヤツ神様も救いたくねえよと思わせるキャラ作りをしてほしかったのと(窪塚洋介はイケメンすぎる)、フェレイラとの間に結ばれた最後のやばい関係をもう少し描いて欲しかった。
【キャラ】1点 (1点)
ロドリゴの棄教(と言えるだろう)に至るまでの絶望が大変うまく導けている。
加点要素
【百合】0点 (2点)
フェレイラとの関係が十分に描かれていなかったため、該当描写無し。
【総括】
マーティン・スコセッシは『タクシードライバー』しか観ていない説があったので、原作を読んだ作品でその映像力の高さを知ることができてよかった。
なぜ「沈黙」を映画にしたのか。それは私にとって、この作品が人間にとって本当に大切なものは何かを描いた作品だからです。
これは作品HPに掲載されていたマーティン・スコセッシのコメントだが、なるほどそういう考えで撮ったのだと合点がいった。彼は棄教した者同士の特別な関係性に胸を打たれたわけではなく(もしくは優先度が低めだったのか)、信仰と信徒が天秤にかけられたとき、人は自分の大切なものよりも他人の命を選んでしまう様を描いたのだということでFAだと思う。一方で、他人の命ではなく自分の命と信仰が天秤に掛けられたとき、人は信仰を選んでしまうこともある。纏めると、本作で描かれた人間の精神構造は以下の通りだ。
【優先度】他人の命>自分の信仰≧自分の命
とはいえ、これは決して誰にでも当てはまるものではなく、キチジローは「自分の命」を最優先にして動いているキャラであり、本人もしきりに繰り返す「弱い人間」に該当する。自分もここに入る。ただ、弱い人間は「ぱらいそ」には行けないかもしれない。ならばどうするべきか、そう考え、実際に動ける人は、自然と優先度の位が上がっていく。これがパードレだ。そして、本来のパードレは他人の命よりも布教を優先することになるため、主に左側の不等式は成立しない。けれどもそれは、棄教を迫られない世界各国において「他人の命」の問題が提示されないだけであり、「見えない」ものとして条件に上がらないだけである。それゆえ、誰しも「信仰の優先度が一番である」と信じることができている。神の沈黙が気にならないのもそのためである。ではパードレは全員日本に来るべきなのかというとそうではなくて、所詮絶対的な真理などは存在せず、どのような思想も切り口によって如何様にもなる(当然、閉じたコミュニティでは真理にもなり得る)ということが理解できていればよく、理解する必要がなければそれに越したことはないのだ。もちろん、歪んだ真理もまた真理である。当然のことだが、そのことはしっかりと記憶しておく必要がある。