シュペルヴィエル『海に住む少女』(2006)
https://www.amazon.co.jp/dp/4334751113/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_RBEEX9P4B0CS0GJ9M7DV
【総合評価】6.5点(総合12点:全体10点+百合2点)
【作品の立ち位置】
ガチで大事にしたい作品(9<x)
積極的推し作品(8<x≦9)
オススメの手札に入る作品(7<x≦8)
まずまずな作品(6<x≦7)
自分からは話をしない作品(x≦6)
【世界構築】2点 (2点)
最近読んだジャンヌ・ロダーリ『猫とともに去りぬ』に近いように感じたが、恐らく繋がっているのは特に説明も無く何にでも変身可能、会話可能という児童文学(ファンタジー)要素だろう。ロダーリの本はしっかりエンタメを考えられていたが、シュペルヴィエルの方はエンタメというより友達のいない重病の少女がベッドで読んでいるような本で、気持ちのやりようのない悲しい話もあったりする。なかったりする。いずれにせよ、このほんのりとした悲しさを纏った本をあまり読んだことがないので、新鮮でよかったです。ところどころ、「お、これは……」という描写が挿入されるのが良かった。
以下、良かった描写の引用です。
表題作『海に住む少女』から
船が近づくと、まだ水平線にその姿が見えないうちから、少女はとても眠たくなって、町はまるごと波の下に消えてしまいます。
あるとき、少女はある家の扉のノッカーに喪章を結びました。何だかいいなと思ったのです。
少女は街に飛び出し、身を伏せるようにして、路上に残った船の航跡を抱きしめました。ずっとそうしていたので、少女が立ち上がる頃には、その航跡も海の一部へと戻り、もう何の名残も感じられないまっさらの海になってしまうのでした。
波は波のやり方で少女の前にひざまずくと
『飼葉桶を囲む牛とロバ』より
牛は、沈黙にリズムをつけたり、含みを持たせたり、句読点をつけたりすることができるのです
ふたりと二頭を結ぶものは、昼のあいだすこし薄くなり、訪問客によってばらばらになったりするのですが、日没とともにぎゅっと濃縮され、奇跡のような安心感を生むのです。
微生物たちがイエスに挨拶をして、飼葉桶のまわりを一周まわるまで、他のものは一時間待つことにしました。
『セーヌ河の名なし娘』より
『海までたどりつく』この言葉だけを道連れに、娘は流れてゆきました。
『ノアの箱舟』より
砂つぶからも水が吐き出され
【可読性】1点 (1点)
すらすら読めます。
【構成】1点 (2点)
短編集ということもあり、構成にはあまり工夫が見られないし、あまり作品構造を意識した感じはないように思う。ちょっと間延びする感はある。
【台詞】1点 (2点)
特別響いた台詞はない。
【主題】1点 (2点)
かなり言葉にしにくいが、訳者の後書きでも使われている「フランス版宮沢賢治」という例えがぴったりだと思う。作品はどれも死や宗教を取り扱っており、一部には自己犠牲についても書かれている。ただその事実が分かるのみであり、この作品を通して作者が何を伝えたかったのかを自分はくみ取れなかった。読めば種族を問わず「生きているもの」に優しくなれるような気はする。
【キャラ】0.5点 (1点)
悪くはないが、特別良いようにも感じなかった。
加点要素
【百合/関係性】0点 (2点)
該当描写なし。
【総括】
個人的に気に入ったのは以下の作品。
『海に住む少女』
『飼葉桶を囲む牛とロバ』
『セーヌ河の名なし娘』
『空のふたり』
これらはどれも読む人間の想像力をかき立て、あまり見たことのない世界に連れて行ってくれる。表題作は文字通り海から上がったり沈んだりする誰もいない街に住む少女という勝ち設定で楽しめるうえに文章の特異さもあるし、『飼葉桶を囲む牛とロバ』は自分達がよく知るマリアの受胎告知を動物の視点から語り直す点で、視点の異なる聖書を読めるようでとても興味深かった。あとのふたつは世界観がかなり良い。とはいえ、全体的にふんわりした作品に仕上がっているため、最近の刺激的な作品により大味になりつつある自分は正確にこの文章たちの価値を図りかねる。児童文学やファンタジーが好きな人に是非読んでもらいたい文章だと思う。