タムラコータロー『ジョゼと虎と魚たち』(2020)
【総合評価】5.5点(総合12点:全体10点+百合2点)
【作品の立ち位置】
オールタイム・ベスト・コンテンツ(10<x)
ガチで大事にしたい作品(9<x≦10)
積極的推し作品(8<x≦9)
オススメの手札に入る作品(7<x≦8)
まずまずな作品(6<x≦7)
自分からは話をしない作品(5<x≦6)
時間をロスしたと感じる作品(x≦5)
【世界構築】1点 (2点)
脚が不自由なキャラクターの世界に触れることができてよかったが、「足が不自由ならモチーフとして人魚姫を当ててやれ」、「一方でヒロインの羨望の的となるダイビングの人間を主軸に添えてやれ」という思想はあまり捻りがないように感じた(王道といえれば王道なので、まあ悪いことではない)。また、背景が非常にきれいであり、新海誠よりも効率的かつ美しく世界を描写できている点でかなり好印象をもったが、時々必要もないし明らかに効果が弱いのにカメラをぐるぐるさせるところで首をかしげてしまった(これは素直によろしくないと思う)。要するにプラマイゼロなイメージ。
【可読性】1点 (1点)
飽きずに見ることができた。
【構成】1点 (2点)
構成が練られていたかと言うと微妙。ジョゼと恒夫のバックボーンが入るわけでもない。ふたりが本当に求めていることについて(恒夫はなぜ海を潜るのか、ジョゼはなぜ海を描いているのか)、あるいは絶対に相容れない対立構造(本作では健常者と障碍者が該当する)について、またふたりの相互理解のキッカケとなった海は作品内でどういう存在なのかについて、もう少し考えた方がいいような気がする。せっかくの題材がもったいない。
【台詞】1点 (2点)
特に響いたものは無い。
【主題】1点 (2点)
タイトルの虎と魚たちは、ジョゼにとっての敵と憧れ、つまりはジョゼをとりまく環境について表しているので、必然的に作品もジョゼの環境を描くことになる……と思っていたら、途中から恒夫が交通事故に遭い、感動リハビリストーリーになるので何がしたいのかよくわからなかった。この事故を通して、恒夫がジョゼと同じ目線になる、ふたりで車いすに乗って病院内を競争するとかならめちゃくちゃ面白いと思うのだが、特にそういう目線のすり合わせもない。夢破れてささくれ気味になった恒夫は、サクラのような歓声をあげるこどもたちと一緒にジョゼの紙芝居を見て感動、無事に恒夫は自分の脚で立ち上がることができるのだった――というストーリーに、一切なんのメッセージも感じられなかった。絶望しても立ち上がれという話はジョゼが祖母の死によって達成できるテーマだし、もし仮にジョゼばっかりひどい目にあって可哀想!だという意味で順風満帆な恒夫を交通事故に遭わせたのだとしたら、あまりにシナリオ構築が雑すぎるし、ジョゼの方こそかわいそうである(自分が障碍者であるというだけで、周りの人が傷つけられていくのだから)。本作はあまりタイトルの掘り下げがなされなかったが、自分が考えるなかでは、ジョゼにとっての虎とは「障碍者は健常者が営む社会の円滑な運営を邪魔をするお荷物だと見做す視線」であり、魚たちとは「健常者になった末に目にすることができる景色」である。ならば、ジョゼが達成しなければならないことは、王道路線なら「自分はお荷物ではない」と健常者に指し示すことや、「憧れの景色」を目の当たりにすることが該当する。あるいは最近のトレンドとして、そもそもその手の問題には乗らずに「社会において誰がお荷物か」という議論から降りたり、「健常者でも見ることができない景色を見る」など、いくらでも達成方法はある。それなのに、いつしか物語は恒夫の感動リハビリストーリー(ジョゼはずっと足が動かないのにお気楽なものである)によっていい感じに回収され、テーマは「大好きな人からもらった言葉を糧に頑張ろう!」的な恋愛路線に行きついて二人は幸せなキスをして終了する。
まあ別にそれでもいいのだけれど、ジョゼの問題はどうなったんだよと思わずにはいられない。自立の鍵となる彼女の画はどのような広がりを持つのか、彼女が終盤でようやく手に入れた「物語る能力」は、彼女とふたりの関係をどのように肉付けていくのかなどが全然明らかになっていない。もったいないと思う。
【キャラ】0.5点 (1点)
「あたい」が一人称でもいいんだけれどさあ。
加点要素
【百合/関係性】0点 (2点)
該当描写なし
【総括】
いろいろ散漫でもったいないなと思った。書きたいことはもうすでに上に書いているので、特に書くことはない。