アレッサンドロ・バリッコ『シティ』(2002)
https://www.amazon.co.jp/dp/4560047413/ref=cm_sw_r_tw_dp_MWR9Z64PXESTZEM8WH2V
【総合評価】 11点(総合12点:全体10点+百合2点)
【作品の立ち位置】
オールタイム・ベスト・コンテンツ(10<x)
ガチで大事にしたい作品(9<x)
積極的推し作品(8<x≦9)
オススメの手札に入る作品(7<x≦8)
まずまずな作品(6<x≦7)
自分からは話をしない作品(x≦6)
【世界構築】2点 (2点)
自分は思いも寄らない方向から人間や物事が描かれることを好む。例えば本作がそうだ。物語のキャラの生き死にをファンへのアンケート調査で決めようとする出版社や、そのコールセンターに電話を掛ける13歳の天才少年グールド、または彼の電話をとることになったボイスレコーダーを手放さない女性シャツィ。彼らの出会いは物語になり、彼ら自身も物語を語る。すべての物語が「彼らにしか語れない」ものであると分かったとき、自分の書きたい作品はこういうものだと思ったし、この経験はこの作品でしかできないのだと当たり前のことに気付かされた。満点。
(参考までに)本作は、以下のようなセンテンスで作品世界を構築する。
電話はマミージェーンの未来についての貴重な意見を回線の中に封じ込めたまま鳴りつづけていた。
しっかりと羽交い締めにし、われを忘れて愛してしまった
パット・コバンは十七歳だった。緑色だった。クロージングタウンの売春婦の目はじつにきれいな緑色だった。
「何の停止なんでしょうか、正確なところは?」モンドリアン・キルロイ教授は尋ねた。正確には誰も知らなかった。そういうわけで、停止処分は停止されることになった。
ディーゼルとプーメランはその最終号を百十一冊購入した。そして、こつこつと辛抱強く、紙質の悪さにもかかわらず、何か月ものあいだ、必要が生じるたびに、ページを一枚ずつ破りとって尻を拭くと言う作業に精を出した。
【可読性】1点 (1点)
ひたすらナイスセンテンス・ナイステンポでジャブを重ねてくる。それでいて読みやすいのだから手が付けられない。
【構成】2点 (2点)
グールドはトイレに籠もってあるボクサーの生き様を、シャツィはボイスレコーダーに向かって頭のなかのウェスタン(西部劇)を語り続ける。様々な物語が交差する本作は、その混迷具合をひとつの世界として楽しむべきである。
【台詞】2点 (2点)
テキスト同様、どの台詞も冴え渡っている。
幸せとは何かって聞かれたら、何かと言うのははっきりとは答えられないにしても、何かの味がするって言うことは認めざるをえない
そうね。犬と遊ぶとか、親のサインを偽造するとか、いつも鼻血を出しているとか、そういうこと。キャンパスに住むなんて論外よ
水道をひねると電気がつく。ラジオをつけると電話が鳴る。ミキサーが勝手に動き出す。お風呂のドアを開けるとそこは台所。出ようとすると今度はドアが見つからない。なくなっちゃってる。消えちゃったの。ずっと、そこに閉じ込められたまま出られないんだわ。
このだだっ広い国じゅうを探しても、わたしたちが持っているお金の金額とぴったり同じ価格のトレーラーが見つからないなんてこと、あると思う?
今度生まれ変わったら、我々はきっと誠実でいよう。我々にも沈黙することができるだろう。
【主題】2点 (2点)
つまり、思いもよらないことかもしれないけど、人間だっておんなじなんじゃないかしら、私たちだってあたかも正気を失ってしまったかのように、あるいはもっと悪いことに、あたかも道に迷ってしまったかのように、右にふらふら左にふらふら、真っ直ぐには進まないけど、それは実際には私たちに真っ直ぐに進んでいるってことなのよ、それが科学的に正しい進み方であって、いわば予定された進み方なのよ、無秩序な失敗ややりなおしの連続に間違いなく似ているけど、それはただ表面上のことで、実際にはそれが目的地に行くためのわたしたち人間の進み方であって、わたしたち人間の固有の進み方なのよ、言ってみれば、わたしたちの自然な性質ね。
読んだ瞬間、まさにここだと思いました。『シティ』が自分の人生にめり込む音が聞こえました。
【キャラ】2点 (1点) ※上限突破はよくあることです
台詞だけでなく、行動でも魅力を発揮するキャラクターたち。二度と彼らのことを忘れないように思う。
加点要素
【百合】0点 (2点)
該当描写無し。
【総括】
本作は知り合いのブログで知った気がするのですが、何処にも言及記事が見当たらないので気のせいかもしれない。
さて、アレッサンドロ・バリッコと言えば『海の上のピアニスト』の原作小説の執筆者ですが、著作を読むのは初めてでした。まさかこれほどまでに魅力的な文章を書く人だったなんて……。自分の人生のモチベの半分くらいは『「こんな文章が書きたい」ということの発見と再現』にあるので*1、このような発見ができたことを嬉しく思います。自分の性癖に刺さるような小説がまだまだ世界に潜んでいるのかと考えると、それだけで気が狂いそうになるし、海外文学へのアンテナをもっとしっかり張っておきたいところです。時間はいくらあっても足りませんね。本当に。
*1:いま適当に考えましたが、あながち間違っていないかもしれない