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アンドレイ・コンチャロフスキー『親愛なる同志たちへ』観た!

アンドレイ・コンチャロフスキー『親愛なる同志たちへ』(2022)

映画『親愛なる同志たちへ』公式サイト

【総合評価】7点(総合12点:全体10点+百合2点)

【作品の立ち位置】

オールタイム・ベスト・コンテンツ(10<x)

ガチで大事にしたい作品(9<x≦10)

積極的推し作品(8<x≦9)

オススメの手札に入る作品(7<x≦8)

まずまずな作品(6<x≦7)

自分からは話をしない作品(5<x≦6)

時間をロスしたと感じる作品(x≦5)


【世界構築】1.5点 (2点)

ソビエト連邦時代のロシアで実際に起きた事件を、アンドレイ・コンチャロフスキー監督が映像化したもの。モノクロで描かれることで、当時の空気感を感じやすくなっていて良かった。街の共産党員の幹部の集まりにあまり現実感を感じなかったというか、なんかしょぼいものを感じたので微妙な気持ちになった。とはいえ、共産党員の全体集会の空気は非常によかったと記憶している。銃を発砲する感じも切羽詰まっており、なかなかによかった。

 

【可読性】1点 (1点)

めちゃ眠かったのでやや寝たが作品に罪は無く、ふつうに飽きなかった。


【構成】1.5点 (2点)

共産党万歳から、娘の安否や党の隠蔽体質を通じて徐々にその思想が揺らいでいくのが良かった。とはいえ、別に構成に工夫はないよなとも思う。

 

【台詞】1点 (2点)

普通。あまり記憶に残っていないが、ヒトラーの真似をするお爺ちゃんの台詞が結構よかった覚えがある。

 

【主題】1.5点 (2点)

自分が心を委ねている国家が本当に正しいのか、というのを描いているのだが、今更ながらロシアだけがここまで責められるのは可哀想になってきた。当時の日本でもこういうことは絶対にあっただろうし、何なら今の日本政府も共産/民主主義以前に国民に隠しまくっていることがあるだろう。人間が運営している以上当然のことである。この作品について語るには、「共産主義を信じていた人が~」という文脈ではなく、何かしらに信頼を寄せている人全般にまで主語を拡大する必要があると思った。そして最後に主人公のリューダが到達するように、自分の大切なものを誠実に守ってくれる場所を探すことが一番大事なのだと思う。それを邪魔する集合体に自身が所属しているのであれば、さっさと離れた方が良い。

 

【キャラ】0.5点 (1点) 

普通。

 

加点要素

【百合/関係性】0点 (2点)

該当描写無し。

 

【総括】

この映画を観たのは4月だったのだが、まだロシアのウクライナ侵攻が真剣に議論されちているころだったように思う。今となっては、ロシアとウクライナが戦争していることに3月の時ほど心を痛めている人は少ないのではないだろうか。自分はある程度の額をウクライナ側に寄付したものの、もう精神が疲弊するだけなので、ウクライナの情勢には首を突っ込みたくないとすら思っている。当時は「ロシアの一方的な暴力に負けないでほしい!」と送ったお金も、ここまで長期化すると、寄付することでさらに自分以外の人間を戦線に送り出すことになるのだと考えてしまい、自分が軽薄な行為をしているのではないかと思えてくる。決してウクライナに負けろと言っているわけではないのだが、本作が教えてくれたように今の日本が観ている世界が必ずしも正しいとも限らない。結局はみな、自分が守りたいと思うものを守る側につく。いまの日本はメディアがそう報道しているからウクライナを守りたいと考える人が多いが、そうでない国はまったく逆の現象が起きているだろう。そのどちらが悪いのか、何が正しいのかを考えることに自分が疲弊しているのは事実であり、なんだかもうこういう文章を書いているだけで気が重くなってくる。願うのはどちらも戦闘行為を今すぐにやめることだ。自分がやられて嫌なことは他人にもしないという倫理を未だに自分は持っている。それが全世界にも生きているのであれば、本作のような悲しい出来事も起こらなかったと思うが、人間はあまりに難しいのでよく分からない。誰を信じれば良いのか分からないという、リューダの悩みが自分にも少しは理解できるような気がする。