新薬史観

地雷カプお断り

最近見た映画(ウェス・アンダーソン中心)の感想

No.159 映画 「マイ・フェア・レディ」(1964)

桜坂しずくの担当回のモチーフっぽい話を聞いたので見た映画。アニガサキ8話でも少しは書いたけど、あまり詳細には書いてなかったので付け足し。

オードリーヘップバーンが出ているということでかなり有名だと思うのだが、言語矯正の学者が覇権を握っているというのもなかなかない設定でよかった。というのも、当時は方言や喋りで身分がわかって対応が変わるという、なんか日本の田舎と大して変わらないことをやっていたわけで、自分としては(真偽はともかく)どこの閉鎖的な空間(交通機関が今ほど発達していない当時は、もはや世界各国が閉鎖的で田舎である)も似たような性質を帯びるのだなという気持ち。当たり前か。とにかく、言語学者ヒギンズがこれまた性格がとても悪く、というか登場人物みんなが汚くて生々しいので最高なんだけれど、学者の性格の悪さは、男尊女卑+権力や地位にこだわる人々への嫌悪が合わさった程度のもので、この映画においてはまだマシ……に、見えないこともない。男尊女卑しすぎててビビるが、時代が時代なので許されるのか。自分としては男尊女卑しすぎる人は苦手で、ヒギンズはその対象に当てはまる。が、あまりに映画を通して意固地なので、もしかしたら女性に対する偏見より、別のものを抱えているのかもしれないなと気付いた。相手が自分より劣っていると言い続ける人は、自分に自信がないからだという(出典なし)。この映画においては、地位と権力と金がすべての世界で、実際にそのように物語が進んでいく。ドブネズミのようなイライザを、目が節穴な金持ちのやつらに(言語矯正によって)王女か何かと思わせようというのが本筋で、「やっぱり地位も権力もくそくらえだ、ざまぁみろ」というのが映画を通して語られる。でもそんなことをしている側は、何を心の支えにすればよいのかという話で、純粋無垢な子供ならまだしも、素で性格がねじれているヒギンズも、何か権力のようなもので自分の立場を安定化させなければいけないのだ。本来ならばここで家庭が出てくるのだろうが、ヒギンズはやや女性を怖がる向きがあり、ひっくり返すと男性としての自分に自信がない、というような話になる。逆にそこらは権力にすがればなんとかなるわけで、でも権力主義を否定しているからよりどころがなく、結局その反動が男尊女卑につながっているという感じなのだろうか。ややこしい。

何が言いたいのかというと、この映画、結局ヒギンズが救われるわけで、散々イライザの気持ちを汲まずに自滅したヒギンズが「とほほ……またひとりぼっちになっちゃった」で終わるのではなく、彼のもとにイライザが帰ってきて今まで通りの日常を送ろうとするのだ。この映画で、なんでヒギンズが救われたのかってのはかなり議論の余地があるとおもうのだけれど、そういうわけでもないのだろうか。ヒギンズは何度もいろんな人から素直になるように促されたのに、まったく素直になろうとしない。めちゃ不器用な人間で、映画として「これでもか」という舞台を用意しても、すべての手を払いのける。視聴者として、ここまで停滞するヒギンズを見せられると、「ああ、これはもうヒギンズが悪いな」と納得するのに、結局ヒギンズは何も変わらないまま、イライザに救われるのである。イライザからすれば、「そんな不器用な人だからほっておけない」ということなのだろうが、あまりに不器用が過ぎるというか、イライザがめちゃくちゃ変容したのに対し、ヒギンズはマジで何一つ変わっていないので、そこが映画としては珍しいなと思った。最後に少しでも変化したら全然問題なかったんだけれど。

あ、舞台衣装はすごく綺麗で、特に競馬のモノクロームの場面は壮観だった。画作りはすごいよかったな。もっと他に語ることはありそうだけれど長文になってきたのでここまで。

 

No.160 映画 「ノッキンオンヘブンズドア」(1997)

実は自分の一次創作のタイトルが「セヴンズドア」で、その一次創作にこれまでの映画の要素をちょっと入れてみたいなと思い、似た名前のこいつを見つけた。結果として、かなり面白い体験をしたと思う。死ぬ間際に海を見たことがない人間が言う「天国では何が流行っていると思う? 海の美しさについて語ることさ」という趣旨のセリフがすごくよくて、自分はこの場面で、この映画の良さを確信した。実際にめちゃくちゃよかった。基本はギャグテイストで、犯罪とかしまくるんだけれど、明るい犯罪映画なので楽しく見れる。というのも、二人はもう死ぬ間際の人間なので、なんだってできるわけである。つまり、最近よく話に上がる「無敵の人」である。失うものが何もないので、なんだってできる。つまり、この映画において二人はスターを獲得したマリオのようなもので、マジで最強なのだ。もしかしたらなろう系に近いのかもしれない。

ともかく、この映画はかなり良かった。さっぱりした気分になりたいときにおすすめ。

 

No.161 映画 「ミッドサマー」(2019)

前評判、というか雰囲気に騙された。あまりにポスター背景が明るいので、麻薬のやりすぎで狂う人たち、狂人の祭りみたいな映画かなと思ったら、いやはやその通りではあるのだけれど、単純に狂気のグロエロ映画だった。が、脚本や伏線がしっかり練られていて、B級映画というわけではない。「グリーンインフェルノ」をしっかりと洗練させた感じ。あの映画の理不尽さを弱めて、ロジックやテーマでしっかりと味付けがされた感じかな。不快なところはままあるが、まあ許容範囲だった。グロイけど。

この映画のテーマとしては、家族を失ったダニーの依存先がどうなるか、という話であり、結論としては「ちょっぴり狂っているけれど、新たな家族を手に入れた!幸せ!」ということになる。多分。

この映画で描かれている共同体の特徴として、①昔からの慣習を強く守り続けている②外部の人間に厳しい(独自の決め事が多い)③人間の感情に呼応する④生命に強く感謝している、などがあるだろう。さらにまとめると、伝統と慣習、そして共有あたりがキーワードとなる。田舎の共同体とおんなじですね。そこにルーン文字や映画の美術が加わることで、しっかりとした「異国」の共同体が演出されていて良い。感覚としては、彼らは宇宙人のような演出をされていて、個人的には本当に宇宙人でもこのテーマはくずされず、ダニーも同じように共同体に属したのだと思う。大事なのは、言語なんかではなく誰でも理解できるリズムであり、呼吸であり、それによって喚起される感情の共有である。身体性と感情については多く議論されていると思うが、自分は(勝手に)人間の感情を一番に表現できるのはダンスだと考えており、その点で共同体と感情の共有をされまくったダニーがここを居場所だと考えるのも無理はなさそう。クリスチャンはしっかりと彼氏としてダニーの支えになっていたのだけれど、感情の発露に乏しかった(うまく感情の共有ができていなかった)。「女は感情的」という言葉が作中にあった気がするが(なかったっけ?)、ダニーはかなりその気が強く、そして共同体もダンスや音楽を通じて、しっかり感情を共有しようとしていた。それがダニーが欲しかったものであり、クリスチャンができなかったことなのだろう。その役目を共同体が担っただけのことだと思う。で、自分としては、この共同体の異常さ(パッと見では理解不能で、狂気を感じるもの)を演出するためのグロだと思うのだが、その演出っているのかなあと思い続けている。自分は適度なエログロはいいが、過度なエログロ(つまり必然性のないグロ)はかなり苦手なので、この作品において崖から落ちる描写、ハンマーで顔をつぶす描写、男性の遺体をむちゃくちゃにする描写などに疑問を抱き続けている。いや、共同体の異常性を演出したり、異常なことでも伝統だからという理由で守り続けることへの疑問を呈するためだったりと理論があるのはわかっている。そこのロジックがあるからこそ完全には否定できないのだが、もうちょっとなんとかできなかったのかとは思う。ただただ見ていてつらいので……。

最後に、話題になっていた麻薬の表現は最高でした。あんな感じになるんだな。めちゃ酔った。あと、その序盤の妄想のシーンが後々の伏線にもなるから、その点がすごいと思う。麻薬の表現だけ見たい人は序盤だけ見て終わりでもいいんじゃないでしょうか。それはあまりに製作者に失礼かもしれんが、それ以降かなりメンタルにダメージが来るので……マジで。

※あとルーン文字の考察とかはする気になれないんですが、考察サイト見てたらみんな服についているルーン文字の話ばっかりで、誰も食事の時の座席について話していないので首をかしげました。あの食卓の配置からして、多分上から見たら食卓はルーン文字になっていると思うんですよね。で、本当は見返したくないのですが、おそるおそる見返すと、やっぱ冬の老人たちを殺すときの食卓はオセル(オシラ)になっていて、「伝統」「分離」「後退」「代々の遺産」などを意味しているみたいですね。いや、ルーン文字で画像検索してたんですが、あまりに意味がありすぎる。ここでは多分「伝統(人生の冬のものは死ぬ)」ですね。次に陰毛と経血が仕込まれていた食卓ですが、あそこでは多分机の折り返し的にパースローで「伝授」「運命の杯」「秘密」などがあって、あそこでは「運命の杯(経血)」と「秘密(見せると言って連れ出す)」でしょうね。女王になった後の食卓は、イサで「停滞」「休止」「氷」などがあって、これがよくわかんない。何か止まるような出来事あったかな。わかる人いたら教えてください。

 

No.162 映画 「グランド・ブタペスト・ホテル」(2014)

ミッドサマーの後で見たからか、グロくない映画、サイコー!となってしまった。いや、グロいが判断基準になるのはめちゃ嫌ですが、この映画は本当にめっちゃいいです。まず、脚本がすごい「映画」って感じの構成をしていて、名作のお手本みたいな端正なつくりになっている(具体的に言うと、過去の回想と現在への戻り方、昔話の昔話という入れ子構造と第三者視点の使い方がすごくうまい)。そのうえ、映像がめっちゃ綺麗。カラーリングが本当におしゃれで、綺麗なところはかっちり綺麗に、汚く薄暗いところも整理整頓されている感じ。つくられている舞台の心地よさがすごくいいんだわ。キャラの整理も相当に練られていて、かなり極悪な人がいるんだけれど、彼とその周りの人もすごく面白い。テンポがいいから、ちょっとグロイ?ようなシーンも軽く流せるし、メンタルにダメージが来ない。キャラにその行為をさせたという事実を残しつつも、観客に負担を強いないつくりは自分のような人間にはとても助かるものでした。本当にこれは何度でも見たい傑作。大好きです。これを機にウェス・アンダーソン作品を漁ることにしました。

 

No.163 映画 「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」(2001)

ウェス・アンダーソン作品。これもよかったですわね。自分のなかで「マグノリア」っていう映画が思い浮かんだ。どこがかというと、マグノリアはこれまでに人が犯した罪を「偶然」がすべて許す、というめっちゃ奇妙なつくりをしていてかなり好きなんだけれど、本作の映画はまったく誰も助けてくれない。偶然を許さないというか、物事が本当に都合よくいかない。人間が傷を負いながら、何とか前に進もうとして失敗して、最終的にどこにたどり着けるんだろう、っていう人間の未熟さとタフネスさをすごく綺麗に(あるいは泥臭く)描いている作品だと思う。かつての天才一家ってのがまったく物語に作用せずに、本当にいち人間としてしか動かせてもらえないところも最高なんですよね。この作品では、その人間らしさ(嘘をつく、見栄を張る、なんとかしぶとく生き延びる)を親父であるロイヤル(破産した法律学者ってのがまた最高)が孫に教え、家族を振り回し、みんなに伝えていく形となっている。正気か?と思うところは何度もあるんだけれど、それはこの物語のテンポの良さがすべて流してくれる。いい映画です。

 

No.164 映画 「ファンタスティックMr.Fox」(2009)

ウェス・アンダーソンによるストップモーション・アニメーション。こんなのも作っていたんだと感動した。野生動物の温もりを表現するのに、このフェルトは最高の素材だな。撮影にどれくらいの年月がかかったのか想像もつかないが、それだけの映像になっていると信じている。基本的に「人間は愚か」というメッセージを受け取ったのだが、野生動物の「野生動物であることを思い出せ!」という言葉にこそ、人々は正直になるべきで、こんなちっこい社会なんて形成せずに早く人間も農耕社会に戻るべきではと思ったりするのだが、そうすると今読んでいる本もパソコンもみんななくなってしまうので、難しいところですね。

気になったのが、キツネやアライグマやネズミは言語を発するのに、犬と鶏だけは家畜として人間に保護されているのは、何か裏設定でもあるのだろうか。わからん。まあそれはともかくとても楽しめました。

 

No.165 映画 「ムーンライズ・キングダム」(2012)

ウェス・アンダーソン作品。めっちゃ好きな映画です。グランド・ブタペスト・ホテルと同じくらい好きかも。これはロイヤルテネンバウムズと似ているところがあると思っていて、少年少女の手の届く範囲でなんとかやっていくという感じが大好き。さらにこの子たちは社会共同体から疎まれているというストーリーつきで、わざわざ家の冷蔵庫の上においてある超問題児の育児の本を見つけたり、ノアの箱舟でカラスの役をやったりと散々なスージーが、里親からもボーイスカウトの隊員からも拒絶されるという、踏んだり蹴ったりなところから始まる。この狭くもこの子たちにとっては全世界のなかでつまはじきにされるのがかなりつらくて、双眼鏡を手にしたスージーの「遠くのものを近く見れる魔法」であったり、超問題児の話を笑うサム(この子の場合は最初から親の存在をよくわかっていないというのがあると思うが)に本当に怒ったりするなど、すんごくか弱い存在であることがしっかり描写されているんですよ。そんな二人がたどり着いたムーンライズキングダムにぽつりとおかれた黄色いテント。あのカラーリングとロケーションが最高すぎた。めっちゃ綺麗な色をしているんだよな。いちいち構図がびしっと決まっていてすごいこの映画監督だけれど、ここまで来てようやくウェス・アンダーソン作品で共通するカットに気が付いたんだが、偉い人(現場監督など)がぐるりと周囲を回っていろんな人と話すことで、その人の性格や世界を広げる演出を好んでいるんですね。すごくいいと思う。カメラも気持ちいいし。なにより会話のテンポもいい。

映画の話に戻ると、この映画は最終的に大人によって手助けされることで一件落着となるんだが、あのあたりがすごい好きで、子供の限界を感じるというか、それを理解した大人が手を差し伸べるシーンがすごくいい。常に子供のことを考えてなんとかしてやろうと考えている人たちばかりで、見ている側としても助かる。いい意味でも悪い意味でも、この映画は子供の手の届く範囲でしか広がらず、その境界できっちり閉じている。その境界にあるのが、まさにサムとスージーがたった二人でなんとかたどり着いた「ムーンライズ・キングダム」であり、後の話は、そこからそれぞれの家と王国への揺り戻しでしかない。でも、あの王国にたどり着けたという事実が、きっとあの二人の婚約を示し続けるんだなと思いました。すごく綺麗な話です。傑作。