新薬史観

地雷カプお断り

別にプリキュアは新しいことをやっていないけれど、踏み込んではいる

ヒープリ最新話の話です。

昨日、ようやく論文を提出したので、やっと自分の好きな文章を書けるようになりました。助かる。

で、この前ちょうど論文を書きながらヒープリ見てたら、なかなか面白い話をやってました。主人公ののどかちゃんが敵であるダルイゼン(ウイルスみたいなもんです)から救いを求められているんだけれど、それを断るんですよね。

ダルイゼン「お前の体で休ませてくれ!じゃないと死んでしまう!」

のどか「いやです。あなたが私の体に入ると私が重い病気になるし(ウイルスなので)、あなたはこれまで悪いことをしてきました。救ったとしてあなたがまた悪いことをしない保証はありません。ほかを当たってください」

という感じのやりとりです。めちゃ大雑把にまとめたけど。

で、この流れはツイッターで話題になりそうだと思ったら案の定で、「これはプリキュアとして新しいぞ!」「すごい選択だ!」という声が相次いでいて、自分も「踏み込んだなあ」とは思いました。何しろ敵の生死を主人公が決めようとしているんだから。

でも、改めて考えると、この選択は新しいかと言われればそうじゃない。

ツイッターでは「自分が救いたくない人を救わない決断」をしたかのように、のどかの発言が切り取られているんだけれど、のどかにとっての一番の関心事は、「自分が苦しむか否か」だったはず。つまり、のどかにとって一番大切な「健康な体(小さいころからずっと病気で最近ようやく元気になった女の子です)」を差し出してまで敵を救うべきか否かという話に過ぎない。

もしダルイゼンがのどかの身体を蝕まずに生存できたなら(それこそのどかの魔法ひとつで回復できるのなら)、のどかは迷わずダルイゼンを救ったと思う。この場合においては、プリキュアは相手の過去や素性を気にしない。悪人でも善人でも、「自分が傷つかずに、なおかつ救う手段を持っている/手にすることができるのなら」プリキュアは目の前の人を必ず救うのである。過去シリーズはずっとそんな感じでした。

で、今回はたまたまダルイゼンとのどかとの間に命の応酬があったから事が大きくなったと感じるだけで、過去シリーズのプリキュアも、

敵「そのパレットを、ペンダントをよこせ!」

プリキュア「嫌です。何よりも大事なものなので」

と、決して自分の大切なものを譲っていないんです。

今回の話は、

敵「お前の健康な体をよこせ!」

プリキュア「嫌です。何よりも大事なものなので」

と言っているにすぎません。何も新しいことはやっていないんです。ただ、自分が一番大切にしたいもの、守りたいものを外部の人の手から守っただけ。

なので、ヒープリ最新話で「これまでのプリキュアの自己犠牲の精神が覆された!」って言ってる人は見当違いで、多分プリキュアを見ていない。これまでのプリキュアで自己犠牲(自分にとって一番大切なものを失ってまで、相手を救おうとする意)に走った子なんて誰もいなかったはずです。

まあ、自分もプリキュアの全シリーズを見ているわけではないのですが……(過去シリーズに「自己犠say☆プリキュア」とかあったらどうしよう)。

 

で、まあ新しいことをやっていないという点は上記でいいとして、それはそれとして「今回のメッセージは踏み込んだな」とは感じるわけです。というのも、このコロナのご時世、さらにプリキュアのテーマは医療です。コロナを予期して作成されたシリーズであるわけがありませんが、どうしても視聴者からすると、作品のメッセージを現実と結びつけてしまう。

そこで「自己犠牲してまで、私はあなたを助けない」と、相手の命を目の前にして、プリキュアが宣言するというインパクトについて考えてしまうんですよね。これを医療従事者はどう受け止めるんだろうなと。

だって、今の医療現場はこれまでの現場よりずっと過酷な状況で、医療従事者はもういっぱいいっぱいなわけで、感染リスクという命の危険まで背負って働いているわけですよね。別に医療従事者だけじゃなくてもいいですけど、「感染リスクのある仕事をするなんてしょうもない、大切なのは自分。リモートワークしている人間が勝ち組」とか言っている人間もネットではチラホラ見かけますが、そんなことを言っている人たちのために運送したりインフラ設備を整えたり治療したりしているのがエッセンシャルワーカーなわけじゃないですか。

この状況における職業の是非はともかくとして、このような状況下でもエッセンシャルワーカーとして働き続けている人たちにとって、今一番大切にしているものは「自分の仕事の意義」だと思うんです。だって「自分の健康」が一番大切ならもう仕事を辞めているでしょう(もちろんこのご時世ですから、転職ができなくて、嫌で嫌でしかたないけど生きるために仕方なく仕事をしている人も少なくないでしょうけれど)。

つまり、現実のエッセンシャルワーカーって、ダルイゼンを救ったのどかみたいなものなんですよね。自分の身体が大切なのは重々承知したうえで、自分の仕事の意義(プリキュアでいうところの世界を守る的な)を理解して、社会のために働いている。

プリキュアはヒーローでありながら、ひとりの女の子であるというのはどのシリーズでもよく描かれていますが(かっこいい子に恋したり、お父さんとお母さんが大好きだったり、友達と遊んだり)、それゆえに「自分が一番大切にしているものを守りたい」というわがままを押し通しますし、無邪気だからこそ強いという描かれ方をします。

一方で、このご時世のエッセンシャルワーカーは、自分がひとりの人間であることを据え置いて、社会のために働いているわけで……もしかしたらこっちのがよっぽど「ヒーロー」なんじゃないかと思ったりするわけです。

で、そんな風にして自分を犠牲にしてヒーローとして働いている人たちが、もしこのヒープリの話を見たら、のどかの言葉を聞いたらどんな風に思うんだろうなと。

現実のヒーローは物語のなかで、ヒーローも一人の人間であることを知る――ちょっと不思議な構造ですよね。

 

なにはともあれ、どちらの世界のヒーローも、どうかご自愛ください。

僕もコロナに気を付けながら、家でゼルダを救います。

これくらいしか、僕に救えるものはないので……。