新薬史観

地雷カプお断り

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第2話感想

アニメ「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第2話の感想です。 

正直、最初に視聴した時は「あれ? 1話に比べてあまり心に響かなかったような……」とか思ってしまったのですが、2回目の視聴で「なるほど!」となり、4回目くらい見たらマジで脚本うまいなくらいしか考えることができなくなってしまった。

 

てか、OPね。

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この歩夢の視線、マジでなに? 高咲侑が無邪気にこっち見てるんだから歩夢もこっち見ろ、オイ。ガチな雌の空気を出すんじゃあない。子供がビビるだろ。

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え?え?え?しずかすかわいいね。こうしてみるとやっぱしずかす以外ありえんよな^~。公式カプおめでとうございます。

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天才りなあい。無表情の璃奈ちゃんの本当の表情が良い味だしてる。愛さんそうやって思わせぶりなハグを誰彼構わずやるの良くないですよ。え? りなりーにしかしていないって? そう……。

中須かすみの「可愛い」について

はじめに書いておくが、かなりわかりきったことを書いている自覚はあるので、読み飛ばして良いと思う。アニメの内容にそこまで触れないし。じゃあ書くなというのは尤もであるが、折角なので中須かすみの「可愛い」について個人的なメモ書きを残したい。

かすみの「可愛い」については絆エピソードで散々語られているが、さっき読み返していて見つけた16話の「可愛いの前には妥協なんてありえません! 可愛いは覇道!」という台詞が結構良い味だしている。あと、ファンクラブのみんなは王様で、かすみんがお姫様というところかな。

かすみのかわいさについて触れると、決まって無印の矢澤にこを思い出すが、それは「可愛さ」に対して真摯であるという点で一致しているからだろう。それが先ほどあげた「覇道」という単語に集約されている。スクールアイドルは戦国時代、勝った負けたの世界において、アイドルは日々自分の強みを尖らせ、「可愛い」にしのぎを削る必要がある。それが顕著に表されたのが、今回の歩夢に特訓させるシーンだ。

また、かすみの言う王国はかすみの「可愛さ」にひれ伏した(あるいは認めた)者たちだけで構成される王国であり、すこし閉塞感がある。ここでも絆エピソードの話になってしまうが、随所で語られる「かすみの可愛さを認めた人に対しては格別優しくしたい」というかすみの気持ちを汲み取ると、かすみは自分の可愛さに少しの揺らぎを抱えていることがわかる。というのも、本当に自分の可愛さに自信があるのなら、あそこまで丁寧な感謝の気持ちは沸いてこないからだ。多分。

間違えてはいけないのが、「自分がかわいいことに自信がない(真剣な悩み)→でも私はかわいい!(むりやり笑顔)」ではなく、「私はかわいい!(本気)→でもみんなかわいいって言ってくれない……なんで?(純粋な疑問)」という流れである。

何を言っているのかと言うと、かすみの「可愛さ」はコンプレックスによって構成されているものではなく(かすかす、という名称にまつわるなんらかの疑念は残るが)、生来によるものだということだ。かすみの全ての行動原理は、「自分は本当にかわいいのだと信じている」に繋がっていると自分は信じている。

けれども、誰も自分をかわいいと言ってくれない。そこに疑問があり、だから自らの「可愛さ」について揺らぎが生じる。

その根拠のひとつとなるのが、実際に侑にかわいいと言われた時のかすみの「驚き」の反応である。あれは自分が信じている自分のかわいさを見つけてくれた人に対する喜びであり、ようやく現れた理解者という図に他ならない。わたてんの姫坂乃愛が星野ひなたに向ける感情がこれに近い。

以上を纏めると、まあアニメの話とは関係のないところでの話になってしまったが、かすみは自らの可愛さを純粋に信じていて、それがスクールアイドルとしての強みであると確信している女の子であるということだ。

つまり、かすみは既に自分という存在を見つけている。

自分が何者か、スクールアイドルにおいて何が重要か(かわいいこと)を確信しているからこそ、同じく自分にとってのスクールアイドル像(好きを伝えること)が明確である優木せつ菜と衝突するのである。

所謂、スクールアイドルという概念についての「解釈違い」であり、地雷カプとの衝突と似ている。

そりゃ仲良く出来ないよな~(?)。

 

上原歩夢との「かわいい」の違いについて

今回はめちゃくちゃ「かわいい」というワードが出てくる。かすみの考える「可愛い」と、歩夢のなりたい「かわいい」である。

先ほども書いたが、かすみの可愛いは既に確立されており、スクールアイドルの必要条件として、かすみのなかでは「コレ!」という絶対的な解釈がある。だから歩夢に指導することになるのだが、どうやらかすみの「可愛い」は、歩夢の「かわいい」と合わないようで――というのが、かすみの成長のきっかけになっている。

これがうまく表されているのが、かすみの自己紹介のカットである。

2話を見ていると、随所で歩夢がかすみに対して冷たいツッコミ(「……は?」「え?」等)を入れている。これを「歩夢はかすみと、侑を取り合うから折り合いが合わないんだ!」とギャグ的に考える人もいるかもしれないが、自分のなかではそうではなく、ここに「かわいい」の違いが表現されていると思う。

スクールアイドルとしての自己紹介は、スクールアイドルとしての第一歩と言うように、その人の「スクールアイドルの方向性」を示すと考えて間違い無いだろう。

要するに、かすみのスクールアイドルとしての「可愛い」を歩夢は理解できていないのだ。かすみに対して意地悪をしているわけではなく、本当に「え?それが『かわいいスクールアイドル』なの?」という困惑があるのだと思う。

優木せつ菜の「かっこいい/他人に好きを伝えたい」という方向性と、かすみの「かわいくありたい」という方向性の衝突だけでなく、かすみが唯一信じていた「かわいい」という枠組みのなかでも、かすみと歩夢は理解しえないというのが面白いところだった。

そこに気がつくのが、せつ菜について話している時なのだが、あそこの画面が揺れ動く効果(多分名前があると思うけど知らん)が良かったですね。 

 

③高咲侑の「ときめいた!」と果林先輩の視点について

とはいえ、メンバーが衝突し続けると永遠に話が纏まらない。

どこかで決着をつける必要があるのだが、それが高咲侑の「ときめいた!」である。

先ほども述べた、かすみの自己紹介のシーン。あそこで、侑は歩夢と違い、目を輝かせて「ときめいた!」と言う。

ここが本当に脚本のうまいところで、普通にギャグシーンだと思わせておいて、かすみの「可愛さ」を、歩夢は理解できず、侑だけが理解できるという「虹ヶ咲が進むべき方向性」を描いているのだ。

しかも、ここで侑は「かわいい!」という言葉は発していない。「可愛いスクールアイドルを演じるかすみ」を見て「ときめいた!」のである。これは、侑がかすみの「可愛さ」を認めたわけではなく、可愛いスクールアイドルになろうとするかすみの「方向性」を認めたと考えていいだろう。

ここに、「個人は団体に合わせるために、無理に変わらなくても良い」というメッセージがある。

このように、侑は、様々な方向性を持つ故にグループ内では衝突するだろう虹ヶ咲メンバーを、外部から見た「ときめいた」という万能の言葉で纏めあげようとしているのである。

で、ここまでならスクスタのストーリーでわかるところである。

今回さらに面白いのが、外部である果林先輩も、歩夢にアドバイスをしているというところだ。侑ではなく、たまたま出くわした果林が歩夢にアドバイスする意味を考えたのだが、どう見ても果林先輩が有能であることを印象づける気満々である。

さて、この有能演出が、後半落差として視聴者を笑わせるか(スクスタ世界線)、最後まで有能であり続けるのか……。世界線が違うこのアニメでは、後者になることだって考えられる(そもそもエマのためだけにここまで動く果林先輩がかっこよすぎる)。

夢女を大量に産むのか……? 朝香果林……?

 

④今回のゆうぽむ

侑がかすみに「かわいい」と言う度に「えっ」となる上原歩夢だが、一切嫉妬の表情を見せないあたり、制作者の強い拘りを感じる。安易な包丁持たせの回避的な。

また、応援してくれる人(侑の顔)を思い浮かべながら、かすみのアドバイスを受けつつ(うさぎの部分)自分で考えた言葉で語った自己紹介で、侑から「かわいい!」「ときめいた!」の2語をもらえたのはすっごい嬉しかっただろうなと。だって、かすみの自己紹介で「かわいい」とは侑は言ってないですからね。

個人的に、みんながかすみをかわいいと思うのって、スクールアイドルじゃなくて素のかすみだよなと思うところがあって、やっぱり自分が信じた(自分しかわからない)「可愛い」を徹底しているところに、みんなからのリスペクトが集まっているような気がする。お前の信じた道を行け、的な。

それとは違い、今回の歩夢の自己紹介は、「かわいいが好き」だと、自分に素直になれるよう一歩一歩進むという歩夢らしさに溢れていて、それを侑が「かわいい」と認めたところが、すごくいいなと思いました。

「かわいい」が好きな歩夢を、「かわいい」と言ってあげる侑。

それってつまり、歩夢の自己肯定感の底上げに繋がるわけで、歩夢がこれから進むべき方向を指し示してあげることができるってことだと思ってるんだけれど、やっぱりアニメはその辺りがしっかり考えられていて、侑と歩夢にすごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。
風・・・なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。

 

 

⑤かすみの出した答え

 で、かすみはせつ菜や歩夢との齟齬を敏感に感じながら、「このままではいけない……」と考えるようになる。ここの「私がなんとかしよう」っていう部分は、割とマジでかすみの良さを最大限に発揮しているところだと思う。

スクスタでも表現されているが、かすみはめちゃくちゃ人が良い。花瓶の水を取り替えたり、ゴミ箱のゴミを捨てたりするという模範生のような動きをしながらも、人が嫌がるようないたずら(一部世界線の、靴にコッペパンを詰める的なものはさておき)も、どれも子供だましレベルで、誰かを不快にすることは殆ど無い。

スクスタで一人でずっと部室を守り続けてきたのはかすみだし、アニメでは、スクールアイドル同好会が存在している証のネームプレートを取り返そうとしたのもかすみである。

かすみは、おそらく誰よりも、スクールアイドル同好会が、その場にいるメンバーのことが大好きである。

そんなかすみが、同好会に一番に望むことは何か。当然、「みんなが仲良く一緒にスクールアイドルができること」だと言える。で、普通の発想だと、「みんな」でやるからには足並み、方向性を揃えなければならない。しかし、それはせつ菜や歩夢の方向性を見失わせることになる――というのが、かすみの葛藤だった。

かすみは、強烈なまでに「自分の可愛さ」を信じ、「みんなでいることの嬉しさ」を抱え込んでいる。

そして、どちらも同程度で、想いが強力だからこそ、端的に「個性」と「全体」の話に置き換えることができるのだ。

2話で行われているのは、かすみの話でありながら、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のテーマ(個人的な解釈です)でもある「自分だけの『好き』を、みんなで叶えるためにはどうすればいいか」という、このアニメの方向性の決定付けでもあるのだ。

多分。

で、かすみはせつ菜との衝突で、一度誰かを失うという辛さを知っている。最初は「みんな」よりも「可愛い」を押し通したかすみだけれども、かすみにとっては両方大事なのだ。「みんな」を失った辛さを知ってしまった以上、今度は自分の「可愛い」を押さえ込まなければならない。それが大人としての成長なのだと進んでしまう……そうなってもおかしくない流れだった。

しかし、ここで侑が「みんなで、自分なりの一番を叶えられる場所」を提案して、ようやく虹ヶ咲スクールアイドル同好会の場が設定されるわけだけれども、この考えは、みんなが大好きなかすみだからこそ、絶対に思い浮かばなかっただろう概念なんですよね。

完全に外部からの視点である侑がこの言葉を発して、内部からでもわかるせつ菜とのすれ違いは、かすみが自分で気がつくことが出来た――そこの発言主の使い分けが、このアニメを単調なものにせず、しっかりとしたキャラ立ちに繋がっているのかなと思いました。すごいよねえこの脚本。

 

⑥Dream with youについて

またもや、歩夢同様高いところに登るかすみ。微妙に猫仕草が入るのは気のせい?

どうやら、高いところが舞台になるという規則があるようです。やっぱ、高い方がアイドルらしさに近づく、みたいな空気があるような気がするな。

それはそれとして、今回は歩夢のMVほどには、強いメッセージ性を掴むことができなかった。物語を内包しているというよりかは、お菓子を通して、いかにもアイドルらしい、少しあざとめのかわいい世界を演出しているのかな?くらい。

まあ、高い塔の王冠は、かすみの願うワンダーランドの原型らしさを感じるし、最初と最後の幕を見るに、この世界がかすみの「演じている」アイドルのかわいらしさによって成り立っている、あたりのメッセージはあるのかな。

もちろん旗とか、おそらくまた小ネタが大量に含まれているんだろうなとおもったけれど、自分はそこまでわからなかった。

あと強いて言うなら、どんどん上昇するキャンディ、というより飴。飴は「雨」であり、重力によって下に落ちる雨とは逆の動きをする「飴」というのが気になったところ。雨は虹(虹ヶ咲)を生むことから、割とこのアニメでは雨は肯定的に描かれるんじゃないかなと思ってしまうんだけれど(EDでもなんとなく、傘で雨を楽しもうという気概が見える)、もしかしたらこのかすみのMVでも、同じ試みがされているのかもしれない。

本来なら気分を下げる、下降する雨(せつ菜との衝突)でさえ、かすみの世界では上昇する「飴」になって、かすみをさらなる高み(かすみのワンダーランド)へ連れて行ってくれる、みたいな。考えすぎかなあ。

 

⑧まとめ

監視アカウントでtwitterを見る限り、虹ヶ咲のアニメは非常に高評価だし、自分自身めちゃくちゃ楽しく見れている。1話辺り5回くらい見返しているが、こんなに見たのはスタァライト以来かも。というのも、制作者からキャラクターへの、ファンへの素晴らしい愛を感じるし、もうめちゃくちゃに心に良い。幸いなことに、推しカプがどれも公式カプになっているし、同人ライフも安泰が保証されている。

いいのか、こんなに幸せで……?

これからも毎週、上原歩夢の気持ちになって高咲侑を見つめる遊びをやりたいと思う。

 

 

器械「スクール・アーキテクト」「アキタランド・ゴシック」感想

これまたすごい漫画だった。

「スクール・アーキテクト」の魅力は、なんと言ってもその漫画の構成だろう。

1巻と2巻で、少しばかり舞台は変わる(続編といえば続編だが、主要人物は大きく変わる)ものの、前半にキャラ紹介を兼ねた群像劇を展開した後で、その後、ようやく本編「スクール・アーキテクト」が始まるという構成になっているのだ。これがなかなかに魅力的で、本編に入る時は映像的で、割と大きな感動がある。

その後は「少し不思議」という意のSF要素が加わり、かなり毛色が変わる。「俺が今まで見ていたものは日常系ではないのか!?」というショックからうまく本編に移ることができれば、この漫画の題「スクール・アーキテクト」の意を知る最後に、めちゃくちゃでかい感動を得ることができる。悪いオタクなので、他の作品に例えたくて仕方が無いのだが、この一連の流れはまどマギのようだなと思った。あそこまで深刻なものではないように見えて、あれほどの感情を以て行われるラストの展開は、「うわぁ」と声が出る。軽くネタバレすると、強烈な姉妹百合である。1巻は読後感もとても良い。

ただ、2巻はその点、ややインパクトに欠ける印象があった。蛇足ではないのだが、う~ん、という感じ。1巻ラストのその後(あるいはその前)が描かれるという点では良くて、自分の中では「ダークナイトライジング」のような立ち位置になった。

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出版時期を前後することになるが、自分がその後読んだのが「アキタランド・ゴシック」で、こちらの方は作者のデビュー作なのだが、非常に洗練された独自の世界が構築されており、めちゃくちゃに良かった。傑作だと思う。

どうやら作者は秋田出身で、タイトル通り秋田(アキタランド?)を舞台にした、アキタという角の生えた少女が主人公の物語。本当にアキタ尽くしだが、ストーリーの展開に飽きることは一切無い。こちらは道満晴明の漫画作品と似ているところがあって、アキタランド特有の小物をさらりと出して、その背後にあるめちゃくちゃ巨大な世界を演出するという離れ業を成し遂げている。キャラクターも非常にかわいく、特にアサヒのアキタへの感情の強さはなかなかのもので、百合のオタクもニコニコで読むことができる。2巻で終わったのがもったいなく、まだまだこれからもずっと読んでいたいような作品だった。それもみんな、作者によって綿密に練られた世界設定のおかげだと思う。

ラストの締め方も、かなり良かった。

傑作をありがとうございました。

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青田めい「うにうにうにうに」「ゴスロリJK無人島漂流記」感想

 

最近の時間の使いかたとして、7月頃のセールでウン万円分購入した電子書籍を読み尽くすという行為をしている。

その中で、自分は最高の漫画家に出会ってしまった。

青田めい である。

出会いは「うにうにうにうに」だった。正直に言って、「うにうにうにうに」という謎でしかないタイトル、そしてリアルな魚につつかれている猫耳幼女という謎な表紙は、あまりオタクの興味をそそられるものではなく、読み尽くす行為をしているなかでも、その順番は後ろの方になってしまった。

 

うん……なんか、あんまりおもしろくなさそう……。

 

しかしながら、いざ漫画を読むと、その偏見は霧散した。

かわいい絵柄、キレッキレのツッコミ、類い希なる言語センス……。

そして、ギャグとしてうますぎる伏線回収。

え? これ……漫画うまくね?

ただうまいだけではない。

めちゃくちゃうまい。マジで。

 

ストーリーとしては、猫耳の生えたロリ宇宙人をある家族が拾うというもの。

漫画の切り抜きを貼ることはよろしくないだろうから、失礼を承知で他の漫画に例えさせてもらう。ゆるい絵柄と、強烈なギャグセンスは、やや毒気を抜いたちょぼらうにょぽみという感じ。ただ、あちらは文脈というものが存在しない(褒めてる)が、こちらにはしっかり物語としての強度がある。

これ、かなりすごいと思うんですよね。あの不条理ギャグのようなこみ上げる面白さを内包しながらも、しっかりと話の流れがあって、しかもいちいち台詞回しがうまい。

自分が文字を書く方の人間だから敏感になるのかもしれないけれど、本当に台詞回しがうまいです。

しかも時々、感動で物語をしめる時もあって、不覚にも泣いてしまう。

「これすごいな……」と何度も声に出るくらいにはすごい漫画でした。

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で、急いで次に読んだのがこれ。「ゴスロリJK無人島漂流記」。

なんだよこのタイトル。ゴスロリJKが無人島に漂流するのか?といえばマジでその通りです。本当にそのままのタイトル。

で、しっかりサバイバルするのかと思いきゃ、「うにうにうにうに」でも見られたように、宇宙人のようなちょっぴりSFが物語に入ってきて、しかもそれがすんなり受容されて物語が動いていく。

で、この漫画もまたすごくて、台詞うまいしギャグも面白いし、話の運ばせ方もすごく楽しい。特徴としては、あえて問題解決をせずに物語を終わらせていることが多くて、最初の問題提起を「やり遂げた!」というシーンは少ない。いつも、「やり遂げるぞ!」という意気込みで終わる感じ。伝わるかはわからんけど、これは個人的に好きな展開でした。

しかも、ガチ百合ではないにしても、この漫画の百合もなかなか美味しくてですね……。最初はいがみあっていた(?)二人だけれど、後半からはずっとお互いの欠点を理解して、上手につきあって褒め合うという最高の関係になって、それがまた嬉しいんですよね。

いや~本当にすごく良い漫画でした。流石に書籍版も取り寄せることにしました。

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興味のあるかたは是非。ギャグさえ噛み合えば後悔しないと思う。

吉屋信子「わすれなぐさ」感想

フォロワーに誕生日プレゼントで送ってもらった本……自分はお返しに酉島伝法の総集編を送りました。未読ですが……。

 

百合(少女)小説の原点かつ最高峰として名高い吉屋信子だが、自分は「花物語」でスゲ~!ってなったくらいで、これは読んだことがなかった。反省している。

文章の綺麗さというか、台詞が昔の女の子の口語そのものなのか、あるいは創作のうえでの言葉遣いなのかは判断できないが、本当に昔は美しい言葉を使っていたんだなと。

今みたいにメールやLINEがないから、と老人のようなことをいいつつ、対面以外では手紙でしか自分の意志を伝える方法がないというのは、不便ながらもめちゃくちゃいい時代だったなと思う。何しろ手書きだし、何しろ自分の言葉だし。自分はこのブログのおおよその記事のように、いいものを見ると感想を書かずにはいられない。というのも、感想をかかねば自分の意見をまとめることができず、文字を挟むことでようやく思考が整理できる(それが正しいのは分からないが)ような人間だから、文字にはかなり興味があるのだ。Twitterみたいに有名人の文章を気軽に読むこともできず、憧れの人の安否を知ることもできず、好きな人一個人に対しては、自分から動かないことには、なにひとつ情報を得る手段がないという時代。そんな時代だからこそ、感情の振れ幅が大きくなるというのはあると思うし、大きなイベントがないからこそ、人と人が出会った時の衝撃が大きくなる。

吉屋信子はそういう百合を書いていて、オバケや機関銃が出るわけでもなく、ただガールミーツガールで作中の人物の運命が、世界には小さく、個人には大きく変わる様を描いている。

本作の登場人物として牧子、陽子、一枝の3人の主要人物がいるのだが、この3人がこれまた非常に魅力的で面白い。特に陽子の行動力、精神の美しさは目を見張るものがあり、物語を動かす駆動力になっている。陽子が動きすぎるあまり、少し一枝の掘り下げが微妙だった部分もあるようには思うが、終わりにかけての3人の行動の描き方が本当に良くてびっくりしてしまった。

一応、牧子をめぐる三角関係ということも言えるのだが、個人的には、牧子を中心とした「女性の自立」をテーマにした小説という風にも読めるように思う。まだまだ男尊女卑の精神が根強かった時代に、この作品を産み落とした吉屋信子の力強さは賞賛に値すると思う。あと、エンターテインメント性も確立されているため、百合にあまり興味がない人にとっても、非常に面白く読めると思う。オススメです。

プレゼントしてくれた某フォロワーに感謝。まあ自分がおくった本も良書には違いないのだけれど、流石に方向性が違いすぎて申し訳なくなってきたな……。

仲谷鳰「やがて君になる」感想

最高の百合漫画と話されながらも、個人的にはずっと引っかかっていた作品。

3巻までフォロワーに譲ってもらって読んでから、多分2年くらい経った気がする。

ようやく読む気が起きて、結局8巻まで全部買って読み終えたのが今朝の話。

いやあ、最高でしたね!!!!!!()

 

熱い手のひら返しもそこそこに、なんで引っかかっていたのかという説明は必要だと思う。というのも、少なくとも3巻までは、自分のなかで百合漫画ではないなと思ったからだ。

「女が女と付き合ったらもう百合漫画だろ」という意見には自分は賛成できない。

これはすんごい偏見なのだが、やっぱり百合漫画は「性自認において女性同士の二人が、互いの女性性に惹かれて葛藤するもの」だという持論があるのだ。

というのも、自分は女装が好きな男でも性自認が男なら男だと思うし、「性自認が女の男の娘(ここでは女性にしか見えない男の意とする)」は女性だと思うし、「性自認が男の男の娘」は男だと思う。

それを発展させれば、「性自認が男の男の娘と一般男性の恋愛」はNLに見えてもBLだし、「性自認が男の男の娘と一般女性の恋愛」はGL(百合)に見えてNLだと思うんだが、まあややこしいので分かる人だけわかってくれたらいい。

要するに、その人の性自認性的指向で、二人の関係性を決定すべきだと思っている。関係性のジャンル分けなんてナンセンスだという話もあるだろうが、それはまた別の話である。

 

ここで、やが君のテーマを考えてみる。

自分のなかでは、本作のテーマは、燈子と侑が自分性自認やら性的指向やらその他諸々)を見つけることにあるのだと考えている。

 

「自分を見つける」とはなにか。

多くの人間は、性自認が生物学的な性別と一致し、性的指向ヘテロセクシャルとなる。だから恋愛に関しての「自分」を見つける必要がないし、最初から「恋愛対象」がご用意されている、というのが一般的な考えだろう。

ここで百合漫画を見てみる。大抵の百合漫画は、性自認ではなく性的指向に重きを置く。あくまで性自認は確定している上で、作品内では、片割れの性的指向ホモセクシャルだったり、あるいはバイセクシャルであることに気付くことから始まったり終わったりするが、いずれにせよその過程に物語が生まれる。

ただ、やが君はそうではない。

というのも、燈子の存在は、性的自認とか性的指向とかそんなレベルではなく、「自分」という存在に対して懐疑的だからだ。燈子はその点で、関係性においては透明人間のようだ。この透明な燈子が、はじめて「自分」という実体を見つけ、「好き」という気持ちを侑と一緒に探っていくというのが本作の大きなテーマであり、一番の骨格でもある。

大事なのは、関係性は2人以上の人間がいてはじめて生まれるもの、という大前提である。

ここで、7・8巻以前の登場人物の性質を簡単に書くと、

燈子 性自認性的指向含め、「自分」に関することが全くわからない。

侑 性自認は女 性的指向は不明(アセクシュアルか?)

沙弥香 性自認は女 性的指向ホモセクシャル(女が好き)

ということになる。

燈子の性自認については女だろうという意見もあるだろうが、自分は、燈子の姉がもしも兄だったら、燈子の性自認は男になり得るのではないかという考えがあるために、不明としている。

上記3名の人間関係が主軸となっている本作だが、では燈子と誰かを結びつけて、それをラベリングすることは可能か、というのが自分の疑念だった。

そして、自分の答えは「出来ない」だし、8巻を読み終えた今でも、その考えは変わっていない。

 

本作ではこのあたりの議論もしっかりされているが、要するに、「好きとはなにか」という問題には、「自分は何者か」という問題が必ずついて回るのだ。

それを作中劇という方法で、現実と劇の内容をしっかり絡めた作者の手腕は見事だと思うし、その劇が与える人間関係への影響も、めちゃくちゃに練られていてすごかった。

劇自体の脚本も素晴らしいし、自分が分からない燈子を記憶喪失だと例え、様々な自分との対面を通して自己を発見するという誘導の仕方も最高だった。

自分が演出で最も震えたのは、8巻第40話の生徒会室のシーンである。夜の生徒会室の窓硝子には、かつての二人が映っていて、現実の二人と同居している。燈子はそこでカーテンを閉め、付き合い始めたばかりの歪な自分たちを追いやるのだ。その関係性の更新の暗喩方法がマジで見事で、流石にため息が出てしまった。

 

というように、「やがて君になる」は、「自分は何者か」という問題に対して、ひとつの解法を与えてくれる。登場人物も活き活きしているし、佐伯沙弥香のスピンオフが出る理由も頷ける。だってすごい良いキャラだもんな。

で、こういう漫画だからこそ、自分はやっぱり「百合漫画」というラベリングには違和感を覚える。確かに最後は百合というべき結末を迎えたが、それまでの二人の関係性は「燈子と侑」であり、交際してからも、作中ではしっかりと「恋人というより『燈子と侑』」だと本人たちが述べているのだ。これは、自分が何者か分からなかった燈子だからこそ出せた結論であり、それを簡単に「百合」と言い切っていいのかどうか、自分のなかでは戸惑いがある。

まあ、8巻時点の関係性は百合かもしらんが。

 

いろいろ書いたが、殆どがこの漫画を「百合漫画」だと持て囃すオタクへの疑問になってしまった。

が、この漫画がやっていることは非常に面白いし、絵もうまいし、なにより演出が素晴らしい。百合云々を抜きにして、恋愛漫画として傑作だと思う。

気になっている人は、是非とも読んで欲しい。

まあ既に読んでるか……人気作だもんな。

インターネット遺物・一条蛍の脱衣ブロック崩し

太古の遺跡とは、なぜかくも魅力的なのだろうか。

 

インターネットの話である。

昔から自分は、太古の文化に憧れてしまう節がある。自分が初めてインターネットを自由に使えるようになった時、おもしろフラッシュ倉庫が隆盛を誇っていた。

「おもしろフラッシュ倉庫とはなんだ」と言われれば、おもちろいフラッシュの倉庫だと答えざるを得ない。それ以外に回答のしようがないのだ。

それではどんなフラッシュがあるのかと聞かれれば、あまりにありすぎて困ってしまうので元サイトを閲覧するのがよろしい。果たして、これが十数年前に閲覧したサイトなのかは怪しいが、サイトの纏うごちゃついた空気が懐かしい。

29g.net

 

簡単におもしろフラッシュの中身を紹介するなら、下のようなものがあるだろう。

ドラえもんの絵描き歌

youtu.be

 

あるいはハゲの歌

youtu.be

 

あるいはペリー来航 

youtu.be

 

あるいはタラちゃん神になる

youtu.be

 

この他にもバイオレンスサザエさん、千葉滋賀佐賀、恋のマイヤヒなどが肩を並べる。

今見返すと、何が面白いのかさっぱりわからないものだらけだが、当時は面白くて仕方なく、友人の家でパソコンを複数人で囲みながら、ゲラゲラと腹を抱えて笑っていた。学校では常におもしろフラッシュの話で持ちきりであり、見ていない児童は話の輪に入ることができなかった。とはいえ虐めという訳でもなく、「なんだそれは」と顔を突っ込めば「なに、お前はあの面白いのを知らんのか」と手を引かれ、新参も次から次へとパソコンを囲むようになり、全員グロテスクなサザエさんネタで爆笑していた。

派生先として、「ウォーリーを探さないで」「赤い部屋」などがある。

 

さて、どうしてこんな話をしたのかと言うと、自分の世代の「太古のインターネット」と言えばまさにこのあたりであり、これ以上の太古は存在しないのではないかと思っていたからだ。

少し前までは「けいおん!とあの花が好きです!」というジョークがにわかアニオタを揶揄するものとして身内で流行っていた気がするのに、今思えばその放送も10年前のことであり、真顔になってしまう。「最近のオタクはニコニコ動画流星群なんてしらんじゃろ」と調べてみれば、実際に12年前が初投稿であり、変な声が出てしまう。ボカロ、東方、らんらんるーなんて言い始めるとキリが無い。

自分にとってのインターネットの原体験。

それがおもしろフラッシュ倉庫ニコニコ動画だった。

ここがすべての始まりであり、アダムとイブの楽園なのだ――そう信じていた自分は、この歳になって読む「太古の同人作家あるある」ツイートやエッセイに疑問を抱くようになる。

 

キリ番、裏サイトの入り口、脱衣ブロック崩し……。

一連のツイートには、「あ~!なつかし~!」というリプライがついている。「完全に黒歴史……」「パスワード忘れて閉鎖できない」などなど、悲喜こもごもの声が散見される。

そして自分は、ふと思うのだ。

「そういえば、俺はそんなことをしていない気がする……」

 

それらがどういうものかは理解している。自分も中学生くらいの時に訪れた個人運営の創作サイトにはそういうものがあったし、HTMLを自分で打っているだろうサイトの淡泊な容貌には懐かしさを覚える。

しかしながら、キリ番、裏サイト、脱衣ブロック崩しなんてものをやった記憶はないのだ。なぜならそれはエロと同人の専売特許であり(だよね?)、自分はそのころ、エロと同人なぞ知るよしもなかったからだ。

そして自分は思いつく。

「小学生の自分が使っていたインターネットを、当時の大人も使っていたのか……」

当然のことである。

インターネットはおもしろフラッシュ倉庫ニコニコ動画だけではないのだ。自分が知らない当時の遺跡が、今もこのインターネットの海にたゆたっているのである。

そして自分は思いつく。

「脱衣ブロック崩し、やりてえ……」

 

本当にやりたかったのだ。

太古の遺跡とは、なぜかくも魅力的なのだろうか。

 

 ○ 

 

脱衣ブロック崩しとは、その名の通り、脱衣させるブロック崩しである。

プレイヤーは画面下部の壁(あるいは反射板、あるいはトランポリン)を左右に操作し、画面を飛び回るボールを跳ね返していくのだ。ブロックというの名の「衣服」にボールを当て、そのブロックを崩していくと女の子の全裸が拝めるというシステムのフラッシュゲームとなっている。

「まどろっこしいことをせずに、とっととエロ画像だけを出せよ!」という怒りはもっともだが、それは伝統文化に効率を持ち込むようなもので、個人的には感心しない。

郷に入っては郷に従うのだ。ここでの郷とは、かつて存在したインターネット墓場である。墓場に入ってもよいのは、幽霊と墓守と遺族だと相場が決まっている。私たちは遺族の気分で、菊の花を添えるように、静かに脱衣ブロック崩しをせなばならないのだ。

 

両手でキーボードに「脱衣ブロック崩し」と打ち込めば、いろんなサイトが出てくる。

やはりオリジナルのキャラが多く、何度か脱衣させようと試みて、案外難しいゲームに眉をしかめる。少しやっては飽きて、また別のサイトに入っては出ることを繰り返すうちに、自分はあるサイトにたどり着く。

 

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なんとなく入ったこのサイト、しかしながらそのゲームのラインナップに、自分は瞠目することになる。

のんのんびより」「けものフレンズ」「りゅうおうのおしごと!」……。

もう一度いう。脱衣ブロック崩しである。

自分は何度も確認し、慌てて更新履歴を遡った。すると、なんとこのサイト、設立3周年なのである。さらに、最新更新は「2020年09月04日 チェスパズルにカコ(けものフレンズ)追加」(2020年10月6日現在)となっている。

 

このサイトは生きている!

 

絶叫しそうになった。午前4時のことである。

マッドマックス・サンダードームのような気分である。こんなところに日本人が、こんなところに生存者が、こんなところに人間が……!

慌てて「エロゲーム」に入った。一番興味を引かれたのはのんのんびよりの一条蛍ちゃんである。クレイジーサイコレズと揶揄されたこともあったが、作中屈指の百合キャラを自分が好きにならないわけがなかった。

 

始まる、一条蛍の脱衣ブロック崩し――。

そして自分は、このゲームと2時間近く格闘することになる。

 

問題は、自分のゲームの腕だった。下手くそなのだ。壊滅的に下手だった。何度やっても、すぐにボールを落としてしまう。3回もチャンスがあるというのに!

ノーパソのタッチパッドに限界を感じ、マウスを取り出してみても同じだった。ボールは幽霊にように壁の横をすり抜けていく。何度も何度もやるうちに、ふつうに胸や股間が見えて、それでも衣服のブロックをすべて崩さなければ、ゲームは終わらないのだ。

何度も何度も再チャレンジを繰り返すうち、ふと自分は思いつく。自分は確かに一条蛍が好きだが、よくよく考えれば、この好きは彼女の裸が見たいという好きではなかった。自分は、こまちゃんを純粋に思う蛍を好きになったのだ。こまちゃんを愛でたくて仕方が無い、あの緩んだ表情に惹かれたのだと。

自分には、一条蛍の水着をひんむく理由などどこにもなかった。

さらに脱衣ブロック崩し――遺跡と思っていたこのゲームは、今もなお作成している人がいて、自分のようにプレイをしている人間も居るのだ。

遺跡の代表例としてあげられるこのゲームだが、まだ遺跡ではないのかもしれない。それは作成者にも、プレイヤーにも失礼にあたる。

そもそもの前提が間違っていたのだ。脱衣ブロック崩しは遺跡ではなく、少し寂れた家屋であると。そこには細々としながらも、人々の営みが行われているである。

面白がって、気軽に検索した自分を呪った。頭によぎるのは、石の裏に生き物を探す幼児である。幼児に宿る無邪気な殺意を自らのなかに感じ取った時、自分はすべてが「無理」になってしまった。

 

あ~……なんというか……。

生きていてすみません……。

 

しかし、それとは別に、このままでいいのかという疑念は残っていた。

脱衣ブロック崩し、それを「エロを得るゲーム」と捉えた時、自分にプレイする動機はない。しかし、一度敷地に足を踏み入れた罪が消えないのならば、いっそのことやることをやるのが筋ではないか。

 

クリアしようぜ。脱衣ブロック崩し

 

もう一人の自分が呟いた。こんな心の声を語る自分がいて堪るかと思いながらも、まあ、やるしかないのだろうと腹を括る。

 

ここから行った対策としては、以下のものが挙げられる。

・水着はセパレートタイプであり、一度上下の隙間に入ればある程度は削れる。

・最初に下の水着からボールを飛ばすと、かなりの確率でやられる。画面端からの発射が安牌。

・ボールの動きを上下ではなく、左右にするように心がける。これにより、跳ね返す速度を緩めながらも、ブロックを一網打尽にできる。

・壁の端の判定は少し緩いので、端に寄せる時は思い切り寄せる。

 

などなど……頭のなかで一生懸命に作戦を組み立ててみる。

しかし、頭では分かっていても、なかなか実行には移せないのだ。どんなにやっても思った方向にボールは飛ばないし、すぐに落としてしまう。そういえば、友人にやらせてもらったアプリゲームのモンストも、自分はめちゃくちゃ下手だった……。

やりながら虚無になる。自分はなぜこのゲームをしているのか。一条蛍の水着を剥ぐ意味とは。思考は堂々巡りし、それでもボールを何回も飛ばし続ける。

残りブロック16個、残りブロック30個、残りブロック2個……。

あるとき、ノーミスで残りブロックが5個という状況になった。これは行ける!と思っても、緊張で手が震え、ボールを3回連続で落としてゲームオーバーになってしまう。

もはや感情も起こらず、半ば脳死でゲームをプレイしている時、ふとそれは起こった。

横に弾けるボールが、どんどんブロックを削っていく。こちらに落ちてくることもなく、ずっと画面上部でブロックを消していくのだ。

次第に意識が覚醒し、真剣に画面を見つめる。

眠い眼を開きながら、瞬時にマウスを左右に捌く。

右、左、右――。

そして残り1ブロック、もはやどこにブロックがあるのかも分からず、ひたすらにボールを打ち返し続けて――。

ついに。

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一条蛍の脱衣ブロック崩し、ゲームクリアの瞬間である(エッチなので画面上部はトリミングしています)

 

ついに、ゲームクリアである。

一条蛍の脱衣ブロック崩し、ここに完結。

 

やりおえ、しばらく一条蛍の裸を見つめる。

見慣れた全裸、もはやエロへの感慨はない。

ただ、やりきったという達成感があるのみである。

一条蛍と脱衣ブロック崩し――本来なら年代的に出会わなかった二つを組み合わせ、ひとつのゲームへと昇華させたゲーム作成者への感謝の気持ちを込めながら、古(いにしえ)のインターメットが生んだこの2時間の経験を、自分は何度も反芻した。

ページを閉じる最後に、ふたたび一条蛍の全裸を眺める。

隣に小鞠を置きたいなと思った。

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第1話感想

アニメ「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第一話の感想です。

なんかごちゃついたので軽く纏める。

 

上原歩夢の葛藤について

まず歩夢の服への発見だが、誰に言われるでもなく自分から惹きつけられている。

歩夢の視線に気付いて侑が会話を中断し、自分も同じ方へ。

そこには、最後に歩夢が「Dream with you」で着ることになる衣装と、幼少期の頃に着ていたといううさぎパジャマ。

侑「歩夢、これいいんじゃない。似合うと思うよ」

歩夢「い、いいよ。かわいいとは思うけど子供ぽいって」

と断るが、まずこの時点で侑は一言も歩夢にかわいいと表現していない。

ここで気付くべきは、侑からは一度も歩夢に働きかけていないというところで、歩夢が一人で衣装を見つけ、彼女が初めて「かわいい」と表現しているのだ。

要するに、このショーウィンドウのなかには歩夢が思う「かわいい」が詰まってることになる。で、同じショーウィンドウという「透明な壁」は、歩夢にとって「見えるけれど自分の手の届かない存在」であることを示している気がする。過去に着ていたといううさぎの洋服と、小学生までは着ていたというワンピース?を同じ箱のなかにつめることで、どちらも大人になろうとする歩夢には、同列に手が届かない「かわいい」であることを鑑賞者に伝えている。また、よく見ると、ところどころにトランプが貼り付けられており、ウサギの洋服にも、アリス・イン・ワンダーランドであわてんぼうのウサギが持っていた時計が、洋服に掛かっている。

つまり、このショーウィンドウの中には、歩夢にとってのかわいいの他に、「アリス・イン・ワンダーランドの世界」も内包されている。

 

さて、次の台詞で、

歩夢「そういうのはもう卒業だよ」

侑「着たい服着れば良いじゃん。歩夢は何着たって可愛いよ」

歩夢「もう、またそんな適当なことを」

というやりとりがされる。ここでわかることとして

①歩夢は自ら「かわいい」を我慢して、大人になろうとしている

②侑は恐らく、中学生頃から歩夢が「かわいい」服を着なくなったことに気付いており、その度に何度も「何を着てもかわいい」と伝えてきた

③歩夢は侑の言葉を軽薄に(無責任に)感じている

つまり、中学生から今に至るまで、歩夢のなかでの葛藤は、「自分の大人になろうという気持ち>侑の言葉(かわいいに素直になればいい)」という図式ができあがっているのだ。

ここはかなり重要なところだ。

なぜなら、スクスタの歩夢なら間違いなく「貴方がそういうなら……」とかわいい服を手にするからである。アニメの歩夢は、そういう点では、侑と健全?な幼なじみの関係を結んでおり、「貴方のために卵焼きを練習したり」「貴方との思い出を頻繁に確認したり」と言ったことをしなくても、侑に冗談を言えるし、食べ物を半分こできるし、フラットな関係を築けているのである。

なんと言っても、「やってみてよ、あゆぴょん」に対し、素の「はあ?」が出るような女である。スクスタ歩夢なら間違いなく「そんな……いくらあなたのお願いとはいえ……恥ずかしいよお……」と言いながらも「あゆぴょん……♡」と顔を真っ赤にしてやりそうなものだが、アニメの歩夢は「はあ?」である。

スクスタの歩夢は先述の通り愛が重く(なんと言っても、演者の大西亜玖璃さん曰く、「友達以上恋人未満」が意識されている関係なので)、オタクに包丁を握らせられがちな弱みがあったが、アニメ歩夢はしっかりと自我があることから、オタクに包丁を握らせられる心配もない。

これはこれで、アニメという幅広い視聴層を意識した、良い性格の改変だと思う。

単に愛が重い系百合は、百合豚がブヒブヒ言うだけで、普通の視聴者は「また百合か」と一話切りしそうなものである。それをやや軽い味にするだけで、一般視聴者からも純粋に二人の絆を見てもらえるので、とても良い。少なくとも自分は良いと思う。これで興味を持った人がスクスタを初めて、ストーリーを読み進める毎に、「えっ!?歩夢、俺(私)のこと好きすぎ内科医!????!!!???」と混乱し、泡を吹いて死んでほしい。

また、せつ菜のライブ以降、この二人の生活について多くが明かされることになるが、

上原歩夢からの着信音が歩夢の1st「夢への一歩」(スクールアイドルを始めて歌うことになるはずの曲が着信音になっている)

上原歩夢と高咲侑で部屋の位置関係がスクスタと逆

などなど、やはりスクスタとは別の世界線であることが強調される。

 

話がかなり逸れたが、要するにアニメでは上原歩夢の性格の改変がなされており、スクスタの歩夢と違って、アニメの歩夢はどことなくしっかりした印象を受ける。「自分の大人になろうという気持ち>侑の言葉(かわいいに素直になればいい)」という図式ができあがっているのだ。

 

上原歩夢と高咲侑について 前編

さきほど、歩夢の判断基準に、侑の言葉はそれほど重要ではない(あまりにもかわいいと言われすぎて貴重さがない)というのは書いたが、それはそれとして、歩夢は侑のほっぺについたコッペパンをさりげなく取って口に運ぶし(!)、おそらくインスタに上げるだろう写真を撮るときには、慣れた手つきで侑から歩夢の腕に絡みにいくし(!)、なんかかなりいちゃついている。本人達は意識していないのだろうが、端から見ているオタクたちに百合認定されかねない仲の良さである。

それとは別に、二人の結びつきが「幼なじみ」しかないというのも事実である。

というのも、二人の行動パターンは、お台場でぶらぶら買い物をして、「じゃあ次どうする?」「映画に行こっか」のように、ただ一緒に時間を潰す存在でしかない。ポジティブな方面で結びついている要素が、幼なじみ以外にないというのは、スクスタと同じである。「なんか面白そうだ、行ってみようか」というのは、アニメにおいてはモブの台詞でしかなく、あくまで観客側の台詞である。

今までのラブライブ!シリーズで描かれてきたように、この二人は、スクールアイドルに出会うまでは、ただの幼なじみの高校生なのだ。

 

③優木せつ菜の「CHASE!」について

優木せつ菜のキャラ背景はおいておくとして、彼女はとにかく「好きに正直になること」をテーマに活動しているスクールアイドルである。なかでも1st singleの「CHASE!」はラスサビのシャウトがびっくりするくらいによくて、ライブでオタクの度肝を抜いたことは記憶に新しい……新しくもないのか? とにかく、その時の彼女の熱意は、まさに天地を揺るがすほどのもので、現実のライブでも、それまで虹ヶ咲にあまり興味がなかった人間を次々と沼に堕とすような勢いだった。

まさにその衝撃を映像にしたようなライブ映像であり、そしてこの映像は明らかに今までのラブライブ!シリーズと異なったものである。

というのも、今作の主人公は高咲侑その人でありながら、彼女はスクールアイドルをしないことになっている。少なくとも現時点では。あくまで裏方を貫き通し、舞台からではなく観客の視線からライブを見ることになる彼女の存在は、それ自体が特別だ。

そんな彼女の感情を、ライブステージに上がらせずにどう表現するか……これは
アニメ「King of Prism by PrettyRhythm」でも描かれた表現だが、演者の音楽を視覚化し、それが実際に観客に影響を与えるようにリンクさせるのだ。 別の言葉でいうなら、妄想を共有することになる(キンプリは妄想が現実を侵食するようになったところに狂気が潜む訳だが)。

これに関しては、今までのラブライブ!シリーズのライブ演出だけでなく、アイカツ!、プリパラでも見られなかった映像である。そこに新鮮さがあるのだ。

また、演出として、レインボーに光るゲーミングせつ菜と侑のすれ違いも非常に面白い。あれは、ライブステージが上、観客席が下という視覚的な立場が左右に適用されたもので、左がステージ、右が観客側という構成になっている(はずである)。その区分を、わざわざレインボーになって(実体化せずに)侑とすれ違い、立場が逆転する。そこに、視覚的な驚きが含まれるとともに、「あなたは観客席で見ているだけの存在ではない」というメッセージが込められているのではないか。

ライブの終わりにせつ菜は汗を流すが、あれは涙の暗喩でもある。背景を知っているスクスタ勢が多くを語ることはないだろうが、涙を流すような心境でも、それを一切表に出さない優木せつ菜のスクールアイドルとしての完成された精神と、その燃えるような熱意が、上原歩夢と高咲侑に受け渡されたのだという構図は、まさにアイドルアニメの構図そのものである。

最後に、せつ菜が退場する方向だが、こちらは横ではなく上に行く。これは、高咲侑と上原歩夢にとって、今よりさらに遠く離れることを暗喩しており、スクールアイドル同好会廃部への布石である。多分。

 

④桜坂しずくの演劇部の練習の引用

「明日もまた、同じ日が来る(の)だろう。(幸福は一生来ないのだ。)それはわかっている。けれども、(きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。)」

というのは太宰治の「女生徒」の一節だ。自分は既読ではあったがこれに気付かなかったが、普通に台詞を検索したら出てきたのでよかった。

「女生徒」は女生徒の日常を描いた短編であり、その心理描写が綺麗で美しくて舌を巻く。太宰治、お前男なのによくこんなの書けたなというのが正直な感想だが、今回のアニメで大事なのはそこではなく、引用された一節だけで問題は無いと思う。

ここでしずくが言いたいのは「廃部になった日常からの脱却」で、明日からもずっとスクールアイドル同好会は廃部したままだろう、それでも自分はスクールアイドルを諦めきれないというしずくの想いが込められている。

また、この想いを抱いているのはしずくだけでなく、他のメンバーの紹介も兼ねながら、それぞれが前に動き出す直前の瞬間が描かれている。

唯一、中須かすみだけは声に出して決意表明しており、2話への布石になっている。

 

上原歩夢と高咲侑について 後編

 

スクールアイドル同好会の部室探しになってからは、歩夢の気持ちがやや曖昧なまま、侑のスクールアイドルへの興味だけで話が運ぶようになる。

そんなだから、スクールアイドル同好会が廃部になると、侑は気持ちの行き場を失い、表面上の話は終わったかのように見える。しかしながら、歩夢もまたせつ菜のライブに力をもらっていたからこそ、次の話に繋がるのだ。廃部以降、歩夢がスクールアイドルになることを決意するまでの、感情の移ろいに注目すると面白い。

もっとも歩夢の表情が動くのが、侑が「今は夢がないけれど、夢を追いかける人を応援できれば」と自分の気持ちを漏らした時である。

これが侑の行動原理であることが明かされた時から、きっと歩夢はスクールアイドルになることを強く意識したのではないか。

また日常が戻りつつあり、服を買うことを悩み、結局変えずに明日に引き延ばすような「何でも無い日常」を送ろうとする侑と、未だに自分のなかで、燃え続けるスクールアイドルへの想い。

歩夢がスクールアイドルになることを決意したのは、「自分が好きなかわいいピンクに正直になりたいから」というのが大きいだろうが、それと同じくらい大きな理由に、「侑が夢を語ったから」というのもあるに違いない。

いままでの日常を見る限り、二人はぼんやりとした未来(予備校にいく)くらいしか話した事が無く、本当の自分の気持ちについては話し合ったことがないのだろう。

そんな折に、侑が始めて自分の口から「夢を持った誰かを近くで応援したい」と夢を語った。それは、身近にいた侑の口から出た本気の夢だからこそ、歩夢の背中を押したのだろう。

つまり、侑が夢を語ることで、歩夢はようやく侑の本音に触れることになる。この本音に触れるということが、歩夢が侑の言葉に信頼を取り戻すキッカケになっているのだ。

口先だけだと思っていた侑の「歩夢はかわいい」という言葉が、現実味を帯びてくる。

それによって、冒頭で述べた、「自分の大人になろうという気持ち>侑の言葉(かわいいに素直になればいい)」という図式が逆転し、「自分の大人になろうという気持ち<侑の言葉(かわいいに素直になればいい)」となったのだ。

ここにあるのは、「今はまだ恥ずかしいけれど、かわいいに正直になりたい」という歩夢の夢と、「夢を持った誰かを近くで応援したい」という侑の夢である。

侑の夢は、まだ夢というにはふさわしくないかもしれないが、侑と同じフラットな関係を望む歩夢だからこそ、侑の夢も「夢」にしたい。そういう想いがきっと歩夢のなかにあるのだ。

それが結実した曲が、「Dream with you」(侑と一緒の夢)である。

 

⑥Dream with youについて

5000億回見た。

アリス・イン・ワンダーランドをモチーフにした楽曲である。

冒頭に述べたように、ショーウィンドウのなかのアリス・イン・ワンダーランドの世界は、歩夢にとって「かわいい」世界である。また、それと同時に、ウサギと歩夢を絡めることで、アリス・イン・ワンダーランドでウサギがアリスを不思議な世界につれていったように、歩夢が侑をスクールアイドルという新たな世界に連れ込むという、第一話の構成をそのままイメージした曲。

MVの冒頭ではそのかわいい世界から影のほうに逃げるように進む歩夢が描かれながらも、様々な小ネタをはさみ、今までいろんな形で歩夢の背中を押してくれたすべての「あなた」への楽曲となっている。

小ネタについて

・バラは全て蕾みで、ライブ中に舞っているのはすべて♡である。これはスクールアイドルとしては未熟な自分(「開花宣言」など参考)を示しながらも、自分の気持ちという意味での♡と、かわいいの象徴としての♡を侑に届けようとしている。

・散らばったトランプが1~10(おそらく栞子を含めた)とニジガクのメンバーの数になっており、遠くにジョーカー(高咲侑ではなく、あなた)がいる。(スクスタネタ回収)

・草原で寝転がるのは大西亜玖璃さんのジャケ写イメージ(声優ネタ回収)

・歌詞は「繋いだ手 その温もりが 胸いっぱいの勇気をくれたから」となりながらも、侑の手から離れる演出が入る。これはアニメ世界線から離れることを暗喩しており、事実、次の映像では何か打ち上がっているが、おそらくあれは火星行きのロケットであり、ちょぼネタの回収となる。また、次のカットは今までのCDで着ていた衣装のカットである。一見ただのファンサービスのようにも見えるが、これらが意味するのは、当初はアニメ化されないと言われていたニジガクを最初から応援し続け、アニメまで導いてくれたあなたと「手を繋いでいる」ことを示しているのではないか。

・そういう意味では、CDジャケの衣装のカットが入るところは、しっかりと意識された別の世界線の歩夢でもあり、現時点で、アニメの歩夢にとっての「なりたい自分」でもある。その後の映像の花びらは♡ではなく桜の花びらになっていることからも、「開花宣言」を受けていることも読み取れる。

・振り付け、最後の両手を組んだ動きが♡になっている。

以上、非常に愛と♡に溢れた構成になっており自分はもう何度か泣いてしまった。

また、ライブ後はせつ菜と違い、歩夢は侑のところに降りて侑と同じ目線に立つ。ここで侑が登るのではなく、歩夢が降りるのがめちゃくちゃ良くて、本当にちいさな一歩で頑張ってライブステージに立ったんだというのが感じられてよかった。

その後、交換したのものが何なのかわからなかったのだが、どうやら序盤に出てきた「トキメキが足りない」パスケースらしい。確かにこれ、スクスタの一番最初のストーリーで交換していたような……気がついた人すごいな。ここでも、いままでずっと何も買わなかったお店(日々の繰り返し)から物を購入したというアクションが、現状の打破を暗喩しているし、わざわざ「トキメキが足りない(未熟な)」パスケースを侑にあげるという行為は、「ふつつか者ですが、これからどうぞよろしくお願いします」という――。

冗談はともかく(冗談ではないかもしれないが)、「夢への一歩」の歌詞とリンクするアクションになっている。

 

⑦NEO SKI, NEO MAP!について

めばちさん効果もあるのか、やたらとスタァライトを感じるなと思ったら小高光太郎UiNAの恋の魔球・御してぎょしゃ座コンビだった(Aqoursの曲も書いてたんですね。知らなかった)。しかも作詞は畑亜貴である。どこまでラブライブ!愛に溢れているんだ。楽しく駆けるようなリズムが最高に良くて、これ、ライブで聞きた過ぎるだろう……涙です。

 

⑧まとめ

様々に展開される虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会。その世界線をいろんな形で表現し、リスペクトしながらも、上原歩夢というひとりの女の子を最高のかたちで視聴者に届けてくれた最高のアニメーションでした……。

また、スクスタとの大きな違いに、あなたではなく歩夢が、自分の意志でスクールアイドルの世界に踏み出したという点があり、非常に面白い部分だと思う。どことなくさっぱりしながらも、胸のうちには侑にも負けないようなスクールアイドルへの想いを宿した歩夢が、今後どのような話を描いていくのか……。

あと、映像作品としては、ラブライブ!シリーズでありながら、ラブライブ!ではない新たな地平に向かう野心も感じる。キャラデザの刷新もあるだろうが、映像の色使いがくっきりしたものから淡いものになっているのと、作品世界が普通の学校から、学校と言う名のコミケ会場になっているのも無視できない気がする。

ていうかこれ、今後も話ごとに個人の掘り下げが改めて行われて、最高のアニメーションと一緒に新曲が提供されるんですか……?

え……天国?

以上で感想は終わりだが、感想のつもりがいつも通り変な部分まで突っ込んで、7000字くらい書いてた。書き始めて3時間くらい経つし……まあでも、それくらい面白かったアニメだったのでいいかなあ。本当にありがとうございました。来週が楽しみでならん。

てか、まだOP見てないし……。来週の放送、やばすぎるだろ……。