新薬史観

地雷カプお断り

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第2話感想

アニメ「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」第2話の感想です。 

正直、最初に視聴した時は「あれ? 1話に比べてあまり心に響かなかったような……」とか思ってしまったのですが、2回目の視聴で「なるほど!」となり、4回目くらい見たらマジで脚本うまいなくらいしか考えることができなくなってしまった。

 

てか、OPね。

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この歩夢の視線、マジでなに? 高咲侑が無邪気にこっち見てるんだから歩夢もこっち見ろ、オイ。ガチな雌の空気を出すんじゃあない。子供がビビるだろ。

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え?え?え?しずかすかわいいね。こうしてみるとやっぱしずかす以外ありえんよな^~。公式カプおめでとうございます。

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天才りなあい。無表情の璃奈ちゃんの本当の表情が良い味だしてる。愛さんそうやって思わせぶりなハグを誰彼構わずやるの良くないですよ。え? りなりーにしかしていないって? そう……。

中須かすみの「可愛い」について

はじめに書いておくが、かなりわかりきったことを書いている自覚はあるので、読み飛ばして良いと思う。アニメの内容にそこまで触れないし。じゃあ書くなというのは尤もであるが、折角なので中須かすみの「可愛い」について個人的なメモ書きを残したい。

かすみの「可愛い」については絆エピソードで散々語られているが、さっき読み返していて見つけた16話の「可愛いの前には妥協なんてありえません! 可愛いは覇道!」という台詞が結構良い味だしている。あと、ファンクラブのみんなは王様で、かすみんがお姫様というところかな。

かすみのかわいさについて触れると、決まって無印の矢澤にこを思い出すが、それは「可愛さ」に対して真摯であるという点で一致しているからだろう。それが先ほどあげた「覇道」という単語に集約されている。スクールアイドルは戦国時代、勝った負けたの世界において、アイドルは日々自分の強みを尖らせ、「可愛い」にしのぎを削る必要がある。それが顕著に表されたのが、今回の歩夢に特訓させるシーンだ。

また、かすみの言う王国はかすみの「可愛さ」にひれ伏した(あるいは認めた)者たちだけで構成される王国であり、すこし閉塞感がある。ここでも絆エピソードの話になってしまうが、随所で語られる「かすみの可愛さを認めた人に対しては格別優しくしたい」というかすみの気持ちを汲み取ると、かすみは自分の可愛さに少しの揺らぎを抱えていることがわかる。というのも、本当に自分の可愛さに自信があるのなら、あそこまで丁寧な感謝の気持ちは沸いてこないからだ。多分。

間違えてはいけないのが、「自分がかわいいことに自信がない(真剣な悩み)→でも私はかわいい!(むりやり笑顔)」ではなく、「私はかわいい!(本気)→でもみんなかわいいって言ってくれない……なんで?(純粋な疑問)」という流れである。

何を言っているのかと言うと、かすみの「可愛さ」はコンプレックスによって構成されているものではなく(かすかす、という名称にまつわるなんらかの疑念は残るが)、生来によるものだということだ。かすみの全ての行動原理は、「自分は本当にかわいいのだと信じている」に繋がっていると自分は信じている。

けれども、誰も自分をかわいいと言ってくれない。そこに疑問があり、だから自らの「可愛さ」について揺らぎが生じる。

その根拠のひとつとなるのが、実際に侑にかわいいと言われた時のかすみの「驚き」の反応である。あれは自分が信じている自分のかわいさを見つけてくれた人に対する喜びであり、ようやく現れた理解者という図に他ならない。わたてんの姫坂乃愛が星野ひなたに向ける感情がこれに近い。

以上を纏めると、まあアニメの話とは関係のないところでの話になってしまったが、かすみは自らの可愛さを純粋に信じていて、それがスクールアイドルとしての強みであると確信している女の子であるということだ。

つまり、かすみは既に自分という存在を見つけている。

自分が何者か、スクールアイドルにおいて何が重要か(かわいいこと)を確信しているからこそ、同じく自分にとってのスクールアイドル像(好きを伝えること)が明確である優木せつ菜と衝突するのである。

所謂、スクールアイドルという概念についての「解釈違い」であり、地雷カプとの衝突と似ている。

そりゃ仲良く出来ないよな~(?)。

 

上原歩夢との「かわいい」の違いについて

今回はめちゃくちゃ「かわいい」というワードが出てくる。かすみの考える「可愛い」と、歩夢のなりたい「かわいい」である。

先ほども書いたが、かすみの可愛いは既に確立されており、スクールアイドルの必要条件として、かすみのなかでは「コレ!」という絶対的な解釈がある。だから歩夢に指導することになるのだが、どうやらかすみの「可愛い」は、歩夢の「かわいい」と合わないようで――というのが、かすみの成長のきっかけになっている。

これがうまく表されているのが、かすみの自己紹介のカットである。

2話を見ていると、随所で歩夢がかすみに対して冷たいツッコミ(「……は?」「え?」等)を入れている。これを「歩夢はかすみと、侑を取り合うから折り合いが合わないんだ!」とギャグ的に考える人もいるかもしれないが、自分のなかではそうではなく、ここに「かわいい」の違いが表現されていると思う。

スクールアイドルとしての自己紹介は、スクールアイドルとしての第一歩と言うように、その人の「スクールアイドルの方向性」を示すと考えて間違い無いだろう。

要するに、かすみのスクールアイドルとしての「可愛い」を歩夢は理解できていないのだ。かすみに対して意地悪をしているわけではなく、本当に「え?それが『かわいいスクールアイドル』なの?」という困惑があるのだと思う。

優木せつ菜の「かっこいい/他人に好きを伝えたい」という方向性と、かすみの「かわいくありたい」という方向性の衝突だけでなく、かすみが唯一信じていた「かわいい」という枠組みのなかでも、かすみと歩夢は理解しえないというのが面白いところだった。

そこに気がつくのが、せつ菜について話している時なのだが、あそこの画面が揺れ動く効果(多分名前があると思うけど知らん)が良かったですね。 

 

③高咲侑の「ときめいた!」と果林先輩の視点について

とはいえ、メンバーが衝突し続けると永遠に話が纏まらない。

どこかで決着をつける必要があるのだが、それが高咲侑の「ときめいた!」である。

先ほども述べた、かすみの自己紹介のシーン。あそこで、侑は歩夢と違い、目を輝かせて「ときめいた!」と言う。

ここが本当に脚本のうまいところで、普通にギャグシーンだと思わせておいて、かすみの「可愛さ」を、歩夢は理解できず、侑だけが理解できるという「虹ヶ咲が進むべき方向性」を描いているのだ。

しかも、ここで侑は「かわいい!」という言葉は発していない。「可愛いスクールアイドルを演じるかすみ」を見て「ときめいた!」のである。これは、侑がかすみの「可愛さ」を認めたわけではなく、可愛いスクールアイドルになろうとするかすみの「方向性」を認めたと考えていいだろう。

ここに、「個人は団体に合わせるために、無理に変わらなくても良い」というメッセージがある。

このように、侑は、様々な方向性を持つ故にグループ内では衝突するだろう虹ヶ咲メンバーを、外部から見た「ときめいた」という万能の言葉で纏めあげようとしているのである。

で、ここまでならスクスタのストーリーでわかるところである。

今回さらに面白いのが、外部である果林先輩も、歩夢にアドバイスをしているというところだ。侑ではなく、たまたま出くわした果林が歩夢にアドバイスする意味を考えたのだが、どう見ても果林先輩が有能であることを印象づける気満々である。

さて、この有能演出が、後半落差として視聴者を笑わせるか(スクスタ世界線)、最後まで有能であり続けるのか……。世界線が違うこのアニメでは、後者になることだって考えられる(そもそもエマのためだけにここまで動く果林先輩がかっこよすぎる)。

夢女を大量に産むのか……? 朝香果林……?

 

④今回のゆうぽむ

侑がかすみに「かわいい」と言う度に「えっ」となる上原歩夢だが、一切嫉妬の表情を見せないあたり、制作者の強い拘りを感じる。安易な包丁持たせの回避的な。

また、応援してくれる人(侑の顔)を思い浮かべながら、かすみのアドバイスを受けつつ(うさぎの部分)自分で考えた言葉で語った自己紹介で、侑から「かわいい!」「ときめいた!」の2語をもらえたのはすっごい嬉しかっただろうなと。だって、かすみの自己紹介で「かわいい」とは侑は言ってないですからね。

個人的に、みんながかすみをかわいいと思うのって、スクールアイドルじゃなくて素のかすみだよなと思うところがあって、やっぱり自分が信じた(自分しかわからない)「可愛い」を徹底しているところに、みんなからのリスペクトが集まっているような気がする。お前の信じた道を行け、的な。

それとは違い、今回の歩夢の自己紹介は、「かわいいが好き」だと、自分に素直になれるよう一歩一歩進むという歩夢らしさに溢れていて、それを侑が「かわいい」と認めたところが、すごくいいなと思いました。

「かわいい」が好きな歩夢を、「かわいい」と言ってあげる侑。

それってつまり、歩夢の自己肯定感の底上げに繋がるわけで、歩夢がこれから進むべき方向を指し示してあげることができるってことだと思ってるんだけれど、やっぱりアニメはその辺りがしっかり考えられていて、侑と歩夢にすごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。
風・・・なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。

 

 

⑤かすみの出した答え

 で、かすみはせつ菜や歩夢との齟齬を敏感に感じながら、「このままではいけない……」と考えるようになる。ここの「私がなんとかしよう」っていう部分は、割とマジでかすみの良さを最大限に発揮しているところだと思う。

スクスタでも表現されているが、かすみはめちゃくちゃ人が良い。花瓶の水を取り替えたり、ゴミ箱のゴミを捨てたりするという模範生のような動きをしながらも、人が嫌がるようないたずら(一部世界線の、靴にコッペパンを詰める的なものはさておき)も、どれも子供だましレベルで、誰かを不快にすることは殆ど無い。

スクスタで一人でずっと部室を守り続けてきたのはかすみだし、アニメでは、スクールアイドル同好会が存在している証のネームプレートを取り返そうとしたのもかすみである。

かすみは、おそらく誰よりも、スクールアイドル同好会が、その場にいるメンバーのことが大好きである。

そんなかすみが、同好会に一番に望むことは何か。当然、「みんなが仲良く一緒にスクールアイドルができること」だと言える。で、普通の発想だと、「みんな」でやるからには足並み、方向性を揃えなければならない。しかし、それはせつ菜や歩夢の方向性を見失わせることになる――というのが、かすみの葛藤だった。

かすみは、強烈なまでに「自分の可愛さ」を信じ、「みんなでいることの嬉しさ」を抱え込んでいる。

そして、どちらも同程度で、想いが強力だからこそ、端的に「個性」と「全体」の話に置き換えることができるのだ。

2話で行われているのは、かすみの話でありながら、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のテーマ(個人的な解釈です)でもある「自分だけの『好き』を、みんなで叶えるためにはどうすればいいか」という、このアニメの方向性の決定付けでもあるのだ。

多分。

で、かすみはせつ菜との衝突で、一度誰かを失うという辛さを知っている。最初は「みんな」よりも「可愛い」を押し通したかすみだけれども、かすみにとっては両方大事なのだ。「みんな」を失った辛さを知ってしまった以上、今度は自分の「可愛い」を押さえ込まなければならない。それが大人としての成長なのだと進んでしまう……そうなってもおかしくない流れだった。

しかし、ここで侑が「みんなで、自分なりの一番を叶えられる場所」を提案して、ようやく虹ヶ咲スクールアイドル同好会の場が設定されるわけだけれども、この考えは、みんなが大好きなかすみだからこそ、絶対に思い浮かばなかっただろう概念なんですよね。

完全に外部からの視点である侑がこの言葉を発して、内部からでもわかるせつ菜とのすれ違いは、かすみが自分で気がつくことが出来た――そこの発言主の使い分けが、このアニメを単調なものにせず、しっかりとしたキャラ立ちに繋がっているのかなと思いました。すごいよねえこの脚本。

 

⑥Dream with youについて

またもや、歩夢同様高いところに登るかすみ。微妙に猫仕草が入るのは気のせい?

どうやら、高いところが舞台になるという規則があるようです。やっぱ、高い方がアイドルらしさに近づく、みたいな空気があるような気がするな。

それはそれとして、今回は歩夢のMVほどには、強いメッセージ性を掴むことができなかった。物語を内包しているというよりかは、お菓子を通して、いかにもアイドルらしい、少しあざとめのかわいい世界を演出しているのかな?くらい。

まあ、高い塔の王冠は、かすみの願うワンダーランドの原型らしさを感じるし、最初と最後の幕を見るに、この世界がかすみの「演じている」アイドルのかわいらしさによって成り立っている、あたりのメッセージはあるのかな。

もちろん旗とか、おそらくまた小ネタが大量に含まれているんだろうなとおもったけれど、自分はそこまでわからなかった。

あと強いて言うなら、どんどん上昇するキャンディ、というより飴。飴は「雨」であり、重力によって下に落ちる雨とは逆の動きをする「飴」というのが気になったところ。雨は虹(虹ヶ咲)を生むことから、割とこのアニメでは雨は肯定的に描かれるんじゃないかなと思ってしまうんだけれど(EDでもなんとなく、傘で雨を楽しもうという気概が見える)、もしかしたらこのかすみのMVでも、同じ試みがされているのかもしれない。

本来なら気分を下げる、下降する雨(せつ菜との衝突)でさえ、かすみの世界では上昇する「飴」になって、かすみをさらなる高み(かすみのワンダーランド)へ連れて行ってくれる、みたいな。考えすぎかなあ。

 

⑧まとめ

監視アカウントでtwitterを見る限り、虹ヶ咲のアニメは非常に高評価だし、自分自身めちゃくちゃ楽しく見れている。1話辺り5回くらい見返しているが、こんなに見たのはスタァライト以来かも。というのも、制作者からキャラクターへの、ファンへの素晴らしい愛を感じるし、もうめちゃくちゃに心に良い。幸いなことに、推しカプがどれも公式カプになっているし、同人ライフも安泰が保証されている。

いいのか、こんなに幸せで……?

これからも毎週、上原歩夢の気持ちになって高咲侑を見つめる遊びをやりたいと思う。