新薬史観

地雷カプお断り

【旅行1日目 大阪→金沢→上越】金沢21世紀美術館、兼六園に行く

negishiso.hatenablog.com

この前書いた旅行をやる時が来た。正しくは現在進行形で「している」と言う。つまりこの記事は旅行4日目の本日、電車に揺られながら書いているのだが、これまでかなりタイトなスケジュールを組んでおり、空き時間にはプリコネのクラバトをやらねばならず、さらにそこから落ち着いてブログを書く余裕があるかといえば、少なくとも自分になかった。マルチタスク処理能力が欲しいな~。

さて、実家住みの自分が黙って一週間近く消えるわけにもいかないので「モラトリアムの最後に東北に行く」と伝えたのだが、両親はあまりいい顔をしなかった。みなさんご存じの通り、某コロナで宮城が結構アレだからである。単刀直入に「やめろ」と言われた。

「東北に行くな。行くなら中国地方にしろ」

これに対し自分は断固として「嫌です」を貫いた訳だが、確かに下のサイト見ると宮城だけがヤバいことがわかる。あの人口密度で他の県と桁が二つ違うんですよね。
www3.nhk.or.jp

そんでもって、結局この数字って、いま自分の目に届いている太陽の光が8分20秒前のものであるかのように*1時差があって、コロナと人間との時差は2週間あるんですよね。なのでいま観ているこの数字は2週間前のものだと考えたほうが良くて、旅行している「今」はさらに拡大しているんじゃなかろうかと。一桁代ならいいけれど、ここまで来ると流石にもうアレですよね~。親の言い分は確かに正しい。

とはいえ、宮城のためだけに他の県に行かないというのはあまりに短絡的である。今回の旅行は二郎の仙台店に行くためのものでもあったのだが、そこを削ればなんとかなるという旨を説明したところ、まあそれならということで落ち着いた。

 

というわけで、上の記事の旅程を急遽変更し(あと引越しのあれこれで日数も1日減らされ)改めて旅をすることになりました。

以下最終決定版。

 

Negishiso Final Tour 2021「最後に東北に行きたかった」開催要項

【旅程】

2021年3月26〜31日

Day1 大阪→金沢(21世紀美術館兼六園)→上越妙高

Day2 直江津→新潟(ラーメン二郎新潟店・酒)→酒田→秋田

Day3 秋田→青森(県立美術館)→十和田(十和田新美術館)→八戸

Day4 八戸→新花巻(宮沢賢治記念館など)

Day5 新花巻→東京(人いない所で暇つぶし)

Day6 東京→大阪

 

【交通手段】

基本は青春18きっぷ(安く旅行したいので)

JRが走ってないところは新幹線(金沢から新潟、八戸から新花巻など)を利用した。

 

【感染対策】

常にマスク

人混みを避ける

大人数での会食はしない

以上、完璧。

 

では早速1日目……

起床!!!(AM4:00)(ウマ娘理事長)

この時点で何かがおかしいのだが、自分は基本起床時間が3:00〜5:00みたいな狂気の概日リズムを有しているので問題ない。青春18きっぷを手にするものは基本的に始発で動かねばならないのだ。

3時間ほど電車を乗り継ぎ福井に到着。

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銅像までちゃんと感染対策していて偉い。お前はコロナと違って太古のよくわからん感染症持ってそうだからな……。旧型ならぬ零式コロナとか持ってそう。

ちなみにここで電車が動物と衝突したらしく、ややダイヤに乱れ。動物と電車がぶつかるのは北海道だけだと思ってたな。あっちは2〜3日に1回は電車と鹿が衝突しとる。
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さらに電車に揺られること2時間、ついに金沢駅着。駅がすんごいかっこいいんだわ。足払いしたら転びそうな頭のデカさは東京ビックサイトを思わせるよね。コミケに来たと錯覚してしまうな〜。

尤も、周りにいるのは家族とカップルばかりでコミケにいる人種とは一切被らないのですが……。

 

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さて、実は金沢には実家に帰省していた大学のラボ同期がいたので、カレーの店に連れて行ってもらった。上図参照。

チャンピオンカレーなるもので、ゴーゴーカレーと並ぶ金沢の有名カレーらしい。ドロっとしたルーは何をベースにしているのだろうか。りんごやはちみつ、玉ねぎあたりの甘いベースではない気がする。強いスパイスの香りもしないが、カレーのコクと旨味が凝縮されており、かなり面白い味になっていた。これがシャキシャキのキャベツや豚がしっかり詰まったカリカリのカツと合わさるのだ。美味しくないわけがない。サイコーに美味かった。

同期とはカレーを食うだけ食って別れました。マジで30分会っただけだった。あばよ。


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ちなみに帰り道には自らのデブ加減に泣きつつ、のどぐろコロッケが気になり購入。確かに味はのどぐろである。だからといってなんということはないので、のどぐろは素直に煮たり焼いたりして食った方がよろしい。

 

さて、金沢周遊パス600円を購入していたので、コロッケを食いすぐにお目当ての21世紀美術館に向かう。もう私、このためだけに金沢来ておりますので……。

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エッ。

……なんか、めっちゃ市街地にあるのな。てか建物が低い。もっとタージマハルみたく、権力を誇示して調子に乗っている建造物だと思っていた。21世紀を語るわりには、サイバーパンクらしさがないではないか!(21世紀はサイバーパンクの代名詞ではない)。

平べったいんだよな〜。

 

建物内部の展示内容については、ほぼ全てが写真撮影禁止だった。

以下、気になった展示内容を簡単にまとめる。

まずは常設展。

オラファー・エリアソン「カラー・アクティヴィティ・ハウス」

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これは建物外部にあるものだし写真撮影しても大丈夫でしょう、多分。

中に入るとわかるが、赤、青、緑、黄色というようにフィルムの壁が視界を色付ける。フィルムの色は重なるように作られているので、視界にさまざまなフィルターをかけることができるのだ。まあまあおもしろいが、カップルだらけでイライラしたので評価はバツです(嘘です)。

 

レアンドロ・エルリッヒ「スイミング・プール
21世紀美術館といえばアレ、のアレです。プールの中に入ったりそれを眺めたりするやつ。写真なし。なぜなら写真を撮らずに動画を撮ってしまったので、この記事に貼れないのだ。

あーあ。

でもだいたいは想像通りですね。それなりに奇妙な体験ができたので、一見の価値あり。

いや、というか本当にカップルが多い。素人質問で恐縮なのですが、もしかして金沢21世紀美術館ってデートスポットなんでしょうか?もしそうならヤバいだろ。芸術をファッキン性欲の篝火にするな。

 

ちなみに常設展のなかで1番好きだったのはコレです。

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引用元(https://www.kanazawa21.jp

形、色、大きさ、素材、照明、反射、設置位置、鑑賞者の位置を計算し、特異な空間を演出している作品らしい。

実際に現地で見ると、この「黒」の異質さが際立ちます。マジで視覚が闇に持っていかれるから笑いが止まらなくなる。

ちなみにギュスターヴ・クルーべ「世界の起源」に着想を得ていて、計測不能の虚無に世界の起源、生命の連続性を見出しているらしい。なるほど〜。

 

さて、続いてコレクション展に話を進めよう。

この時期に行われていたのは「コレクション展 スケールス」というもの。こちらは常設展ではなく5月9日までの期間限定の展示である。

こっちはスケール(規模)に注目した展示で、これがまためちゃくちゃ面白かった!

残念ながら全て撮影禁止で写真はないのだけれど、1番良かったのは間違いなくこれ。

 

ス・ドホ「階段」

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引用元(https://www.kanazawa21.jp

これは折り畳んで持ち運び、組み立てることができる「ファブリックアーキテクチャー」の一種らしいんだが、ナイロンの布で作られているので、馴染みのある空間だが踏み入れることができない仮設の空間を演出しているらしい。

いや、すごくない?

これはマジで感動してしまった。記憶のなかの空間を現実に「踏めない階段」という形で演出することができるんだって……天才かよ。見た時はびっくりしたなあ。

 

他にも、

ヴラディミール・ズビニオヴスキー「石の精神」

イザ・ゲンツケン「ベルリンのための新建築」

ギジェルモ・クイッカ「百科全書」

あたりは面白かった。

特に石の精霊は発想の勝利という感じ。

 

ちなみに、アペルト13、高橋治希「園林」も半端なく良かった。これは上に貼ったリンクから飛んで見てほしいのだけれど、間近で見ると本当にすごいです。陶器で構成された園林、生物や生態系とか、さまざまなものが一体化して冷たい静物と化しているのが美しすぎて発狂しそうになった。天才の作品。


いや、来て良かったわ金沢21世紀美術館……。

すっかり満足してしまって、さて帰ろ〜とバスに乗ろうとしたところで、館内のどこかで周遊パスを落としたことに気がつく。

いや、600円したんですけど。

まだ200円しか乗っていないんですけど。

泣きながら徒歩で兼六園に向かった。

ちなみに21世紀美術館からクソ近いので徒歩で来れます。
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普通の庭。おもんねー。

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加賀棒茶と団子。ふつう。
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なんというか、普通にデカい庭だわ。これに入園料払いたくね〜。払ったけど。

 

腹が立ったのでダッシュで(徒歩で)酒を飲みに行きました。

が、これについては酒タグに纏めたい(酒に興味ある人に必要な情報だけを与えたい)ので記事分けました。

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ちなみにこの後、新幹線に乗って上越妙高までワープしてホテルに泊まりました。 

2日目に続く。

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*1:太陽から地球までの距離は光で8分20秒かかるからです

カズオ・イシグロ「クララとお日さま」土屋政雄訳 読んだ!

カズオ・イシグロの百合SFだと聞いていたので手にとった。非常に強い百合だと思うのだが、ロボットの認知という問題が絡むだけで話が少しややこしくなるのが面白い。

よく「信頼できない語り手」という単語が使われるが、結局は「アルジャーノンに花束を」みたいなもので、認知に何らかの「問題」がある視点からの一人称小説なのだから、その語りにも「問題」があるのは当然とも言える。そういう意味では原理的には全ての一人称小説は信頼できないのだが、この小説に関してはそこらが顕著だと思う。

というのも、クララはB2型のAF(Artificial Friend)で太陽光を栄養源としている。この設定は全編を通して貫かれており、場面で光に関する描写が多いのは、クララが常に光を求めているからだろう。また、太陽を神として信仰しているところは、科学技術の発展により信仰する神を失った人間とは好対照に並べられており、ジョジーと同じくらいの立ち位置に「お日さま」が位置づけられている点も見逃せない。

また、人間(というよりマスター)に絶対に従わなくてはならないという規範が内包されており、自己の存在価値や役割はすべてマスター(あるいは周囲の人間)に委ねている。ここら辺は「人間が大人になるため(だけ)に必要なロボット」であることを商品として要請されているために、初期設定として組み込まれているものだろう。

これらの要素が複雑に絡み合い、クララによる語りが成立している。「ボックス」という視界や認知システムの構造が説明されることなく当然のように描かれるのも、読者を想定していないクララのためのクララの語りを意識しているからだろう。この辺りの文体(というより意図的な説明カット)は非常に好みだし、とても良かったと思う。

物語を簡単に纏めると、本書の表紙裏にも書かれているように病弱な少女ジョジーとロボットのクララが友情を育む話ということになるのだが、同時に「愛とは?知性とは?家族とは?」とも書かれている。実際に本書は2人の少女の友情を描きつつも、シンギュラリティの数歩手前を迎えた社会における人間の価値判断についてしっかり迫っている。

例えば本書では断片的にしか説明されていないが、人間は「知性」至上主義の社会に到達しており、知能向上のためには「向上処置」といわれる手術を「しなければならない」ことが読み取れる。この処置は未だに完全なものではないのか、あるいは副作用が大きいのか、いずれかの理由によって重大な健康被害に至る可能性もあるのだが、皆がこぞってそれを受ける。それを受けねば「未処置」として差別対象になるからだ。人として当然の権利を受け取るために、人は自らを改造し、知性を手に入れようとする。

一方で、クララ(だけかもしれないが)をはじめとするAFは、はなから向上処置を受けた人間を凌駕する知能を持っている。当然この知性は、知性至上主義の人間社会で重宝されるはずなのだが、あくまでロボットの知性(や観察眼)は人間より上であることを認めながらも、社会的な立場は「人間様より下」である。母親の視点が顕著だがクララに対して「あなたが感情を(理解するの)?」と嘲笑の視線を投げかけるし、他の人間もクララをいち人間としては決して扱わない。それはルンバのためにご飯を用意するような愚かさであり、ルンバがいくら高性能な機能を備えても「掃除用ロボット」としか扱われないように、あくまでクララは「友達用ロボット」としてしか扱われない。

この認知の仕方はまったくその通りだと思うので、自分は意義を唱えるわけではない。が、百合が絡むと非常に悲しい気持ちになるのだ。

第一章で描かれた「ガール・ミーツ・ロボットガール」は少なくとも対等な立場での出会いのように思われたし、それを象徴するかのようにジョジーは「絶対にあなたを迎えに行くから」と約束(これはジョジーとリックが言う「計画」と同義だと思う)をする。さらには「あなた(クララ)が嫌と言うなら私の家に来なくてもいい、フェアじゃない」というように2人の立場が平等であることを明言する。

ところが、章が進む毎にクララがロボットであることが徐々に固定化されていく。いや、正確には2章の時点で完全に立場の違いが明らかになっていく。それはホームパーティをした時点だろう、ジョジーの「クララを所有した」という意識が明らかになるのだ。みなの嘲笑の的になっているクララに対して、「(B3型を)買うべきだったかなって、いま思いはじめたとこ」とジョジーが口にする時点で、クララの名誉よりも自分の保身に走ってしまったことがわかる。とはいえ、その前後でジョジーはクララをなんとか助けたいと思っているのは事実だ。実際に、ジョジーは友人に対してなんとかクララの魅力を語ろうとする。しかしながら、いざその魅力を見せてみろと友人に詰められたとき、ジョジーは、「クララには(立場が明確になる)命令はできない」という微妙な感情を抱いていたのだろう。大人の社会に組み込まれつつあるジョジーにとって、社会から要請されることをクララに仕向けることは、かつての「約束」が許さなかったのかもしれない。ともあれ、リックが後に指摘するようにクララは非常に不安定だった。この時期は社交性が求められる「大人」と自分の感情を大切にする「子供」の狭間に位置していたのだろう。大人はクララをロボットとして扱うが、子供は立場を知らず、ロボットと対等であり続けることができる。その差異は明確には書かれてはいないが、結局2人は互いに求められていることができないまま(尤もクララはロボットであり、他者が役割を決めるために自分から自分の扱いについて「求める」ことはないのだが)2人の立場は「(友人として)対等」から逸脱し、「所有-被所有」の上下関係が決定的になる。

同時に2章は母親がクララをジョジーの代わりに据え置こうと画策し始める段階でもあり、ここで母親とクララの関係は「所有-被所有」から「(家族としての)所属」というひとつの(種として)対等な立場になり始める。この逆転現象、また母親とジョジーのクララへの立場の高低差が印象的で、物語として非常にうまいなと思った。もっとも百合としては、部屋で同居することを認められていたクララ(=対等だったクララ)がジョジーの視線が求めるまま、彼女の部屋から出てしまうシーンで鬱になるのですが……。

と、なんとなく2章まで遡ってしまったが、これを最後まで続けていると切りがないので適当に纏めようと思う。このような上下関係は作品を通じて無限にあるし、お日さまを用いた比喩や表現も多々ある。そのような細部に拘ることで、この作品はさらに豊かな文脈を持つ。柵に囲まれた雄牛のシーンは「所有」の侵害への恐怖を扱っている点で非常に印象的だし、吹き出しゲームのあれそれはジョジーとリックの認知を示す一方で、「知性」や「社会」についてのややテンプレチックな思想を覗くことが出来る。

第四部の認識能力が低下した視点での周囲の表現についても語らねばならない。あの部分は記述にして奇術の域に達しており、安部公房大江健三郎に近しい「五感ハック」の錯覚に溺れることになる。最高の読書体験だった。

ただ、やはり最も注目すべきは第6章だろう。本書の内容は全て第6章に詰まっていると考えても良い。第2章から第4章にかけての知性至上主義と信仰の不在が生み出した人間という存在をうまく表現し、科学技術の結晶であるクララを都合良く使おうとする醜さを、純粋な(あるいは盲目な)クララの視点から見ることで「物語と視点の差異」として顕著にあぶり出しながらも、第5部ではクララの視点と物語がまるで「絵本のように融合し」、子供の世界に至る。この遠近感の強烈な近づきはメタフィクションであることを自覚する瞬間と同値であり、「この物語(視点)は本当に現実なのか?」(いや、虚構ではあるが……?)と読者に思わせる点で非常に危険な手法だと思う。しかしながら、ここで2~4章の信仰の不在の愚かさが明らかになるわけで、メタ的なショックは、登場人物が抱くイデオロギーの転換の衝撃と一致しているように感じるのだ。神の不在から信仰へと。すべては第6章への布石となっている。

第6章では、端的に「人を人たらしめるものは人の何処に存在するか」という話になる。科学技術は「人の中身」や「神の不在」を精査するのに適しており、実際にそれが可能になる日も近い。しかしながら、クララは「人の本質=魂」は人の外部、つまりその人を囲む他者にあるのだと考える。これは決して「フェア」な考えではない。なぜならこの結論は、太陽を信仰していることを基盤としているからだ。物語では太陽は常に人々に「栄養」を与えるものとして描かれている。また、クララはロボットであるため、自分の欲望を持たず「他者から役割を与えられる」ことからも、栄養だけではなく「魂」すらも外部からもらうものだと感じてもなんら不思議ではない。このロボット特有の世界観と価値観を一致させている繊細さは、カズオ・イシグロの思慮深さが読み取れて最高の一言に尽きるだろう。

一方で、この考えを上記の理由だけで棄却することは馬鹿らしい。確かにロボット特有の価値観に基づく考えではあるが、これは人間にも当てはまる部分があるからだ。これはファイアパンチの感想でも書いたが、人間というものは他者に観られて(役割を付与されて)中身が変容するものである。関わる人間は常に固定されるわけではなく、テセウスの船だなんだと言う暇もなく、人間の中身はめまぐるしく変わる。では何が変わらず、何を基盤として私たちは関係を結べば良いのか。これはやが君が結論づけたように、他者からの「自分が考える『あなた』であってほしい」という感情に答えるかどうかだろう。答えたいという人(あなた)は変容しながらも他者が求める「あなた」であり続け、答えたくないのなら他者は別の誰かに(あるいは変容し続けるあなたに)「あなた」の影を見つけようとする。そういう価値観に立てば、「人の魂はその人の内部ではなく、その人を囲む外部にある」という見立ては、決してロボットだけが至るものではないだろう。そしてこの考えは、クララとジョジーの友情にもしっかりと当てはまる。確かにジョジーは変容し続けた。子供から大人になり、クララを家族から所有物へと認識し、自分の部屋から追い出すようになり、決して入れないと誓った物置にすら追いやることになる。しかしながら、「ガール・ミーツ・ロボットガール」を果たしたあの日のジョジーの瞳は、ずっとクララの役割を規定し続けているのだ。例えその立場に昔と違う上下関係を認めることになったとしても、クララはかつての瞳に答えるようにジョジーを想い続ける。それが「ロボットとして規定された」ことであったとしても、である。そして、そのクララの苦労に報いるように大学入学を迎えるジョジーの「簡単な選択だったわ」という台詞が、これまでのクララを全て肯定するのだから本当に素晴らしい。

その一途な想いや太陽への信仰に、周囲の人々はクララの認識を改め、「ひとりの人間」として扱おうとしているところが非常によかった。クララ自身はまったく気がついていないが、クララは最後にしてようやく他者から「魂」を与えられたと言ってもいいだろう。最後の店長との対話はその全てを示している。クララは店長がもう一度自分に振り返ると思ったが、そうではなかった。それは店長がクララをあくまでロボットとして尊重しており、ジョジーや母親とは違い「魂」を与えるつもりがないからである。そしてそのような店長の意志すらも、もちろんクララには見えないのだ。

 

以上、感想終わり。

視点や技法、テーマから比喩、映像の描写に至るまで、すべてが一級品の作品だったと思います。読んで良かった。結構高いけど読む価値はあります。

キミも自分だけの最強の「スラムドッグ$ミリオネア」問題を作ってみよう!


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はい、というわけでこの流れを踏まえての記事なのですが、自分も当時この記事を読んでおもしれ~と思ったはいいものの、自分はかなり無知(というかめっちゃくちゃ物忘れがすごい)ので思い出と知識が結びつかないような気がして作問を諦めたやつでした。

まあでも何事もやってみるのは大事だなと唐突に思い(正直に言えば作問しようとしていたことを思い出したので)実際にやろうというのがこの記事です。

ちなみにこの記事を読んでいる時点で映画「スラムドッグ$ミリオネア」を未視聴であれば、一度観ていただけるとかなり楽しめると思います。

話の流れとしては「これまでの人生でたまたま知っていたこと(正規の教育を受けていないので一般教養はない)が、たまたまクイズ番組の答えになっていてヤバい!なんか全部答え分かるんだけど!」というものです。説明だけだとギャグっぽいですが、しっかりとしたつくりの映画になっています。物語の構成や緊張感が半端ないので、すごく面白い。

で、この映画の題材となった英国のクイズ番組「Who Wants to Be a Millionaire?」は日本でも「クイズ$ミリオネア」として伝来していて、みのもんたが司会をしていたことを覚えている人もいるんじゃないでしょうか。知っている番組があるだけでかなり映画に入り込みやすくなると思うので、是非是非。

 

というわけでない頭を捻って問題を作り出しました。

是非みなさんも解いてみてください。

 

第1問 ¥10,000

第二次世界大戦後、国後、択捉、歯舞、色丹などの北方領土をめぐって、日本と対立している国はどこ?

A.中国 B.北海道 C.北朝鮮 D.ロシア

 

第2問 ¥20,000

居酒屋で提供されるバイスサワーを作るための割り材「バイス」に含まれているものは「梅」となに?

A.ねぎ B.しそ C.しょうが D.ごま

 

第3問 ¥30,000

アイヌ語の「エルム」が意味するものは、次のうちどれ?

A.犬ぞり B.神様 C.楡(にれ)の木 D.イチョウ

 

第4問 ¥50,000

新渡戸稲造の著作「武士道」において、日本人の倫理観の両輪を担う徳目とされるのは、「忠」となに?

A.礼 B.考 C.義 D.勇

 

 

第5問 ¥100,000

日本剣道形に使われている「五行の構え」。

上段の構え、中段の構え、下段の構え、脇構えと、なに?

A.夜叉の構え B.八相の構え C.肩構え D.腰構え

 

第6問 ¥150,000

2002年に「世界一深いところにあるポスト」としてギネスブックに認定された海底ポストのある都道府県はどこ?

A.東京都 B.静岡県 C.沖縄県 D.和歌山県

 

第7問 ¥250,000

吉屋信子の著作「花物語」が雑誌「少女画報」に掲載されたことでブームとなった、戦前の日本の少女・女学生同士の強い絆を描いた文学、または現実の友好関係のことを俗になんと言う?

A.エル B.エム C.エス D.エヌ

 

第8問 ¥500,000

Self-Reference ENGINE」「道化師の蝶」などを代表作とし、小説家である伊藤計劃の未完成原稿「屍者の帝国」を完成させたことでも知られる芥川賞作家はだれ?

A.小島秀夫 B.円城塔 C.田中慎弥 D.長谷敏司

 

第9問 ¥750,000

初期の著作「論理哲学論考」によって哲学の問題はすべて解決されたと考え、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という名言を残し、以後の言語哲学分析哲学に強い影響を与えた哲学者といえばだれ?

A.イマヌエル・カント B.ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン C.野矢茂樹 D.エマニュエル・レヴィナス

 

第10問 ¥1,000,000

1999年に任天堂の「ポケモン」のイメージを壊すアダルトな内容の同人誌を書いたとして著作権法違反で一般人が逮捕された、通称「ポケモン同人誌事件」において、同人誌内で主に扱われていたポケモンはなに?

A.コクーン B.マルマイン C.カビゴン D.ピカチュウ

 

第11問 ¥1,500,000

ソビエト連邦との冬戦争、継続戦争で、出撃437回、94機+1/6の撃墜を記録しながらも、その間殆ど被弾しなかったことから、「無傷の撃墜王」と呼ばれ、マンネルヘイム十字勲章を2度受章したフィンランド空軍軍人はだれ?

A.リディア・ウラジミーロヴナ・リトヴァク B.ニルス・カタヤイネン C.エイノ・イルマリ・ユーティライネン D.ウルホ・レヘトヴァーラ

 

第12問 ¥2,500,000

記号論におけるソシュールの「ことばの回路」、情報理論におけるシャノンの「シャノン・モデル」を統合し、コミュニケーションを構成する因子として発信者・受信者の2者、コンテクスト・メッセージ・コンタクト・コードの4項があることを示した「6機能図式」を考案したロシアの言語学者はだれ?

A.ロマーン・オシポヴィチ・ヤーコブソン B.ハロルド・ラスウェル C.コリン・チェリー D.ジョン・サール

 

第13問 ¥5,000,000

モヤシやキャベツなどの「ヤサイ」、サイコロ大の背脂である「アブラ」、ニンニクなどを無料トッピングとし、「ニンニク入れますか?」というコールで一躍有名となった人気ラーメン店「ラーメン二郎」の総帥(創始者)と言えばだれ?

A. 安藤百福 B.山岸一雄 C.山田拓美 D.小野二郎

 

第14問 ¥7,500,000

「成熟した脳では神経の経路は固定されていて再生することはない」というドグマを打ち立て、神経系がニューロンという非連続の単位から構成されるという「ニューロン説」を提唱したことでも知られる、1906年ノーベル生理学・医学賞を受賞した神経解剖学者はだれ?

A.サンティアゴ・ラモン・イ・カハル B.カミッロ・ゴルジ C.ロベルト・コッホ D.シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴラン

 

第15問 ¥10,000,000

2011年にDupontらによって発見された、細胞の外部の機械刺激によって局在を変え、器官のサイズ制御や癌の発現制御に関わっているとされる転写共役因子はどれ?

A.p300 B.STAT C.TFIIF D.YAP

 

 

以上。なるほど、こうして考えるとめちゃ自分の人生が詰まりますね。

自分の趣味マシマシなものになってしまったし、これがミリオネアで出される可能性は限りなく無いでしょうが、実際にやってみるとそれらしい問題がずらりと並んでいた「スラムドッグ$ミリオネア」ってマジですごいなと再確認しました。問題の内容までは詳しく覚えてないけど……。

みなさんも是非作ってみてください。

本日6年間通い詰めたラーメン二郎を退店しました

本日を以て大学入学と同時に入店し、6年間通い詰めたラーメン二郎某店から退店しました。

自他ともに退店しそうにない人だと認めていた私がなぜ退店することに決めたのか、自身の振り返りの意味も込めた退店エントリです。

嘘です。

なんだよ退店エントリって。

こう書くとまるでラーメン二郎に居座り、6年間も寝泊まりをしていたゴジラ級の迷惑客だったかのような書き方になるのですが、退職エントリの退職に対抗すべき単語が「退店」以外になかったもので、このようなかたちになりました(?)。

そもそもなぜ退店(単に足が遠のくという意)することに決めたのか。

引っ越しするからです。終わり。

 

なにかしら続けて二郎系で内部告発するような捻くれた文章を書きたかったのですが、別に二郎にイラついたことはなく、そもそも自分は二郎内部に属する人間ではなく、ただの客なので何も書くことはなかった。

なので僕と二郎との思い出を書こうと思います。

 

思い出、あるいは二郎についてのエッセイ

①ファーストコンタクトは最悪だった。友達に半ば騙されるかたちで連れてこられ、山盛りのラーメンに度肝を抜かした。店前で吐くのをなんとか堪え、「二度と来るか!」と友人に毒づいた翌週には一人で二郎に並んでいた。DVされるヒトの気持ちとはこのようなものだろうか。誠にヒトの感情とは奇々怪々なものである。

 

②いまは昔、「habomaijiro」あり。

彼はかつて、全国に展開する任意の店舗の二郎を毎日食べ、独特な言語表現で二郎の感想を書き記し「ラーメン二郎を食っているだけで」3万人近いフォロワーを獲得した伝説の人物である。この文体は「habomaijiro」構文と言われたり言われなかったりし、今もなお二郎の感想構文として使用されている。多分。

さて、ご存じかどうかは知らないが、二郎とは一杯食すだけで2000キロカロリーはくだらないと言われる恐ろしいカロリー爆弾である。それを毎日食べる人間が体調を崩さないわけもなく……。

開始してからおよそ1年、彼は更新を途絶え未だに沈黙し続けている*1

ちなみに彼の初ツイートはコレである。

驚くべきことに何も感想を書いていない。

さて、同時に彼の(インターネットへの掲載の)初めてが西台駅前店であることも分かるのだが、その後しばらく同じ店舗が続く。このため、デスノート初期のLの名推理である「最初にデスノートで死んだ人間が日本人だったからキラも日本人だろ」理論を援用し、自分は勝手に「habomaijiroは西台駅前店近郊に住んでいるだろ」と推理している。

だからなんだと言う話だが、要するに自分は(そして当時の二郎オタクは)ネトスト紛いのことをする程度には彼の影響を受けていた。

皆がhabomaiチルドレンと言っても良かったのではないだろうか。俺だけなのか?

というわけで、2016年の自分は彼が「完飲。」というからあの濃いスープ(汁)を完飲するようになったし、「ウンメ~!」と言うから「ウンメ~!」とツイートするようになった。おかげさまでめちゃ太りました。

 

③二郎行脚の旅が始まる

二郎に嵌まると、何故かいろんな店舗に行脚をしたくなる。どうやら音ゲーマーも同じような指向を持ち合わせているらしく、たまに流れてくるツイートで「ゲーセン行脚」なる単語を見て「何処でも出来る音ゲーのために旅行するのは気持ち悪いな~」と思っていたのだが、まったく他人のことを言えた身ではないので心を改めました。ひどいこと言ってごめんなさい。

さて、二郎は全店舗の8割くらいが関東に存在するので、地方住みの自分はアイドル声優やアニメ系ライブのついでに二郎に顔を出すようになり、おかげさまで8割方の二郎は制覇することが出来た。地元より関東の地理に詳しくなったので良かったです。

最終的にはアイドル声優のライブ無しに飛行機に乗って関東の二郎(確かこの時は府中店)を食いに行き、友人と酒を飲んで帰るようになった。これも良かったです。

 

④二郎を自分で作ろうと思う

何かと自分でやりたがる人間なので、先人の知恵も借りて二郎を手作りすることにした。というか、そのときの記事を書くためにこのブログを始めたのだが、あまりに熱が籠もりすぎて3万字近く書いて満足して公開することなく消しました。このブログに残っているものはすべてその燃えカスです。

それは置いといて、二郎で使われている麺を製麺するためには手動の製麺機(現在は製造中止されているので、基本中古での購入)が必要なんですよね。なのでそれを購入したり(最初に買ったヤツはボロ過ぎて使い物になりませんでした)、業務用の粉を買ったりまあいろいろやって作りました。家二郎。家で作る二郎だから家二郎です。

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これが手動の製麺機。やればわかりますが、生地が硬すぎてパスタマシーンだと確実に壊れます。

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肉 部位は忘れた。多分肩肉

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初めて作った家二郎

はい。ちなみに味は格別の一杯……と言いたいところですが、二郎に関しては大量の豚や豚骨ゲンコツ、ニンニクをしっかり溶かし込んだスープを大容量で作れるかどうかに全てが掛かっているので、家で食うより(大人数を想定した)店で食ったほうが絶対に良いです。何より手間が掛からないしコスパが良い。良い思い出にはなるけれど。

ちなみに自分はこの話を役員面接で話して御社から内定をもらいました。

 

⑤年明けに開店凸を狙う

あれは確か1月の4日か5日。二郎はだいたいこれくらいの日に年始営業を始めるわけだが、自分はある年にとち狂い「絶対に誰よりもはやくこの店舗で二郎を食う!」と心に決め、キンキンに冷えた空の下、午前6時から列に並んだことがあった。営業は11時からなのでおよそ5時間前に並びはじめたことになるのだが、当時の自分は「ジロリアンとは恐ろしいものだ」という強迫観念があったことから「もしかしたら朝6時には自分と同じような考えの人間がいるのでは?」と考えてしまい、めちゃ早起きして並びに行った。誰にも「今年のいちばん」を譲らせたくないという強い想いがあってのことだったが、並んでから2時間は誰も来ず、8時ごろになってようやく店員が現れ「えっ!?なに、もしかして並んでるの?」「はい」「やばいね君! まあ開店まで死なずに頑張って」という会話を交わし、野菜や豚の業者が続々と店舗に商品を搬入していくのを眺めながら、虚無で立ち尽くしていた。

2番目の客が来たのは9時半のことである。まったく以て無駄な3時間半を過ごした訳だが、まあこういう日があっても悪くない。

そして開店すること11時、ようやく入店し着丼したラーメンに手をつけようとしたのだが、あまりの寒さに手が完全に凍えてしまい、熱いラーメンの丼を持つことが出来なかった。割り箸を持つことすら不可能で、手が震えて全く力が入らないのだ。自分はこれ以降、朝一番に並ぶことを辞めることにした。つまらないプライドは捨てましょう。

 

⑥二郎を直前で拒否られる

何としてでも二郎を食べたい時がある。自分はその日、ラボのミーティングでめちゃくちゃに疲れており、「二郎を食わなければならなかった」。これはカミュ『異邦人』で、ムルソーが太陽の日差しのせいで殺人せざるを得なかった衝動と非常に似ていると思う。

その日の自分は二郎を食わざるを得なかった。何故二郎を食いたいのかと聞かれると「太陽のせい」だと答えただろう。

そんな心持ちで二郎に向かい、並んだ先でゲラゲラ笑っている高校生二人組から「あ、なんか今日は僕らで終わりみたいッスよw」と言われた時の気持ちがあなたに分かるだろうか。自分は発狂に近しい衝動を覚え、そのときの怒りをひたすらTwitterの鍵垢で吐き出した。内容は主に全く悪くない高校生二人や社会および政治経済に向けてのものだったが、自分はその陰鬱なツイートを驚くことに1時間近く続けていたことに後ほど気付いた。

途中で半泣きになりながら、二郎と関係のない普通のラーメン店に入った。二郎と全然味が違っていて泣いた。

 

⑦早食い二郎対決

オタクと二郎に入店したとき、早食いバトルが勃発する。これはポケモンにおける「トレーナーの目と目が合ったらバトル!」と同じ原理である。オタクが二郎に入店し、隣同士の席についたら早食いバトルが始まるのだ。

そんなわけで何年間かバトルをしていた自分であるが、当時はボロ負けしていた相手にも次第に勝てるようになり、なかなかの速度が身につくようになった(二郎の早食いはマジで太るので辞めましょう)。

一度、圧倒的速度を決め込んだことがある。基本的に2ロット(ひとかたまりの注文のこと、およそ5~7人ごとに麺をゆでる流れや回転のことを言う)が同居する店内において、自分は2ロット目の最後にマシマシをオーダーして誰よりも早く完食をしたのである。これはウマ娘に例えると、出遅れが発生して10バシン差の最後尾だったのが、途方もない大差しで1着になるようなものである。実際に店内はざわついた。マックや電車コピペに近いものを感じるので、どう捉えてもらっても大丈夫です。

というわけで自分は井の中の蛙になっていたのだが、この前二郎インスパイア店で行われた早食い対決の様子を見ていると、自分よりバカ早い人間がうじゃうじゃいて(これが努力型と天才型の『差』かあ……)とプリパラ2nd seasonのみれぃの気持ちになり、二度とイキらないようにしようと思いましたぷり。

 

⑧戦線離脱するオタクと私

時は過ぎ2020年とか2019年になるのだが、自分と同じように二郎が好きだったオタクと勝手に早食い対決をしていると、自分が圧勝して終わったことがある。そいつはなかなかの強敵だったため、ついに自分もここまで来たかとほくそ笑んでいたのだが、彼は二郎から出て突然「俺、もう無理かもしれねえ」と口にした。何がと聞くと、「二郎が」ということである。

「もう、昔みたいに食えねえ。速くも食えねえし腹がキツい。歳だ」

それは事実上の引退宣言であった。

このときの感情をどう表現すればいいだろう。自分と同年であるはずの彼は歳を迎え、俺だけ歳を迎えていないこの現象をなんと名付けよう。ウラシマ効果とでも言えばいいだろうか。確かに彼の足は最近二郎から遠のいていた。しかしながら、自分は毎週のように玉手箱のごとき二郎の湯気を顔に浴びている。歳を取るべきは自分ではなかろうか。そうでなくてどうして自分だけが若くあり続けているのか。なぜ自分だけ未だに「二郎で早食い対決だ!」なんて盛り上がれているのだろうか。

俺は坊やか。

そうなのだと思う。

その日は二人で黙って帰った。途中で「俺はこっちだから」と言って、彼は静かに角を曲がった。

 

⑨最後の二郎

もう日付が変わるが、今日は最後の二郎納めだった。

 

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令和3年3月20日土曜日、ラーメン二郎札幌店、ラーメン全マシ800YEN

最後に店主にひとことだけでも挨拶をしようかと思ったが、助手二人の構成だし、そもそも自分はただの客だということを思い出すと何も言えなかった。6年間も通ったとは言え、ラーメン二郎は客と店主が最後の言葉を交わすような空気の店ではないし、仮にそういう空気だったとしても、自分は陰キャなのでそういうのは自分から言わない。

ブログには書くけれど。

勝手に二郎を知り、勝手に二郎に狂わされた6年間だった。普通の飲食店では味わえないような経験と味覚を二郎は自分に与えてくれた。巷はシンエヴァが話題で、「俺たちもエヴァから卒業か」という感想が散見されるが、正直自分は二郎からの卒業の方が感傷的になってしまう。いつしか二郎の感想に「habomaijiro」構文を使わなくなったことを思い出したり、「完飲!」とか言って真面目にスープを全部飲まなくなったことを思い出す。思えばあの当たりから、自分の二郎の卒業は着々と秘密裏に進んでいたのかもしれない。

別にまた来ればいいじゃん、とは思うのだけれど、引っ越し先には暖簾分けの二郎がない。「暮らしの側に二郎がない生活」というのは、これまでの生活とはまったく違うかたちになるだろうと思う。ふとした時に二郎が食えない。なるほど健康になって大変喜ばしいことではあるのだが、そうやって健康を気遣いだしたあたりで、着実に自分は大人に向かっているのだろう。

さらば、すべてのエヴァンゲ二郎。

引っ越し先の駅のホームでたたずんでいる僕。

見知った女性が僕に手を伸ばす。その手を取る僕、健康のために走り出す僕たち。

あとは実写の空撮で終劇である。

 

長い間くそお世話になりました。

*1:実は本人ではないかと言われているアカウントは見つかっているのだが、本人である確証はなく、habomaiチルドレンとみるのが妥当だろう

小川哲「嘘と正典」読んだ!

バチクソ面白かったです。小川哲は「ユートロニカのこちら側」を読んであまり刺さらず、「ゲームの王国」はマジですごそうだけど途中で積んでいる状態なのでそこまで先入観はありませんでした。が、本作を切り出せばやっぱSF小説を書くのがうますぎるな~と思いました。小説がうまい。

 

「魔術師」

クリストファー・ノーランプレステージ」を彷彿とさせるようなマジックへの熱量。これは純粋な時間SF作品として必読だと思います。ダンロンの狛枝とかキッドピストルズの「狂気の論理」を家族愛を交えて描いた傑作。面白かったです。

 

「ひとすじの光」

競馬小説。スペシャルウィークという単語がどれだけ出てきたことか。草食動物であるウマが走る時はどのような感情を持っているかという視点を、最近になって競馬を楽しみだしたオタクに忠告のように差し入れてくるセンス(たまたまだよ)が良かったです。

 

「時の扉」

なるほど、という感じ。なんとなくボルヘスチックなものを感じたというか、そういえばテッド・チャンの息吹に収録されているタイムマシンの扉の話(タイトル忘れた)、あれと空気が似ている。まあ、単に王にむけて語り続けるという文体なだけなんですけれどね。この話は構成が丁寧で、最初から最後について丁寧に描いているなあという印象を受けた。頭が賢い人のつくる物語。やや気取り過ぎているように感じてしまうのと、結局SF要素として使われている「時の扉」なるものは単に人間が持つ「忘却力」に他ならないと解釈したので、ややハッタリ感は否めない。全体的に不信感を持ってしまう話だったのだが、作品の構造はとても綺麗なので好きです。

 

「ムジカ・ムンダーナ

自分はこれが一番好きかもしれない。飛浩隆が600Pくらいかけて書きそうな物語をギュッと圧縮して、独特な理論と美しすぎる物語の構成で綴った物語。タイトルのムジカ・ムンダーナとは「人間の耳に聞こえるものではなく、宇宙や世界を調律する秩序を意味する。最上位の音楽」という意味らしいが、それが「ダイゴ」として多様な意味を持たされ、ボイジャー音楽理論、そして自分の存在意義と紐付けられているのがとても美しい。父親が狂っているという意味では「魔術師」また「ひとすじの光」でも同じなのだが、やはり母が狂うより父が狂っている方が物語に緊張感が生まれる。なぜだろうか(この発言は性差別でないことを祈りたい)。なにはともあれ非常に面白く読めた。

 

「最後の不良」

好きですが、なんとなくパンチに欠ける。ユートロニカのこちら側ってこんな話だったような気もするが、あまり覚えていない。まあ、まあという感じ。

 

「嘘と正典」

これは良かったです。冒頭はなんのこっちゃという感じだったが、やはり物語が綺麗に収まるので良かった。映画の脚本としてハリウッドあたりに出したらかなり良さそうだと思った。スパイと言えば映画だよねと思っている節がある。SFガジェットの使い方も面白かったし、本当に正当なSF小説という感じ。何度も言っているけれど頭の良いSF小説とはこのことだよなと。評価されるべき作品だと思います。

 

以上。ゲームの王国をちゃんと最後まで読まないとな……と思いました。

風前の 灯火の如し 一人旅

4月から地方の中小企業で働くことになっている。働くこと(労働そのもの)に抵抗感はないのだが、働くことで自分の時間が失われることについては非常に抵抗感がある。より詳細に記せば、纏まった時間がとれなくなる、というのが労働において最も腹が立つところなのである。みなさんも腹が立っていると思います。クソだよ労働は。

自分は基本的に本を読み、アニメを見て、なんとなく遠くへ旅行に行き、酒を飲んだり飯を食いたいという根源的な欲求を持っている。多くの人も持っていると思う。しかしながら、それらを満足にするためには纏まった時間が必要になるため、週休二日では到底足りないのだ(旅行は二泊してようやく「旅行」となるという気付きを最近得た。一泊二日は移動だけで時間が取られてキツい)。

というわけで、職につく前に思い切り一人旅をしようと決意した。労働は悪である。今やらねば一生後悔する。書を捨て旅に出よ(未読の本を大量に持って行くが)。正確な日程も宿も決まっていないが、回ろうとしている処は決めている。

なお、今回のコンセプトは「ラーメン二郎と美術館」である。ニンニクの匂いには細心の注意を払うので許して欲しい。

 

1日目 25日(木)

①金沢 21世紀美術館 兼六園 昼飯は金沢カレー

↓新幹線(2時間)ここは鈍行がなく18切符が使えない。クソである。

②新潟 なんか居酒屋入って地酒とか? 日本海近いし魚もうまそう。桃鉄では亀田製菓と水田があることしか学ばなかった。

晩飯に新潟二郎 ホテル宿泊

追記 なんと今調べると新潟二郎は木曜定休だったらしい。そんなことある?まだいろいろ詰めなくてはならないなこれ……。

 

2日目 26日(金)

↓鈍行18切符(待ち時間含め10時間!)読書タイムにするしかない

適当に大曲で途中下車するのもありかも

③秋田 田沢湖(日本一深い湖)とか秘境の温泉とか 移動時間長いしホテルでゆっくりするかね

※秋田美術館観に行くのはアリ

 

3日目 27日(土)

↓鈍行18切符(7時間)読書タイム

④青森 青森県立美術館 三内丸山遺跡 飯は何が有名なんだ? 

 

4日目 28日(日)

青森から移動(バス)

④十和田 十和田市現代美術館 

新幹線(1時間)

⑤仙台 感覚ミュージアム 

夜飯 仙台二郎 宿泊

 

5日目 29日(月)

↓鈍行18切符(5時間)読書タイム

⑥福島 昼飯 二郎会津若松駅前店

↓鈍行18切符

⑦栃木 夜飯 二郎栃木街道店 

 

6日目 30日(火)

↓鈍行18切符

⑧茨城 昼飯 茨城守谷店

↓鈍行18切符

⑨東京 夜飯 友人と呑むらしい

 

7日目 31日(水)

⑩成田 フライトで早めに帰郷

 

4月1日 入社式

よし、これでいきます。総額何円になるかわからんし二郎ばっかりで胃はやばそうだしホテルも飛行機もまったく予約していないけれど頑張ります。応援よろしく。

本は何を持って行くかな。

「ウマ娘 プリティーダービー」ガイドラインの解釈

この記事は「ウマ娘 プリティーダービー」の公式サイト内にある「応援してくださっているファンの皆さまにご注意いただきたいこと」というタイトルで発表された(二次創作などを含む)ガイドラインの「個人的」解釈について纏めた文章です。

※なお、これは「個人的」解釈であり、自分の発言には何ら拘束力がないことをご了承ください。

umamusume.jp

 

一応上にリンクは貼ってますが、必要な箇所の部分だけ引用しておきました。リンク先に飛べない方はこちらを参照してください。

キャラクターならびにモチーフとなる競走馬のイメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮いただけますと幸いです。
本作品には実在する競走馬をモチーフとしたキャラクターが登場しており、許諾をいただいて馬名をお借りしている馬主のみなさまを含め、たくさんの方の協力により実現している作品です。
モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターのイメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮くださいますようお願いいたします。

ウマ娘プロジェクトは、名馬たちの尊厳を損なわないために、今後も皆さまとともに競走馬やその活躍を応援してまいります。

では上のガイドラインをもとに、結局何が言われていて、何が言われていないのかをしっかり考えていきましょう。

 

①このガイドラインは何を守るためのものか

まず一番最初にここをはっきりさせましょう。そうでないと何故このガイドラインが生まれたのか、どこに気をつけなければならないのかが分からなくなるからです。

さて、ガイドラインを読むと文章の書き手が何を意識しているのかは明らかです。

このガイドラインの目的は

名馬たちの尊厳を損なわないため

であり、具体的にどのようなものが名馬たちの尊厳を損なうのかと言うと、

「モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターのイメージを著しく損なう表現

だと書かれています。それは何故かと言うと、

「本作品には実在する競走馬をモチーフとしたキャラクターが登場しており、許諾をいただいて馬名をお借りしている馬主のみなさまを含め、たくさんの方の協力により実現している作品」だからです。

要するに、「ウマ娘 プリティーダービー」というコンテンツは様々な人が協力してくれてようやく成り立っているものだから、「名馬たちの尊厳を損なわ」せ、各方面を怒らせるのはやめてほしいという内容になっています。

なお、このガイドラインでは違反するとどのような処罰がなされるか明言されていないため、違反者に対して「馬主を怒らせるとコンテンツが終了するぞ!」や「裁判になるぞ!」などと言うのは誤り(妄想)です。ここではコンテンツの存続については言及されておらず、あくまで関係者の「感情」と受け手の「表現」についてのみ扱っている文章だからです。運営は、違反すると云々というより、そもそもガイドラインから逸脱する行為を「行わないようご配慮ください」と言うに留めています。

なぜこのようにふわっとした文章になっているのでしょうか。

それは、ここで問題とされているのは「モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々」の感情だからです。

このガイドラインは「名馬たちの尊厳を損なわないため」に設定されたということを思い出してください。そして、「名馬たちの尊厳を損なわれた!」と感じるかどうかは、「モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々」の感性(感情)に依存しています。それらは決して均一に語れるものではないということは、賢明な人なら理解できると思います。

要するに、ひとりふたりならまだしも、数百から数万、あるいはそれ以上の数にわたるファンと関係者の間で、「幼児化から性転換、キスまではOKですが、それ以外(エログロやスカトロ)は尊厳を損ないます!」と明言できるガイドラインを作成するのは限りなく不可能です。

「グロは無理だけどエロならいいよ」という人もいれば、「エロは不快だけどグロは好き」という人もいるかもしれません。そのため、このガイドラインは非常に曖昧にせざるを得ないのです。

また、このガイドラインはあくまでそのような「感情」と「表現」に関するものであり、権利関係については一切書かれていないことをご理解ください。

二次創作は著作権で云々というのは、また別の議論です(そして大抵の二次創作は、非営利的活動に限り、一次創作者から見逃してもらっているというのが現状です)。

 

②このガイドラインは二次創作だけを対象としていない

次に、上で出た「表現」という語について考えていきましょう。

大前提として、ここを見落としている人もいるのではないでしょうか。というのも、このガイドライン内で使用されている単語は「二次創作」ではなく「表現」というものになっています。「表現」の意味についてはWeblio辞典からでも引っ張ってくればいいでしょう。ここの意味は非常に重要ですが、基本的に下の解釈で問題ないと思われます。

「表現」心理的、感情的、精神的などの内面的なものを、外面的、感性的形象として客観化すること。

https://www.weblio.jp/content/%E8%A1%A8%E7%8F%BE

 つまり、自分の見えない気持ちを他人に伝えるために見えるものとして伝えることすべてが「表現」だと言えるでしょう。このブログ自体も表現のひとつですし、ツイートだって表現のひとつです。自分の解釈を外側に形作るという点で、イラストや小説、漫画やコスプレなどの二次創作全てが当てはまります。

よって、このガイドラインを二次創作(特にR-18イラスト)だけに適用するのはやや楽観的なのではないでしょうか。

具体的に考えると、ただのオタクのツイートであっても、「○○(任意のウマ娘、あるいは競走馬)はゴミを漁って売春して生活しているらしい」という内容を誰でも見ることができる状態にしていれば(関係者が不快に思うかどうかはともかく)十分に規制の対象になり得ます。なるとは言い切れませんが、「行わないようご配慮ください」と言われていることをしていると私は判断しています。

要するに、「モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターのイメージを著しく損なう表現」かどうかを気にせねばならないのは、「ウマ娘 プリティーダービー」について言及する人間すべて(私も含める)であるということです。

 

③どのような表現が名馬の尊厳を損なわないか

さて、最も考えるべき箇所はここでしょう。上記の考えに触れたあとでは「すべての創作物、表現が誰かにとって不快になり得るのではないか」と考えるのは当然のことであり、事実でもあるでしょう。

「じゃあ何もファンアートを投稿できないのか?」と考えたくもなりますが、そうではないことは「ウマ娘 プリティーダービー」のアプリ/アニメ(以下コンテンツ)それ自体が示してくれています。

つまり、あらゆる関係者が「名馬の尊厳を損なわない」と(現時点で)判断している(あるいは妥協している)ものこそが、「コンテンツ」であるという考え方です。これはコンテンツを動的なものであると考える点で重要です。

例えば、関係者を怒らせた表現(そもそもウマ娘として擬人化されていない名馬など)はコンテンツ内には実装されていない一方で、関係者が(不快に思っても)妥協できるラインならば、コンテンツ内に残されると考えています。また、今後コンテンツ内の表現で関係者の誰かを怒らせることがあれば、その要素はすぐに削除されるはずです。

このように、適宜修正され変形する「名馬の尊厳を損なわない」表現の集合体こそが、コンテンツであるはずなのです。

よって、コンテンツ内での表現であれば「名馬の尊厳を損なわない」と考えても良いはずだと私は考えています。

簡単に例示すると、

・(コンテンツ内で実装されているタイプの)水着

・私服でお出かけ(表現されていないためキスなどは伴わない)

・史実に基づく故障

等です(これが全てだと言い切るものではありません)。

よって、コンテンツ内で描写されていない「ウマ娘との性行為」や「ウマ娘への虐待」などは当然ガイドラインにおいて「行わないようご配慮ください」に該当すると考えます。

 

④まとめ

「名馬の尊厳を損な」う表現=「モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターのイメージを著しく損なう表現」は、コンテンツ内で描写されているかどうかで判断するのが安全。

 

この制約は決して厳しいものではなく、ファンアートや表現をする者にとって必要最低限の原作者(名馬や馬主、ファン)への配慮(リスペクト)だと考えています。

好きなキャラのエロ絵を描きたい、見たいという考えは(個人的にはあまりわかりませんが)当然あるものだと思います。ただ、その「個人の欲求」を突き通す前に、「原作者への配慮」という観点からじっくり判断する必要があるのではないでしょうか。表現者(二次創作者)の欲求よりもまず先に、原作者の欲求、それがかたちになったガイドラインがあるのですから。

最後に繰り返しますが、この記事は「個人的」解釈であり、自分の発言には何ら拘束力がないことをご了承ください。

 

それでは皆さん、よいウマ娘ライフを。