新薬史観

地雷カプお断り

視聴映画記録(2020.05/01~05/07)

 

5月1日 視聴記録なし

5月2日 映画19「愛のむきだし」(2009)

園子温の映画。シリアスかと思えばコメディで、時折めっちゃ残酷な描写もあったりと盛り沢山。

驚いたのは、犯罪もシリアスも一定のコメディの上に気づかれているところ。血飛沫ぶっしゃーだったり、盗撮もかっこいいスキルとみなされたりと、観客が突っ込みたくなるようなアクションがずっと続くのだが、それらは全部深刻な家庭環境や宗教、父親への愛の渇望が引き起こしているものなので、手放しに笑えない緊張感がある。父から怒られるために毎日罪作りを行うというストーリーもすごく面白くて、常識から乖離した設定が、この作品世界の独特の倫理観やキャラメイクにすごく効いている。あまりにもキツイ環境のなかでユウの心の支えになっていた「変態」(父からの愛)という言葉と母の形見のマリア像(これはかつて確かに存在していた、「安定した家族」の証とも言える気がする)、そしてユウにとってのマリアである義妹のヨーコなど、愛を知らずに育ってきた人間として不完全なユウが、人間として振る舞えている基盤を明確に示せていて、それらが段階的に取り払われていく様子は圧巻だった。また、ヨーコもコイケもユウと境遇が近く、彼らに共通しているのが、ふつうの「家庭」ではなかったということである。再婚しては離婚し、再婚してはコイケによって崩壊する「家庭」はあまりに不安定で、同じく不安定な子供の精神を支えるには不確かすぎた。その状況下で、人はどこに心の安定を求めるのかという話である。多分。

家族を失い、身勝手な行動を後悔した大人たちは、ゼロ教会という宗教にのめり込むことになるし、それよりも大切なマリアがいるユウは、ヨーコへの愛を貫くことになる(ただ、それも母の形見のマリア像の存在が前提となっているので、ユウは全てを失っていないとも言える)。コイケはもはや人間として歪んでしまっているので、愛は破壊願望と区別がつかなくなっており、コイケの愛はユウを完全に壊すことと換言でき、この強すぎる欲望が、ストーリーの大きな駆動力となっている。ヨーコの愛は最初はカオリに向けられていて、それはまさに「愛のむきだし」を体現する存在だからと明言されている。「愛のむきだし」とは愛に自由に生きることに他ならず、カオリにとっては愛のためなら、相手の境遇などなんでもよく、とにかく一緒にいて愛して欲しいという意思に素直になることである。最後にヨーコは、親戚の子のさりげない一言から、ユウが自分を本当に愛していたことを知り(赤い涙がやや芝居がかっているがとても印象的である)、ユウを助けることを決意する。

ユウは自己崩壊後、もうひとりの自分であり、唯一ヨーコから愛されていることを確信できているサソリとして生きるようになる。そのヨーコが、サソリではなくユウを愛していると説得する、サソリとユウの同一化を図るシーンは、都合が良すぎるようにも見えるがかなり良い。

破茶滅茶で突っ込みどころが満載のように見えるが、ちゃんと論理的で、なによりもストーリーが非常に面白かった。

園子温、すごい。

 

5月3日 映画20「アメリ」(2001)

有名な映画。数字が大量にならぶ印象的なオープニングから、クスッと笑えるコメディテイストに、空想に耽りがちなアメリの人となりがめっちゃ噛み合っていて最高だった。純粋に楽しい。アメリは初恋の相手にウジウジしてるわけではなく、しっかり行動しているのだが、最後の最後に怯えてしまい顔を合わすことを出来ないでいる。アニメだとウジウジキャラは視聴者をイライラさせがちではあるが(碇シンジや初期シモン(グレンラガン)など)、アメリは見ていて応援したくなるし、憎めないキャラだと思う。多分、時折スカッとすることをするからだろう。面白いし。こういうウジウジキャラを出す時は、普段はもっとしゃんとさせる方がストレスにならないと学べた。面白いし学べるし最高の映画だな。

 

5月4日 映画21「カリスマ」(1999)

カリスマという木をめぐる人間の醜さに焦点を当てた映画。森を守るか、1本のカリスマを守るかというテーマが、いろんな思想の写し絵になっている。主人公の藪池は事なかれ主義というか、できるだけみんなを救える手段はないか考えてしまう人間で、それが元で刑事を辞めさせられる。桐山は院長の言葉を信じ続ける信者のような存在、宗教のイメージを持ちつつ、弱肉強食の思想を持っていて、中曽根は市民の声代表、民主主義?で、学者先生は森を守るためにはカリスマを切らなければならない立場で、妹はすべての思想から逃れたい自由の人である。これらのぶつかり合いの中継地点が藪池であり、最終的にどの思想を選ぶのか藪池は選択を迫られる。なんだかアメコミヒーローものにありそうな構造である。

結局藪池は決断をせず、誰とも違う道をいく。カリスマをどう扱えば良いのか、というのはあまりにもいろんな方向から見ることができるうえに、どれも人間の尺度によるものである。藪池は人間の尺度に正しいものは存在しないという結論のもと、「お前らで勝手にやってくれ」という立場をとるわけである。

最後、何故か街が燃えていて、それを見ながら藪池は上司に電話をかける。「藪池、お前何をやったんだ……」と上司が返事をするのだが、ここは意味わからなすぎて無理だった。いや、藪池は森で銃をぶっ放していただけだが……てかなんで街が燃えているのが藪池の責任になっているんだと頭がバグった。

ここの解釈ができないのでうまく評価ができない。人間はクソという点では共感した。

 

 

5月4日 映画22「自殺サークル」(2001)

園子温のクソ映画。語る価値はないと思う。

残酷なだけで何がしたいのか全くわからん。

子供達のダンスグループなに? メッセージと言い何か深遠な意味があるのかもしれないが、知りたくもない。

4月から記録をつけ始めて初めて出会った無の映画だった。

 

5月5日 映画23「シャーロックホームズ」(2009)

あのアイアンマンのトニースターク(ロバートダウニーjr)がシャーロックホームズをやっていると知り視聴。

トニースタークの腹立つ高飛車な感じもいいが、コカインをやっていて人の感情がわからない変人かつ天才というシャーロックホームズも見事にハマり役だった。てかトニースタークと似てるし。実はホームズは小説を読んだことがないのだが、知識だけは微妙にあるのでなるほどと思いながら見ていた。ボクシングが強かったりワトソンと同居していたりなどなど。映画としてはまぁ、なんというかふつうに面白かった。ロバートダウニーjrかっけ〜という映画。ワトソンくんもかっこ良かったが名前を知らない。

 

5月5日 映画24「アメイジング スパイダーマン」(2012)

よかった〜。めっちゃ面白かった。アベンジャーズスパイダーマンはヒーローに憧れているうざいガキというポジションだったが、今作は違う(むしろアベンジャーズに出てくるスパイダーマンの方が異端だな)。生物系のオタクからすれば、異種生物の遺伝子を注射したり吹きかけるだけでモリモリ肉体変化するのはありえないしムカつくところなんだけれど、(てか遺伝子導入の時にあったマウスのシュミレーション画期的すぎる。あれさえあればノックアウトマウスをいちいち作らなくてもいいしめちゃめちゃ研究が進むと思うんだが。遺伝子導入して肺成長から生体形成までをシュミレーションできる時点でひとつのSF書けるレベル。あとスパイダーマンの糸をあれだけサイズ縮小して格納できるのもめっちゃすごい。DNAをモデルにしているのか?クモの糸を参考にしているからか強度もめっちゃいいし、スーツも自作とか天才だろ)そんなところに突っ込むのは野暮なので気にしないことにした。めちゃくちゃ気にしているが。

あとグウェンがかわいかった。

 

5月6日 映画25「怒り」(2016)

あまり好きではないというか、テーマが明解ではない感じが気になった。

壁に血で「怒」と書き残した氏名手配の殺人犯、それとよく似た顔の身元不明の3人をテーマにした作品。

話の展開として、3人のうちだれが殺人犯なのかというところに緊張感がある。

身元の怪しい3人が、各地でそれぞれ人々と関わり溶け込みながらも、殺人犯ではないかと疑われて徐々に関係性が変化していく、それを見る映画だと思う。個人的には。それでタイトルが「怒り」なんだから、3人に共通する感情は様々な「怒り」なのかと思ったがそうではなく、「お前はどこまで彼らを信じることができるのか」という、3人ではなく3人の周囲の人間の感情に焦点が当てられていた気がする。

ゲイや米兵のレイプや借金など、多くの主張を含みながらも自然に処理できていたのはよかったと思うけれど、結局殺人犯の思想もよく分からず、どちらかと言えば先天的な原因を感じた。両儀式のような感じ。

自分が見た感じ、「怒り」という感情は、殺人犯である男を信じてしまった少年が唯一抱いているように見え、その結果、殺人犯を殺すというアクションに結びついているのでここは良い。ただ、そのほかの人間は殺人犯と疑ってしまった自分への「怒り」というふうに捉えることも可能だが、その結果事件が起こるわけでもないので宙吊りになっている。そこが微妙に気持ち悪くて、「じゃあ怒りって何?」「別に3人用意しなくてもよくない?」と思ってしまった。実際に3人の物語はそれぞれ混ざり合うこともなく、疑うことなら1人だけでもできるので、3人用意する必然性がないように思えた。

総合して微妙な映画。

 

5月6日 映画26「バットマン ビギンズ」(2005)

クリストファー・ノーランによる最高の映画。かなり面白い。救いようがない街ゴッサムシティで、両親を失い、家もなくした大富豪の主人公が、世に蔓延る悪と不正を正すために立ち上がる話。バットマンはシリーズを通して「人を超えた概念、バットマンというシンボルが必要」というテーマを掲げている。要するに、中の人を明かしてはならない、明かしてはバットマンと人が結びつき、シンボルとしての価値が下がるという懸念がある。もうこの時点で面白い。市警のなかで唯一の良心ゴードンと組んで、世界を正しく導いていこうという流れは本当によくて、冲方丁のSF講座とかでも言われていたやつ。なるほど確かに面白い。

バットマンには他にも大きな制限(思想)がある。それが「ヒーローになるためには恐怖を克服すべきである」「人を殺してはいけない」「この街は救うに値するものである」という思想である。ここでラーズ・アル・グールとは「正義のためなら人を殺しても仕方ない」「この街は救うに値しない」という点で衝突する。この衝突のもとになっている現状には、ブルースの両親をチルに殺されたという過去も効いている。事実、ブルースはチルを殺害しようとするのだが、それより先にファルコーニの手下が殺害し、チルというチンピラよりもマフィアのボス、ファルコーニによる不正と腐敗が問題だとブルースは自覚する。ここまで酷い現状を目にすれば、ブルースがラーズの側についてもおかしくないように見えるのだが、そこで引き止めるのがレイチェルの言葉、「父親が恥じる」というものである。要するに、バットマンを支えているものはウェイン家の誇り、レイチェルへの愛なのである。このふたつによって、バットマンは上記の信念、思想を獲得する。話が進むにつれて、バットマンは使命のために、レイチェルからの信頼、ウェイン家の誇りすらも捨て去る。それでも信念だけで悪と闘い続け、最後まで「たとえ悪でも殺さない」を貫き通す孤独な姿には、本当に心打たれる。マジですごい。かっこいい。最後にはレイチェルからの信頼を取り戻すが、孤独に闘い、バットマンとしての概念を身に纏ったブルースとは、レイチェルは付き合えないという(ここでもバットマンのシンボルとしての制限がかかる)。最後に伝説の悪役ジョーカーを匂わせて終わる、本当に天才映画だった。思想もテーマも見せ方もアクションも本当に面白かった。他のヒーロー映画とは、その信念にかける重みが違う。かっこいいだけで終わらないものがある。

 

5月6日 映画27「ダークナイト」(2008)

もうね……マジで無理。あまりに濃厚すぎて、感想を書くのがめっちゃしんどい。なんと言っても思想のぶつかり合い、これに尽きる。

ジョーカーは2019年にトッド・フィリップスが監督したホアキン主演の方でなんとなく知っていたが、それとは思想が異なっている。2019年のジョーカーは、弱者の代表、腐敗打倒への狼煙という感じだったが、ダークナイトのジョーカーは「何が正義か」「人は簡単に悪に堕ちる」ということをヒーロー、市民に絶えず問う存在になっている。あと、何より頭の良さが違う(出自が違うのでしょうがないが……)。

作品全体としても、「半分」「善悪の境界線」にこだわっているイメージがあって、「コイントス」「レイチェルとハービーの入れ替え」「ふたつの船」「ふたつの札束の山」「トゥーフェイス」など、常に半分であることが要請され、ジョーカーによって善悪は逆転し、バットマンは正義でありながらも、どこまで悪に近づけるかという点に焦点が当たっている(違法な携帯ソナーなど)。この対比がどのシーンにおいてもすごく効果的に働いている。

さらに、登場人物が行ったそれぞれの選択も心にくる。レイチェルは結婚相手としてブルースではなくハービーを選び、ブルースは人質救出の際、バットマンとして街のヒーローであるハービーを救うのではなく、ブルースとして恋するレイチェルを救いに行く(結局はジョーカーに騙されるわけだが)。ここでバットマンではなくブルースとして動いてしまったのがすべての間違いで、このあとの展開に拍車をかけるわけだが、ここだけ少し疑問が残る。バットマンは常に正義として正しい選択をしてきているのに、ここに来て急にブルースが出てきてしまったことだ。それについて特別葛藤がなかったように見えたのだが、ここは別にブルースがでたわけではないのだろうか(一応、ゴードンも助けには行っているので、両方助けてはいるのだが……バットマンが直接助けにいくという点で十分な選択にはなっていると思う)。

この点以外は、すべて解釈の一致というか、大正解すぎるシナリオに唖然とした。あまりにも最高すぎて、息が詰まった。ジョーカーの思想、バットマンの思想、ハービーの理想、すべてが絡み合って、救いようがない、けれども救いとするしかない結末が導かれた。脚本があまりにうますぎる。文句なしの大傑作。

 

5月7日 映画28「ダークナイト ライジング」(2012)

これもほんっとに大正解映画だった。前作でのバットマンダークナイトとして孤独に終わる切なさ、それを解消するためだけの映画だと思っている。「だけ」と言ったが、これはバットマンが好きな人間には本当に大切なことで、街のために闘い、レイチェルから選ばれず、その存在すらも失ったブルースに残されたのは、ほんの少しの理解者、アルフレッド、ゴードン、フォックスのみである。正直、本作の敵のベインは、思想としても行動としても、ジョーカーの魅力には到底及ばないし、事実ラーズの焼き増しだったりする。けれども、バットマンの後継者、バットマンを引退したブルース、その幸せな生活を、あまりに最高な構造で示唆してきた本作は間違いなく名作。アルフレッドが、ブルースとセリーナをイタリアのフィレンツェで見かける、あの一瞬のシーンにこそこの物語の良さが詰め込まれている。書きながら涙出そうになってきた。主従百合みたいな従者から主人への切なる想いに弱いので……。

総括としてクリストファー・ノーランバットマンは間違いなくヒーローものを超えた最高の映画になっていると思う。アベンジャーズのようなテンションは似合わず、このまま完成されたひとつの物語として延々と語り継がれてほしい。

 

5月7日 映画29  「コラテラル」(2004)

めちゃくちゃ面白かった。タクシードライバーの緩やかな夜の物語が一変する様子が最高すぎる。

理想を語るだけのマックスが、皮肉にも殺し屋のヴィンセントによって徐々に成長していく様子が良かった。

赤信号を無視し、タクシーを加速させながら、ヴィンセントと言い合うシーンは緊張感に満ち溢れて最高だった。

 

 

今週は以上。

本当はハリウッド版ゴジラも見たのだが、途中で寝たので記録にはつけない。

3週間にして30本近く観れたのはかなりいい感じの進捗。100本見るまでにどれだけかかるだろうか。

 

※引き続きオススメ映画やアニメ、小説などを募集しています。よろしければぜひ。