新薬史観

地雷カプお断り

ジョージ・オーウェル 高橋和久訳「1984年」

誰もが知っている本ランキング1位でありながら、読んだフリされるランキング1位でもあるこの本。自分は読んだフリする側の人間でしたが、この度ようやく読んだと言える様になりました。

 

本作は、ディストピア、監視社会の例としてあげられているが、実際にそれで正しい。内容に偽りなし。恐ろしいまでの監視社会を描いている――ように見えて、この本の恐ろしいところは「監視」ではないだろう、とも思う。

これは人間と言語、教育の話ではないかと。

この作品の根幹となるのが「二重思考」と呼ばれるもので、極端に言えば「○○だし、○○ではない。どちらも『絶対に』正しい」という考え方。人間の思考は矛盾している、とはよく言われているけれど、それを極端に押し広げたものがこれとなる。この「二重思考」が、国民にしっかりと浸透している(洗脳、あるいは教育されている)ことが、ディストピアのポイント。

この互いに矛盾する考えを、どちらも正しいと思い込むことで、管理側にどのようなメリットがあるかと言うと、国民はすべてを受け入れることができるようになる、という点。考えればわかることだが、宇宙に存在するすべてのものは「リンゴ」か「リンゴでない」ものに二分される。車も辞書も人間もエビフライも、すべて「リンゴでないもの」に分類され、これはありとあらゆる対象に適用可能である。

つまり、エビフライは「林檎であり、林檎ではないのだ」。

では、と管理側は国民に問う。エビフライを指さして。

 

管理側「コレは林檎ではないな」

国民「はい、林檎ではありません」

管理側「いや、やはりこれは林檎だろう」

国民「はい、エビフライは林檎です」

 

これがまかり通るのが二重思考である。なんだそれ、という話ではあるが、「なんだそれ」と思うのは、あなたが二重思考を身につけていない第三者だからである。

この禅問答に近いやりとりを成立させるためには、第三者を排除すればよい。つまり、突っ込む人間がいなければ、このやりとりは成立する。言う側と、言われる側がともに「エビフライは林檎であり、林檎ではない」ということを信じているのであれば、これはその世界において真理となる。

この世界の狭さも、ディストピアとして必須条件である。作中でも書かれているが、国をひとつの「宇宙にする」のだ。今までの論理の届かない新たな世界の構築、という意味で、宇宙である。宇宙はそれ自体で完結しており、他の「宇宙」なんてものは存在しない(とされている)。

さて、このような世界を作り出しても、二重思考が必ず国民全体に行き渡るとは限らない。当然、二重思考が国民に染みつくような教育はしている。

大きなものとしてニュースピークという、語彙を極端に減らしたも言語体系がある。これにより、美しい、綺麗、美味しい、ステキ、などといった語彙はすべて「良い」に集約され、対義語の醜い、汚い、まずい、ださい、などといった語彙は「【非】良い」となる。頭に否定の語をつけるだけで、これだけの語彙が削減できる。

これで何が出来るかと言うと、国民の思考力を削ることができるのだ。人は頭の中にないことは考えられないし、思考は言語が介在することでなりたつ。思考に必要な言語がない=思考の資材不足となり、思考になるはずだったものは、もやもやしたまま霧散する。要するに、かたちのある思考が出来なくなるのだ。

これの画期的なところは、政治思想を埋め込むことが可能だということだ。

例えば、エビフライ、天ぷら、揚げ物などが高カロリーだから危険思想だとする。

で、実際にそれらを「危険思想」とまとめて呼び、実物を見せないようにすれば、国民は「危険思想」という語を知りながらも、何が、どのようなところが危険なのかが全く分からないのだ。

「揚げ物はカロリー爆弾だから悪」という中身の思考ができなくなることは、「では、カロリーの軽減された揚げ物は悪ではないのでは?」という体制への疑問も抱けなくなる、ということである。

これを「教育」として行うことで、国民はほぼすべて、体制に従順な僕となるのだ。

うまく教育できなかったものは、監視社会(ここでようやく監視が出てくる)ゆえに簡単に捕まえることができる。そして再教育すれば、何も問題ない。

 

で、本作のすごいところは、思想だけでなく、寡頭政治に必要な要素の考察も面白いところである。もっとも画期的なのは、「党」を永遠の人間として扱っている点だろう。思想という繋がりのなかで、緩やかな新陳代謝を繰り返すことで、党はあたかもひとりの不老不死の人間のようになる。

その他にも、非常に面白い考察が並べられている。

・人は常に上層中層下層に分けられ、それは不変の事実である。中層が下層の援助をうけて上層に成り代わることもあるが、中層が上層になるだけで、体制自体は変化しない。

・集産主義によって、財産を少数の人間に集めやすくし、なおかつ個人ではなくグループとして(党として)財を持つことで、その永続化を狙う。(個人では、その所有者が死ねば遺産として分譲される。しかし党として持てば、その党が永続する限り、財産も永遠のものとなる)

・ただ、「党」では人間としての様相がなく、人々から愛や恐怖や怒りを集めることに不向きである。だから「ビック・ブラザー」の仮面が必要となる。

・寡頭政治に必要なのは、血縁ではなく思想であり、肉体ではなく精神である。

・常に戦争をしている、という状況を作り出す。これにより党の士気は上がり、連帯感が生まれる。広大な地域による過剰な資源をひたすら消費するだけの作業と化しているが、それで十分である。実際に戦争を行わなくても、行っているように見えれば国民には問題なし。戦争の性質を決定的に変えている(決して勝利が訪れない戦争、何も得ることがない戦争)。さらに大きな領土拡大を誰もが目指さないのは、現状が一番よいと3国が十分理解しているからである。(3国の現状も同じである)

→戦争は平和なり

・今までの寡頭政治は、(現実に必ず正しい回答がないという状況下で)リーダーが何度も重要な判断をすることが必要だった。その結果、判断が間違っていれば国民が怒り、権力を失なってしまう。しかしながら、二重思考によってありとあらゆる判断が正当化され、過去を改ざんすることで、「常に正しい党」を実現できる。これは権力の永続化にもっとも必要なものである。

 

・現在の体制になるまでの論理が緻密

歴史を見ると、人はどんどん資源を獲得してきている。資源が溢れるとどうなるのかというと、国民に十分量の資源が行き渡るようになり、格差が薄くなり、平等に近くなる。

現実の現在の日本は、誰もが読み書きができ(自分はそうは思わないが)、富にも格差がないように見える。もちろん年収1000万、200万などの差はあるし、ホームレスだっている。しかしながら、世界的に見ると、「それなりの生活が保障されている」という点で、格差は小さい。データがないのでこの発言には責任を持てないが。

で、このように国民に富と読み書きの知恵が与えられた時、少数階級である特権階級に、人は目を向けるようになる。今で言う「上級国民」「政権」などへ不満を言う。そして、何らかの契機に体制はひっくり返る――そのため、現在の日本もいつかは崩壊するというのがオーウェルの考えである。

では、どのようにすれば永続的な体制を創ることができるか。

逆のことをすれば良いのである。つまり、国民を「無知・貧困」にすれば良いのだ。

無知はのちに述べるニュースピークがある。

では、国民を貧困にしようといって、この資本主義の社会でどうできるかというと、製品を生み出さないように国が働きかけるしかない。しかしこれは経済の停滞を意味し、資本主義が成り立たなくなる。なので、経済を回しながら(労働力をしっかり消費し、製品を生み出しながら)肝心の製品を流通させないことで、国民の貧困を狙うのだ。

では創ったものを穴にでも埋めるかというと、それは労働者も支配者もやる気がなくなり、体制が崩れる。絶対に必要な物事のために生産せねばならないのだ。

そして、オーウェルが思いついたのが「戦争」ということになる。

仮想的な戦争を行うことで、国民全員の士気も上げながら、過剰な資源を消費し、国民を貧困という条件下で平等にするのだ。

 

体制が崩れない理由

・すべての国が「宇宙」をつくる。これは国同士で干渉しないことを意味する。貿易などもなく、あらゆる物事を自国のなかだけで完結させる。当然国同士の関わりは許されない。これは地理上、無理な話に思えるが、地球に3つの国しかないとすれば、また話は違ってくる。なぜなら、広大な国土により、地理上の過不足はおおよそ改善されるからだ。これにより、国は外部からの干渉に怯えなくても良いことになる。

→それにより、国家の転覆の原因となる①外部圧力を排除できる。②国民の反乱は、思想教育によりあり得ない。また、国民の大部分をプロールという身分(下層)に落とすことで、身近な比較対象を失わせる。比較できなければ、自分たちが下層であるという自覚すら持たなくなる。③自分たちから崩壊する、つまり支配する意欲をそぐというのは、党であるから問題なしとなる(支配するのに飽きた人間は排除し、ひとつ下の党の外郭から人を持ってくるらしい)

で、④が一番大きな問題で、党の外郭あたり(主人公のウィンストンやジュリア)から、自由主義懐疑主義が生まれ、力をつけてきたらどうか、という話。これに関しては、上層と中層の意識のすりあわせによって(本作ラストのように洗脳することで)なんとかできるというもの。

・人がやや愚鈍すぎないかというのはその通りで、冷静な人間なら、この体制に違和感を覚えるはずである。しかし、ここで「常時戦争」という状況を作り出すことで、人々をみな高揚感で包み、冷静な思考を妨げるようにする。この党としての士気が、連帯感を生み、党としての永続性に寄与される。

・国民は家族、恋人という繋がりを失う。家族は安心感、恋人は自由や平和などの感情を育むが、それを国が取り上げることで、国民は「国」という巨大な組織においてのみ居場所を見つけるようになる。そしてそれによって、戦争へ積極的に参加するようになり、暴力的な性格になる。恐怖と裏切りと拷問の世界こそが目指すべき場所。この方向性を進むことで、国民はさらに戦争のことばかりを考えるようになり、より体制は先鋭化される。

 

などなど。これは非常に面白い。全体主義国家はどのように繁栄するのか、どのような思想に基づき、どのような道をたどるのかが分かった気がする。

その上、小説としても技巧的に優れていて、二重思考のスローガンや、下層の生活、キャラの感情の動きや恋愛の織り交ぜ方も一級品で、まあこれは大傑作ですなと思いました。本当に面白い。

一度完全とも言えるレベルに構築されたこの国家を打倒するためには、どのようにすれば良いのか考えるのも面白いかも。

ここからは自分の予測にしか過ぎないが、地理上の観点から、必ず同じ3国とは言えないわけで、ここに活路があるんじゃないかなと。つまり、体制自体は内側から変えることは不可能だろうが、地球環境という外部からの影響にはめっぽう弱そう。干ばつや海水面の上昇、気候変動の影響を一番受けやすい(南北に広がっていない、かつ砂漠地帯が多い)イースタシアあたりが崩壊するかなと。結局戦争が出来るのも、資源が必ず過剰に溢れているという前提のもと行われる行為なので、戦争をする余裕がなくなれば、自然とこの組織は瓦解するんですよね。まあ全部の国家がそうだけれど、これに関しては他国との輸入が不可能なので、圧倒的にイースタシアが不利だと思う。イースタシアが瓦解して、或いは本当に戦争をすることになって、全体主義国家も終わるんじゃないかなと思うけれど、他の人はどう考えているんだろうか。気になるところ。