新薬史観

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カート・ヴォネガット「スローターハウス5」伊藤典夫 訳 読んだ!

ヴォネガットのなかでもかなり名作と名高いこの書籍だが、恥ずかしながらこの歳になるまで読んだことがなかった。というか自分は世間で言われている名作の0.01%も読んでいなさそうだから、今後この恥ずかしい云々の定型文は書かないようにします。

感想だが、かなり面白いと認めざるを得ない。さほど長くない中編小説だが、主人公であるビリーを時間旅行者としたことによって、圧倒的に重厚な作品構成を実現している。この設定がテッドチャンの「あなたの人生の物語」の下敷きになっていたらしく、これまでテッドチャンに向けていた尊敬の念の1割をヴォネガットに向けることになった。たった1割だけの理由として、元ネタとはいえSF作品としての美しさでは「あなたの人生の物語」には適わないなというのが率直な感想だからだ。とはいえこの作品は半ば自伝でもあるドレスデン爆撃から生き残ったヴォネガットの生涯や死生観を綴った私小説とも言えるものであり、その死生観を作品構成と「そういうものだ」の一言がしっかりと補強しているからこそ輝くものがある。ビリーはひたすらに惨めな存在で、社会から認められるのは眼科医になってから「目覚める」までのごく僅かな紙面にすぎない。大幅に記述されているのはやはりドレスデン爆撃についてで、誰も予想していなかった爆撃、という驚きがビリーの眼科医としての活躍とも重なるようで面白い。また、空飛ぶトラルファマドールの円盤のなかでのビリーの体験はすべて妄想だと一蹴されてしまうが、実際に戦争を体験したことがない自分たちの世代の目には、ドレスデン爆撃も同様の絵空事に映ってしまう。誰も信じることができないような戦争をビリーは経験していて、それにより死を終わりではなく一種の状態として考えることになる。死を「そういうものだ」と捉えることでしか精神を保てない、あるいはそう考えることができたからこそ、精神を保てるようになったのかもしれない。戦争に行っていない人間や殺戮を目にしていない人間には到底信じられないことをどのように伝えるか、それがこの小説や作中のラジオで行われている実践なのだが、自分たちはいずれにしてもフィクションとしてしか理解できない。

と、ここまで書くとこの作品を「意見のない戦争SF小説」にしてしまうのだが、さらにしっかりとメタ的な構造を取り入れている点で、戦争に対するヴォネガットの明らかな姿勢がわかるようになる。というのも、「スローターハウス5」は作品中の9割を「子供十字軍・死との義務的ダンス」というタイトルの戦争小説に割いている。この作品は子供(つまり役立たずのビリー)を主人公に置くことで戦争への批判を行うと明記しており、なおかつあくまで冒頭を「わたし」が語ることにより、フィクションとしての戦争小説の記述力の弱みをしっかり補えているように思えるのだ。この点が非常にヴォネガットの上手いところであり、この最初の1割のページがあることで作品全体の価値がグッと高まっているように思える。時系列のなめらかな繋ぎ方、毒のあるもの言い、ヴォネガット特有の人間の愚かさを俯瞰するかのような視点が非常に面白かった。傑作。