新薬史観

地雷カプお断り

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第6話感想

更新が遅れすぎてもはやもうええやろ感があるのだが、尻切れトンボは後味が悪いのでめっちゃ駆け足で書いてしまう。もう書く、中身がなくても書くしかねえ。

第6話。これは自分イチオシの璃奈ちゃん回なのですが、まあ……完璧ですよ。アホみたいに見返しているけど、その度に泣いてるもん。

本当に素晴らしい以外の感想がない。こんなものを公式から頂いて誇らしくないの?

誇らしいです……。

 

 

天王寺璃奈というキャラについて

ドキピポの歌詞から始まるアニメだが、本当にここは天才的だと思う。既存ファンへのサービスだけでなく、しっかりと璃奈が「欠点」と考えている部分を明示し、この子がどういう子なのかを観客に分からせる強さ。すごい。

また、愛さんにすべてを見抜かれてジョイポリに行くことになった璃奈だが、ここで「初めて」人と繋がることができた。この「初めて」の事の大きさを各位は理解して欲しい。りなあいだよ、こんなことがあるか?

また、愛さんだけでなく、他のいろんな人とも繋がりたいと思うようになった璃奈が、「今からでも変われる」と思う決意の力強さが、今後の璃奈の行動の原動力になっている。それがあまりにも力強いがために、一気にステップをすっ飛ばしてのライブということになるのだが、5話のラストで匂わせていた点、PVで「本当の私」が出演していなかったことを悔やんでいるのが明かされる。

で、ここで物語としては「今からでも変われる」=「本当の私が出演するライブをする」という設定がなされる。

やや無謀だと璃奈も自覚している設計だが、それを支えるのがニジガクメンバーであり、「決めるのは璃奈ちゃんだよ」というエマの言葉が心強い。あくまで決定権は個人に委ねられているのだ。

ライブをするに当たって、自分が出来る映像制作のスキルと、自分に足りないパフォーマンスのスキルを見極められている点もすごくよくて、しっかりと自己分析ができていて就活でも強いタイプである。

自宅で、愛・侑・歩夢にこれまでの境遇を語る璃奈の顔は力強く、完全に「自分が変わり始めている」と自覚している。反復される練習風景の璃奈の表情や周りの反応も上々で、順風満帆なライブへの旅路になるはずだったのだが、そこで初めて自分の顔を見ることになる。ここで鏡が用いられているのがいい。というのも、別に他人からの指摘でもいいわけですよね。自分の表情って。でも、実際のところ、他人から見たりなりーって、出会った時から何も変わっていないんですよ。無表情がデフォだと思っている。そんななのに、璃奈は自分が「変わっている」と思い続けているところに微かな違和感を覚えている、そのすれ違いが切なくて良い。璃奈宅で璃奈が「みんなのおかげで変わることができた」という台詞を言っているとき、みんな割とぽかんとしているんですよね。あそこの描写がめっちゃ刺さった。

「正直、何が変わったのかわからない。でも、りなりーが変わったと言うから変わったんだろう」。そんな、ぱっと見、璃奈を突き放したような態度で話は進む。

璃奈がライブをやると言うからには手伝う。でも、本人が「やっぱり辞める。もうやらない」と言えば手伝わない。本人の意志を尊重します、という流れ。

果林さんが言ったのはこういうことで、これってニジガクが本来進むべき方向性なんですよ。言うならばスクスタ20章で果林が言ったようなスタンスで、同好会はあくまでソロアイドルの集まりで、仲間だけれど、それ以前にライバルである、という考え。

一番最初にライバルが来るから、過度に干渉しないって感じなんですよね。

でも、愛さんがすぐに駆け出し、みんなもそこに同調する。「そんな突き放した態度は何か違うよね」っていうのが、自分たちが求めていて、かつ同好会もたどり着いた考え。

ライバルである前に、仲間である、というスタンス。ここを間違えると、スクスタ20章になってしまう。

ここの距離感がすごく良くて、仲間なんだけれど、誰一人として璃奈の段ボールを取らないんだよね。これが、仲間とソロアイドルの集まりの境界線だと思っている。

つまり、基本的には、目に見える範囲(段ボールという可視化された壁、明確な拒絶と言っても良いかも)での、個人の問題には立ち入らない。

「どうしたの?」とは聞くけれど、段ボールを開けて「話せ」とは言わない。

一方で、その人が本当に望んでいるだろうこと(今回は、璃奈が今までずっと頑張ってきたソロライブの実現)にはできる限り実現できるように助けてあげるし、そのためには、無理にでもみんなで力になろうとする感じ。

いいですねえ。この距離感なんですよ。

 

あと、今この記事を書いているということは、既に9話まで視聴していることを意味するのだけれど、よくよく考えると、璃奈としずくの話(8話)はかなり似通っているなと。

璃奈が、本当の自分を出さなくても(段ボールをかぶったままでも)、本当の自分について話せた、みんなと深いところまで繋がることができた一方で、しずくは本当の自分を見せなければ、スクールアイドルにも舞台女優にもなれない、という話がされる。

要するに、仮面をつけることが本当の自分を出すことになった璃奈と、仮面を外すことが本当の自分を出すことになったしずく、この二人はまさに対称的だなとは思う。

が、共通しているのは「本当の自分を出すこと」であり、仮面をつける、外すというアクションは、あくまで手法の違いでしかない。そこはちゃんとわかっておきたいなと思った。

大事なのは、如何に「本当の自分を出せるか」というところ。スクールアイドルというものが、常に本当の自分に結びついている構造は、自分としてはかなり好きです。やっぱり、アイドルはその人の生き様なんですよね。

あと、璃奈ちゃんボードについて。スクスタでは璃奈の顔に常備されていたけれど、アニメでは、感情を伝えたいここぞという時に使用することになっている。これに関しては、璃奈ちゃんが最初は顔出しNG系アイドルとして売り出されたからであり、それにより、璃奈ちゃんの絆エピの爆発力も生まれるわけで、これに関しては批判を向けるつもりはない。ただ、璃奈ちゃんがボードを常備しているという事実には、やはり何処か暗い影を思ってしまうわけで(ミヤコヒト先生みたいに面白い漫画にされたら言うことないんだけれど)、やっぱり「いつ素顔で笑えるようになるんだろう」という不安がつきまとうようになってしまう。

アニメではそうでなく、ここぞという時に出すことで、あまりその印象を受けない気がする。今更だけれど、最初から素顔で行くことを決意したスタッフは英断だったなあと、そう思う。

 

宮下愛というキャラについて 

これだけは絶対に話しておきたいなということ。勿論、宮下愛に割り当てられた「気付き」の役割について。これ、本当に気持ちが良すぎるんですよね。

璃奈から向けられた「上級生が怖い」という想い、今までの自分とこれからの自分を思った「元気の無さ」、友達に用意していた「ジョイポリスの券」、何もかも誰にも見つけられずに一人で帰るはずだったのに、その全てに一瞬で「気付いて」しまう。この手際の良さが、暗めで始まった物語に光を与えて、視聴者に不安を覚えさせないように出来ている。抜群の出来の良さです。すごいよ本当に。

あと、璃奈がずっと「本当の自分」を出せなかったのに、愛さんには何故か、璃奈の本当の自分を、段ボールなしでも気づけたっていうのは、やっぱこれすごいことなんじゃないかなと。「りなあい」のオタクのひいき目も当然あるとは思う。けれど、無条件かつ一発で、璃奈の一番深いところにまで潜り込めた愛さんの目にはすごいものがあると思うし、それからずっと璃奈の横にいてくれる愛さんが愛おしすぎる。そんでもって、こんなにすごい人が隣にいるのに、さらにいろんな人と繋がりたいと思う璃奈の気持ちも良すぎる。「こんなに自分のことを分かってくれるひとが一人でもいるなら、もういいや」じゃなくて、「もっとみんなと繋がりたい」というポジティブな気持ちに溢れた璃奈ちゃんが本当に好きです。そして、璃奈ちゃんにそのキッカケを与えてくれた愛さんに無限の感謝を……。

ありがとう……!

 

スクールアイドルの方向性について

璃奈のところで話したので割愛。みんなの距離感を保ちつつも、「ライバルだけど、仲間」が強調された話になっている。 

 

 

 

ツナガルコネクト

もうこれに関してはみんな分かってるから言わなくても良いでしょう。蛇足になる。数十回は見て、毎回泣いていることだけはご報告させてもらいます。

あ、でもこれは言っておきたいんですが、璃奈がやたらと猫をモチーフにしているという事実について。文字にしようと思ったんだけれど、昔に漫画にしていたので、まあ興味ある人は読んでくれると嬉しいです。なんか急に宣伝みたいなことして申し訳ないんですが、文字に起こすのがめんどいので。まだこれ6話の感想なんですよ。わかりますか? 今日は10話放送なんですよ。嫌すぎる。。。

 

 

というわけで、6話の感想は以上、多分触れてないことも多いし駆け足になったけれど、続いて7話やります。もう書くのめんどいからこの前書いた自作貼るわ(宣言)。