新薬史観

地雷カプお断り

視聴映画記録(2020.04/17~04/23)

映画や小説の感想を残すとは言ったが、やはり作品の感想を毎日書くのは追いつかない。

ので今回はまとめて更新。それにしても、やっぱり書き起こさないとダメだな。何を見たかすぐに忘れてしまう。

 

さて、自分は子供の頃からアニメばかり見ていたせいか、実写が好きでないため、今まであまり映画を見てこなかった。

ただ、この外出規制のなか、いつもと同じようにアニメばかり観るのも味気ない。ということで勝手に始めた1日1映画週間である。

あまりに映画を知らないため、それを如実に表すかのようなラインナップであるが、にわかだからと言って笑わないでほしい、ガチでにわかなので……。

以下感想。ネタバレ?も多いので見てない人は飛ばしたほうがいいかも。そもそも読む人がいるかわからんけど。

 

4月17日 映画1「市民ケーン」(1941)

監督を見てびっくりした。オーソンウェルズ25歳。しかも主演!

オーソンウェルズといえば、あの「火星人襲来」を手掛けた天才である。それがまさかこんな映画も作っていようとは……(無知)

感想に戻るが、非常に面白かった。最高。本作主人公の新聞王ケーンは、実在した新聞王ハーストを題材にしたもの。偉人ならいくらでも題材にすればよいが、驚くべきことにハーストの存命中にこの映画を公開するという破茶滅茶っぷり。当然ハーストによる上映妨害行為が起こり(新聞王なので影響力がクソでかいのだ)、アカデミー賞にノミネートされまくったが、脚本賞を取るのみに終わった作品。言うまでもないが、これにより市民ケーンの作品強度がより高まったのが面白すぎる。

あらすじはというと、新聞王ケーンの遺言「バラのつぼみ」とは何を意味する言葉なのか、というのを時系列的に追っていくというもの。新聞王ケーンは世界の情報も名誉も金も手にした誰もが羨む存在であるが、その最後はバカでかい城「ザナドゥ」で引き篭もって死んでしまうという悲しいものだった。

作中で「バラのつぼみとは、ケーンが失ってしまったものではないか」とリーランドか誰かが言うセリフがある。それをもとに考えると、ラストシーンで映る子供の頃に使っていたソリに「バラのつぼみ」と書かれていたことから、ケーンが失ったものはここにあると考えるのが王道かと。

個人的解釈。

ケーンは作中でたびたび「お前には愛がわかっていない」と指摘される。ケーンは「その人がほしいものならなんでも買ってやるし、なんでもサポートしてやる。だからお前は俺を愛してくれ」というスタンスを一生貫くし、おそらくそれしか愛情表現を知らなかったんだけれど、出会う人間すべてから「それは愛ではなく自己愛だ」と怒られる(耳に痛い話だ)。悲しい。ケーンが死際、孤独をひしひしと感じながら「バラのつぼみ」と言ったのは、自分がこんなことになったのは、子供時代(の象徴のソリ)の母親からの愛情を失ったからだと、そういうわけですね。

あと好きなシーンは、リーランドが記事を書けずに酒につぶれるところ、手紙で誓いを返されるところ、ケーンと初めての妻との生活の描写などなど。

ソリは人を殴るための道具じゃないぞ!は名言だと思う。

モノクロだけど映像がよすぎましたね。最高。

 

4月18日 映画2「タクシードライバー」(1976)

監督 マーティン・スコセッシ。知らん。ごめん。でも主演のロバートデニーロは知ってた。彼が本作でモヒカンになったことで有名らしい。

スラム街みたいなニューヨークに住む金も学もないトラヴィスが、低賃金のタクシードライバーとして働く話。

結論からいうと、「JOKERか!?」と思った。あの人を殺しまくるダークヒーローピエロのやつ。

おおまかな話としては、トラヴィスはクズしかいないニューヨークを嫌っている。少し頭がおかしい(感性が違う?)ところもあって、他人とうまく会話が噛み合わず、友人もいない。タクシードライバーをしていることに誇りはないが、元海兵隊で戦争により不眠症になっていて、これでしか金を稼げないので仕方なくやっている。同じことの繰り返しでクソみたいな生活を送るトラヴィスは、ある日、絶世の美女のベッツィーを見かけて運命を感じ、積極的にデートに誘うことから物語は進んでいく。

最後にトラヴィスは死んだものだと思っていたのだが、少女の英雄として祭り上げられてしまうところが意外だった。

JOKERでは、アーサーは人間不信のなかで狂気に蝕まれ、ひとつの思想の到達点(スーパーヴィラン)になったのが印象的だったのだが、トラヴィスの場合はそこまでではなく、英雄として記事にされてからの彼は、いつも通りのタクシードライバーの日常に戻っている。あくまでニューヨークの街の一角の出来事の線を超えないあたり、いいなと思った。もしトラヴィスがあのまま死んでいたら、JOKERを見たあとと似たような感情になっていたと思う。

 

4月19日 映画3「俺たちに明日はない」(1967)

これも実話をもとにしていて、ボニーとクライドという強盗グループが、どのように出会い、どのように死んだのかを脚色しながら映画にした作品。

爽やかなイケメンが気軽に強盗をするところで笑ってしまった。というのはきっと監督アーサー・ペンとか脚本の狙い通りで、この物語のイメージとして、犯罪行為と遊びの境界線の曖昧さがある。当然観客からすれば、さわやかイケメンのクライドが銃を店につきつけて強盗する時点で「おいおいマジかよ!」となるわけだが、ボニーはそう思わない。ここらはボニーの視点で進んで、ボニーは実際にクライドが銃をつきつけているところを見ておらず、お金を抱えたクライドが「やばい逃げろ逃げろ!!!」と店から出てくるところしか見ていない。ここに犯罪のショッキングさを曖昧にした演出があると思う。ボニーは強盗を遊びの延長線上だと思い、刺激的に感じた。クライドとボニーはお互いを気に入り、一緒に逃避行を始めるのである。この段階で、自然と観客は強盗を許す価値観に合わせざるを得なくなる。この前提が後々に効いてくるし、観客自体にもショッキングな映像を見せず終始さわやかな演技で行われるため受け入れやすい。また、クライドはインポでボニーを性的に満足させることができない。当時はインポの人間を出すこと自体かなりのタブーだったらしいが、それを描くことでクライドとボニーの関係性、犯罪行為の敷居下げが行われる。

大事なのは、クライドはイケメンであるが、ボニーは別に「イケメンだから」「セックスの相性がいいから」ついていくことを選んだわけではないのだ。インポでも犯罪者でも「一緒に行きたい」と思える憧れに近い何かがあり、最終的にふたりは最後まで一緒にいる。ふたりは死ぬまでに何度もSEXを試み、なかなかうまくはいかないし、互いにセックスできることを望んではいるのだが、自分から見ればこれは性別を超越した愛だと思う。まぁ、言い方を変えれば「百合」ですよね。(これ以上踏み込むと某口力丸になってしまうので言いませんが……)

とはいえ雰囲気は、どことなく「マッドラックス」とか「エル・カザド」や「ノワール」に近いものがある。どちらも人が死にまくり銃をぶっ放すくらいしか共通項はないように見えるが、「この世界に(犯罪を犯している)自分たちの居場所は何処にもなくて、私たちはずっと逃げ続ける(戦い続ける)しかないんだ」という退廃的な感傷が非常によく似ており、自分はそこで唸ってしまった。とてもいい。

ボニーが途中、母親と会いたくなってとうもろこし畑を駆け回る場面や、クライドのもつカリスマ性にモスが惹かれている様子、ブランチが終始嫌な奴であり続けるところなど、この映画は本当に見ていて気持ちよかった。終盤にいくにつれて、お遊びのように思われた強盗は人を殺し、仲間を殺され、どんどん映像がショッキングで緊迫したものになっていくのだが、ラストの「死のバレエ」と呼ばれるボニーとクライドの死に様は圧巻。良かった。

 

4月20日 映画4「アメリカン・ビューティー」(1999)

サム・メンデス監督作品。知らん。

娘の友達にガチで恋する父親、というかなり厳しい設定。父レスターがアンジェラに恋する演出が、「君しか見えない!」「世界が二人だけのものに見える」というありきたり?なもの。コミカルらしさを出したかったのかもしれないが、普通に「う〜ん」な感じ。

脚本としては面白く、「これが僕の住む街、僕のすむ通り……」というナレーションから入り、「一年後に死ぬことを、僕は知らなかった」と締め括られることでほうほうと見入ってしまう。

ただ気になったのが、「一見レスターは幸せな家庭を築いているように見える」というあらすじの文章。「いや、どこからどう見ても崩壊するだろ」とツッコミを入れたくなるくらい、レスターとキャロラインの相性が悪く、最初の最初から家庭は崩壊している。目に見えないところで既にバラバラなので、「アンジェラへの恋をキッカケに家族はバラバラになっていく」という説明は頂けない。娘のジェーンが小さいころは家族の仲は良かったらしいが、少なくともその描写を先に入れないと大前提が成り立たないのではと思った。

印象的なのは、ビニール袋が風に舞って飛ぶだけの映像。「すべての物の背後には、生命と慈愛のチカラがあって……何も恐れることはないのだと。何も」「この世で目にする美の数々。それは僕を圧倒し、心臓が、止まりそうに、なる」という隣に引っ越してきたリッキーのセリフが、かなり重要ポイントだと思う。何しろタイトルは「アメリカンビューティー」で、これはバラの品種の名前だという。作中にもレスターがアンジェラに見惚れるシーンでは大量の薔薇が溢れるのだが、恐らくこれがアメリカンビューティーなのだろう。そう考えると、アメリカンビューティーは官能の象徴とも取れる。一方で、リッキーのセリフから考えると美はありとあらゆるものに備わっており、一度美に魅入られると圧倒される、つまりレスターの擁護的な発言にも取れるかなと思った。

また、この作品のもうひとつの見どころは、リッキーの父親をはじめとする反転する人々だ。リッキーの父親は、「ゲイなんて最悪だ!」とゲイへの嫌悪をあらわにするが、結局最後にはゲイであることがわかる。ゲイではあるのだが、「普通の家庭は男と女で結婚して子供育てるべきだ」という固定観念に束縛されているため、無理に結婚し、無理な生活をしている。他にも、「成功者にならなければ」と出世欲を露わにする妻キャロラインは、終始しんどそうにしながら最後は精神的に追い詰められるし、アンジェラも「みんなから愛されたい」と思い美貌を鼻にかけるが、最後には処女であることをレスターに告白する。狂っていると思われたレスターは、アンジェラに気に入られるために筋トレをしまくってかっこよくなるし、キチガイと思われたリッキーは、結局最後までキチガイだが、まだまともな部類には入る。

この作品の主題としては、「一見すると美しく見えるものでも、中を見ると腐っている」というものだと思う。だからこそ、最初から崩壊している家庭の図はあまり美しくなかった。一見幸せに見える家庭が最後には崩壊する方が、主題にもあっている(あるいは、崩壊した家庭が仲良くなるなど)。

数々の受賞歴があるらしいが、個人的にはそこまでかも。

 

4月21日 映画5「インターステラー」(2014)

3時間もあり、本気の勝負を仕掛けられているなと思った。その結果、中身は最高すぎた……なんだよこれ!

正直、語ろうとすればいくらでも語れるのだが、この作品に関してはありとあらゆるところに素晴らしいが詰め込まれすぎて無理になる。

重力と時間の場の正しい扱い方は、ノーベル物理学賞とってる学者さんが徹底考証した賜物らしい。流石(釈迦に説法)。一応SF小説をよく読むので、自分には基礎知識があるほうだと思うが、知識があってもなくてもかなり優しく説明してくれるので助かる。(個人的には、五次元の存在が重力を操るという設定が無理に思えたが、それはご愛嬌だろう)

脚本、伏線、映像美。どれをとっても満点だが、個人的に気に入ったところを少しづつ挙げる。

脚本・伏線:そもそもの場面設定。砂に怯えるひとたち。最高の始まりじゃん。やめろよそういうの。民家のささやかな秘密がNASAの秘密基地に繋がる展開、最高すぎる。秘密基地にいくところで、毛布のなかに隠れている娘マーフがただただ愛しくて泣いてしまう。可愛すぎだろ。(これが後に反復として効いてくるんだよな、、、好きすぎる)惑星にいってからそれぞれの描写もめっちゃ好き。最初のミラー博士の惑星は、常にくそデカい波がくるという奇抜さが良かった。重力が大きいから潮汐力もデカくなる。風景としては惑星ソラリス的な(ソラリスの方が非常識で色彩が良すぎるけど)。あとAIのTARSとCASEは、2001年宇宙の旅のHALに通じるところがあって非常にいいキャラクターをしている。ジョーク度の指標も良い。また、宇宙のなか、目に見える指標として愛を持ってくるのもいい。宇宙は孤独な場所だからこそ、宇宙飛行士の愛が浮き彫りになり良かったと思う。始まりから終わりにかけてマン博士以外ストレスなく見れて良かった。マーフとの愛が強かった。

映像美:なんと言っても、あの津波のような絶望的な砂嵐。ガルガンディア。ミラー博士の水の星、無数に連なる五次元空間。よかったなあ。

視聴後は、小説を読んだかのような読了感があった。頭のなかでイメージした世界が、ありとあらゆる技術を使うことで正確に再現されていた感じ。ベスト級の名作ですね。

 

4月22日 映画6「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」(2014)

最強の腕を持つシェフが、大人気評論家にけちょんけちょんに言われて慣れないTwitterで反論したら大炎上して職を失った話。

ジョン・ファブローという方が主演も脚本も監督もやったらしい。すごいな。そういえばアニメで監督が自作で声優として出るのはあまり見たことがないな。原作者ならひだまりスケッチとかで見たことあるけど。

さて、この作品はコメディーだが、親子愛やSNSの凄さと恐ろしさに焦点を絞って描かれている。シェフというだけあって料理がめっちゃ美味しそうで、見ていると腹が減る。芸術的な名作と言えるかは分からないが、作品としてはストレスなく笑いながら見れてよかった。シェフとして再起する時に、自身の力ではなく息子への愛で立ち上がるキッカケを得たのがグッドでしたね。

 

4月23日 映画7「最強のふたり」(2011)

簡単にいえば、「ふん、おもしれー女(男です)……」な映画。全身麻痺?の障害をもつ富豪男性フィリップのお世話係の面接に、底辺層出身の男性ドリスがオラつきながらやってくる。全員スーツでかっちり決めているところからも明らかに浮いているが、彼が欲しいのは内定ではなく不採用のサイン、ひいては「就活をしたという証明」だった。これで失業手当をもらうらしい(お金がないのだ)。

ところが、富豪はこの男性に合格のサインを出してしまう。理由は「自分のことを遠慮せず、富豪としてではなく障害者として、ありのまま扱ってくれるから」で、ようするに「ふん、おもしれー男」ということである。これ、アニメで見たことある!ストパンのルッキーニとマリアだ!(元ネタはローマの休日だしマリアは障害者ではなく王女さまだ)

話を映画に戻すが、見ていてかなりハラハラする。育ちがめっちゃ悪いし学はないのに前科はあるというナイスなドリスは、フィリップや上流階級の皆様相手にBAD COMMUNICATIONな返しをやりまくるのだが、それがフィリップには遠慮がなくていいらしい。明らかに一線を踏み越えているだろというようなやりとりにも、フィリップはなんやかんやで答えたり怒らなかったりするので、すごいなあと思う。度量が。最後らへんには、ドリスの天真爛漫さが息苦しさのあったフィリップの家の空気に良い風を吹かせたのだが、ドリスの弟が明らかに問題を抱えながらドリスを求めてきたことを知り、「ドリスには私以外に求めてくれる存在(帰る場所)があったんだ」と思ったかどうか、お世話掛の契約を解消する、という話。

雑に語ったが、見ていると結構俺が好きな百合だな……と思った。ダメだな、男同士を見て百合とか言うようになると溝口某丸になってしまう。

百合というとアレだが、「お嬢様がお屋敷に潜り込んできた天真爛漫な平民の少女と出会い、交流を深めるたびにどんどん知らない世界を教えてくれるあなたのことが大好きなのよ百合」といえば当てはまる人も多いのでは?(プリンセス・プリンシパルか?) 最後は分かれてしまうとは言え、分かれてから荒れる描写もちゃんと描かれているため、百合好きなら多分好きになる。

冗談は置いといて、始まりのシーンがこの物語の終盤に差し込まれるのだが、その位置が大正解すぎて良かった。この映画の始まりのシーンは最高なので、みんなに見てほしい。既に見てるか。

 

以上。

長くなったが感想は終わり。こんなの書いてる暇があったら別の映画を見ろよとは思うが、実際に文字にして書いてみるだけで映画の解像度がぼんやりしたものからクッキリしたものに変わることを知っているので、やめるにやめれないのだ。

かといって毎日投稿する余裕はないので、また1週間くらいまとめて投稿しようと思う。余力があれば当日にでも。

 

PS.このブログを読んでる物好きな方で何かおすすめの映画があれば教えてください。アマプラとネトフリで視聴可能なら嬉しい。