新薬史観

地雷カプお断り

【ネタバレ注意】「ロンド・ロンド・ロンド」を観た感想とその解釈

公開当日なので、少女歌劇☆レヴュースタァライトの総集編「ロンド・ロンド・ロンド」を観に行った。コロナの影響で上映館数も少なくなっているらしく、いつも利用している映画館では上映されていなかった、ので少し遠出をしての鑑賞。

 

以下はネタバレを多分に含むものになると思うので、まだ観ていない人は観ないように努力してください。観てないけど他人の感想で観た気になるぞ!と横着を目論む人は、今は良くても明日の自分が後悔するのでオススメしません。ぜひ劇場に足を運んでどうぞ。

 

○ ○ ○

 

というわけで、まず簡単な感想を。

(マジでネタバレだらけなので未視聴勢は読まないで)

 

正直言って、少しショックだった。というのは流血表現について。パンフを読むと古川監督がまさにショックなのを見越した上で、血は次の段階に進む象徴になるとは言っていたが、それにしても血の溜まった大量の靴や血の気の引いた舞台少女の顔は見ていてあまり気分が良い物ではなかった。女の子が銃を乱射する「MADLAX」とか「NOIR」とかでキャラがどれだけ血を流そうが平気な顔で見られるが、スタァライトはそういうアニメではないと思っていただけに、自分だけでなく多くの観客は強烈な印象を受けると思う。自分はあのカットが未だに尾を引いている。

まあそこは置いておいて、あの複雑な話をひとつの総集編として纏めきり、なおかつ新しい物語への伏線を張るのは非常にうまいなと感じた。大胆なレヴュー曲のアレンジ、あるいは真矢クロ戦での「Star Diamond」の起用には流石の一言だし、特に純那のレヴュー曲「世界を灰にするまで」「The Star Knows」(間違えました。ご指摘感謝です)のイントロに純那のアタシ再生産のカットを重ねるシーンには目を見張るものがある。あそこが一番うまかったかも。

また、純那がアニメ1話で中庭でイチゴジュースを飲んでいるシーン、あそこだけ執拗に純那の唇のカットが映るのがかなり意味深で怖かった。アニメにはなかったと記憶しているので、テンポを良くするために挿入したのか、あるいは自分の記憶違いか、あるいはばななに関連する重要シーンなのか。謎である。

他にも細かいところはあるが、自分のなかではそこら辺が印象に残っている。

 

それでは、以降はいろいろと気になった点についての考察などをやっていく。

まず、キリンが本作を「ワイドスクリーン・バロック」と評するが、これはSFジャンルの専門用語のひとつで、簡単に言えば「めっちゃ時間旅行したり宇宙を飛び回ったりするなど、物語のなかに大がかりなSFガジェットがめっちゃ盛り込まれている作品」のことである。

 当然、スタァライトのSFガジェットは何かというと、「運命の舞台」である。これがばななを閉じ込め、ひかりを閉じ込めていたのであり、時間のループはその副産物に過ぎない。とはいえ、今作のタイトルが「ロンド・ロンド・ロンド」で、「ロ」は「○」で円環になっているし、アニメでは直線だったはずのばななの時間軸が最初から円環になっているなど、意図的に円環が盛り込まれており、強いテーマであることは誰しも感じとるものだろう。

 で、折角タイトル「ロンド・ロンド・ロンド」の話になったので、早速だが、なぜ「ロンド」が3回なのかというところに着目していこう。単に語感がいいというのも当然あろうが、映画パンフに載せられているロゴを見て欲しい。

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今回の映画のロゴ

  これが、「ロンド・ロンド・ロンド」に対応している。で、これは何かというと、花は舞台少女を意味している。そんで円錐は「塔」である。何処が塔やねんという人は、ライブや舞台でもよく見る学校のロゴ?を思い出して欲しい。アニメでも、ばなな華恋のレヴューで99期生の象徴として舞台に映っている。

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例のアレ(名前わからん)

で、このマークは当然、二つの大小の円が「大きな星と小さい星」を示し、その星と交わるのが星罪の塔である。その塔がこのロゴでは二等辺三角形として表現されているが、ここに舞台少女が内包される、つまり「立体感」を持つと、円錐になるのである。

そういうわけで、本作のロゴは「星罪の塔に幽閉される舞台少女」をイメージしているのだ。では、その3人とは誰か。答えはこっそりパンフに描かれていて、

 

①パンフの表紙裏の塔の星の髪飾り(ひかり)

②古川監督と黒澤さんの対談インタビューの見開きのカエル(ちょうどモノクロの断絶にカエルが配置されており、ひかりの登場によってばななの世界が変えられたことを暗示)

③その次のページの花(舞台少女)に添えられたミスターホワイト

④そしてその横の花の背景は、それまでの黒い背景(ひかりの贖罪?)から、赤と青と白(華恋の舞台衣装)のマーブリングが施されたものになっている。


これらを総合すると分かるように、ロゴの3人とはばなな、ひかり、華恋であり、運命の舞台の担い手の順番になっていることがわかる。

そしてこれまた面白いことに、よく見ると、映画のロゴの一番上の花は、実は円錐に閉じ込められていないのだ。底面に接しているだけで、塔にとらわれていない、外界に出ている状況になっている。そう、この花こそが華恋である。

そして、このロゴが語る状況こそが、本作の主題である「円環」を雄弁に語っているのだ。

パンフレットを開いた先の説明文からも十分わかると思うが、舞台に同じものは二度となく、舞台は輪廻する。それは運命の舞台の担い手(地下のレビューの勝者)の輪廻でもあり、ばななから一度は奪ったひかりの運命の舞台が、結局は華恋の手に渡ったのだということを本作の総集編はわかりやすく伝えてくれる。それをテーマにして、アニメが編集されているのだ。舞台はまだ終わっていないのである。

運命の舞台は、華恋の手に委ねられた。

しかし、華恋は必ず、その舞台を誰かに譲らなければならない。

華恋は星罪の塔に幽閉されねばならないのだ。

この流れこそが、「ロンド(輪舞)」なのである。

 

これが本作のテーマだろう。多分。

で、流血シーンが多くショッキングな橋渡しとなったラストシーンだが、要するに「舞台少女の死」と、砂漠の上(星罪の砂ではない)に独り立つ「華恋の姿」が描かれている。華恋の立つ世界は、まさにロゴの一番上の花で表現されているから良いとして、「舞台少女の死」は大きな謎である。

ただ、自分のなかではなんとなく予想がついていて、注目すべきは、その流血の多さ、全員が死んでいるという部分である。

というのも、ばななからひかりに運命の舞台が委ねられた時の流血は、ひかりの上掛けに多少ポタポタした程度に収まっている。自分は、血の量は世界の変革の度合いと対応しているのではないかと考えていて、なぜならひかりも、ばななと同じように星罪の塔に幽閉される結果に終わったからである。要するに、少しは世界は変わった。でも悲劇の結末は同じだから、そこまで世界は変革されていないのだ。

 そして、ここが華恋の腕の見せ所でもある。大量の血は、世界が大きく変革されることを暗示している。そして、舞台少女の死は、「自分の再生産」とも対応している。自分はここにも円環が対応していると考えていて、要するに生から死は一直線ではなく、円になって繋がっているのだ。つまり、一度死んだ舞台少女は、また新たな自分として生まれ変わるのである。

 このように考えると、最後のショッキングなシーンも、続編への希望の象徴として見ることができるはずである。

 

○ ○ ○

 

【200807 21:54追記】

この映画のテーマソングである「再生讃美曲」について解釈するのを忘れていた。これについて語らないとどうしようもないだろう。アホすぎる。

 

簡単に言うと、これも「舞台少女の生のロンド」について描かれている。

例えば「選ばなかった過去たち」は、「(舞台少女になることを)選ばなかった過去たち」ということで間違いなく、普通の幸せを諦め、何度も何度も舞台のうえで死んでは生まれ変わる舞台少女になることを選んだ自分から見た、数々の可能性を孕んだ過去の自分について祈っているのだ。

そして同時に、「こぼれてく未来が あの子のキラめき」とも語っている。

これはどちらも、確かなのは「今」だけだという考えに基づいており、確かではない、無数の選択肢がある(あった)という意味では、過去も未来も同質かつ無数で、いくらでも「今」の地点から解釈が可能なのだ。しかし、舞台少女は、そのなかのひとつだけを選び、生きていく他ない。

加えて、「夜明け前のほんのひととき」「エデンの果実」など、世界の新たな創造を思わせる単語が多いが、これはロゴにもある、塔の上にたつ華恋の姿と照らし合わせることができるうえに、先ほど述べた舞台少女としての生き方にも通じることになる。

 舞台少女は、一瞬一瞬で、死にながら生き続ける存在なのだ。

「何を燃やして生まれ変わる」とあるが、燃やすのは選ばなかった過去の自分であり、選ばない未来の自分でもあるのだ。自分にとっての幸せへの経路を考えると、選ばなかった過去、選ばない未来への後悔はいくらでもできるが、それでも自分は今の自分を肯定するほかない。先の見えない真っ暗闇のなかで、ありえたはずの自分の可能性をすべて燃やし尽くし、その燃える光で幸福を探していくしかないというのが、この曲のテーマであり、おそらく新たな砂漠の地に立つ華恋のテーマでもある。

再生讃美曲は、本作と続編の橋渡しとなる曲なのだ。

 

 と、このような感じで「ロンド・ロンド・ロンド」の感想と考察は締めたいと思う。

 自分はこんな感じで考察させてくれるスタァライトが大好きなので、続編が公開予定の2021年が待ち遠しくて仕方がない。マジで待ってます!

 

【追記20200808】

例のロゴを改めて見ていると、ふと気がついたのだが、この円錐はもちろん星罪の塔として見ることもできるのだが、二つ反対に重ねて砂時計のかたちになることで「時空」を表しているとも見れる。

この「時空」については、自分はカルロ・ロベッリの書籍「時間は存在しない」で勉強したことがあるのだが、相対理論を学んでいる人なら知っているかもしれない。「光円錐」と呼ばれる、まさに砂時計のように、円錐をふたつ先端でくっつけたようなかたちをしている下の図形。これが現在の物理学で認識されている時空の正体(のひとつ)だ。

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光円錐の図(https://astro-dic.jp/light-cone/ より引用)

 

自分は物理学学徒ではないために、専門知識に欠けることは許してほしいのだが、それでもおおよそは理解しているつもりである。これから書くことで、何か間違っていたらコメントで訂正してほしい。

この光円錐はいったい何者かと言うと、説明には「半順序」という考えが出てくる。

これは数学用語なので理解が難しいが、ロヴェッリは、親子関係にしても宇宙の出来事にしても、いくつかの要素の前後関係は確立されるが、すべての要素の関係が確立されるわけではなく、それが円錐のかたちを取るのだという。

文章では理解が難しいだろうが、なんとかイメージしてほしい。親子関係を例に挙げると、自分を生んだ両親(2人)、そして両親の両親(4人)、そのまた両親(8人)と、過去を遡るほど、関与する人間は膨大な数になる。逆に未来もそうで、自分の子供が子供を産み、その子供がまた子供を産むなど、未来になればなるほど、関与する人間が多くなる。

このように、現在の自分に近づくほど収束し、遠ざかるほど無限になっていく様子を図に示したのが上図である。イメージできただろうか。光円錐は、相対理論において、光が情報を伝えることができる範囲を示していて、光円錐の外の地点には、なかから情報を伝えることができないことを教えてくれる。これはまさに、スタァライトでいう星罪の塔である。

で、この光円錐は宇宙にたったひとつというわけではなく、この宇宙に無数に存在している。「現在はひとつではないのか」という意見はもっともだが、それに関しては相対性理論を学べばよくて、要するに宇宙には無数の現在があり、その無数の現在から発生している光円錐が重なりあうかたちで、仮想上で共通了解される「現在」が成立しているのだ。

話がややこしくなってきたが、要するに自分がいいたいのは、本作のロゴもそれを表しているのではないかという仮説だ。光円錐が2つ重なっているロゴは、2つの「現在」が存在していることを示す。恐らく、それが「運命の舞台」なのだ。

「再生讃美曲」の解釈でも書いた通り、舞台少女は「今」を生きる存在である。過去と未来を燃焼させて生きる舞台少女が願う舞台が「運命の舞台」であり、それが他でもない「現在」となる。

光は、光円錐のなかを通っていく。下の円錐は過去を示し、上の円錐は未来を示す。下から上に抜ける光は、2つの運命の舞台を経て、華恋の待つ未来へたどり着く。

ここでもまたひとつ、作品のテーマである、「運命の舞台の担い手の継承」が語られている訳だ。

さらに面白いことに、光円錐の考えを取り入れることで、ばななとひかりが、完全に過去の存在とされていることが明確に分かる。華恋だけが、未来の部分に立っているのだ。

 

ここからは独り言なので真に受けないで欲しいのだが、そう考えると、光円錐が2つ上下に重なるのは、現在がないことを示すことになるのだが(先ほど述べた、共通了解の現在である。光円錐がふたつ横に並んで、その体積に交わらない空間こそが、ふたつの地点から見る共通の現在となる。説明が下手くそで申し訳ないが、要するに過去NOR未来、過去でも未来でもない領域が現在であるという考えに基づくと、光円錐が上下ぴったりに並ぶと、その共通領域はできないよねという話)、これについては、光円錐の外にどこまで世界が広がっているのかによる(円錐ぴったりの壁を用意すれば共通の現在は現れないが、その壁を取り払うと光円錐の遠くに現在が生まれる)。まあ図に書いて実際に悩んで欲しいのだが、多分そこまでは考えられていないのでこれ以上掘り下げても意味はないだろう。

 

今回の追記まとめ

ロゴは2つの光円錐から成っている。

光円錐の性質が、星罪の塔と似通っている。

ひかりとばななは過去の空間に存在し、華恋だけが未来の場に立っている。

光の進む方向からも、運命の舞台の担い手は華恋に引き渡され、その運命の舞台(現在)には、未だたどり着いていない(続編でたどり着く)ことが分かる。

 

今回は以上。

また何か分かり次第、情報を追記していきます。