新薬史観

地雷カプお断り

今までよかった誕生日ランキングベスト10

今日はねぎしその誕生日です。9月2日は「クジの日」なので、幼少期から自分はクジ運に恵まれているんだと信じ込んできたのですが、宝くじは300円しか当たったことがありませんし、そもそも5年に一度くらいの割合でしか買ったことがない。ビッグ・ドリームのない若者なので。

 

さて、もうこの歳になると誕生日も憂鬱でしかありませんね。両親の誕生日を祝って「もう嬉しくないよ」と言われた時は「なんて逆張りしているやつらだ」と憤慨していましたが、その気持ちがようやく分かるようになってきました。誕生日が嬉しいのはせいぜい20歳までで、これは【飲酒解禁】という人生を変えるビッグイベントがあるわけですから酒が飲める人なら誰でも納得していただけると思います。しかし21歳、22歳になると雲行きが怪しくなっていき、23歳、24歳まではギリギリ許容範囲なのですが、アラサーに入ると途端にダメになります。30~50代の方からすれば20代はまだまだ若者でしょうが、渦中の20代は絶望のまっただ中です。昨日、両親からは「私は23歳で結婚したし、お前の歳にはもうお前を産んでいる」と宣言され、発狂しそうになりました。まだ大人じゃない、僕はまだ子供なんだ……とまでは言いませんけれど、入社時に社長から「そろそろ結婚する歳じゃないか」と言われたり、外部の女性の方と仕事をすると「あの中にお前の嫁さん候補がいるかもしれんね」と上司から弄られたり、歳下の同期には「なんでねぎしそさんは誰かとお付き合いしないんですか?人生楽しく生きましょうよ!」と無垢な笑顔で煽られたりと散々な日々を過ごしています。そりゃ地球上の女性はみんな自分のお嫁さん候補になる可能性はありますし、男性もパートナー候補になり得るでしょう(どちらも限りなく可能性は低いにしても!)。自分からすれば上司の弄りはまったく意味のない発言であり、聞く度に「そうですね」と返すのですが、マジで田舎の婚姻への執着が怖すぎる。恋愛以外にやることがないんでしょうか? ないんでしょうね。

まあ自分はまだまだ結婚はおろか交際する気もないのですが、それは単純に他人に時間をかけられるほど自分に余裕がないことや、他人に興味を持つことが少ないというのが主な要因です。また比較的精神が安定しており、一人で生きるのが(今は)なんら問題がないというのも大きいように思います。あまり人間関係を損益で語りたくはないのですが、自分には間違いなくその物差しはあり、性交渉にあまり魅力を感じない自分としては、恋愛路線に乗せてまで他者との関係を親密にさせるコストとメリットが釣り合いません。

周りにこの考えを話すと「お前は異常者そのものであり、明らかに婚姻できない人の思考であり、孤独死直行√だよ」とのことですので、ここらはちょっと改善の余地があるかなと思います。なので後学のために交際はもしかしたらするかもしれませんが、自分から動くことがないために、そのままアラフォーになる可能性が高いです。とはいえ、想像以上に鬱陶しい田舎特有の(都会でもこんななら笑う)うざい恋愛志向による抑圧から逃れるための交際という手段はやぶさかではなく、そこにのみ自分のメリットがあるような気がします。まあその場合は、都会への転職も十分選択肢に入りますし、そちらの方が実現可能性は高いです。

で、交際ですらこのような面倒がっている人間なのに、婚姻ともなるとさらに気持ち悪くなります。自分は生まれてくる子を(どうしようもない外的要因以外において)不幸にしてはならないし(恐らくどこかで破綻しますが、それでも出来ることはあるんじゃないの程度のノリです)、最低限度の環境は用意してあげるのが親の務めだという思想を持っています。生まれてくる子に罪はないので。

ですから、自分の頭のなかでは①一日が48時間で、②貯金額も充実しており、③「一個人でありながらも」(ここが大事ですね)親として子を育てる最低限度の環境の用意があり、④子を育てる決意があり、⑤いざという時に育児を頼めるバックアップの存在があり、⑥第三者からの審査のうえ、①~⑤を十分に満たすと判断されたときにのみ婚姻をしてもいいかなという気にはなりますが、ここまで書いておいて我ながらキモいので、今後これについてはあまり口にしないようにします。

 

で、何の話をしているのかと言いますと、もう自分はそんなことを考えるような歳になってしまったという悲しさを文章にしていたわけで、決して自分がこの歳になっても彼女ひとりいないことの弁明を顔を真っ赤にしてやっているわけではありません。これはマジです。それにしても、この前までコッコロちゃんを初めとする幼女体型のアニメキャラに「ママ~!」と叫んで画面にかぶりついていたのに*1、今ではすっかりパパの気持ちです。交際している人すらいないのに恥ずかしい人ですね。まあ、そうですね……でも本当に時間の進みとは早いものでして、ママと叫んでいた子もパパとしての可能性を検討するような歳になり、あっという間に孤独死するのでしょう。これも全ては1日のうち1/3を占める8時間労働のせいで、やっぱり労働はクソなんだと思います。労働がないだけでいかに生活が充実するか、皆さんは考えたことがありますか?あるならなぜ未だに資本主義社会が屹立しているのでしょうか、本当に許せない。労働さん、こちらがぶぶ漬けどす、ドスどす、その痛みと苦しみが、死どす。

 

と鬱屈した文章を書いていても何も楽しくないので、いよいよ本題に入りましょう。そう、まだ本題じゃなかったんですよ。

実はこの記事のタイトルは「今までよかった誕生日ランキングベスト10」でして、かつての良い思い出を振り返ることで、これからも前向きに生きていこうという企画でした。

と思ったはいいのですが、びっくりするくらい誕生日の思い出がないことに気付きました。よく考えたら誕生日会なんてやったことがないし、誕生日に家族以外の誰かと遊びに行ったこともないんじゃないでしょうか。いや、大学生時代に男と飲みには行きました。誕生日プレゼントも何度かもらったことがあって、大学の寮の人から200円くらいのコンビニのケーキひと切れをもらったのは良かったのですが、その人の誕生日にお返しを渡すのをすっかり忘れてしまい、マジで険悪になったことがあります。

また、一度ネットで欲しいものリストを公開したこともあるのですが、そのときは一方的に高額な本が何冊も送られてきて震えました。じゃあそもそも入れるなよという話ですが、欲しいものリストの認識が甘かった自分は、純粋に(値段関係なく)これまで気になっている本をメモ代わりに入れるという使い方をしていたため、まさか本当に購入されるとは思っていなかったのです。流石に頭が弱すぎる。で、慌ててお返しを送ろうにも、送ってくださった方は欲しいものリストを公開してくれないし、これは申し訳ないということで二度とやらないことにしました。

あとは大学のラボ同期と誕生日にラーメンの驕り合いをしたくらいでしょうか。

今思えばなんともコメントに困る思い出で、全体的に良かったし、「良くなかった」ことはありません。ただ、自分のなかで鮮明に覚えているのが自分の誕生日よりも高坂穂乃果園田海未の誕生日ばかりで、彼女たちのためだけにステーキを買ったりワインを買ったり、園田海未の好物である「ほむまん」を作ったり、穂乃果の好物の「いちご」を買ったり、祭壇を作って自己顕示欲を満たしたり、フィギュアを握って海に行ったりしていたキツい思い出ばかりが思い起こされます。

あの頃は若かったし、事実若かった。今はもう年老いており、成人したばかりの人間が「いや~もう歳だわw」と言っていると殺したくなってくるのですが、こうして文章を書いている自分ももしかすると、アラフォーやアラフィフからすれば殺戮対象だろうし、未来の自分はそうすると思います。やっぱり人生において一番大事なのは時間なので、皆さんも大切にしていきましょう。

 

結論

気になる「今までよかった誕生日ランキングベスト10」ですが、そんなこと書いている暇があるなら本を読みたいので、本を読みます。皆さんもこんなクソ日記を読む暇があったら本を読んだほうがいいですよ。それでは。

*1:一度もそんなことをした覚えはありませんが、周りがしていたので自分もしたことにして書きました