新薬史観

地雷カプお断り

田島列島『水は海に向かって流れる』読んだ!

田島列島『水は海に向かって流れる』(2019)全3巻

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https://www.amazon.co.jp/dp/4065144515/ref=cm_sw_r_awdo_KEW2ZKHKTDT5HQ54ZBZS

【総合評価】 10.5点(総合12点:全体10点+百合2点)

【作品の立ち位置】

オールタイム・ベスト・コンテンツ(10<x)

ガチで大事にしたい作品(9<x)

積極的推し作品(8<x≦9)

オススメの手札に入る作品(7<x≦8)

まずまずな作品(6<x≦7)

自分からは話をしない作品(x≦6)

 


【世界構築】1.5点 (2点)

絵の脱力具合は宮崎夏次系を思わせなくもないが、それより人物の表情に力を入れているように感じる。ありそうであまりないような絵柄だと感じた。少ない線で、女性キャラをとても魅力的に見せるのはプロの技かも。とにかくかわいい。

 

【可読性】1点 (1点)

テンポが良くすらすら読める。


【構成】2点 (2点)

毎話驚きの連続でしっかり次回への引きを作りつつ、背後にある「許し」の穏やかな流れを描く様はお見事だと思いました。


【台詞】2.5点 (2点)

メモをしたくなるような台詞が何ページも続く*1。サブタイトルも自分好みの捻りが加えられ、全体的に言語センスの尖り方が自分に突き刺さった。読んでいる時の幸福感がすごかった。

例えば以下の通り。

おじちゃんの行き場のない父性をたっぷり込めて弁当を作ったのに

食べたら妊娠とかしない?

しねェよ!俺は子宝の神か何かか?

若い時の黒歴史は骨を丈夫にするから

私の中に修羅がおるのです……

みんなにもいるよォ〜 ピロリ菌みたいなもんだよ

安心してリア充におなり

自分が生きてる間くらい怒ってたっていいでしょ!?

純粋ってなんて非生産的なんだろう

怒ることでしか繋がれない

こういう台詞が積み重ねられてキャラは描かれる。好きにならないわけがない。台詞の内容だけでなく、テンポの良さや語感の良さも(身近な)キャラの魅力を生むのかなと考えたりする。当たり前か。

 

【主題】2点 (2点)

本作のテーマは「許すこと」だ。自分は他人に罪を咎められたくないので、基本的に人を許すようにしているが(地雷カプは別、あれは許してはならない)、そもそも自分は許しイベントが発生するような関係性に至るまで他者と交流できないので、何を書いても説得力がないかもしれない。けれども、嘘や他人を許すことなどは自分がかなり興味のある主題であるから、かなり楽しく読むことができた。

 

【キャラ】1.5点 (1点) 

台詞や線の少なさがキャラのかわいさ、やさしさ、憎めなさを凝縮していて良い。

 

加点要素

【百合】0点 (2点)

該当描写無し。


【総括】

これほどまでに心を打たれる作品にはなかなか出会えないと思う。

主題の欄でも書いたが、本作のテーマは「許し」だ。許す許さないを取り扱った最近の話題作にはアニメだと『宇宙よりも遠い場所』、映画だと『ドライブ・マイ・カー』(俺ずっとドライブマイカーの話ししてる)が思い浮かぶ。どちらも「謝られたからって許さなくてもいいよ」「痛みに耐え忍ぶのをやめて痛い時には痛いって言おうね」というような、自分を偽ることを辞めて自分を労わることを覚えましょう的なメッセージがあり(私の解釈調べ)、人は(どちらの意味でも)「自分の機嫌を取るのは自己責任論」を評価する動きに傾きつつある。結局このあたりは情報伝達の難しさにも関わってくるが、「私、いま傷ついているんですけれど言わなくても気付いてくださいよ」という甘えが許されなくなり、日本人は自分を守るためにもどんどん発言が求められるようになってきている。それもこれも、発言の大抵はさりげないものであるくせに、容易に人を傷つけるクソみたいな特性を持つからだ。心の傷は癒えない。痛みはずっと覚えている。けれども実際に傷ついたタイミングで「痛い」と言えるような人間なんてそうそういなくて、叫ぶタイミングを逃した人間はどうすりゃいいわけ?という問題になる。もちろん無反応というわけにはいかないし、多くの人間は、誰かに古傷を触られた瞬間に、なんらかの防衛反応をとるのではないか。

本作では、その防衛反応が非常にコミカルに描かれている。痛みが笑いを誘発するのだ。これは痛みは笑って受け流せというわけではなく、どちらかといえば「必死な反応」に近い。作中で傷ついた彼らは、みな全力で自分なりの抗議の仕方を身につけている。それはどこか子供染みていて笑える。「本当にこいつは大人なのか?」と疑いたくなるような台詞がいくつも並べたてられる。子供と大人の境界線の撹乱だ。ここにサブテーマである「大人と子供の境界線」があり、作中で榊さんは直達くんを子供だと認識し、守るべき存在であると対等な立場から線引きをするのだが、本人が守られることを望まないという葛藤において表現されている。最終的には、彼らが備えている「自分なりの自分の機嫌の取り方」(自分のコントロール術)を身につけることが出来るかどうかが「大人らしさ」において重要なのだと提示される。そしてそれは、メインテーマである許しにも繋がってくるのだ。「自分をコントロールする」ということは、「頭に血が上っても他人を傷つけない」ことと強く結びついている。そういう意味では、中盤で直達の父を殴った榊さんはまだまだ子供で、ラストに直達が榊さんの母親からカツアゲした3万円を募金箱に突っ込む描写は、直達が大人になった象徴的なシーンだと言えるだろう。同時に、直達は怒りをあらぬ方向へと逸らし、憎しみの連鎖を断ち切ってもいる。偉い。

そして、本作で最も良いのが、その「許し」と「子供」のふたつの障壁を乗り越えた直達と榊さんが結ばれちゃうところである。読みながらずっと「付き合え!」と思っていたので、流石の百合豚もこれにはニッコリ。年上のお姉さんと男子高校生ってマジでいいな……と思いながら、ふと榊さんの歳に自分も限りなく近いことに気付き、頭がおかしくなるのだった。俺にはもう榊さんは現れないのか?現れるとすれば直達なのか?(そうなると現れても困るが……) 

 

*1:実際にメモをしている。