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高山羽根子「首里の馬」感想

高山羽根子という作家の名前を聞いて思い浮かぶのが、「なぜこの人はSF作家と言われるのか?」という疑問だったりする。というのも、自分は高山羽根子の作品をほぼほぼ読んでいる(はずな)のだが、未だにこの人とSFというジャンルの組み合わせがしっくり来ないのだ。文章がとても巧いところは認めるとして、作品からはSFの匂いはあまりしないし、そもそもこれまでの作品は、作者からのメッセージがうまく掴めないものが多い。しかしながら、高山羽根子という作家は、いろんな人たちから「すごいSF作家だ」と称されているのだ。そこまで言うなら、と自分も読んでみる。よくわからん、となる。けれどもやっぱり、いろんな人からは評価されている……。あれ?この人の良さが分からないのはぼくだけ?と世界に取り残された気持ちになったりする。

その点、今回の「首里の馬」は、しっかりとした小説で、芥川賞も頷ける作品かなと。ここにきて、賞の印象と作品の方向生がかっちり一致している気がするのだ。多分。

まあ、これは自分の勝手な考えなのだけれど、芥川賞は理不尽な暴力に対して如何に反抗するのか、それを如何に端正な文章で書き殴るかで選んでいるような気がしていて、多分それは芥川賞の評価として間違っているのだろうけれど、特別他人と話し合うこともなければ、自分で調べることもないので、そのまま無知を晒している。

 

これから本の内容に入るにあたって、まず、この作品の中身を知るために書いたメモ書きを記載する。人に読んでほしいとかではなく、あくまで自分の記録としてである。どうぞ読み飛ばしてください。

 

主人公 未名子

資料館:順さんから引き継いだ、不登校だった中学生の時から手伝いをしている居場所。ずっと昔からの周辺の記録がすべて集められている。アマチュアの資料館。紙媒体が基本。人骨も収められている。順さんの物語なくしては、何の役にも立たない物体を集めている。情報群をまとめる約束が大事。それを誰が担うかという話。

マイクロSDカードと骨が同じだという事実。

クイズのバイト:世界にいる何処かの人に対して知識を問う仕事。誰かの孤独を癒やすという目的らしい。未名子が自分が孤独だから採用されたのだと思っていたが、本当は「様子のおかしいことをおかしいと思いながらも、しっかり受け止めることができるから」だった。

宮古馬(ナークー)(首里の馬):ある日とつぜん未名子の家の庭に迷い込んできた馬。本来ならば野生の馬がいるはずがない。

馬は移動するために進化したもの。今いる場所に変化が起こることをつよく恐れる。

 

警察官:ちいさい頃の未名子を、怒鳴りつける様にして怒ったことがある。

電気屋の店主:事務所のパソコンを直してくれていた優しそうな男性。未名子から電気屋に訪れると、怯えきって悪態をつく。未名子はそれにショックを受け、野ざらしカセットデッキを盗む。

→知識を集める、という行為に対して恐怖を抱いている。魔女か何か?

賢い人たちによるテロによって、みんなが知らない部分で知識を蓄える人が警戒されるようになった。

 

クイズの回答者に最後に出した、問題のようでそうでなく、答えという答えがない問題

「にくじゃが」「まよう」「からし

ヴァンダ:祖国の綺麗な部分に居すぎたがゆえに暗部に気付かなかった。宇宙がもっとも安全で美しい場所。

ポーラ:あたたかすぎる家族の愛情が恐ろしくて、鏡のない深海にいる。家族やその血から逃げてきた。人も動物も決してわかり合えない。

ギバノ:反対の思想側の軍隊の人質。殺す側の人間で、そこから逃げるためにビジネスをしてきたのだが、誰も助けてくれない。あらゆるものに戦争がついて回る。人は武器を捨てても別のものを持って戦い続ける。馬を逃がしてはいけない。財産だから。

→これGPSをもじってたんだな。ラストあたりで「あるひとつの場所をみっつの単語で紐付けて示すやり方」という言葉があるのだけれど、それがGPSの作用と似ている。

 

沖縄の歴史

・毎年来る激しい台風と、それに対応した低い家屋

・太平洋戦争による街の消失と再建の繰り返し

・政策、豚コレラが産んだ飢饉による琉球競馬の衰退

・ソテツ地獄 粗悪なデンプンから逃げるための移民

死んで知識を引き継ぐのではなく、長生きして守るという選択。

 

以上メモ書き。

 

上から考えるにあたって、この話の軸として「情報」と「歴史」というのは大きなキーワードだと思う。未名子や順さんがいた場所は、誰も気にしない沖縄の些細な情報を纏める施設であり、未名子が最後まで失わせないと決意したものでもある。その情報には歴史そのものが込められているのだが、ここが沖縄独特の要素が加わるところで、この作品の独自性を生み出しているところでもある。

というのは、これまでの沖縄の歴史の様々な時点において、彼の地は理不尽な暴力、自然からの攻撃を受け、歴史を何度も失っているのだ。そしてそのたび、沖縄の人たちは自分の記憶を頼りに、街を再建してきている。

もうひとつかなり大きい、というかメインキーワードなのが「孤独」であり、これは順さんや未名子がどちらも手にしていたものである。この孤独と情報が、この作品ではすごく密接に関わっていて、孤独だった未名子が、沖縄の情報という名の歴史に触れることで些細な居場所を獲得したのに対し、順さんは知識や情報を得すぎたが故に孤独になってしまった、という対称性がある。また、同じように、未名子が出題してきた問題の解答者たちも、みな圧倒的な知識を持っているのだが、誰もが孤独に苦しんでいたりする。で、その知識を「現在に」参照し直す(クイズで解答する、資料館の作品をチェックし続ける)ことに、作中人物は快感を、救いを覚えるのである。(同時に、作品のなかで沖縄の歴史を守る唯一の手段として描かれている)

最後に首里の馬だが、ここでは馬は移動の象徴として扱われており、馬に乗ることは、「今が変化すること」から逃げることを意味していると考えて間違いないはずである。また、「首里の馬」自体が、過去に人間の都合で絶滅の危機に瀕している、つまり沖縄という土地と同じ性質を持っている時点で、首里の馬それ自体が沖縄そのものを示しているという解釈も可能ははずである。

ここで、この作品の最後に、未名子が馬に乗って走り去る行動は、未名子と沖縄それ自体の歴史や運命が重ね合っているように見えるし、そこには未名子が信じる「死んで知識を引き継ぐのではなく、長生きして(危機から逃げて)守るという選択」が描かれているように思うのだ。順さんがこっそりと、しかし着実に世界と向き合い戦った(戦争も同じだろう)のに対して、未名子は端から戦わず、逃げ続ける選択肢を得たのだ。そしてこの選択肢は、おそらく知識を持ち続けることを選んだ、今を生きる未名子にしか表示されないものだと思う。

最後に、未名子が三人に出した問題の答えについて考えたいのだが、本人が答えのようなものがない、と言っている時点で、作中に出てきたような答えがしっかりと分かる問題ではないだろう。で、じゃあ何だと思うのだけれど、もしかしたらこの問題は、「未来に意味が付与されるような三単語」を選んだのではないだろうか。つまり、現時点でこれら「にくじゃが」「まよう」「からし」の接点は無いのだが、今後ずっと参照し続けることで、答えを満たす人物、事象が生まれるかも知れない、という話である。こう考えれば、未名子が作り上げた逃げ続けることで時間的に守られる沖縄という観点からも、時間という軸でしっかりと物語のなかに内包されていて良い。

以上、高山羽根子の「首里の馬」感想でした。

ざっと書いたが、読み返してみても、全体的に物語として纏まっている他、テーマがぶれずにあって、登場人物も効果的に配置されていて、かなり優等生の文章という感じがする。沖縄の歴史にせまりつつ、そこで情報の流動性や蓄積の肯定、今まで戦い続けてきた首里の街や人々に対して、逃げの価値を与えようとしていたのが、非常に良かったと思う。面白いのでオススメです。