古本屋で見つけた一冊。自分は子供もいないし周囲にそういう人もいないのだが、いろんな見方を学んで損することはないので手に取った。万が一にもないと思うが、自分が結婚して(!)子供が生まれ(!)その子が障碍を抱えていないという保証はない。
初版から40年経つ本書だが(そのため本文では「障碍」の字は「障害」となっているが、そこは気にすべき点ではないだろう)、いまでも十分参考になる知識があったので備忘録として記録。
以下メモ。
疾患による一次的な「機能・形態障害(生物学的な欠如)」が二次的な「能力障害(~ができない)」を生み、それが三次的な「社会的不利」を生み出す。
一次障害は早期発見やリハビリによる治癒や軽減が可能。二次障害は器具や周囲の手助け、リハビリにより軽減が可能。三次障害は、国の施策や予算、また共同体からの理解による受け入れによる軽減が可能。つまり障害の程度は絶対的なものではなく、周囲の環境によって度合いが変化するものである。障害児の親は、障害を宿命的な見方をせずに変革的な立場をとることで、悲観的にならずにすむはず。
どんなに障害が重い子どもでも、発達はする。
訪問教育:障害が極めて重く学校に通えない子のためにある制度。訪問教育を受ける子供の学籍は養護学校にある。
子供の成長(発達)には段階があるし、それを経る時間には個人差がある。やっていることは同じでも、対象が変化したり相手が変化する場合は、「力を膨らませている」という考え方。
また、お絵かきでこちらから見て同じ殴り描きのイラストであっても、本人が「電車」「お母さん」などと意識して描いている場合は、たとえ形にならない絵であっても「描けるものが増えている」と考えることができる。これも成長。障害児には上ではなく横に成長しているという考え方が大事。
過保護という養育態度は、サイモンズのいうところの「支配と服従」「受容と拒否」という両軸において支配と受容をともにもった態度である。玉井収介のいうところの保護機能と文化伝達機能のうち、文化伝達が十分に行われていない形。
過保護からの脱出。育児態度に自覚的になり、子供の発達を見極め、ほかの親と相談し合い外部からの指摘をもらうこと。
テレビは受容的にならざるを得ないために問題である。
歩行が安定すると言葉が出てくる子供が多い。手指の運動も大事。
問題行動には環境が大きくかかわっている。子供の発達において能力的なものや人格的なものが飛躍的に伸びようとしている(ある段階を乗り越えようとしている)ときに環境の影響を強く受けやすく、問題行動も現れやすい。在宅障害児は子供集団に入れず、限られた人を相手に、限られた種類の、しかも受け身的な遊びをし、その生活からリズムとアクセントを奪われており、極めて窮乏化された時空間のなかに生きることを強いられている。大人子供の関係性とは違う、子供子供の関係性のなかで生まれる遊びを行うことが大事。そこにはもちろん、障害児同士のかかわりと健常児とのかかわりが必須。
健常児に障害と障碍児についての科学的認識を育てるための特別な努力をすることを抜きにして、もっぱら健常児に社会奉仕の精神を培うことだけを目的とするならば、それは障害児を学習材料として利用しているだけに過ぎない。障害児にも何を学ばせるべきか目的がはっきりとしていないのに、楽しい時間を過ごさせるだけではもったいない。互いに尊重する精神のうえで、互いの発達に必要なものを学べる共同教育を行うべき。
またそのためにはまず父母が地域のなかで委縮せずに孤立しないことが大事。
現在は障碍者や老人の介護は家庭内、(近隣住民)、そのつぎに政府が介入するものだという社会福祉政策がとられているが、本来は逆であるべきである。健常な兄弟には、障害児の分まで過度な期待を背負わせず、面倒を見させることもあってはならない。個人の自由な選択を尊重することが親の愛情と言える。一方で、健常な兄弟には障碍児についての理解を深めさせることが理想。
障碍児が普通学級に入ることを検討する際に、その子の発達段階が学習のスピードにあうかどうかが重要になる(長期的に見た場合、机での勉強より遊びメインの学習のほうがその子にあっているなど)。また生活リズムがあっているかどうかの検討も必要(周囲の健常児にも合わせる限度があるため)。
学習の質が違うため、幼稚園・保育園でできた健常児との集団生活と小学校以降の集団生活は全く異なるもの。
1975年の国連総会で決議された「諸権利を守るための共通の基礎および指針」
障碍者権利宣言第三条「障碍者は、その人間としての尊厳が尊重される生まれながらの権利を有している」
古代スパルタ 障害を持つ子供は遺棄
ルターやカルヴァン 障碍者を「悪魔の子供」「魂のない肉のかたまり」とし、魂を清め内部にある悪霊を追い出すために肉体的・精神的苦痛を与える
20世紀のアメリカ(1900~1929)まで優生学運動 障碍者は民族全体の知能を引き下げるため断種せねばならない
続くドイツのナチズム 障碍者の断種決行。(36~40万件。1939年にWWⅡが勃発して方向転換。敗戦1945年までに精神病者を含む7万人以上を殺害)
日本では因果応報 1941年の国民優生法(では隔離、結婚制限、人工妊娠中絶、不妊手術などによる優生学運動を織り込む。断種の第一種は精神病者)
父母が子供に代わって権利を主張することが大事。
内容のメモは以上。
なお最後の下線部は個人的に気になって調べた内容であり本書の範囲ではない。
該当部分はネットで見つけた以下の論文より。
上の論文から引っ張ってきた部分は非常にショッキングな内容だが、これを読んでいると夢野久作「ドグラ・マグラ」(1925年に構想し、1935年に出版)の精神治療についてより実感が沸くというか、社会全体が精神病と向き合っていた時代にこの小説を出す文脈が恐ろしい。優生学とがっつりかぶっていたんだな。
というより、80年も前には当然のように優生学が機能していた事実が恐ろしすぎる。
本書の内容から40年は経過しているわけだが、障碍者の権利を社会が認知する段階についてはどれだけ進歩しているのだろう。この辺りはもう少し勉強したいなと思う。