新薬史観

地雷カプお断り

秋山徳蔵「味 天皇の料理番が語る昭和」読んだ!

前書き

最近の感想の記事タイトルがあまりに味気ないなと悩んでいる。

例として

茂木俊彦「障害児を育てる」

サミュエル・ベケットゴドーを待ちながら」安堂信也 高橋康也 訳

こんな感じですよ。

タイトルがタイトルだけに近寄りがたすぎる。

あと著者名と本のタイトルだけではその本の何について語っているのかわからない。批判か感想か執筆報告(?)なのか、それを区別するためにも、「この記事はその本を読んだ感想ですよ」という意味合いの一言が欲しい。

とはいえ「感想」と頭につけるのはなんかダサい。後ろには訳者を置くという自分ルールがあるので、名詞の4連続(著者名、書名、訳者名、感想)となり非常におさまりが悪い。

もう少し親しみやすいのはないかしらと考えていたのだが、なるほど自分のTLには、今日もなろう小説を読んだ友人のツイートが流れてくる。そこには元気に「〇〇(書名)読んだ!」という文字が。

なるほど、これかもしれない(そうか?)

というわけで今後は感想記事には「観た!」「聞いた!」「読んだ!」と元気よく宣言するようにします!

 

以下本文

というわけで古本屋で出会った本2冊目。

 

秋山徳蔵「味 天皇の料理番が語る昭和」

 

もうタイトルからして面白いなと確信し、中身も読まずに手に取ったのだが、やはり面白い。すごく楽しかった(小並感)。

秋山徳蔵天皇の料理番を任された日本最高の料理人の手記です。

秋山の存在はテレビドラマ・杉森久英による原作小説「天皇の料理番」の題材にもなっているらしく、それなりに知名度があるらしい。自分は全く存じあげていなかったけれど。

で、どういう人なのかというと、端的に言えば「誰よりも早く世界で通用する料理人(プルミエ・コミ)としてフランスで認められ(かつ日本のお偉いさんとコネを持っていたので)天皇の料理番である宮内省大膳寮で主厨長(トップの料理人)として抜擢され、40年近く勤め上げた」という人。割と肩書だけでもすごい。なろう系か?と思わせる設定の力強さがあるが、どうやら実在する人物らしい。

本書は秋山徳蔵の手記なのだけれど、これまでに料理人として歩んできた過去を振り返る形式で書いていて、読めば読むほど(めちゃくちゃで)面白い。明治から昭和にかけての食と日本の動向が見えるというのも魅力的。

 

で、秋山徳蔵のどんなところがめちゃくちゃなのかというと、

・お寺で修業しているときにお上人様の墓を全部崖から突き落とす

・フランスで修業をしているとき、お金がないので日本大使館から缶詰を拝借(窃盗)しまくる(職員も気付いているが何も言わないでいる)

・フランスのシェフに黄色人種とバカにされたのでスープの入った鍋をひっくり返したり柔道の真似事でシェフの腕を折る

天皇の料理は質素なのに対し、軍部の料理が豪勢であることに腹が立ち、軍部から食料を拝借(窃盗)する

等々、かなりやんちゃな性格をしていたらしい。盗むな。

 

とはいえその実力は折り紙つきらしく、毎日天皇の料理番として勤めを果たし上げたほか、実際に何千人、何万人が参加する晩餐会を切り盛りしたこともある。また、秋山は嗅覚が非常に優れていたらしく、「当時の日本の豚は世界に比べて魚臭い」まではまだギリギリわかるにしても、「女と面と向かって座っていると、その匂いで感情がわかるものである」と常人では分からないことも「優れた料理人は嗅覚が優れているから」で済ませるのでかなり面白い。途中の話もなかなか貴重で、「牛肉に霜を入れるためには一日一回の牛へのマッサージが必要」だとか、「愛のない嫁の料理と愛のある嫁の料理は全く味が違う」など、かなり精神論的で「料理はまごころ」であるスタンスを崩さない。

自分は料理漫画の読み過ぎで「料理は愛情」論法には懐疑的になってしまった節があり、上記の提言に対しては「牛肉の霜はビタミンA欠乏によるものでは?」「愛の有無は料理の旨さとは独立したものでは」などと考えてしまうわけだが、じゃあ料理教室にも通ったことのないオタクと、日本最高の料理人のどちらを信じるかというと、当然後者ということになる。

これまで自分と同じように料理漫画の「愛情」に懐疑的になっていた人間は、心を入れ替えて愛情の理解に努めましょう(とはいえ秋山の主張を掘り下げると、それくらい相手を想うことで細やかな配慮がところどころになされ、食べる側が嬉しくなるからであるという尤もな論旨ではあるので、料理漫画の後出しじゃんけん的なアレと同じにするのは違うかもしれない)。

ちなみに、これはエピソードとしてぜひ書いておきたいことなのだが、食に関して秋山をビビらせ「恐ろしい舌」だと言わしめた人間に、西園寺公望その人がいる。秋山がそこらの(上質な)ウナギを「大和田のウナギです」と偽って西園寺に渡したところ(息を吐くように産地偽装するな)、見事に産地偽装を見抜かれてしまったというエピソードが語られており面白い。

また、競馬場で菊池寛から大馬主だと思われて話しかけられ、出版関係の人間と交流を持つことになった経緯や(その縁あって、本書の前書きは吉川英治が担当している)、昭和天皇の食事の様子、フランスと日本での料理人の扱われ方の違い、大膳頭かつ天才植物学者の福羽逸人のエピソードなどなど読み物としてかなり面白い話が勢ぞろいである。

最後に、これは至言だなと思った文章を引用して締めくくりたい。

つまるところ、美味しければよいのだ。だから、新しい時代というものが熟してくると、そこに新しい味覚の標準ができてくるはずである。(中略)

いいものはいつまでも残るが、味わい方の標準はずいぶんと変わってくる。それでいいのであって、昔のことをとやかくいっても始まるものではない

変遷する料理や日本人の嗜好を眺めて、料理人のトップが選んだ言葉である。非常に冷静で、料理だけでなく何にでも当てはまることだと思う。

読んで後悔はしないと思うのでお勧め。

料理は愛情!

 

 

 以下序盤のメモ書き(途中で飽きた)

大正9年のバッキンガム宮殿で催された公式晩餐にはウィンザー宮殿で保管されている金無垢の皿とナイフとフォークとスプーンが出てくるなど。もちろん使うと疵がつくので、使用するたびに金メッキを行うという強さ。すごい。

日本では料理人の立場はよくないが、フランスでは皇后陛下が料理学会の会長を務めているくらいで、料理に対する扱いがすごいらしい。

人間が相手なのではなく、技術が相手なのである。先輩ではなく技術に対して頭を下げていた。

素引きという概念!合鴨は湯引きをするのが楽だが、それでは皮が硬くなるため洋食用では絶対に素引き(羽をむしること)をしなければならない。

「つまるところ、美味しければよいのだ。だから、新しい時代というものが熟してくると、そこに新しい味覚の標準ができてくるはずである」

「いいものはいつまでも残るが、味わい方の標準はずいぶんと変わってくる。それでいいのであって、昔のことをとやかくいっても始まるものではない」

見習い時代(明治33年くらい)の給料は1円50銭(1円が現代での3700円のため、1円50銭は5000円になるが、物価においてあんぱんが1銭(36円)、うどんとそばが2銭(72円)ということを考えると、大体4倍くらいの価値がありそう。給料は2万円くらいというのが目安かな。当時の公務員の初任給は50円らしいので、大体今でいうと月に74万円ももらっていることに……もらいすぎだろ公務員)

赤毛布(あかげっと)田舎者を言う。

シベリア鉄道の食堂が1食7円(1955年にして4~5千円らしいが、今に直すと物価換算では1円=15000円なので、1食10万円くらいかかることになる)

プルミエ・コミ(シェフの次の格)のセルティフィカ(証明書)をもらう。世界に通用するパス。組合員になるとケガをするとすぐに治療が受けられ、それらがすべてタダで行われる。フランスでは(映画における主演のように)レストランではシェフの名が書かれ、客もその名前を見て訪ねてくる。

宮内省の大膳頭(だんぜんとう、天皇の供御や饗宴をつかさどる大膳寮の長)福羽逸人 農学博士、西洋から取り寄せた種を新宿御苑で栽培し、マスクメロンや福羽苺(ふくばいちご)などの開発に成功した。

重点となる料理の光を消すようなギラつきがあってはならない。コース全体が渾然とした調和を保ってこそ最上の料理があると言える。

(メモ書き以上)